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<教材研究>支え合うことの意味ver.α

「支え合うことの意味」というテーマを中心に、現代社会における個人の存在、多様性、そして社会的な責任に関する多角的な議論を展開していく。
特に、「自立」(INDIPENDENCE)が現実的に不可能である現代において、他者との「相互依存」(INTERDEPENDENCE)を通じた市民としての強さを持つことの重要性を強調しつつも、能力主義(メリトクラシー)の負の側面や、移民・外国人受け入れ、言論の自由、そして災害時の社会不安など、複雑な社会問題に対する様々な視点に対し、テキスト、マンガ、SNSの投稿といった形式で幅広く提示し、協働と相互理解の必要性を訴えることを目的とする

近代社会における孤立と「支え合うこと」の意味(鷲田清一の論点)


鷲田清一は、近代社会の構造がもたらす個人の無力化と存在不安を分析し、それを乗り越えるための「自立」と「責任」の概念を再定義した。

近代化による市民の「無能力化」

近代社会では、食事の準備、病人の看護、ゴミ処理といった「命の世話」が、プロフェッショナルや行政サービスに代行されるようになった。
この「安楽」な社会に暮らすうち、人々は自らそれらを行う能力を失い、サービスが停止・劣化した場合にクレームを言うことしかできない「無能力」な存在になったと指摘している。

「資格」社会がもたらす存在不安

 • 封建社会: 生まれによって人生の輪郭がほぼ決まる。
 • 近代社会: 誰もが同じスタートラインで人生を選び取る自由を保障する。
  ・現代社会:「日常的に人の選別が行われる」という側面を持つ。
専門職が誕生すると、免許や「資格」を持たない者はその活動を行えなくなるからである。
したがって「何をしてきたか」「何ができるか」「何をなし遂げたか」によって自ら証明しなければならず、人々は「他の人にはないどんな能力や才能があるか」を必死に探し求めることになる。見つからなければ無力感に苛まれ、「『できない』こんな自分がここにいていいのだろうか」という、存在そのものの「資格」への問いへと追い詰められる。

真の「自立」=インターディペンデンス(相互依存)

このような存在不安から、人は「何かができなくても、このままの自分を認めてほしい」という無条件の肯定を他者に求めるようになる。しかし、自分の存在理由を常に他者に委ねることは、他者からの承認なしには何もできない「受け身の存在」となり、依存症に陥る危険性をはらむ。
鷲田は、この受け身のあり方を克服する「市民としての強さ」を「自立」と呼ぶ。しかし、その意味を明確に区別する。

したがって、真の「自立」とは、孤立することではなく、相互依存のネットワークの一員であるという自覚を持つことにある。そのネットワークを維持するためには、「自分もまた時と事情に応じて、いやむしろ気持ちとしてはいつも、支える側に回る用意がないといけない」と強調している。

「責任」=レスポンシビリティ(応答する用意)

この「支える側に回る用意」は、「責任(responsibility)」という他者から課せられる受け身のイメージがつきまとう。
しかし、英語の"responsibility"は "response"(応答)と "ability"(能力)に分解でき、「レスポンスする用意がある」ことだと鷲田は説明する。

他者が困っている時、助けを求めている時に、それに応える用意があること。この主体的な姿勢こそが、相互依存(インターディペンデンス)の核となる。苦労を引き受け、他者との関わりの中でこそ、自分の存在の意味は具体的に浮かび上がるのだ。

統合的考察:受動的存在からの脱却と主体性の回復

現代社会における「主体性の喪失」という共通のテーマで、鷲田が指摘する「自分では何もできない受け身のあり方」は、メディアが提供する単純化された情報を鵜呑みにし、主体的な思考を放棄するのでもなく、行政サービスに依存し、問題が起きてもクレームをつけるのではなく。自ら考え、行動し、解決策を見出す主体性を保つための手段である。
この三位一体の実践こそが、無力感と存在不安を乗り越え、意味のある生を回復するための道筋となるだろう。

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