『ギリシャ語の時間』(ハン・ガン著)ほか:見えない私の本と映画と音楽ノート(9)2025年5月30日ー31日

『ギリシャ語の時間 韓国文学のおくりもの』(ハン・ガン著 斎藤真理子訳 晶文社)をサピエ図書館の音声デイジーで読了。
弱視の主人公の見える世界の描写は自分が弱視だったころの記憶を呼び覚まし、視覚がわずかに残っていた時のほうが視力をほぼ失った今より苦しむことが多かったのだな、と改めて思う。全体的にいつも静かで、詩的な文章が印象的。一度読んでも何か飲み込めない感じがあって、そのうちまた読みたいと思う。

小説の冒頭ではアルゼンチンの作家ボルヘスについてふれられている。
訳者あとがきによると、弱視の主人公の外見は、同じように幼年時代から弱視で50代でほぼ全盲になったボルヘスのイメージに似ているという
あとがきでふれられていたボルヘスの公園週『七つの夜』に収められた公園の第7夜「盲目について」もサピエ図書館の音声デイジーで読む。
この中で、ボルヘスは盲目の世界について
「闇のない、ほのかに明るい霧が立ち込める世界」と表現している

これは視力を失った人の世界の見え方を実に的確に表現していると思う。ある詩の一節が自分が感じた感覚や感情をうまく言い表わしていた時みたいな気持ちになる。
盲目の世界、というとたいていの人はほぼ例外なく「暗闇」をイメージする。でもこれは、一種の文学的表現に過ぎない。
実際には目が見えない人の世界は「暗闇」ではない。「暗闇」というのは目が見えている人が光のない世界を「視覚で見ている」時の感覚だから。
ボルヘスもこの講演の中で、
完全な闇の中で眠るのが習慣だった私にとって、ほのかに明るい霧の立ち込める世界の中で眠らねばならないのは、長い間苦痛でした。」
と語っている。

盲目の世界をテレビの受像機に例えると、放送局からの電波が届いていない時のホワイトノイズの画面のような感じ。テレビ自体の電源は入っているのに、意味のある画面を作る電波による情報が来ていないから、意味のないホワイトノイズだけが映っている状態。視覚情報が全く入って来ない状態では、脳は手持無沙汰でホワイトノイズのような「霧の立ち込める世界」を作り出してしまうのだと思う。

ボルヘスが、その不明確な世界に現れる色について「黄色と青」と語っていることに共感する。私の場合もほの明るい霧の中になぜか金色に近い黄色と深い美しい青の「もや」のようなものだけがいつも見えているから。
ボルヘスは盲目の世界で見えない色として黒と赤を挙げているけれど、黄色や青以外の色を見ている人はいるのだろうか?

「人は誰でも自分の身に起きることはすべて道具だと思わなければなりません。あらゆるものはすべて目的があって与えられているのです。」
「盲目とは、全くの不運ではなく、運命または偶然に私たちが授かるとても不思議な道具の数々の一つであるに違いありません」
という言葉が印象的。この言い方を借りれば、私がほぼ視力を失ってから感じるようになった新しい感覚は、目的があって与えられた不思議な道具の一つ、ということなのかも(笑)。

また、英語に堪能だったボルヘスの母親が翻訳した作品の中に、私が大好きなウイリアム・サローヤンの『人間喜劇』が含まれていたのを知ってちょっとうれしくなる。

聞いていた音楽:
『ロンドン・ストーリーズ』MACIEK PYSZ
ポーランド出身のジャズギタリスト。ちょっと小雨が降っている時のような静かな感じが好き。

『くらやみの速さはどれくらい』(エリザベス・ムーン著 小尾芙佐訳 ハヤカワ文庫sf)をサピエ図書館の音声デイジーで読んでいる。
自閉症の主人公ルーの感じている世界がていねいに描写されていて、興味深く読む。ふつうの人には当たり前の顔の表情から感情を読み取ることが難しい一方で、視覚情報の複雑なパターンの中からふつうの人には読み取れない規則性を見つけ出したりできる。自分とは見えている世界(環世界)が違う「ふつうの人」が感じている世界とのギャップやそれによるコミュニケーションの難しさがルー自身の言葉で語られている。私はルーの世界を実感することはできないけれど、環世界がかなり異なる人同士のわかりあえなさには共感できる。人は、自分が理解できない環世界の人に出会うと、その理解できない世界に不安を感じ、その不安はえてしていらだちや怒り、差別といった感情に変わるから。

聞いていた音楽:
『アルマ』エグベルト・ジスモンチ
生命力と才能が溢れ出していて、茶色く濁っているけれどさまざまな流れが力強くぶつかり合って勢いよく流れる大きな河の流れを見ているような感じ。

『リアリティのダンス』(アレハンドロ・ホドロフスキー著 青木 健訳文遊社)をスマホのカメラでページごとに撮影してAIが読み上げるアプリ「ユアアイズ」で読み始める。
目が見えていた時にホドロフスキーの映画が好きで、特に映画『サンタ・サングレ 聖なる血』の「象の棺桶」の場面を見た時の衝撃はよく覚えている。
 

この本はホドロフスキーの自伝的な作品。
まだほんの数十ページ読んだだけだが、ラテンアメリカ文学の「マジック・リアリズム」(現実と非現実が入り混じっているような表現)の小説のように、アレハンドロ少年の日常の中で、ありえないような出来事がしばしば起きる。
ホドロフスキーの映画の中で見た、フィクションとしか思えなかったイメージや出来事は、本人のリアルな体験に基づいていたのだな、と思う。
読んでいて、遠い昔に読んだサルバドール・ダリの『わが秘められた生涯』を思い出す。このダリの自伝もまた違ったテイストの「マジック・リアリズム」小説のようだった。
彼らの生きている世界では、現実の世界の中にふつうの見方では非現実と見做されるような出来事も現実の枠の中に取り込まれている。「マジック・リアリズム」と呼ばれる表現の中には、実際に体験したことだけれど、他の人に話すとだれもそれが本当に起こったとは信じてもらえないようなリアルな体験も含まれているのだと思う。

『おばけリンゴ』(ヤーノシュ 作・絵 やがわすみこ 訳 福音館書店)
昔見えていた時にすきだった絵本。主人公のワルターがものすごく大きなリンゴの前で涙を流している絵をおぼえていて、もう一度読みたくなった。
スマホのカメラで撮影してAIが説明してくれるアプリ「ビー・マイ・アイズ」で読んでも、グーグルのAIアプリ「ジェミニ」で読もうとしても今回はうまくいかず。前に荒井良二さんの絵本『きょうはそらにまるいつき』を読ませた時はすごくうまく説明してくれたので、ちょっと残念。絵本をAIに読ませるとうまく行く場合とゆかない場合のギャップがかなりある。
少し前に長新太さんの「ナンジャモンジャ博士」シリーズを読ませた時もうまくゆかなかったので、ちょっと個性的な絵のものだとまだうまく説明できないのかも。「それは動物らしきものじゃなくて、ゾウアザラシだよ」とか、何度もダメ出しをして学習させればうまく読んでくれるようになるのだろうか。
AIが絵本をうまく説明してくれないこの感じは、サン・テグジュペリの『星の王子様』で、主人公がゾウを呑み込んだヘビの絵を大人たちに見せても、いつも「そいつは、ぼうしだ」としか言われなかった時の残念さに似ている。

#ギリシャ語の時間
#ハン・ガン
#斎藤真理子
#韓国文学
#ボルヘス
#視覚障害
#サピエ図書館
#サローヤン
#人間喜劇
#MACIEK PYSZ
#くらやみの速さはどれくらい
#エリザベス・ムーン
#自閉症
#エグベルト・ジスモンチ
#リアリティのダンス
#ホドロフスキー
#サンタ・サングレ  聖なる血
#わが秘められた生涯
#サルバドール・ダリ
#マジック・リアリズム
#おばけリンゴ
#ヤーノシュ
#矢川澄子
#ビー・マイ・アイズ
#ジェミニ
#きょうはそらにまるいつき
#荒い良二
#星の王子様
#サン・テグジュペリ

いいなと思ったら応援しよう!