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ホワイトルーム・オープン・ザ・ドア ⑩


 翌日の教室はざわついていた。百瀬チームと赤城たちでトラブルが発生したのだ。僕が登校すると拒絶あらわな宮野が廊下で腕を組んで立っていた。

「なにがあったん?」

 宮野は前を向いたまま「このプロジェクト絶対成功しねえわ」と吐き出すように言った。

「うちのチームが白井と約束してたのに、なんかしらんけど赤城と村上が文ちゃんに無断で来たんだとよ。それで白井が拒否って、百瀬とも会わないって言い出して、えらい揉めたらしいよ。文ちゃんは管理人だからその場を納めようとしたけど、直接は言えないじゃん。それでかなり落ち込んじゃったみたいで、今日来てないんだよ。ああいう優しい人間を困らせる輩が許せんわ。考えれば分かるじゃんよ。突然何人も訪ねていったら白井も警戒するし、シャットアウトされたらこのプロジェクト自体が頓挫するってさ。互いのチームを邪魔しないってルールはどうなってるんだよ」

 ドキッとして背中が冷たくなった。百瀬が白井の家に行くと石黒に教えたのを赤城が聞いていたのかもしれない。管理人を通すルールを無視した時点でアウトだが、きっかけを作ったのは僕かも。文ちゃんに謝らなきゃと携帯を出した。

「おれも十回以上送ったけど返事ないよ。遅刻多いから、できるだけ学校来てほしいのによ。単位ヤバい科目もあるんだろ。こんなんで留年とかほんとあり得ないんだけど」

 物言いは冷静だが、内心は相当怒りに満ちている。こうしてる間にも何度も携帯を確認し、その度深い息が零れる。そして赤城らのいる教室に入ろうとしない。受け入れないと抗議しているからだ。

 僕にできることはなんだ。高速で考えた。とにかくここにいてもどうにもならない。気持ちが先に動いてリュックを背負い直した。

「文ちゃん家行ってくるわ。今日の一、二時間目文化祭の話し合いだろ。担当なんでもいいから」

 歩き出した僕を「ちょいちょーい!」と宮野が呼び止めた。

「おれも行く。こんなとこで待ってらんねえ」

 荷物を取ってきた宮野と階段を駆け降り、下駄箱で靴を履き替えた。

「なに、帰るの?」

 富里が廊下に立っていた。日誌を持っていたので週番らしい。こんな時に会話したくない相手だった。

「忘れ物したから」適当に答えた。一刻も早く校門を出ないと閉められてしまう。聞こえてないふりをしてる宮野に「おい急ごうぜ」とせかされ、スニーカーの踵を潰したまま歩き出した。

「文ちゃんのとこ?」

 大きい目がぎょろりとこちらを見据えた。

「余計なことに首を突っ込むからこういうことになるのよ。最初からやらないって決めてれば文ちゃんだって傷つかずに済んだのに。みんなのせいでしょ。こうなったのは」

 ふくらはぎまでのソックスで休めのポーズをしていた。「ほれ見たことか」と言ってる目。なんでこんな時にいちゃもん付けるんだ。気にせず行こうと思ったが「うるせえよ」と宮野は引き返して詰め寄った。

「お前はいつでもそうなんだよ。なんでも分かったふりして人を見下して、それで誰かに尊敬されてるのかよ。すごいと思われてるのかよ。周りはみんなお前と関わり合いたくないから反論しないだけなのに、説き伏せたと思い込んでる。いつだって口は出すけど手は出さない。それで賢いつもりか?正しいつもりか?じゃあお前はなにができるんだよ。いつ人の役に立つんだよ。傍観者でいたいなら傍観者らしく黙ってろ。お前の見識は鋭いんじゃない、狭いだけだ。真剣にやろうとしてる連中をバカにするんじゃねえよ」

 さすがに言い過ぎでは…と思った。けど謝れよとも言えなかった。

「おら、なにしとる。HR始まるぞ」

 鎧塚先生が階段に立っていた。下駄箱でリュックを背負った僕らの格好を見て察したように目を細めた。

「文吾なら今から来る。昨日白井の家に携帯忘れて取りに行っとるんじゃ。親御さんから連絡もらっとるけえ遅刻にはせん。文吾にとって携帯は必要不可欠なもんやからな」

 先生はブルース・リーみたいに手のひらを上に向けて僕らを手招きした。
文ちゃんが来るなら行かなくていい。僕と宮野は上履きに履き替えた。廊下ではまだしかめっ面で富里が仁王立ちしていた。泣き出すんじゃないかと心配したが「よかったね」と言って駆け上がって行った。いつも辟易していた富里の気の強さに救われていた。凹んでいたのは宮野の方だった。感情を制御できなかったことを後悔してる。やたらうろうろするのは自分に苛々してる時の癖だ。

「宮野、ちっと来い。山吹は教室に戻っとれ」

 先生は宮野を呼んで廊下の隅に移動した。話してる二人を気にしながら帰っていった教室はまだ険悪さに満ちていた。百瀬たちへの妨害をクラス中が知っている。けど自分等をカースト上位と認識してる赤城は、いつものおふざけのノリで済ませられると反省するつもりがない。「勝手なことした」の態度が一切ないから、不愉快な気持ちを全体に蔓延させていた。僕も腹が立っていたから、赤城たちを目に入れないようにして席に着いた。

「文吾君は来るのかい?」

 リュックを横に掛けていると、左横の小坂が独特の物言いで聞いた。

「遅れるけど来る。ツカさんとこに連絡あったって」

「君達のとこにはなかったの?昨日大変だったんだろう?」

「白井の家に携帯忘れたんだって。それで連絡不能だった」

「なるほど。文吾君のお茶目なとこが出たね。携帯は彼にとって必需品なのに、そういうのを忘れてしまうなんてね。はっはっは」

 小坂の喋り方は武将のようだ。体も少し大きいせいか、おおらかな気質で、友達付き合いが乏しい名木さんが唯一仲良くしてる女子が小坂だった。ちょっと変わってるけど、冗談も通じるから話しやすい。曲者揃いの中で、同じチームに小坂がいるのはかなり救いだった。つい釣られて笑ってしまう。

「来月文化祭か。受験生だし、準備にあんまり時間も掛けられないからなんでもいいよな」

 僕はわざと話題を逸らした。小坂とは悪口を言いたくなかった。

「そうかい?受験生だからこそ私は楽しみにしているよ。みんなで何かをやれるのは文化祭が最後だからね。ひとつでも多くの思い出を残したいから、やれることがあるならなんでも参加したいよ。ホワイトルームプロジェクトもそうだけど、未知の体験ほど自分を成長させてくれるものはないからね」

 満足した赤ん坊みたいに小坂は笑った。斜め前に座る富里がこちらを振り向いた。頬杖の拳で口許は隠れていたが、多分僕と同じことを感じていたのではないかと思う。人それぞれって、寛容な人の前だと使いにくくなる。

 しばらくして宮野が教室に戻ってきた。富里の横に立ち「さっきは悪かった。ごめん」と頭を下げ、自分の席に帰っていった。富里は何も答えなかったが、シカトの態度も取らなかった。
 だが直後に両手で顔を覆って大きく息を吸い込んだ。鼻を啜る音が教室内に響き、そちらに注目が集まった時に先生が入ってきた。「しゅうばーん」と先生が言うと、紅だー!の勢いで「きりーつ!」と富里は絶叫し、全員が針で突かれたようにとすくっと直立した。

 
 ひと月後に行われる文化祭は毎年かなりの来場者がある。『桜音高校・マリンフェスティバル』の商店街の祭りみたいなネーミングはいただけないが、どこからでも海が見えるロケーションは集客の強みだった。

「なんかやりたいことある人いればどうぞー」

 実行委員の樋口が教壇で呼び掛けた。いつもならこういう時に最初に発言する赤城だが、ルール違反の非難が少しは堪えているのか、だんまりを決め込んでいた。特攻隊長が大人しいと如実に進行が止まる。場違いな騒がしさが好きじゃなかったが、静かでも厄介。頼むから切り込んでくれと思っていた時「はい」と富里が手を上げた。もう泣き止み、天を指すような挙手に再び一同が注目した。「はい、どうぞ」と樋口はおずおずと指した。

「執事カフェがいいと思います」

 富里が立ち上がって言うと「きゃあ!」と女子たちから嬌声が上がった。
一方男子は全員「うげ」と身を引いた。

「おもろいやん。具体的にはどうするん?」

 窓脇に座ってた先生は身を乗り出して膝をポンと叩いた。

「男子は白シャツにネクタイで接客して、女子は裏方で飲み物やパンケーキを作る係。それで百円払えば指名した執事とチェキが撮れる。うちのクラスはイケメンが多いから繁盛すると思いまーす」

 最後の一言はもちろん付け足しだが「めっちゃいい」「面白そう」そしてひときわ大きい清水の「萌えるー!」が響いた。拍手喝采の女子に、所詮は経験不足の男子は盛り上がりを黙らせるスキルがなく、流されるまま「執事カフェ」という最悪の店で働かされることになった。

 悪ふざけすると男子はよりノールールと化すが、女子はより設定を整える。その範囲では何をしてもいいにするためだ。そうして考案したメニューは「ミラクルくるくる☆いちごゼリー」「ときめきずっきゅん♡パンケーキ」「もえもえさっくん◇フライドポテト」の三種類。お客さんが注文したら、「ずっきゅんありがとうございまーす」と、女子が考えたポーズと共に執事全員でコールする。その練習をさせられながら「お前のせいで復讐されてる」と宮野に耳打ちすると「だな」と指のピストルで壁を撃ちつつ頷いた。

 男子が横並びで変なポーズを取っていると文ちゃんが入ってきた。ぎょっとした顔で見回し、即座に真似してみせた。天性のムードメーカーは一瞬で空気を明るくさせた。携帯を取り戻してから、怒涛のように届いたメールを確認し「なんの問題もありませーん」と不安を一蹴してくれたのだ。おはよー、おはよー、と挨拶するみんなに手を振りながら教室の端をぐるりを回って先生の所に行って頭を下げた。ぱちんと腕を叩いた先生は「お母さん心配さすな」と小さく言った。

「文吾は接客どないする。裏方やんのか?」

「何言ってるんですか。学校一の美男子ですよ。稼ぎ頭が店に立たないでどうするんですか。文ちゃんはメニューを全部注文した人だけが会えるレア執事になるんです。女子は甘い物とイケメンが大好物だから飛び付きますよ」

 イエーイ文ちゃーんと騒ぐ女の子に合わせて、文ちゃんはずっきゅんポーズをした。元気そうで安心したけど、容姿が違いすぎるのに同じことをする側は地獄でしかなかった。
 
 けれども富里のアイデアは立ち込めていた暗雲を晴らした。女子が元気だとクラスの秩序が安定する。石鹸で洗ったみたいにざらつきが取れるのだ。こんなことで喜ぶなら僕はおもちゃに徹しようと決めた。山吹チームは女子しかいない。これをきっかけに近しくなって、より話しやすい関係性を作りたかった。


「じゃあ百瀬も白井に会えなかったんだ。赤城の登場で」

 再びのメンバーで昼休みに報告会をしていた。文句を溢しながらも、ハプニングも娯楽のひとつの百瀬はいつものようにどこか半笑いだった。

「一瞬だけ見た。白井って親が歯医者だから家が豪邸なんだよ。玄関入ったら広いホールになってんだ。文ちゃんが呼びに行ってる間にそこで待ってたらピンポン鳴って、白井の親が「お友達来てるわよ」ってモニター見ながら言うんで、宮野っちかなと思って外に出たら赤城と村上がいてさ、おれらもいい?って来ちゃったんだよ。ちょうど白井が階段降りかけてたのに、赤城らの姿見えたら野良猫みたいにバタバタって逃げちゃったよ。ドア閉まったきり出てこなかった。文ちゃんも執り成しに行ってくれて、おれらも一応三十分近くは待ったんだぜ。なあ?」

 銀色の水筒で麦茶を飲んでいた文ちゃんはハムスターみたいに頬を膨らませて頷いた。

「じゃあもうこいつらなんか企んでるなって勘づいたな」

 この頃学食で昼飯を済ましてる宮野は たまごのサンドイッチを食べてしまうと、焼そばのパックの輪ゴムを外して言った。

「けど赤城が来ただけでそんなすぐ逃げるようじゃ復帰は難しいんじゃねえの?顔も見られないぐらいにビビっちゃってんなら、ずっとクローズド・ドアのままなんじゃねえか?」

「白井は赤城になんて全然ビビってねえよ。下らねえことで喜んでバカじゃねえかって、悪趣味が好きな奴としか思ってないから。多分約束と違うことされたんで怒ったんだよ。あいつイタズラとかじゃ怒らないけど、ルール守らないとかにはめっちゃ厳しいんだわ。変に正義感強いから」

「許せる許せないがはっきりし過ぎてんだな。自分ルールに自分が縛られて、身動き取れなくさせてんのかもな」

「引きこもる人間て変なプライドあるもんな。前にテレビで三十代後半ぐらいのいい年した奴が働かない理由を文学的に語ってんだよ。言い訳でしかないものをスタイルに擦り替えようとしてんだ。そのくせ呼び名だけはやたらこだわるっていうか。怠けじゃなくこれは生き方だとか、能書きだけは立派なんだわ。だったら山とか島で自給自足の生活しろよって思うよ。なんもやってないのに達観したように、けど結局のところ、快適な温度と文明の利器が揃った王国から出られない。一歩でも外に出たら王から平民になるからな。それが耐えられない。そのいらんプライドなにってほんと思う。ああいう奴等の一番の弊害は意味のないプライドだよ。自己愛が強すぎるっつーか、自意識過剰なんだよな。守られてないと不安だけど採点はするなみたいな。いい大人になってからも褒められる教育希望してるから、世に出られないんだよ」

「褒めて伸ばすってやつね。あれのなにがいいのかおれにもさっぱり分からない。わがままになるだけだし、子供が親の許容範囲を量るようになるよ。ムチばっかもよくないけど、甘やかしておいて救えないは一番始末が悪い。愛情を持って本当のことを言ってやるが正しい教育だよ。オーディション番組とかでもあるじゃん。やたら褒められてデビューしたけど全然売れないとかさ。本人のための厳しい意見を「優しくない」と捉えてる限り、自分の問題点にずっと気づけない。自信だけはたんまりあるのに、それがいつまでも反映されなかったら、た無差別に人や世の中を恨むようになる。それが積もり積もって、鬱とか犯罪を引き起こすんじゃねえの」

 紅しょうがを蓋に避けていた宮野は、ふと箸から手を放して置いた。

「つまりは、白井をそうさせないためのプロジェクトなんだよな。今甘やかしたらだめなんだ。自然の摂理で親の方が先に死ぬ。親がいなくても生きてゆけるようになるために学ぶんだからな。おれたちは不登校や引きこもりを本能的に嫌うから批判はいくらでも出てくる。でもそれでなんの解決になる?本当に引きこもりを嫌うなら、ひとりでも増やさないことだ。なんでこんなことしなきゃならないんだって最初は思ってたけど、クラスにひとり不登校がいるんだ。無関心ではいられても無関係ではない。白井の親やツカさんだって今日まで色々試したけど、ゴールには行き着かなかった。専門家は大概こう言うからな。今は息子さんを静かに見守ってあげましょうって。その通りかもしれないけど時間は過ぎてく。スクールカウンセラーは子供じゃなく学校のためにいるから、卒業したら面倒みてくれない。あなたの言う通り無理に行かせませんでしたけど、この先どうすればいいですか?って聞いたって、もう生徒じゃないから知りませんて言われるんだぜ。正しかったのか間違ってたのか分からないまま放り出されるんだ。親は途方に暮れるしかない。そりゃ年を取ってからでも高校には行けるよ。でも高校生ではない。こうやってみんなでたむろして、どうでもいい話をしながら弁当を食ったり、女子に執事になれだとか無茶苦茶な目に遭う。でも今しかできないことじゃん。三年だぜ。たったの。おれなんかみんなといると楽しくて、卒業したくねえもん。なんで学校来ないんだろって思う。勿体ねえなって。学校は無意味とか言うけど、意味なんて考える場所じゃねえ。高校生をただやればいいんだ。どうせみんなバカなんだから」

 箸を持ち直して焼そばを食べ出した宮野の背中を文ちゃんはにこにこして撫でた。宮野は焼きそばをくわえて「はのひいよねえ」と首を傾げた。僕も加わりたかったが席が離れていて届かなかった。

「宮野っち、もしかして燃えてんの?」

 百瀬は空になったファンタのペットボトルをぐるぐる回した。

 「燃えてますがな。もう誰もおれも止められない。ハートに火が着いたぜ。
ずっきゅんだよ」

 宮野はウインクしながらずっきゅんポーズした。それでやっと笑いが起きた。こういう些細な会話でさえ今だけのこと。この楽しさを味わえば白井も来たいと思うはず。みんなが好きだから一緒にバカをやりたい。それだけが学校に行く理由だとしても別に構わないはず。この学校に僕がいなくたってなにも変わらないのだろうけど、僕はやっぱりここにいたいのだ。