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ホワイトルーム・オープン・ザ・ドア ⑫


 仏像を彫る作業場は家から離れた寂れたお寺の一角にあった。そもそも社務所として使われていた二間続きの部屋を作業場に改築したという。

「最近はお寺さんも跡継ぎがいなくて、無住職のとこが増えているんだよ。
僕はここで作業する代わりに管理を引き受けているんだ。文吾も一緒にな。
毎朝落ち葉を掃いたり、拝殿を雑巾掛けしているんだよ」

 意識しなければ見過ごしてしまうようなお寺は、参道の両側に生い茂った木々のせいで昼間でも暗かった。まだヒグラシが夏を惜しんでいる残暑なのに、山門をくぐっただけで肌がひんやりして汗が乾いた。文ちゃん親子の奉仕のおかげで、忘れ去られそうな古い小さなお寺なのに、手入れが行き届いていた。お地蔵様は綺麗で、灯籠や手水舎に苔も張り付いていない。本堂の壁や柱が黒ずんでいるのは年代のせいだが、腐食した部分はきちんと修繕してあり、欄干の龍は濁りのない目でこちらを睨み付けていた

 塩で手を洗ってから入室した。仏様に会う前のお清めで、その作法に緊張し、僕らは無言になった。靴を脱いで通された作業場は、天井の高い、畳を剥がして板張りに改築された広い部屋だった。室内には輪郭が浮き出た作りかけの仏像が三体と、まだ乾燥中らしい丸太が数本あり、湿っても乾きすぎても木がダメになってしまう部屋は、一定の湿度に保たれていた。
 
 一瞬ドキッとした。誰かに見られている?感じた視線を辿ると、奥の壁に三面六臂の阿修羅像がじっと見据えていた。一メートルほどの青みがかった像。垂れた布を腰にまとい、四本の腕を上下左右に伸ばしている。細い手で合掌する正面の顔は、憂いた少年の面差しを残しながらも、どこか厳しい目をして台座から僕らを見つめていた。その顔はよく知る人に似ていた。

「それはねえ、文吾のお守り用に作ったんだよ。こいつは今でこそおとなしくなったけど、子供の頃は気性が激しくて癇癪持ちだったんだ。戦いの神である阿修羅そのものだった。何かと言うと食って掛かって、手が付けられなかったんだ。けれど阿修羅はお釈迦様と出会って改心した。そら、この阿修羅像の正面にお釈迦様がいるだろう。文吾の竜巻が静まるようにと祈りながら阿修羅像を彫って、常にお釈迦様に見張ってもらうようにした。そして朝晩座禅を組ませた。三十分間ひとりきりで。そのうち嵐が抜けて行くように、だんだんと心が穏やかになっていったんだ。怒りは魂を乗っ取る。人間でありながら人間ではなくなってしまう。文吾にはそうなってほしくない。だからこれは我が家の守り神でもあるんだ。こんな大きくなってから暴れられたら、もう抑えられないからね」

 もうそんなことしないと言うように文ちゃんは手を振った。鬼が抜けたあとの姿しか知らない僕には、癇癪持ちの文ちゃんなど想像もつかない。笑顔しか似合わない横顔にも歴史がある。けれど確かにこの部屋にいると呼吸が楽になる。すうっとお腹の奥まで息が通るのだ。全然信心深くもないのに、頭が冴えてくるような浄化作用をしっかりと感じていた。

 石黒は仏像を作る工程や道具についても色々質問していて、とにかく熱心だった。仏像など観音様と大仏様しか知らなかったが、細かく分類すれば百体以上種類があり、浄土真宗や真言宗の宗派の違いでも解釈が異なるため、その数は計り知れないらしい。

「なるほど。じゃあ仏師さんのお仕事というのは宗派は関係ないんですね。こういう仏像を作って欲しいという依頼で製作されるわけですか」

「最近は増えてきたね。けど僕は仏様をちゃんと奉ってくれる所でないと引き受けない。仏像はオブジェではないからね。たまに外国の方から日本食のレストランを開くから飾りたいと頼まれるけど、そういうのは僕はやらない。奉納先が寺院じゃなくても、毎日ちゃんと手を合わせてくれる人がいるのが条件だ。一体一体心を込めて、魂の救済のために彫っているからね」

「救済…ですか。救済されるために祈るのか、祈ることが救済なのか、僕にはまだ分かりませんけど、仏様っていうのは、救済を手助けするものではなく、救済を望む人らを見守るために存在されているのかもしれませんね」


 帰りの電車で宮野は紙袋を右手に下げていた。料理がおいしかったと文ちゃんのお母さんに伝えたら、タッパーに詰めて持たせてくれたのだ。僕なら断るが「最近腹が減ってしょうがない」と、宮野は中身が斜めにならないように気を付けて持ち、車内に人が増えてくると胸に抱え直した。

「石黒は結局何が知りたくて文ちゃんの家に行ったの?まさか仏師になろうってわけじゃないよな?」

 隣で手摺に掴まる石黒は、うん、と俯いたまま答えた。

「じゃあ、何が目的だったの?」

「本当に仏像で心が救われるのか知りたかったんだ。文ちゃんのお父さんは、その界隈ではかなり名の知れた仏師で、作った仏像に毎日手を合わせるとご利益があるって言われてるんだって。おれは無宗教だけど、実際見たら迫力あって、ああなるほどってちょっと納得したよ」

「誰に聞いたの?おれたちも今日まで知らなかったんだけど。ネットとかに載ってたの?」

「いとこに聞いた。知り合いの家の母親が宗教にはまってて、自宅に礼拝所作って、阿弥陀如来とか弥勒菩薩とかを奉ってるらしいんだ。毎日何時間も読経して、鬼門に風呂場があるからって家を改築したり、神仏に頼る生活にのめり込んじゃってるんだってさ。何体も何体も仏像を欲しがるもんだから、そこの家の父親が文ちゃんのお父さんに弟子入りして仏像作りを習ってるらしい。それ聞いて大変だなと思ってさ」

 横浜駅で宮野と別れ、相鉄線に乗り換えた。僕も石黒も塾にまだ間に合う時間だった。帰宅ラッシュの車内から放り出されるように降り、改札を抜けて歩き出した時だった。駅前にある予備校に通う石黒に「じゃあな」と言い掛けると「ーさっきの話、名木さんの家のことなんだよ」と、目を伏せながら言った。

「名木さんの家って三人兄妹で、兄貴が二人いるんだよ。おれのいとこと、二番目のお兄さんが同じ大学の友達なんだ。名木さんの一番上のお兄さんて、もう十年以上引きこもりらしいんだ。めちゃくちゃ頭のいい人で、東大の法学部も楽勝って言われてた天才だったんだけど、受験当日にすげえ腹下しちゃって、試験受けられなかったんだって。その日に限って寒波の襲来で大雪降って、動かない電車の中で我慢して我慢して耐えたんだけど、ホームに降りた途端に全部出ちゃったんだってさ。クソまみれで、周りの客からは疎まれるし、その状態で試験会場にも行けなくて、心が壊れたんだろうな。人間の尊厳を失ってさ。その日から部屋に閉じこもって外に出なくなったって。体調なんてその日によって変わるじゃん。寒いから腹を冷えただけかもしれないし、受験前で緊張してたのかもしれない。けど名木さんのお母さんは前日か当日に作った食事が原因じゃないかって、息子がこうなった責任をしょいこんで、神仏に頼るようになったって。それで娘と同じ学校に凄腕の仏師の息子がいるってんで、文ちゃんを通して仏像を作ってほしいと依頼したらしいよ。名木さんも嫌な役目だよな。こんなことクラスメイトに知られたくないよな。だから白井のことも他人事じゃないんだろう。これでなんらかの結果が出れば、お兄さんを脱出させる手掛かりも見つかると思ってるんだ。それでやる気なんだよ。白井の部屋のドアをオープンできれば、家族の救済にも繋がるからさ」

 僕こそこんな話聞きたくなかった。身近で、ちょっと特別な人だから余計気が滅入る。ついチッと舌打ちした。

「なんでそんなのおれに言うの?プライバシーじゃん。話すなよ。勝手に」

「分かってる。けどこれで白井が出てこなかったら名木さんが可哀想だろ。
おれはこのプロジェクト自体を中止したいんだよ。学校にチクれば取り止めになるんだろうけど、ツカさんに罰則が下るのは嫌だからそれはやらない。けど全チームが消滅すれば参加者もいなくなる。お前のとこはどうなの?やるつもりあるの?」

「言わねえ。そのやり方は卑怯だろ。みんなにも名木さんにもな。おれらのクラスの不登校は白井であって名木さんの兄貴じゃない。仏像が人を救うかは知らねえけど、クラスの誰かが奇跡を起こすかもしれない。おれはそっちを信じる。絶対止めない。ついでに成功しなくても名木さんに悪いとも思わない。ここで止める方がもっと可哀想だ。おれらがみんなで白井をシカトしたら、結局誰も助けに来ないんだってもっと悲しむよ。そんなの失敗するより絶望する。不登校や引きこもりは家族の問題にされがちだけど、実際おれの隣の席は空いたままになってて、いないなと毎日思う。宮野が言ってたよ。無関心でいられても無関係ではないってな。その通りだよ。体や心の病気を治すことは無理でも、声を掛けるぐらいはできる。それは医者や親じゃなくおれたちだけが出せるクスリだ。効果は薄くても届けることはできる。誰だって思うようにいかない。みんな生きづらいって言ってる変な世の中で、平均値なんかもうないんだ。不登校も引きこもりも全然珍しくない。でも全国数多ある学校の中で、クラスメイト全員が不登校の生徒を学校に来させようと本気で考えたのはおれらだけだと断言できる。ない前例を作れる最前線にいるんだ。やらなかったらただの人。余計なお世話かもしれないけどしてもいいだろ。無視されるより気にかけてもらえれば悪い気はしないはずだ。ちょっかい出されてうるさいならうるさいと学校まで文句言いに来ればいいんだ。それは声が届いた証拠なんだからな。ひとりぼっちでいるより、怒る相手がいる方が全然いいだろ」

 石黒は目をしかませていた。いつも「納得してない」顔をしてるので、表情から気持ちは読み取れない。彼の中にある変換機能によって分類してもらうしかなかった。あっという間に発芽して伸びた蔦に巻かれてる僕にも分からないのだから。

「さっきの名木さんの家の話、他の奴に言うなよ。誰かに話したら眼鏡割るからな。グーで行くからな。絶対するなよ」

 ああ、と石黒は同じ表情で答えた。「お前だから話したんだよ」
 そろそろ時間だからと予備校の方に歩いていった。のっぽの後ろ姿がネオンの滲む群青の人混みに紛れて見えなくなった。

 さすがに横暴だった。支えきれない自分への苛立ち。知った所でなんにもしてやれないもどかしさからの八つ当たりだった。

 文ちゃんと名木さんの関係性は分かった。図書室での密会の理由も。僕は本当に何も知らないおめでたい人間だったと今では懐かしい。けれどもおたんこなすの頃に戻りたいとは思わなかった。もう知ったんだから。
 このプロジェクトもまだ手探り。小さな明かりを頼りに進んでゆくしかないのだ。その光を探さなくちゃと足下を見下ろした。

 
 翌日は大雨だった。シャワー全開、一生止まなそうなぐらいのどしゃ降り。何度も傘を失くす前科持ちの僕はとうとう買ってもらえなくなり、骨が五本しかないヤワいビニール傘で通学するしかなかった。持ち手が細いから
安定が悪く、駅に着く前にびしょ濡れになっていた。

 生徒らの傘が墨絵の世界に差し色する。車道を過ぎる先生の車に「乗せてー!」と数人が叫んでいた。もちろんほとんどは止まらず走り去って行くが、やかましいエンジンのグレーのGTRが速度を緩めて歩道の脇に停車した。藤崎の車だった。助手席の窓が開き、歩いてる女子バスの三人組と何か話している。すると彼女らは「まーくんありがとう」「めっちゃ助かる」と、傘をたたんで車の後部座席に乗り込んだ。明らかに周りを意識した、優越感を誇示する大袈裟なリアクションだった。
 
「あの気持ちの悪いじゃれ合いはなんなんだろ」

 亀山が隣にいた。真っ黄色の傘にマスタード色のリュック。アイドルグループのマイカラーなのか、いつも黄色いものを身に付けていた。ブオンブオンイキりながら走って行くGTR をへの字の口で見ていた。

「あたしなら、あんな奴の車、死んだって乗らないのに」

「おれも。売りつけられる恩を買うぐらいなら、びしょ濡れの方がいい」

 初めて亀山と会話が成立した。好きより嫌いが一致する親近感。理屈でなく感覚だからだ。最近は認識が変化し、一方的な嫌悪感が消えていた。

「もう白井君に言ったの?」

 舌足らずの喋りは今もちょっと聞き取りにくいが、ひよひよひよひよ、ではなく、言語として耳が聞き分けられるようになっていた。

「いや、まだ。今日文ちゃんに頼んでみるつもり。文化祭までそんなにないし、早い方がいいもんな」

「あたし一緒に行こうか。白井君ち」

 僕は「え?」と身を逸らした。「マジで?なんで?」

「だって面白いかと思って」亀山は傘をくるりと回し「あたしがこういうのに行くことが」とへらんと笑った。

 客観的に自分を分析してた。でもそうでなければ自己プロデュース能力の問われるアイドルなどできない。て言うか全部俯瞰で見えている。

「いいじゃん。行こうよ。白井も意表を突かれて顔出すかも。おれなら出るもん。ほんとに亀山さんが来たのか確かめたくなる」

「えーほんとお?じゃあ今度山吹君の家に突撃しようかな。やられたと思ったらあたしの勝ちだね」

 あははと声を出して笑っていた。案外亀山とはノリが合うのかもしれない。冗談が素直に笑える。やっぱり食わず嫌いはよくないんだ。ものすごく雨は激しくて、靴の中もズボンの裾もびちゃびちゃだけど、不快なことが気にならなくなっていた。

 教室に入ると珍しく文ちゃんが先に来ていた。僕を見つけると両手を振りながら得意気にピースした。遅刻しなかったぞのピース。僕はグッジョッブの親指を上げた。

「珍しく早いじゃん。雨なのにどうしたの?」

『夕べはよく眠れたから。ココア飲んでストレッチするようにしたら、ちょっとずつ不眠症が治ってきた。今朝は六時にちゃんと目覚めた』

 遅刻の原因は特殊な不眠症のせいだった。本人曰く一度活性したら疲れきるまで「脳が休んでくれない」らしい。今年の初めまで不眠外来に通って薬をもらっていたが、肝臓の数値が悪くなって飲むのを止めた。すると今度は変な時間に急激に眠気に襲われて通学中にがっつり寝てしまい、乗り過ごして遅刻の回数が増えたのだ。留年を阻止するために僕と宮野は学校に着くまでメールを送り続けるから、HR 前に会えるとほっとした。

「文吾くうん、明日か明後日に白井君のおうちに行きたいんだけど、聞いてもらってもいーい?」

 亀山はリュックを下げたまま言った。やると決めたら仕事が早い。振り向いた文ちゃんは『あとで連絡しておくよ』と、メッセージを見せて携帯を軽く振った。奇妙なコンビになにも聞かないでくれる察しの良さがありがたかった。その時「おす」と石黒がこちらにやって来た。

「文ちゃん昨日はありがとね。色々見せてもらって勉強になったって、お父さんに伝えておいてくれる?」

 うんうんと文ちゃんは頷いた。仕草も表情も穏やかで、癇癪持ちだったなど信じられなかった。文ちゃんのお父さんの作る仏像には本当にご利益があるのかもしれない。考えていると、名木さんが前のドアから入ってきた。僕と石黒は同時に口をつぐんだ。
 
 名木さんは難しい顔で、おもむろに黒板の方を向きながらステップを踏み、手を上げたり肘から先だけをぐるぐる回したりした。ぽかんと見ていると、こちらに気付いた名木さんは「やだ」と恥ずかしそうに口を押さえ「文化祭でやるダンスの振り付け考えてたの。見られてると思わなかった」と、長い髪を耳に挟み、前歯を軽く噛みつつはにかんだ。
 いつでもきらきらしてる人。それでよかったし、そうでいてほしかった。深刻な悩みを背負ってるなど、天使の笑顔からは全く感じ取れなかった。石黒の名木さんへのまなざしには僕と同じ思いが孕んでいる。ホワイトルームへの否の第一声は、思いやりからの反対意見だったんだろう。

 雨はずっと降り続いていた。そろそろ眠くなってきた四時間目、世界史の教科書を出して用意していると、鎧塚先生ではなく、あの藤崎が入ってきた。クラス内がにわかにざわついた。

「あれー、まーくんじゃん。どうしたの?」

 高岡が声高に背を伸ばした。

「鎧塚先生が急用で早引けしたんで代理だ。別の自己紹介もいらないよな。
じゃあ今から小テストをやる。全員教科書閉じて」

「えー?テストとか聞いてないんだけど」

「筆記じゃない。そのまま座ってろ。今から世界史の教科書に載ってる人物、事件、建造物、名称に関する問題を出題するんで、ひとり一問一答で答えてもらう。じゃあ高岡から、1683年にオスマン帝国がオーストリアとポーランドの連合軍に撃退された作戦をなんというか?」

 挨拶もなく始まり、みな戸惑いを隠せなかった。いきなり?と、親しさを裏切られたような高岡は渋い顔で立ち上がった。

 そうして高岡を最初の人身御供に、廊下側の赤城から問題を出していったが、明らかに好みの区別があった。女子より男子の方が説明が必要な「フランス革命後の政治形態について」や「大西洋憲章とは」などが当てられた。カローデンの戦いが何年に起きて、スコットランド軍の敗因の理由など誰が知るか。大して習ってないと分かっててわざと困らせ、答えも教えてくれずに「後で調べておけ」と進行する。
 
 しかもその間僕らをろくすっぽ僕らを見ない。教壇に置いたタブレットを眺めてるだけで、片足立ちしながらもうひとつの足を脛に絡めたりしてる。頼まれたから来てやっただけを敢えて出していた。藤崎はこのクラスに後ろ暗さがある。白井の存在を抹殺したいから、余計な茶々を入れられぬよう先制パンチでガードしているのだ。 

 コノヤロ。だったらカウンターで返してやる。世界史は得意だから絶対答えてやろうと問題が来るのを待った。その前に宮野に順番が回って来た。

「紀元前248年頃に、セレウコス朝から独立したローマ帝国と抗争したのはどこか」
 
 マイナーな難問に「パルティア」と即答していた。「ほほ」と藤崎は変な声を出したが、やっぱり顔は上げなかった。着席した宮野と「やってやったぜ」「ようやった」と同志のアイコンタクトの交わした。

「えーじゃあ次、ソ連崩壊の主な原因と当時の大統領は?」

 文ちゃんの番だった。ゆっくり立ち上がったが、もちろん口答できない。藤崎はタブレットしか見てないから数秒間沈黙になった。
 ややあって「ん?」と顔を上げて「あーそうか」とちらと見るなり「いい、いい、座って」と手でいなした。

 ピッキーンとクラス全体から音がした。はっきりとヒビが入った音だった。みんなが同時に息を飲んだ。一瞬にして授業のモードが解けたのが分かる。静かに席に着いた文ちゃんは口を結んだまま、机の上で両手を重ねてじっと前を見た。

 これは抗議していいだろ。胃酸で溶かすなんてしないでいい。僕のはらわたの方が煮えたぎる。叫びそうになる喉をぐっと堪えた。

「ーてめえ、今のなんだよ」

 赤城だった。いつでも立ち上がれるように、大きく足を開いていた。