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#せりふ三題噺/Come Back To Me


「イチ、ニイ、イチ、ニイ。そう、ゆっくり漕いでごらん」

立春の、少し冷たい風が吹く公園で、僕は三歳になる息子の航太の背中を追っていた。離婚して一年。月に一度の面会日は、いつもどこかよそよそしい空気が流れる。

航太が跨る三輪車は、僕がこの日のために用意したものだ。しかし、彼はまだペダルを上手く回せない。ガシャン、ガシャンと不自然な音を立てて進む三輪車と、それを見守る僕との間には、埋めようのない空白があった。

「上手、上手」
 
僕は明るく声を掛けるが、航太は振り向かず、真剣な顔でハンドルを握りしめている。かつては当たり前だった親子の時間が、今では台本のない芝居のようにぎこちない。昨日までの雪はすっかり解けたが、木陰のベンチの板の間にはつららが残っていて、暦通りの季節は来ていなかった。

夕食は、レシピを見ながら航太の大好物のエビフライを10本揚げた。

「ほら、できたよ。たくさん食べな」

皿に盛られた黄金色のエビフライ。航太は「わあ」と声を上げたものの、黙々と口に運ぶだけだった。テレビの音で沈黙を紛らわせながらも、彼がソースをこぼさないか、喉に詰まらせないか、そればかりを気にしていた。頬を膨らませてむしゃぶりつく口や手が、こんなに小さかったのかと思う。

「ゆっくり食べなね。いっぱいあるから」

「うん」

会話はそれ以上弾まない。かつて食卓を囲んで笑い合った記憶が、遠い異国の出来事のように感じられた。盛り上がらないまま時間は過ぎ、航太の眠たそうな顔を見てパジャマに着替えさせ、布団へ運んだ。

翌日の夕方、元妻と待ち合わせしたショッピングセンターの駐車場まで向かった。忘れ物がないか確かめてから後部座席の航太を抱き上げた。

「じゃあ、また来月な」

ニット帽を直してから元妻へ渡そうとその時、航太の小さな手が、僕のコートの背中をぎゅっと掴んだ。

「……航太?」

彼は何も言わない。ただ、僕の肩に顔を埋め、指が白くなるほどの力で生地を掴んで離さないのだ。

「ほら、ママが待ってるよ」
 
促しても、彼は首を横に振るだけだ。言葉にならない拒絶。いや、それは切実な「行きたくない」という叫びだったのかもしれない。三歳の彼なりに、この二日間、僕に気を遣い、寂しさを押し殺していたのだと、その手の震えでようやく気づかされた。

無理やり引き剥がすようにして彼を元妻に託す直前、航太は黄色いダウンのポケットから取り出した四つ折りの紙を僕に乱暴に押し付けた。なんだか分からぬまま受け取ると「じゃあね。ありがとう」と元妻は言った。彼女の目の縁が赤く染まっていて、波のように揺れていた。

これ以上長居しちゃだめだ。僕は逃げるように車を出した。バックミラーに映る航太の姿が小さくなっていく。またな。またな…、と心で告げる。

信号待ちでコートのポケットに手を入れた。別れ際に航太からもらった紙を取り出して開くと、そこには、新聞のチラシの裏面にクレヨンで描かれた、大きな小麦色のエビフライがあった。その横には、まだ覚えたてのような、たどたどしい文字でこう書かれていた。

『おいしかった』

視界が急激に滲んだ。
盛り上がってないと思っていたのは僕だけだった。彼は彼なりに、僕との時間を懸命に楽しみ、噛み締めていたのだ。あのぎこちない三輪車も、静かな食事も、彼にとってはかけがえのない「お父さんとの時間」だった。

もう一度やり直そうか。
プライドや意地なんて、この小さな紙切れ一枚の重みにも満たない。僕が妻に謝って済むなら、そんなの簡単なことじゃないか。いつだって僕は知ってるくせに気づかないふりをしてきた。そっちから歩み寄って来ないかと、せせこましいサインだけ出して相手を待つのだ。そんなガキみたいな奴、見放されて当然だ。でも今なら言える。みんな一緒がいい。一緒にいたいんだ。

失った日々を取り戻すために、今、ハンドルを切るべきではないか。僕は車を路肩に止めた。ハザードランプの点滅が、鼓動のように夕闇の道に響く。

「はい、忘れ物」

どこからかそんな声が聞こえた気がした。今度はしっかりしろよ、と。
今なら、まだ間に合うかもしれない。彼女の瞳がすっかり渇いてしまう前に急げ。その言葉を胸に、僕はもう一度、彼らのもとへ車を走らせた。


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こちらの企画に参加させていただきました。
毎度長くなってしまってすみません。
今日は大雪でめちゃくちゃ寒いですー。
日向ぼっこが習慣の猫は膝の上で眠っています。
最後までお読み下さりありがとうございました😊🐧
はらとけい様 宜しくお願いいたします。

#せりふ三題噺
#はい 、忘れ物
#エビフライ三輪車つらら