ホワイトルーム・オープン・ザ・ドア ⑪
六時間目が終わったあと、斜め前の富里がくるりと振り向き「やっぱ参加するわ。ホワイトルーム」と前置きなく告げた。驚かなかった。そう言ってくれてほっとしていた。
「うん分かった。じゃあ今日なら亀山さんもいるし、少し話そうか」
僕もなんとなくやる気がチャージされていた。これで心置きなくスタートできる。仲間外れはやっぱり気分がよくない。宮野の言葉をただの罵倒と捉えなかった富里に感謝していた。僕はいつも人を少し見くびっているんだなと思った。
帰ってしまう前にメンバーに声を掛けた。これと言う活動もしていなかったから、富里の参加に誰も違和感を持たなかった。稽古があるから早目にしてという清水の要望で、じゃあとっととやろうと思った矢先「山吹君、執事のカッコ似合いそうだね」と和久田がクスクスした。
あーほんとお、と女子特有の共感が一気に広がり「前髪上げた方がいいんじゃない?」「水泳やってたから肩幅あるもんね」「顎のライン綺麗だから顔斜めにして」と、早く終わらせたがっていた清水までもがノリノリでイジってくるので、ひたすら従うしかなかった。
「そういえばかめちゃんは文化祭に来られるのかい?」
端っこでだんまりだった亀山に小坂が聞いた。
「まだ分からない。どっちか一日は来るかも」
亀山は手を後ろに組んで肩を前後に揺らした。
「来れるとよいねえ。かめちゃんは忙しいから、あんまり一緒にイベントを楽しめなかったもんね。最後だから来てくれるといいなあ」
授業のない日、亀山はアイドル活動をしていた。修学旅行も去年の文化祭も来なかった。単位がヤバいから体育祭はいたが、行事類に不参加が共通意識になってるので、執事カフェでも替えが効く受付担当になった。これまではなんとも思わなかったが、来てほしいなと僕も思った。
「亀山さんがいたら、おれらなんかより人を集めてくれそうだよな。最後だし来なよ」
すると小坂が殿様みたいにわっはっはっはと笑った。亀山も釣られるように口を綻ばせ「なるたけ来るから」とちょっと俯きながら言った。亀山は恥ずかしそうにしてる仕草がやたら似合う。
「じゃあ、白井の話に戻そう。どうしたらいいかな。赤城のことがあったから、もう会ってもらえるか分からないけど、なんかいい口実ないかな」
「藤崎に謝らせれば。藤崎のせいで剣道部ハブられたんでしょ」
餌を見つけたカメレオンみたいに富里は早かった。ああ、と周りも同じリアクションをした。うっかり口にしちゃいけない事案と思っていたのに、みんな知っていたようだった。
「それって、有名な話?」
「藤崎が性格悪いのが有名。あいつ女子バスの顧問の永田ちゃんのこと狙ってるから、アイスとかシュークリームとか差し入れしてんだよ。なのに剣道部には水飲むなとか、買い食いするなって超うるさいんだって。みんな一駅過ぎてからコンビニ寄るって言ってたもん」
ねえ、と同意を求めると、うんうんとやはりみな頷いた。
「永田先生って、あの永田先生?」
「そう。おっぱい大きい永田ちゃん。体育祭でジャージになると、男子みんな釘付けじゃん。藤崎も用もないのにデレデレ女子バスの練習見に来るらしいよ。わざわざ横浜駅のデパ地下でスイーツ買ったりしてさ。うーキモい」
寒気を示すよう肌を擦った。まだ若い永田先生のことは指摘された理由で知ってる。目ざといな。焦りながらも、僕は素知らぬふりをした。
「でも藤崎に謝らせるとしたら、体罰があったと認めさせなきゃならないから難しいよな。教育委員会とかまで出てきておおごとになるし。ツカさんもそれは知ってて、そうじゃない方法を見つけたいんだと思う。なんかもっと、学校って楽しいよ的なことを」
「でも本当に行きたくない時は来いって言われると余計しんどいよ。あたしも陰キャのオタクだから中学の時クラスでハブられてて、ちょっと不登校になりかけたんだよね。向こうは悪気なくてもおいでよって言われるの辛かったもん。部活だけは楽しかったから、なんとか行ってたけど」
初めて知った清水の過去。だから最初の時は反対派だったんだと思った。
けれどそこにヒントがあった。
「つまりそれだよね。押し付けじゃなく、楽しいと思うことがあれば来るんだよ。ほら、三人が空見上げてたら、周りも見上げちゃうって言うじゃん。そういう自然な流れがいいんだよな。気がついたら呼ばれちゃいましたみたいなのが。行きたいと思う目的があるのが」
「学校の壁にバンクシーが落書きしたとか、広瀬すずみたいな転校生が来ましたとか?」
「そうそう。あくまで能動的に。本人の興味をそそるなにかで」
「じゃあ文化祭の内装を担当してもらったらどうだろう。一年の選択科目の美術で席が隣だったんだけれど、温暖化防止のポスターを描いた時、白井君の絵が大変素晴らしかったのだよ。目を引くような色使いと構図で、この人はとてもセンスがよいなと感心したのを覚えてる。お店の内装をやってほしいとお願いしたら、自分が考えたデザインがどんな仕上がりになるか気になって来るのではないかな。私ならチェックしたくなるからね」
小坂の名案に、わっとみんなの声が弾けた。
「それいい!そうしよう。あいつ凝り性だから気になって絶対見に来るよ。さすが小坂老中。頭切れる。すごいよ。めっちゃいい!」
富里は拍手した。すごいアイデアだと僕も興奮した。白井に仕事を任せるなど考えも付かなかった。なるほどその手があったかと目の前がすうっと拓けた。
「おれもすごくいいと思う。白井の気持ちを害さないし、頼む時も正当な理由で会える。いいよ。それで行こう」
輪になって拍手した。みんなの顔が明るくなっていた。僕も安堵の笑みが零れた。
「じゃあリーダーが行ってくれるんでしょ。話しに」
大きい目がぎょろりと向いた。僕が自分を指差すと全員無言で頷いた。
「え?おれひとり?誰も行かないの?」
「赤城の二の舞になったら困るもん。まずはリーダーが様子見てきてよ。文ちゃんと仲いいから一緒にいても疑われないでしょ」
さすが女子。押す時は一気に押して、引く時は波のようにすっと後退する。気付けばひとり渚に残されて、僕だけ足首まで浸かっていた。ほら早く行ってきなさいよと、買い物を急かす母親みたいな目線に言い返せなくなる。孤独って突然なのねと心で呟いた。
「分かった。文ちゃんに聞いてみるよ。いいって言ったら行くよ。ほんとにいいね。会えたら頼んじゃうからね」
「いいよ。誰も反対しないから。みんなのためになることだもん」
こんな笑顔に富里は初めてだった。戦場にいると自分も傷付く。そう気付いて武器を捨てたような、解放の深呼吸が聞こえてきそうな笑みだった。
下駄箱の前に文ちゃんと宮野と石黒がいた。僕が降りて行くと文ちゃんは腕を高く上げて手招きした。急いで駆けて行くと「これから文ちゃん家に行くんだけど、キッペイも行く?」と宮野が言った。
「えー今から?どうしたの?」
「石黒が行きたいんだって。だからおれも着いて行こうかと。文ちゃんもいいよって言ってるし」
うんうんと文ちゃんは頷き、おいでよと誘うように顔を傾けた。僕は今日塾があるが、気分が高揚してたので、まだみんなといたかった。
「じゃあ行く。石黒は今日予備校ないの?」
「あるけどそれまでには戻れるようにする」
勉強をサボって遊ぶなどしない石黒がギリギリのスケジュールで行くのはホワイトルームの相談か。それでも僕も文ちゃんの家に行ってみたかったので便乗することにした。
『友達と勉強するから遅くなる。ロンの散歩お願いします』
電車で母親に送った。高校三年生だから使える口実。五分後に『はーい』とそっけない返事が来た。
「誰にメール?」ドアに寄りかる宮野が聞いた。
「親。遅くなりそうだから犬の散歩頼もうと思って」
「ああなんだっけ。土佐じゃなくて、秋田じゃなくて、どこだっけ?」
「紀州だよ。前はうめぼしって呼んでたくせに」
「そうそう。白い毛のね。いい子で可愛いんだよな。お前散歩ぐらい行けよ。親だって忙しいんだから」
「遅くなると怒られんだもん。こっちにも予定あるのに母親にタイムテーブルで動かなきゃならないから、気忙しくて」
「しょうがねえよ家のこと一手に引き受けてるんだから。そんなに遅くならねえよ。散歩行けるぐらいには帰れるって」
朝の激昂が嘘のように穏やかだった。クールな男に分類されてる宮野が、一日のうちにこんなに感情が乱高下するのは珍しい。文ちゃんを思っての怒りだとしても、こんな一面もあるんだと意外だった。
「ロン元気?いくつになった?」
幼馴染みの石黒は何度もロンに会っていて、散歩中に出くわすと「いい子だな」としゃがんで撫でてくれる。不器用な笑みだけど無理はしてない。その顔はまだ僕しか見たことないんじゃないかと思う。
「今年で十一歳。腎臓ちょっと悪いけど元気だよ」
「全然吠えないし賢いよな。文ちゃんはなんかペット飼ってるの?」
『猫が三匹とカメが二匹とキンクマハムスターとインコが二羽いる』
そうして写真を見せた。動物が好きな文ちゃんらしいミニ動物園だった。
「インコと猫って一緒に飼って大丈夫なの?」
『インコの方が先住人だから。猫は新しく来る相手には威嚇するけど、先にいる相手には礼儀正しいんだよ。うちのインコ十五歳で猫より年上だから』
「あんなちっちゃいのにそんなに長生きするんだ。すごいね」
僕らが話してる横で「酵素かな…」と宮野はぶつぶつ呟いていた。
三鷹まで一時間。交通の便は悪くないが、この距離をよく毎日通ってるなと思った。都内にも高校はたくさんあるのに、文ちゃんが桜音高校に入学したのは「海と建築」に掲載されていた写真に魅せられたからだ。好きだから通うのは苦ではないと言うが、それで遅刻されては心配しかない。けど『明日は大丈夫』と毎回言う。遅刻は距離のせいではないと、そこだけは絶対譲らないのだ。大学街のイメージがあったので、もっと都会的でガヤガヤしているかと思っていたが、駅前から避暑地に来たような閑静な風景が広がっていた。昭和から時が止まったような鬱蒼とした上水緑道の細い道は、子供だったら冒険したくなるような手付かずの自然が残っている。歩いてても、通りすぎる車のタイヤ音と風が揺らす街路樹のざわめきしか聞こえない。
「いいとこだなあ。ゆったりしてて。おれも大学進学したら三鷹に住もうかな。都内にもこんな静かなところがあるんだ」
宮野はきょろきょろしながら何度も「いいなあ」と繰り返した。二十分ほど歩くと、青地のプレートに白いゴシック体で「周防木工所」と書かれた看板があった。近付くほどに新しい材木の匂いが香ってきた。
工房前には角材が立て掛けられ、プレハブの作業場からは電動のこぎりの稼働音が聞こえた。前を通りすぎようとすると、二十代ぐらいの頭に白いタオルを巻いた男性が出てきて「あ、文吾さん、お帰りなさい」とペコリとお辞儀した。どうやらお弟子さんらしい。黒いTシャツにくすんだ青のカーゴパンツ。少し目付きが怖かったが、僕らにも礼儀正しく挨拶して、隣の倉庫に入っていった。
「広いね工房。お弟子さん何人ぐらいいるの?」
文ちゃんは手を広げた。五人いるらしい。だからご飯がたくさん出るのだ。家は工房と自宅と家具店に分かれていて、ある一角を周防家が占めていた。オーダーメイドも請け負う家具店には他県や海外からも客が来る。お父さんが建てた自宅は瓦屋根の大きい日本家屋で、釘を一切使わない木組みの製法を採用しているせいか、神社仏閣の本殿みたいな外観だった。半分開いてた引戸の玄関で、華奢な体にちょっとぶかぶか気味の白いエプロンを着けた文ちゃんのお母さんが待っていた。
「いらっしゃい。よくいらして下さったわねえ」
関東圏でないイントネーションが混じっていて、それが返って上品に聞こえる。「こんにちは」とめいめい自己紹介すると、客は全部記憶している旅館の女将のように微笑み「いつも本当に本当にありがとうございます」と小さい体をきゅっと折り畳んで頭を下げた。
面識はあったが最初会った時は正直驚いた。僕の親はどちらも四十代だが、文ちゃんの両親はおそらく六十代。祖父母と紹介された方がしっくりくるぐらい年老いている。高齢出産の一人っ子だからか、文ちゃんの愛されオーラは間違いなく両親から浴び続けてきた光が肌まで染み付いたものだ。
「暑かったでしょう?何時に着いたの?先生にお電話したけど遅刻になっちゃった?」付きっきりで声を掛け、些細な報告も全部聞きたがる。文ちゃんを可愛がることが生き甲斐というように、絶えず手はどこかに触れていた。
二階の文ちゃんの部屋のドアを開くと、ベッドで寝ていた猫たちがドタドタと競うように部屋から出ていった。知らない奴がいきなり三人もいて驚いたらしい。ディズニーアニメみたいな慌てっぷり。「ちょっと大丈夫?」と落ちそうに駆け降りる後ろ姿に呼び掛けたが、あっという間に見えなくなった。逃げた階下から「あら、どうしたの~」とおっとりした声と、驚いてギョエーギョエーと騒ぎだすインコの悲鳴が聞こえた。容易に想像できるその光景がおかしくてみんなで笑った。
文ちゃんの部屋は物は多かったがきちんと整頓されていた。床になにも落ちておらず、服はハンガーに掛けられて、数えきれないほどの本やCDが列を乱さず棚に収まっていた。弓道の道具一式も布にくるまれ隅に立ててある。
年代物らしきダークブラウンのアップライトのピアノが奥の壁際でひときわ存在感を放っていた。声で参加できない代わりに、文ちゃんは式典でピアノを担当する。文ちゃんの演奏は「弾く」ではなく「奏でる」だった。一音鳴らすだけですうっと引き込まれる。鍵盤が歌っているみたいな旋律には淀みがない。僕は絶対音感はないが、文ちゃんの演奏だけは目を瞑ってても聞き分けられる自信があった。ピアノ以外にもギターにベースとアンプ、作曲ソフトの入ったパソコンなど、音楽スタジオみたいに機材が揃っていた。音楽は言葉を交わせない文ちゃんの表現法。それは僕には神聖な取り組みのように思え、なんとなくそのエリアに近付けなかった。
「語学本いっぱいあるね。文ちゃん何ヵ国語勉強してるの?」
棚には世界各地のガイドブックと語学書がたくさん並んでいた。石黒はフランス語の教材をぱらぱら開き「モア…、コラン…ジュテ…、クィキュュ…?うー全然分からない。文ちゃんは結構海外行ったことあるの?」と慣れない発音に苦心していた。
壁に貼ってあるA3判の世界地図を文ちゃんは指した。所々にピンが刺さっていた。行った場所には赤、行きたいとこには緑。それぞれ七ヶ所ぐらいあり、片思いの人が留学中のフランスにはちゃんと緑のピンが付いていた。それでフランス語を勉強しているなんていじらしいなと思った。
座って間もなく文ちゃんのお母さんがジュースやカステラやカットメロンなどをトレーに乗せて運んできた。「そんなに気を使わないでいいですよ」と遠慮しても「男の子だからもっとお腹に溜まるものがいいわねえ」と、煮卵入りの豚バラ大根や、味噌を塗った焼きおにぎりなど、どんどん持ってくる。さほど大きくないローテーブルはあっという間に皿に埋め尽くされた。人を喜ばせたいと思う文ちゃんの性格は間違いなく遺伝で、身長が183まで伸びたことも納得いった。
ホワイトルームの相談をするのだろうと思いながら雑談をしていた時、部屋がノックされ、開くと文ちゃんのお父さんが立っていた。後ろ手に柔和な笑みを浮かべ「いらっしゃい」と僕らににっこりした。カステラを食べていた石黒は慌てて飲み込むと、正座をして座り直し、口を押さえながらそちらに体を向けた。
「こんにちは。お邪魔してます。文吾君の同級生の石黒といいます。今日はお忙しい中すみません」
「構わないよ。今ちょうど手が空いたからね。どうする?今来るかい?」
「はい。いいですか。すみません。ありがとうございます」
約束があったような口振りだった。石黒は立ち上がる最中にジュースを飲み干した。じゃあ行こうか、というように文ちゃんも足を曲げた。
「え、なになに?どこ行くの?」
なにも聞いてない宮野と僕は突然のもぐもぐタイムの中断にキョロキョロした。
「これから文ちゃんのお父さんの作業場を見せてもらうんだ。前からお願いしてて、それで今日来たんだ」
「作業場って、家具作り見せてもらうの?」
「いや違う。文ちゃんのお父さん仏師もやられてて、そちらの作品を見せていただくんだ。暁庵さんというお名前で活動されているんですよね。適切じゃないかもしれないけど、すごいカッコいい仏像を彫られるって有名なんだ」
