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短編小説/種族の掟


 
 
 寒い。寒くて凍えそうだ。全身が冷えきってる。誰か毛布を持ってこい。
いや暖房のスイッチを入れろ。ああ体の震えが止まらない。このままでは肺の中まで凍りそうだ。温かいテールスープが欲しい。熱々のリゾットでもいい。おい、誰かいないのか!
 叫んだ瞬間はっと目覚めた。けれど辺りは暗闇であった。目を凝らしても何も見えない。夢の中と変わらぬ極寒。冷凍されてるように体が固まっている。場所を探ろうとするが、手が悴んで感覚がない。俯せに倒れているのだが、怪我でもしているのか足も動かない。トライアングルを鳴らしたような、甲高い音がキーンと耳の奥に響いていた。
 暗いのは瞼が凍っているせいであった。なんとか開こうと目許をぎゅっぎゅっと絞ると、ようやくかすかに緩んだ。しかし半分しか瞼が上がらず、滴のような形の視界になっていた。
 白。銀。プラチナクリスタル…。乱反射で眩しい。雪ではなく一面の氷。
なだらかな地平がどこまでも広がっていた。天も地も青白く光っているが、
季節も時刻も分からない。
 ここはどこだ。なぜこんな所にいるのだ。起き上がろうとするが、頬が氷に張り付いて取れない。冷たさが痛みへと変わり出す。皮膚が剥がれそうになりながらしばらく格闘していると、いつしがたに眼前に狼が立っていた。
 まだらな灰色の毛に、たてがみのような黒い模様。サファイアを思わせる鋭い小粒のシリウスの瞳でこちらを見つめていた。
 はっとしたが身動き取れない。狼はゆったりした足取りでウロウロと目の前を徘徊した。しかし匂いを嗅ぎに来たり、どこから噛み付こうかと算段する様子はなかった。寒さに強い種族だからか、氷の上でも軽やかだった。
〈食うつもりか?〉
 口唇も固まって開かず、胸の中で問いかけた。
〈お前のような人間でも食われるのは恐ろしいか。この星の半分を氷の世界にした首謀者が。お前が押したボタンのせいで北半球全土が滅びた。見よ。
この広大なツンドラを。ここはかつてお前の栄華の象徴だった宮殿があった場所だ。漆喰の白い壁。金の柱。美麗な細工の施された彫刻の装飾。色とりどりの花が咲き乱れる庭園と緑の森。それも全て崩れて枯れた。何もない。
お前の国も、お前の敵も、全部消えた〉
 狼の声だった。心に直接語りかけてくる。本物なのか疑ったが、しなやかな毛先に宿る霜や、ピクピクと前後する耳の動きは獣特有のもので、足音がしないのは彼等が利口だからだ。
〈バカな。我が国が消えただと。あのボタンは天候も軌道も綿密に計算した上で押したのだ。敵国とその支援国だけを狙ってな。なのになぜ我が国が巻き込まれたのだ〉
〈ああ悪いことはできぬものだ。あの禍々しいものが発射する数分前、お前たちが開発を進めていた星で突然爆発が起きたのだ。隕石がいくつも落下し
着地点に落ちる寸前に飛行物体と激突してしまったのさ。それが散り散りになり、運悪く世界最大の活火山の火口に墜落し、大噴火を引き起こしたのだ。噴火の勢いはすさまじく、大地を揺るがし、炎と溶岩が海を焼いた。
火山灰はライフラインを壊滅させ、噴煙は半球を覆い尽くし、日光を完全に遮った。やがて植物は枯れ果て、家畜は飢え、人間は息絶えた。残ったものは一面の氷。未だ太陽が届かず、一万年前の地球と同じ、氷河が支配する死の土地へなってしまったのだ。お前もろともな〉
 伏せたまま瞳だけで周囲を確かめた。ここが本国だと?いくら火山が爆発したとしても、建物や橋や線路の形跡までなくなってしまうなど、到底信じられなかった。
〈狼よ。あれからどのぐらい経っている?〉
〈明日でちょうど八年だ。お前は最初奇妙な箱の中に入っていた。シェルターというやつだろう。だが数ヵ月前からの猛烈なブリザードでひび割れて劣化し、とうとう生身がむき出しになったというわけだ。足は既に凍傷で壊死している。お前は一歩も動けずここで死ぬだろう。今でも残党が大将の首を狙っている。見つかるのも時間の問題だ。己の押したボタンで自らの命も縮めるとは皮肉なものよ〉
〈それでお前は、そいつらより先にがぶりと噛み付く時を待っているというわけか〉
〈総統。皇帝。独裁者。なんという名前で呼ばれるのがお好みか。我々は南の狼に最期の時を見届けてくれと頼まれただけさ。欲というものに食われた狂人の終わりを祝いたいからとな。南にはまだ生命がある。生き残った者のために、平和を脅かす種は消えたと知らせてやりたいのさ〉
 狼はすとんと真正面に座った。間断なく舞い降りるダイヤモンドダスト。
凍てつく風が容赦なく体に吹き付けては体温を奪っていった。
〈狼よ。頼みがある。私が目を閉じたら、かけらも残さず食ってくれ。王は決して屈しない。愚民に首などやるものか。お前は朽ちた世界で生き延びた英雄。私はお前の中で生きていく〉
 凍りかけた口で笑みを浮かべ、瞼が下りていった。