最上級生から新1年生へ。60歳のシニア社員が挑む新しい挑戦と気づき
JTBには60歳を超えても「シニア社員」として活躍する多くのベテラン社員たちがいます。
今回話を聞いたのは、2025年5月に60歳を迎え定年後の再雇用でJTBの広報にて働く今成光一朗。法人営業そして法務チームでの経験を経て、60歳でまた新しい仕事に挑戦しています。
JTBの変遷とともに歩んできた今成の会社員人生を振り返ります。

1989年入社。団体旅行日本橋支店の法人営業に配属され、営業課長まで同支店にて17年間勤務。その後も法人営業の分野で管理職を務め、2013年に山形支店長に。2016年にJTBグループの法人営業を担う(株)JTBコーポレートセールス本社 CSR推進室にて法務の仕事にキャリアチェンジを果たす。2023年にはJTB本社法務チームのチームマネージャーに昇進。2025年5月に60歳を迎え定年退職。現在は再雇用でブランド・マーケティング・広報チームに所属。
60歳を迎え、未経験の広報の仕事へ
――今年の5月に60歳を迎え、現在はシニア社員として勤務されています。いまの働き方について教えてください。
JTBでは60歳が定年退職ですが、その後も働きたいと希望した場合、1年ごとの契約更新にはなりますが65歳まで働くことができます。
現役社員と同様にフレックスやパートタイム勤務、在宅勤務など、さまざまな選択肢のなかから自分に合う働き方を選ぶことができ、僕はこれまでと変わらずフルタイム勤務を希望しました。
60歳で退職し、新しい条件のもとで働くため収入面など変わる部分もありますが、「働き方の選択肢」において現役社員との垣根がないのはとてもありがたいと感じています。
――今成さんは定年までJTB本社の法務チームにてチームマネージャーとして働かれていましたが、再雇用では広報に配属となりました。
いやあ、広報は全く予想していませんでした。完全なサプライズ異動です(笑)。僕の周りを見ていても退職前に在籍していたチームにそのまま配属になるシニアがほとんどですし、違う部署になるとしてもグループ会社の法務担当なんじゃないかなと予想していたんです。

それがまさかの広報。言うまでもなく未経験です。この前まで立場的には学校の最上級生だった人が、新しい学校の1年生になるようなものですよ。契約書は簡単に読めても、プレスリリースを読むのには時間がかかります。広報での経験のある皆さんにゼロから教えてもらっているところです。慣れないことも多いですが、早く仕事を覚えられるように自分用のマニュアルを作成するなどして頑張っています。
――「最上級生から1年生になる」というのはすごく大きな変化ですよね。戸惑いはなかったのでしょうか?
僕の場合は、むしろこの年齢から新しいことに挑戦できることにすごくワクワクしています。実は同世代の同僚たちと飲みに行ったときに「今成、最近明るくなったよね」って言われたんです。
こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれませんが(笑)、法務のチームマネージャーのときは、管理職としてのプレッシャーがそれなりにあったんでしょうね。今は意思決定をする機会も減りましたし、人事権もない。雇用形態も1年ごとの更新ですから会社との関係性も変わりました。
おそらく今は、多少なりとも肩の荷がおり、純粋に目の前の仕事に集中できている。それが表情に出ちゃったみたいです(笑)。

――むしろ再雇用のスタートを前向きに捉えられているのですね。
そうですね。チームのみんながいつも快く教えてくれますし、僕も変に気を遣ったり無理をしたりすることもなく、自然体で働けていると思います。
これから会社としてシニアの再雇用はどんどん増えていくと思いますが、チームの状況によっては、僕のようにそれまで在籍していた部署に残れるとは限りません。60歳からのキャリアチェンジも視野に入れるべき、ということなんだと思います。
そうなってくると、自分の子どもと同じ年齢くらいの社員と一緒に先輩に教えを乞うたり、自分より年下の方が上司になったりする。そのことに戸惑う人もいるのかもしれませんが、どれだけ年齢が上でも、そのチームのなかで自分が1年生というのは紛れもない事実です。
年齢は関係なく「自分にはない知識や経験を持っている」という点でリスペクトの気持ちを持つことを大切にしています。
携帯電話もメールもない時代。旅行中のトラブルも総力戦で乗り切った

――今成さんが就職活動をしていたのは「株式会社日本交通公社」から「株式会社JTB」に名前が変わった1988年。当時、JTBという会社に対してどのような印象を抱いていましたか?
「日本交通公社」というちょっとお堅い名前から「JTB」に生まれ変わるというのは、当時学生だった僕から見ても、すごく革新的な印象でした。「新しいことに積極的にチャレンジしていこう」という会社の姿勢が感じられたことをよく覚えています。
――JTBに入社を決めた理由は?
お客様の細かなニーズや自分の創意工夫を反映できるような無形の商品がいいなと思ったからです。
有形の商品だと、その商品に対する愛情が冷めてしまったときに自分の仕事が成り立たなくなってしまう危険性がある。一方、旅行は形がないからこそ、自分が成長した分だけより良い提案ができるんじゃないかなと。その方が仕事として面白みがあると思い、JTBに入社を決めました。

――その後、法人営業としてキャリアをスタートされました。入社後、大変だったことはありますか?
入社当時は、「旅行」というとお客様のニーズに沿ってプランを提案し「楽しかった」「すごく良かった」という評価をいただければ「合格」というイメージを持っていました。しかし、僕が配属されたのは法人営業でしたから、お客様にとって旅行はビジネスの手段の1つに過ぎなかったんです。
例えば、クライアントである企業が目標を達成した販売店や代理店の人たちを招待する「インセンティブ旅行」があります。これはあくまで良いビジネス関係を構築し、業績を向上させるための1つの手段であって、旅行そのものが目的ではないんです。
つまり、旅行の内容がいいのは当たり前で、さらにクライアントの売り上げに貢献しなければいけないということ。
入社当時に抱いていた「旅行」のイメージが大きく変わりましたね。「オペレーションがうまくいくのは当然」という環境は正直大変でした。食事1つとっても台本通りのスケジュールで配膳が進まなければクライアントから叱られるなんて案件もありました。

――それはなかなかプレッシャーがかかる仕事ですね...。
そのプレッシャーを1人で全部抱えていたら、しんどかったと思います。でも、JTBはチーム戦です。営業の後方支援がいて、オペレーションの専門部隊がいて、そして上司もいて…皆さんのサポートがあったから数々のピンチを乗り越えることができました。
とても印象に残っているのが、3年目くらいの頃に添乗したお医者様方を招待する北海道旅行。いざ東京へ帰ろうというときに、台風がきてフライトがキャンセルになってしまったんです。これはしょうがないと1泊延期になったのですが、その翌日も飛行機は飛ばなくて...。お医者様ですから何日も病院を空けるわけにはいきません。
そのとき、上司が航空会社と交渉してくれて「とりあえず仙台までなら飛べる」と連絡がありました。仙台に到着後は、仙台支店がJR東北新幹線の団体乗車券を発行してくれて、なんとか東京まで帰ることができたんです。
現場にいる自分1人だったらそこまでのことはできなかったと思いますし、JTBの組織力、チーム力を実感しました。全国にあるネットワークが自分の味方なんだなと。

――すごいお話ですね。しかも当時は携帯電話もメールもない時代ですよね。
もちろんありません。宿にある公衆電話からかけると上司が待ち構えてくれていて指示を出してくれました。仙台支店に到着したら、そこにも上司から事細かに指示が書かれたFAXが届いていたんです。
いまじゃ考えられないかもしれませんが、海外添乗にだってもちろんスマホもナビもありませんからね。ものすごく下調べをしました。自分もほとんど行ったことがない場所なのに、熟知しているかのように何十人ものお客様をご案内するんです。地図と看板だけが頼りなので、とにかく目がずっと動いている状態でした。
――いまでは想像もつきませんね...。
ヒヤヒヤする場面もたくさんありましたけど、若いうちにこういった経験をたくさんさせてもらったことは、その後に大いに生きていると思います。
若手の成長のために惜しみなく経験を積ませてくれる上司でした。もし何か失敗したら自分が頭を下げなくちゃいけないのに、そこは腹を括って多くのことにチャレンジさせてくれましたね。もちろんめちゃくちゃ叱られることもありましたが(笑)。
50歳で法人営業から法務へキャリアチェンジ

――今成さんは入社してから27年間、ずっと法人営業のお仕事をされていました。しかし、50歳になったタイミングで法務に異動を希望するという大きなキャリアチェンジを経験しています。そのきっかけについて伺えますか?
「今成は法人専用機」と言われるくらい、法人営業一筋でやってきたのですが、2013年に山形支店の支店長になったのが大きな転機でした。
我々の世代では、営業課長の次は支店長になることを目標にするのが一般的だったので「ついに支店長だ!」と辞令が出たときワクワクしましたね。妻に報告したら子どもがまだ小学生だったため「当然、単身赴任だよね?」と言われ、「あ、わかりました」と一人暮らしをすることに(笑)。
そこで3年間、支店長として頑張ったのですが、目標予算をどうしても達成できなかったんです。当時はそもそもお客様の数が少なかったなど、いろんな事情もあるにはあったのですが、法人営業の最前線に立って指示を出す役割としての自分の能力に、少し疑問が湧いてきたんです。

――支店長の仕事が自分に向いているのか、疑問が生まれたと。
はい。しかも、東京ではすでに僕よりも若い世代の優秀な人たちが支店長や事業部長になって活躍していました。その様子を見て、若い人がどんどんリーダーとして活躍していくことが組織のあるべき姿であって、能力に疑問を感じている自分が法人営業にしがみつくのは違うかもしれないと思ったんです。
会社は総力戦ですから、自分は営業の前線に立つよりも優秀な若手の皆さんを支援する側に回った方がきっと会社のためになる。
それに定年退職まで残り10年と考えたとき、「会社に貢献できた」という自分なりの納得感や達成感を得たかったんです。キャリアチェンジするならいまが最後のチャンスだと、飛び込んでみることにしました。

――すごく大きな決断ですね。異動先としてなぜ法務を選んだのでしょうか?
支店長の3年目が終わろうとしていたとき、会社のとある研修の課題で「ビジネス実務法務検定3級」の試験を受験することになったんです。そこで勉強を始めたところ、僕は学生時代法学部だったので「あ、これ知ってる」と結構スラスラ解けたんですよ。そのときに「法務の仕事っておもしろそう!」と思って、誰にも頼まれてないけど2級まで取得しました。

その後、当時の総務部長との面談でズバリ「法務の仕事がしたいです」と伝えたんです。「現役の支店長が法務に行きたいなんて、初めて聞いたぞ」ってかなり驚かれました(笑)。他の支店でもう1回支店長に挑戦する道もあると言われましたが、そのときにはすでに法務に興味が向いていたんです。
――未経験の仕事を始めてみてからの数年はいかがでしたか?
たしかに法務として働くのは初めてでしたが、大学で勉強していたことではあったので、全く違和感はなかったというか、すごくピタッときたんですよ。
法務の仕事ってみんながアクセルを踏んで挑戦しようとしていることに、ブレーキをかけるイメージを持つ人が多いと思います。でも、僕が所属していたJTBコーポレートセールスの部門は、どちらかといえば新しく挑戦したいことがうまく進むように伴走するスタイルでした。
「クライアントと事前にこういう契約を結んでおけば、法的なリスクを心配することなくチャレンジできますよ」というように背中を押し、もし何かトラブルが起きたら一緒に解決する。まさにパートナーと呼ぶのが相応しい立ち位置です。
業務自体も自分に向いていたし、法人営業を離れるときに抱いていた「前線で走る皆さんをサポートする側に回りたい」という想いも叶って、僕としてはこのタイミングでキャリアチェンジできてすごく良かったなと思っています。
会社人生には必ず終わりがやってくる

――これからシニア社員として働くなかでの目標はありますか?
先ほどお伝えしたように、まずは目の前の仕事を早く覚えるのが最優先です。広報チームの皆さんに迷惑をかけないように頑張らないと(笑)!
その上で、少しでも自分ならではの強みを出せたらいいなと思っています。法人営業では営業課長も業務課長も支店長も経験しましたから、それぞれの立場の人たちがどんなことを考えているのか、時代は変わっていてもやっぱりなんとなくわかるものですよね。
法務での経験も、自分は弁護士資格もなく法律の専門家ではないけれど、ある程度のことならお答えできます。業務のなかには、法務の人に聞くほどじゃないこととか、いまさら聞けないこととか、そういう「ちょっとした困りごと」ってあるじゃないですか。
例え本業としてじゃなくても、自分が歩んできたキャリアが生かせる場面って少なからずあるんじゃないかなと。そういう「自分の強み」を今後少しでも出していけたら嬉しいです。
――最後に若者へのエールの言葉をいただけますか?
60歳を迎えた自分ならではのことを申し上げると、良くも悪くも必ず終わりはやってくる、ということ。
あんな失敗しちゃったなとか、こんなこと言われちゃったなとか、いろいろモヤモヤしたり悩んだりすることもあると思いますが、それだって「会社にいるうち」なんです。いいことにも嫌なことにも必ず終わりは来るわけだから、思い悩んでいるくらいなら何事も一歩踏み込んでチャレンジした方がいい。その方が悔いが残らないと僕は思います。

――良くも悪くも終わりは必ずやってくる。
はい。野球に例えるなら、落ちてくるフライをバウンドさせて安全に取りに行くよりも、思い切って前に出てノーバウンドで取りに行ってほしい。もしそこで落球しても、会社という器のなかでやっている限り、誰かがカバーに入ってくれるし、ボールが果てしなく転がったとしてもフェンスで止まります。会社というフィールドには、フェンスもバックアップ体制もありますから。
でも、そういう環境にいられるのは「会社にいるうち」です。そして、何度も言うように会社人生には必ず終わりが来る。
それなら「今のうちにもっと思いっきり飛び込め!」と伝えたいですし、僕も働いているあいだは、そんなマインドをもっと体現していけたらいいなと思っています。
文 佐藤伶
写真 鍵岡龍門
編集 花沢亜衣
