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   2   女性奴隷制度


「いやあ先生、いつも申し訳ありません。なかなか痛みが取れなくてね」

2か月前に骨折したクラウン氏の右足は、転倒時に断裂した膝の靭帯が完治せず、リハビリが遅れていた。松葉杖を使えばなんとか歩けるものの、地面に足を着けられるようになるにはまだ時間が掛かりそうだった。

「もう少し安静が必要ですね。今無理なさると、左足の方にまで負担が掛かってしまいますから」

セドリック医師は包帯を丁寧に巻き直した。水曜の午後は往診に回る。怪我の多いクラウン氏とは長年の付き合いで、ほぼ毎週彼の邸宅に通っていた。 

屋敷は豪華なインテリアに彩られていた。金糸の織り込まれた深紅の絨毯。五層のシャンデリア。大きな青磁の壺。光沢ある漆黒のチェスト。町医者の彼には縁遠い高価な品ばかりだ。

「では、また来週伺います。何かあればいつでも連絡して下さい」

診察を終えたセドリックが帰り支度を始めると、クラウン氏は愛想よく応じた。

「ええ、いつもすみませんな。おい、用意しろ」

広間に並ぶ女中たちに声をかけると、猫耳のヘアスタイルに揃いのチャイナドレスを纏った女性たちが「はい、ただいま」と一斉に腰を折って返事をし、きびきびと動いた。

「どうぞ先生、同じメニューで恐縮ですが、ぜひ召し上がってください」

遠慮する間もなく、円卓には飲茶や揚げ鶏、水餃子のスープが次々と運ばれてくる。まだ仕事があると断っても「まあまあ」といなされ、席に誘導される。クラウン氏は中華料理店を七店舗経営するオーナーだ。お礼のつもりで毎回振る舞ってくれるのだが、食べきれないほどの量に正直困っていた。

食事を始めると、女中たちが至近距離で配膳するため、余計に緊張する。
「もう結構です」と言っても、微笑みながら皿に料理を盛ってくる。それが彼女たちの仕事だからだ。一度座れば最後、デザートを完食するまで帰してもらえないことを、セドリックは諦めとともに受け入れた。美女ばかりの女中は全員黒い首輪を装着していた。主人がいるか区別するための印で、彼女たちはみなクラウン氏の奴隷なのだ。

膨らんだ腹での往診は辛かった。げっぷが出るのを堪えていたが、どの家にも最低ひとりは奴隷がいる。彼女がお茶やお菓子でもてなしてくれるので、胃袋はたぷたぷになる一方だった。

「先生はまだ奴隷を飼われていないんですか」

最後の訪問宅の、腰痛を長患いしている獣医のサニー氏が言った。彼の周りには五匹の白いポメラニアンが動き回っていた。愛犬家の彼は子犬を順番に抱き上げては平気でキスするが、粗相すれば奴隷に片付けさせていた。

「奴隷がいると便利ですよ。ひとりぐらいどうですか?セドリックさんはお忙しいお体なんですから」 

「いやいや。それほどは。ひとりの方が身軽ですから」

「奴隷など奴隷小屋に押し込んでおけばよいのですよ。用がある時だけ言いつければ。子供を残すのも我々の義務ですよ。ひとりでも多く新しい奴隷を増やさなければなりません。男にかしづいて孕むのが女の仕事なんですから」

サニー氏は奴隷が運んできたシナ茶を飲み干した。恰幅のいい彼は御年六十歳。既に三十人子供を産ませていて、現在も二人が妊娠中。だが、家の中に子供はいない。婚姻や家族制度がないからだ。男性に子供を育てる習慣がなく、赤ん坊を抱っこすることもない。人間が人間を増やす現象に過ぎず、犬は溺愛しても父性はない。それがこの国の通例認識だった。

夕飯を一緒にと引き止める誘いを断り、診療所に戻った。コーヒーを飲みながら、院長室でパソコンにカルテを記入する静かな時間が落ち着く。

医院には男性看護師が三人がいるが、往診には同行させない。毎回こうして食事などを勧められるからだ。以前若い看護師が訪問先で酔っぱらって多大な迷惑を掛けた。先方の温情で許してもらったが、毎回そうとは限らない。 なにより奴隷に手を出したりしたら大問題。彼女たちは主人の所有物で、うっかりでも傷つけようものなら厳罰が下される。この国の女性はみな美しいが、奴隷を口説いてはならず、褒めたり同情することも禁じられている。奴隷はあくまで奴隷。主人に仕えるだけの存在で、哀れむ必要はない。

セドリックはその制度にずっと疑問を抱いてきた。国の定めた以上の収入があれば奴隷の申請ができ、もう条件を満たしているが、そもそも奴隷という言葉が受け入れられない。

医師という仕事をしていれば男と女も同じ人間でしかない。皮膚も髪も同じ成分。五臓六腑。呼吸し飲食し排泄する。生殖器の違いで「主人」と「奴隷」に区別されるのはおかしい。だが誰も異を唱えない。小さな溜め息を吐き出すのが精一杯の抵抗。偽善でしかないのか?という自問自答をひとり繰り返していた。

「さて、そろそろ帰るか」

記入を終え、腕を伸ばして背中を反らした。しっかりと戸締まりしてから、診療所を出た。夏の夜は湿っていた。草が蒸れる匂いが充満し、紺色の空に厚紙を貼ったような満月が低く浮いていた。遠くにそびえ立つきらびやかなタワー。高さ888メートル。昨年世界一位に認定された、超資産家のエスティマ氏が所有する、ホテルとカジノとショッピングセンターの入った複合施設。国を代表する観光名所で、二十四時間明かり絶えぬ不夜城タワーだ。

心のどこかで羨ましいと思う。たまには羽目を外してみたい。大金をギリギリの勝負に賭けるのはさぞかしドキドキするだろう。スイートルームで夜景を見下ろしながら飲むワインはどんな味がするのだろうと。
だが一秒後にシャボン玉が弾け、くだらないと首を振る。あんな連中に成り下がるのは恥だとタワーに唾を吐く。

エスティマ氏は奴隷産業で頂点まで上り詰めた人物。人身売買や性風俗を仕切る、この国の象徴のような男だった。大統領とも懇意の仲で、歩く免罪符と呼ばれている。女性をものとして扱い、二束三文で売りさばく。年端のゆかない少女でもお構いなしだった。

あちこちから流れてくる彼のエピソードは聞くに耐えぬほど残虐だった。手足を縛った奴隷を高所から突き落とし、誰が生き残るのか賭けて遊ぶ。およそ人間とは思えぬ所行。だが警察の取り締まりもなく、ニュースにもならない。奴隷に人権はない。まさに虫けら。羽を千切ろうと踏みつぶそうと主人の思うままなのだ。

帰路に向かう夜道にハンチングを被った客引きがいた。車の窓に張り付くようにして金額を提示してくる。セドリックはふと気になって停車した。客引きが指す後ろには片足のない女性が杖を支えに立っていた。胸元までのブリュネットの髪。愛嬌ある顔立ちで、ふっくらした頬の膨らみが若さを物語っている。多分まだ10代。事故なのか生まれつきかは分からないが、障害があろうとルールからは逃れられない。飼われたら奴隷として全うするしかないのだ。

三十四歳になるセドリックも、公営のサービスは何度か利用したことはあるが、胴元の分からぬ娘は危険なので手を出さないようにしていた。しかし佇む娘を放っておけなくなった。なにより深夜にミニスカートで立たせたくなかった。

財布から出した札を窓の隙間にねじり入れた。男はすいと受け取ってポロシャツのポケットにねじ込むと「あそこの角の302」と、信号の先にある三階建ての煤ぼけたアパートを指差し、娘に顎をしゃくった。杖に全体重を預け、倒れそうにやってきた娘は、近くで見るととさらに幼く映った。瑞々しい肌質は十七、八の少女のそれだった。

車が動いても娘はなにも喋らず、真っ直ぐ前を見て座っていた。彼女たちは私語も許されない。会話をすればなにかが生まれるからだ。親しさからの情。愚痴を容認すればどちらも罪になる。奴隷に恋心を抱いて脱走した男女が射殺された事件もちらほら起こる。そうならぬよう彼女らには名前もなかった。

アパートの階段は照明が切れていて暗かった。指定された302号室は殺風景なワンルームだった。シガーとアルコール、放置した生ゴミのようなすえた匂いが室内に染み付いていた。紫色の褪せた壁紙。カーテンはなく、木製のシェードが掛けられているが、下の方の糸がほつれており、板が斜めに傾いていた。客を取るだけの部屋で、補修も居心地のよさも必要ないからだ。

セドリックはベッドサイドにあるきのこ形のスタンドを点けた。娘は部屋の前で指示を待って立っていた。おいで、と手招きした。

「君を診察したいんだ。それでは不便だろう。よければ君の足に合う義足を作らせてほしい。僕の知人に義肢の達人がいてね、骨格に合った足を製作してくれるんだ。杖を使い続けてると体のバランスがずれて、視力や内臓にまで影響する。君はまだ若い。足があればこんな商売をしなくていい。別の家や店で働けるかもしれない。その手伝いをさせてくれないか」

娘はその場から動かなかった。なにを言われているか理解できていない顔だった。 幼い奴隷ほど人を信用しない。施設で刷り込まれる教育システムの影響がまだ強く残っているからだった。

女児は十四歳まで施設で共同生活を送り、奴隷になるための教育を受ける。家事全般に加え、農業、看護、介護、理容、性教育やマッサージの施術もここで習い「NO」への恐怖も同時に植え付けられる。指先に機械を取り付け、拒絶の言葉を口にすると電流が流れ、激痛によって調教するのだ。少女らは恐怖によって人格を喪失し、自分を「もの」と思い込み、他人の優しさが分からなくなる。 片足の少女は不思議な生き物を見る目でセドリックを見ていた。正体不明の不気味なものに出くわした戸惑い。どんなにゆっくり説明しても彼女の中では換言できず、しまいには混乱して失神してしまった。急いで気付けをして意識は戻ったが、自分は奴隷だと深く刷り込まれているならば、奴隷として扱ってやる方がいいのかと、セドリックは痛感した。

相手を苦しめてしまうお節介は迷惑でしかない。医師だから人を助けなければという概念に囚われすぎているのか。間違った正義を押しつけているだけなのかと、彼女を帰した車の中で考え続けていた。

  ♢♢♢

翌月、セドリックは学会に出席するため、首都のラフェスタに来ていた。中心部にエスティマタワーが天高く聳え立つ大都会。元は広大な砂漠だったが、 四十五年前の大地震によって砂地が海になり、隆起した海底の地層が固い大陸と変化した。ラフェスタはその地を開拓、 造成して作られた一番新しい街だった。インフラ整備に伴い、ビルや学校やマンションや病院や空港も建設され、今や最大の都市に成長し、新天地を求めてやってきた若者たちの勢いそのままに発展を遂げた。
英知と技術が集中したラフェスタは医療も科学も最先端。歩いている人達もみんな垢抜けている。まだアスファルトも所々敷かれていない郊外に暮らすセドリックには気後れするほどで、身に付けてきたスーツが時代遅れじゃないかと不安になったりした。

会場はエスティマタワーのすぐ側。近くで見上げると迫力に圧倒された。地上173階。天空の塔。全面ガラス張りになっていて、光の加減によっては反射した窓に虹が浮かび、観光客はこぞって七色の輪を撮影していた。

「やあ、セドリックさん。そんなに見上げていたら首がもげますよ」

 肩を叩かれてハッとした。背を反らして見ていた自分が恥ずかしくなり、慌てて姿勢を戻して挨拶した。声を掛けてきたのは骨接ぎ専門家のパジェロ氏。数年前からの知人で、彼は六人の奴隷を同行させていた。

揃いの白いスーツに額を出したひっつめ。陶器のようななめらかな肌に大きな瞳。細い足を一歩前に出し、手を前に揃えるポーズで立っていた。似たスタイルと顔立ちでパジェロ氏の好みが分かる。彼は暴力は振るわないが、とにかく性欲が強く、次々妊娠させてしまうため、会う度に新しい奴隷を連れていた。今日従えているのも全員新顔。そのせいか四十代半ばのわりに肌がてらてらし、妙にいい匂いがしていた。 

「相変わらずお一人なんですね」

心地いいテノール。声と体型とたおやかさに、セドリックは彼を前にするとまだ青二才のように気後れする。今日の議題の人工骨の移植について話しながら会場まで歩いた。この国の男達はなぜか骨が弱く、生まれつき骨粗鬆症で、軽くジャンプしただけで骨折する者も多い。スポーツ選手を目指すアスリートには致命的で、骨の埋め込み手術を受ける者も珍しくない。 そこで、より簡単に済ませられる、頑丈でしなやかな素材の人工骨が求められていた。

セドリックもこれまで四回骨折しており、骨密度は実年齢より二十歳も上回る結果が出た。小魚やミルクを率先して摂取しているが、改善しない。中華レストランオーナーのクラウン氏然り、サニー氏の腰痛の原因も骨粗鬆症からくる脊椎の圧迫骨折によるものだ。だがカルシウムのサプリメントを摂取しても骨はスカスカのままだった。

会議では様々な論文が発表された。骨粗鬆症とエストロゲンの関係性については既に知られている事実だが、そこである仮説が問われた。乳幼児が摂取する母乳の量が深く関わってるのではという研究の結果だ。人工ミルクを与えた小猿と、母乳で育てた小猿とでは、骨密度だけでなく、免疫の抵抗力にも差が出ており、母乳で育った方が格段に感染症に強いという。

「我々は誕生から人工ミルクで育ちます。女は汚れた存在なので、男児に母乳を与えてはならないからです。だが一歳半まで母乳で育てられた女児は、男児に比べてウイルスに罹患する割合が42%も低く、死亡率もそれに倣います。これほど顕著な数字が出るのはなぜでしょうか。SSMの影響で、現在でも男児の出生率は依然高いままですが、平均寿命で見ると奴隷の方が九歳も高いのです。 全てが母乳の影響とは言いきれませんが、無視できない数字ではないでしょうか」

学会が終了したのは午後の一時。セドリックも席を立ち、顔見知りに挨拶して歩きだした時だった。

「セドリックさん、よろしかったらこの後どうですか?エスティマタワーにおいしいスシの店があるんですよ。先程電話したらいいクロマグロが入荷したと言ってたんで、是非ごちそうさせて下さい」

急ぐ予定もなかったので、ご相伴に預かることにした。正直、一度中に入ってみたかったからだ。タワーは一般客と会員のみが入店できるフロアに分かれている。パジェロ氏は常連の会員。レストランもカジノも顔で通される。仕事も遊びもたっぷり楽しむのが彼の流儀。馴染みのドアボーイに「やあやあ」と笑い掛けながらチップをはずんでいた。

目の前で板前が握ってくれる高級スシ店のテーブルは既に埋まっていた。もともと砂漠だった土地は平均気温が高く、足の早さから生の魚はあまり食べられてなかったが、今ではポピュラーな料理になっていた。瞬間冷凍する技術と、配送速度が向上したおかげで、新鮮な魚介類をどこでも食べられるようになったのだ。
とはいえこの店は別格だった。本場で修行してきた職人が握る絶品スシが評判になり、予約が絶えない店として有名だった。常連のパジェロ氏の招待がなければ到底来れない高級店。青い矢車草の一輪挿しが飾られた床の間付きの個室。セドリックも新鮮な魚介類に舌鼓をうった。