見出し画像

ホワイトルーム・オープン・ザ・ドア ⑮


 
 石黒が手を上げた。どした?と出席簿を開き掛けた先生は顔を向けた。

「白井はどういう扱いになるんですか。このクラスの生徒じゃなくなるんですか?」

「いや。学年は一年毎に代わるわけやから、一応まだ三年四組の生徒じゃ。」

「プロジェクトは中止になるんですか?」

 「やるのか?」と先生は出席簿を縦にした。

「みんなここまでやったんですよ。少なくともこんな幕切れでは納得いきません。僕らの働き掛けが遅かったのは否めませんが、白井には来る権利もチャンスも与えられていたし、今だってあります。一緒に卒業できないのは残念ですけど、まだクラスメイトなら続けさせてもらえませんか。チームの概念もなくして、やりたい人だけでもいいので。もし成功しても僕はお金はいりません。でも貢献した人が求めたら報酬を与えてください。特に山吹チームは本当にあと一歩の所まで頑張ってくれたので、これで終わりにするのはチームの人達が可哀想です。卒業まで期間を延長して、白井が一度でも学校に来たら成功と見なしてもらえませんか」

 最初に拒絶した石黒とは思えなかった。なにがこうも変えたのか。バラを折っているうちに心変わりしたのか、名木さんの家が解決できてないからかは分からないが、僕はどこをモチベーションにやればいいか分からなくなっていた。終わりでもいいよ。思いながら顔を上げると、先生も、文ちゃんも、富里も、赤城も、みんなが僕を見ていた。まだやるだろ?と問いかけるまなざしで。僕以外、誰も諦めていなかった。

「ええぞ。お前らに任す。文吾はどうする?こういうことになったからな。いくつかチームもなくなるやろう。管理人辞めたければ降りてもええぞ」

 文ちゃんは首を振った。まだやると。そして教室をぐるりと見回した。

『これを白井君に見せたいんだ』

そう言うように、飾りつけられた赤いバラや、看板担当の清水が得意のイラスト入りで描いたメニュー表をひとつずつ指差していった。

まだやる。つまりは終わっていないから。

 赤いバラも、ハートに切った画用紙も、執事カフェのためにこしらえたけれど、白井を呼ぶためにみんなが作ったものでもある。僕らが提示したアイデアを形にしてくれた。なのにリーダーが先に抜けていいわけない。

「私はついて行きますよ」

 左横から小坂が言った。

「あたしもやるから」

 富里も振り向いた。「このままじゃ悔しいよ。終われない」

 そうだね。ちらと後ろを見ると「わざわざ聞くな」という目をしながら、亀山はぷいと顔を逸らした。清水や和久田も「当然でしょ」と言ったように笑みを浮かべた。やっぱ変人の集まりだった。けどそれに救われてる。もう採決が取れた。山吹チームの存続は話さなくても決定していた。

 二日後の本番に向けて、残れる生徒で放課後準備を進めた。落胆は拭えないが、ともかく飾り付けを完成させることに集中した。

「白井のとこ行ってやれば?本人も覚悟はしてたんだろうけど、実際通知が来たらショックだろうからな。あとはおれらでやっておくよ」

 ハートのクロスに〈Welcome〉のスタンプを押してた文ちゃんは首を振り、教室の奥を指差した。女子たちが試食用のパンケーキをホットプレートで焼いていた。ステラおばさんのクッキーのような甘い香りが漂っていた。

「食べたいの?」

 にこにこして頷いた。もっと気落ちしているかと思ったが、放課後まで普通に過ごしていた。いつかはこの日が来るかもと、ある程度覚悟はしていたようだ。管理人の仕事は大変だったし、これからも続けるなら、今日ぐらいはゆっくりしてもいいのかもと思った。

「できましたわよー。食べたい方は持っていってくださーい」

 調理係の小坂が呼んだ。作業をしていた生徒らが手を止めてわらわらとそちらに集まった。パンケーキが紙皿に次々と焼き上がっていった。

「取ってくるよ。パンケーキだけ?ゼリーもいる?」

 文ちゃんはうんうんとにっこりした。僕もお腹が空いてたからすぐにハサミを片付けて立ち上がった。

 みんなで試食していると、富里がプラスチックのスプーンと薄紫のぶどうゼリーを持ってやって来た。

「残念だったね。こんな終わりなんて」

「最後の温情だったのにバカだよな。来るチャンスはいくらでもあったのに。本人が決めたことだから誰のせいでもないよ」

 宮野は皿に残ったシロップに最後の一切れを擦り付けて食べた。クールな宮野らしいきっぱりした決着の付け方だった。

「ツカさんはカウントダウン直前の可能性を私たちに懸けたってわけね。
だったらもっとはっきり言ってくれればよかったのに。プロジェクトなんてわざわざ手の込んだことしないでさ」

「報告だけなら自己責任で終わりにしてたよ。おれはプロジェクトにしてもらってよかったと思ってる。ひとりの人間として白井と向き合おうって思ったし、不登校は根深いんじゃなく曖昧だから解決が難しいってのも分かったしな」

 犬が舐めたように綺麗になった皿をゴミ袋に捨て「あーうまかった。これなら繁盛するね。ずっきゅん練習しておかないとな」と、宮野はずっきゅんポーズをした。撃たれた僕が倒れる真似をすると富里は笑った。

「結局不登校の原因はなんだったんだろ。せめてそれだけでも知りたいな。なにをしたら最速で成功したんだろうね」

 石黒といい、富里といい、最初に不参加宣言をした人ほど後悔している。
けれどスタートダッシュの遅れが原因じゃない。赤城や藤崎が謝ったって、きっとすぐには来なかった。そうした確執はきっかけに過ぎず「来ない理由」ではないからだ。宮野が言っていた通りに白井はチャンスを逃しただけ。そう思わないと僕もモヤモヤが残る。パンケーキはとてもおいしかったが、今日みたいな気分の時はちょい甘すぎた。

「けど山吹チームは続行ってことでいいんだよね?リーダー?」

 さらに戦況は悪くなったのに、富里はやる気に満ちていた。

「そのつもり。ここまで来たら投げ出すの悔しいから」

「よかった。さっき一応みんなにも聞いたけど、誰も降りるつもりなかったから。こういうのって、やらなかった人ほど何年か経ってから参加しなかった理由をネットに書いたりするじゃない。でもやらなかった人のことなんてみんな覚えてない。記憶にすらないのに、やたら語るのよ。そういうのみっともないことしたくないなって思ったの。かめちゃんに言われた通り、今やれることをやっておきたい。大人になった時に自分に弁明したくないから」

 今やれること、がいつしか合言葉のように浸透した。山吹チームは今どこのチームより結束が固い。誰にも迎合しない同士で、特異な感性の持ち主。けど琴線の揺れる場所が一致してる。他の人はなんとも思わない歌詞の一節にやたらジーンとするみたいな部分が多分一緒なのだ。決して前向きではない。ポジティブ思考でもない。でも「人に理解されない」を知っている。だから山吹チームは案外粘り強く、かなりしぶといのだ。

 
 白井が来ないまま文化祭当日を迎えた。開場が九時半なので、生徒は八時前には登校した。薄曇りの空。降水確率は10%。暑くも寒くもない、過ごしやすい気候だった。校門にはトリコロールカラーのリボンでデコレーションされた看板。『第八回 本牧北桜音高校 マリンフェスティバル』の文字が海風を浴びてきらきらしていた。

 正門から校舎までのピロティには、ヨーヨー釣りや、かき氷などの露店が
並び、揃いのクラスTシャツの生徒が忙しそうに準備していた。毎日通ってる場所なのに違う景色に見える。音楽室で練習してるバンドの音合わせ。ギュイイイイイーンと響くギターの歪み。ドカドカドカドカと打ち鳴らすドラム。ちょっと高揚してるから、うるさいぐらいが落ち着いた。

 校舎の中も賑やかだった。音楽を掛けながら模擬店の準備をしていて、体育館からもリハーサル中のダンス部の重低音が漏れてくる。今日のために恥ずかしさも封印してきたつもりだったが、階段を一段上るごとに胃がくるるると萎んだ。執事カフェをやると聞いた時の母親と妹のにやにやを思い出すと、溜め息が零れる。

 ヘアメイク担当の女子が腕捲りして「出席順に並んでくださーい」と並べた椅子の前で呼んでいて、五分毎に変身した執事が誕生していった。
 僕も眉を整えてもらい、髪型もいつもと違う分け方にセットしてもらったが、〈ナイーブ&キュート テッペイ〉と書かれたネームプレートを胸に付けなければならないのが気が重かった。女子のおふざけでタチが悪いのは、「ちょっと褒める」だ。チビだのデブだのマイナスのイジリなら「おい!」
で済むが、怒れないとこをうまく突いてくる。

「なにこれ」

 渡された時に聞くと「ブッキーのイメージだよ」と簡単に言われて反論できなくなった。悪い気はしないが、キュートってなに?

〈クールな戦士 ユキヒロ〉と〈愛と笑顔の配達人 ブンゴ〉と会い、互いに名札を読んで低く笑った。だが称賛に値するキャッチコピーで、女子の目利きは侮れないなとつくづく思った。おしゃれ女子に仕上げてもらっただけあり、見た目なんかこれまで無頓着だった宮野も、少年マンガの主人公みたいにちょっとリーゼント風に前髪を上げて、制服をラフに着こなすと、すげえカッコよくなっていた。そもそも美形で、スタイルも抜群の文ちゃんはほぼ手直しなし。なのに黒いベストを着て廊下に出ただけで黄色い歓声が響き渡り、隣とその隣のクラスの女子が一斉に写真を撮りだした。レア執事恐るべしだなと、僕と宮野は後ろ姿に呟いた。

「わあ、二人ともカッコいいー」

 ドア横のご指名ポラロイドを見ていると、ダンス部の練習から戻ってきた名木さんが立っていた。口にちょっこっと手を当ててるイヒヒ顔が可愛い。一番褒めてほしい人と、会って一番恥ずかしい人が同じって複雑。まあね、みたいな軽口も返せずへらへらするしかできない。

「やっぱり?気付いちゃった?」

 宮野が髪をかき揚げる仕草をすると、あはははと名木さんは笑った。

「もう校門の前に行列できてたよ。忙しくなると思うから頑張ってね」

 午前中の調理係の名木さんは教室に入っていった。白井が留年したことに対し名木さんはなにも言わなかった。もっと早くやっていればと誰かを責めず、悲嘆を態度にも出さなかった。だから余計に申し訳なくなる。バラ作りは石黒なりのプロジェクトの参加だったのだが、名木さんにそれが伝わっているかは分からない。一応まだ続行だけどどうするの?とも聞けなかった。

 ほぼ準備が整い、あとは開店を待つのみになった。そわそわと落ち着かずも、妙に気分が燥いでにやつきが止まらなかった。

「ねえ、みんなで写真撮ろうよ。白井君に送るから。調理係も集まって」

 富里が携帯を手に呼び掛けた。所定の位置に並び掛けていた男子も女子も
真ん中に集まり、テーブルセッティングと内装がよく見えるように並んだ。
白井がこれを見るならと、僕も宮野もポーズを決めた。全部で六枚撮影した写真をその場でみんなで共有し、文ちゃん経由で白井に送信した。

『お帰りなさいませご主人様 イケメン揃えてご来店お待ちしておりまーす』

 こうなったらできることはなんでも。やると決めたら富里は率先して動いた。


 九時半の開場と同時に校内は来場者で賑わった。フライドポテトやポップコーンを食べ歩くお客さんや呼び込みする生徒で廊下はひしめき合っていた。

「めっちゃ校舎きれーい」「ホテルみたい」「海見えていいなあ」

 そういう声が聞こえると、いいだろうと得意になる。辺鄙な環境と勾配のキツい坂道は大変だが、ここがどこより素晴らしいと自負している。いいイメージのままでいてほしいので、ちゃんとおもてなしをしようと思った。

 午前中から客が絶えなかった。他校の女の子やOGが押し掛けて席はすぐに埋まり、廊下で待つ人までいた。「めっちゃ可愛いんだけど」と内装の写真を撮っている。みんなで作り上げたカフェの評判は上々だった。女子が考案したパンケーキもどんどん注文が入る。白井がここにいないのが残念でならなかった。仕上がりやお客さんの反応を見てもらいたかった。

 僕みたいな冴えない奴でも何度か指名が入った。恥ずかしさを捨てて、忠実に「ずっきゅん」や「らぶらぶラブリー」ポーズを遂行した。女の子の「ふふふふふ」の笑いに込められた本音を知るのが怖い。どうか呼ばれませんようにと、店に立つ時間祈り続けていた。

 昼交代になり、宮野と百瀬と佐々木の四人で校内を回った。焼きそばやチーズドッグを買い、店に出せない焦げたパンケーキをもらって、駐車場の木陰に固まって食べた。日向はまだ日差しが強かった。

「すげえ人。みんな暇だな。こんな坂道わざわざ上ってくるなんて」

 来客でごった返す昇降口を見ながら百瀬はポカリを飲んだ。生徒より客のが多い。お祭りだから、好きな奴はどこからだって来るだろう。

「けど部活の手伝いないと楽だな。宮野っちはバドなにもやってねえの?」

「やってない。体育館ダンス部やってて使えないから。剣道部どうなの?藤崎とかこういうので目立つの好きそうじゃん」

「剣道部はやってない。女子バスのドーナツ屋手伝ってる。食堂前の一番いい場所でドーナツの売り込みしてたよ」

 うわあ、と三人同時に声が出た。大食漢の佐々木は焼きそばの他に、たこ焼きとチュロスを買っていた。うまそうなのでみんなで勝手にたこ焼きを食べると「おい!」と珍しく怒った。

「こうなると藤崎より信者がキモいわ。高岡とかあんなん目にしてもまだ洗脳解けないんだ。クラスの準備も全然やらなかったもんな」

「誰もやれとも言わなかったけどな。相手にしない方がいいと察して。前までは元気な明るいキャラだったのに、今やちょっとヤバイ奴だもんな。ここ数ヶ月で印象変わったわ。ホワイトルームで裏の顔が暴かれたな」

 その百瀬への意識も僕の中で大きく変更していた。こいつは全てが娯楽だから、他人の不幸もネタでしかない。うっかり本心を見せないようにと警戒するようになった。逆に宮野への信頼が一層深くなった。合理主義で無駄が嫌いだから、悩みを相談しても軽くいなされると思っていたが、今は誰より心強い友人だ。なにがあっても最善を探そうとする本物のクールな戦士。藤崎の一件以来、宮野を見る女子のまなざしも違っていて、裏の顔の方がカッコいいってまじでカッコいいなと僕も惚れ直した。

 午後になるほど人が増えた。全メニューを注文した人だけが会えるレア執事の文ちゃんだったが、ほぼ出ずっぱりでレアでもなんでもなかった。写真を撮られまくり、午前中に来た客が午後にもう一度来たりした。当然指名ナンバーワン。三十分の休憩のみでずっと働いていた。校内を見てきてもいいよと富里や小坂が声を掛けても教室にいたという。白井が来るかもと待っていたらしい。

 怒涛のような一日目が終わり、二日目が始まった。昨日より太陽がさんさんときらめき、十月とは思えない暑さになっていた。日曜日だから来場者が押し寄せ、混んでいるのは執事カフェだけじゃなかった。
 昨日は来なかった亀山も来ていた。受付に座ってるだけで「可愛い~」と女の子のお客さんからえらい人気で、しばらくそっちで撮影会が始まったりしていた。いつもはにこりともしない無愛想な亀山が、集客のためにか、
快く応じてやっていた。
 開店一時間後には、僕の母親と、三人の友達を連れた妹がやって来た。向こうも緊張してるのが伝わってくるから変な敬語になった。亀山に習って執事に徹した。開き直ってずっきゅんポーズを決めてやった。十八年間一緒に暮らしていて初めて見るふにゃふにゃ顔。けどこんな表情も僕が不登校だったら一生見なかっただろうとそんな風に思った。

 店は順調だった。今日は午後からは部活動の発表会があるため、模擬店は12時で終了になる。あと一時間切っていて、特に変わったこともないので、
鎧塚先生は顧問をやってる軟式テニスのラリー勝負の様子を見に行った。

 客足が一瞬落ち着いた時だった。背の小さい女性がきょろきょろしながら
店に入ってきた。ピンクベージュのブラウスに肩までの髪。「お帰りなさいませお嬢様」と執事がコールするとびっくりした顔で胸に手を当てた。
 
 あっ、と僕は思わず声が出た。文ちゃんの携帯に映ってた女の人だった。失神した時の夢と似たような服装だったのですぐに分かった。約束していたのかは知らぬが、とにかく文ちゃんに会いに来ていた。僕は急いでカーテンの後ろに飛び込み、待機してる文ちゃんを呼んだ。