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じいじ 保育士を目指す! 戦争と社会科学

今日は終戦の日

だが、私は戦後80年に向けて修論でその保育の巨頭(倉橋惣三)の戦争と戦後の関係(何故、戦後自己の戦争に関する記述をしなかったのか)を同時代のもう一人の巨頭と比較しながら書くつもりでいた。

  実際、第二章ぐらいまで書いたが、当時の指導教官に「そんな題目で書いても通しません」と言われた。副査にも「厨二みたいな事」とも言われた。

  未だに、「厨二」的だと思わないし、「戦後80年」という年に意味があると思っている。結局、倉橋惣三ではない方を、社会学的な歴史思想研究の先行研究を使って「戦争」という時代区分を使って「保育思想史」上の思想変容という形で書き上げた。

  単なる戦争責任等の論文では、「社会科学的な修論にはならない」という事で、苦心の末に、鶴見俊輔の手法を使った。これは正に「歴史思想研究」の先行研究例だ。

鶴見俊輔は戦後の論壇における逸材だと思う。そもそも、

 ハーバードで教育を受けて、日米交換船で戦争中の日本に帰ってきた人物だ。父親(鶴見祐介)との確執があって、戦争責任というモノに対する思いが強かったから、そういう歴史思想研究ができたのだろう。

 もし、三木清が獄中死しなかったら、どういう対談がなされただろうと想像するのだ。

 彼は、今の中野にある平和の森公園になっているが、

で、終戦後に獄中死した人物だ。

 修論では、三木清を鶴見俊輔の手法で、参照軸にする形で、思想変容を保育思想史の中で論じた。鶴見俊輔の方法で、戦争後80年という時代の流れの中で、論じる事にした。

 私の精一杯の「抵抗」だったと思う。結果、無事に修論は通ったので、現在はこうやってD1になっているのだが、今の指導教官は、「倉橋惣三」の系統の研究者(直接の系統ではないが。。。)だ。

 博士論文のテーマは、保育思想史ではなく、保育思想寄りだろうか。自分のベースは、そういう日本の保育思想史である事の意味は「ある」と今も思っているし、そのベースがあるから、幼児教育の方向性は「そこ」にあると思っている。

さて、今日はこの辺で。

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