ゆがけ考14 写すということ 260705
すっかりご無沙汰してしまいました。
日々些末な雑務に追われ、なかなか自らを振り返るということができておりませんでした。
この度は、古いものを写すということについて申し上げましょう。

こちらはかなり前の仕事でございますが、三河弽の写しでございます。
写すと一口に申しましても、さまざまな考え方がございます。
まず第一に、素材など全てにおいて原物と寸分違わぬように拵えるということがございましょう。
ところが、言葉で申すのは容易でありますが、これが実に難儀であります。
原物を茶道の言葉を拝借して「本歌」と呼ぶことに致しましょう。
本歌が未使用の場合、これは素材さえ用意できますればある程度写すことができましょう。念のため、ある程度と余白を残しておくことにいたします。
そもそも革の鞣し技法も現在は絶えておりますから、素材が揃うということが土台難儀であります。
本歌が使用済みの場合、これは容易ではございません。新品が如何様であったかを推し量りつつ拵えることになりましょう。
しばしば、本歌を解体し、それによって型を取ればよいように考えられる方がおいででございますが、それがそう容易ではございませぬ。弽師によっては、一寸のところと八分のところを縫い合わせることによって手指に添わせ、さらに鏝によって縮めたり、あるいは伸ばしたりするようなことがあるからでございます。
さらには、射手の使い癖などによる積年の変化がございますので、解体しても大まかな型しか取れぬとも申せましょう。

まして、仮にこれが常に使用せる弽であり、それと同じものをご所望なさる場合、非常に難儀であります。
それゆえに、第二に、本歌の使用具合に合わせて写すというようなことが必要となります。
ただし、多くの場合は、帽子の長さや指の長さ、掛枕の位置を合わせる程度でありまして、あとはそれぞれの弽師の通常製法によるのでありましょう。
弽師にとりまして、普段と異なる形状に拵えるのは、他の部位との組み合わせの具合ゆえに、厄介なことであります。

仮に弽師が、一時に二つの全く同じ弽を制作したとて、まったく同じものにはならぬことが多いように思います。
かつて、芸州の則彰は、誂えに応じて二つの弽を拵え、どちらかを贖ったと聞いたことがございます。これはお求めになる方が自らより良いものを選んだ、という自覚が、品物の満足を促すわけでありまして、なるほど理に適ったものでありましょう。
こう申し上げますとお叱りを頂戴しましょうが、弽を新調するという場合には、ある程度弽に合わせることが必要でありまして、ご自身の射法の理に適った要件を満たすものであれば、寸法を合わせて、覚悟をもってその弽に身を委ねることも必要でありましょう。
そう申しながら、小生自身が弽を拵えるようになりました動機は、使っておりました弽を常に持ち歩いておりますときに、荷物が置き引きに遭いまして、それから数年間全く射にならなかったことに始まるわけであります。
おかげさまで、林忠兵衛ご店主や、わが師として私淑せる駿河三慶にも出逢う機会を得まして、また竹林弽という自身理想の弽を知ることにも相成りました。

古いものを多く写してまいりましたが、私は、その弽の射法と性能との兼ね合いを良く確かめることから始め、それを動かすことは致しませぬ。
例えば、三河弽などは、帽子の頭を鯔型にし、接触面積を広く致しますが、これは、取り掛けを安定させることに目的があるものと考えます。しかしながら、接触面積が広いがために、摩擦が強くなりますから、ある種の工夫が必要であります。岡崎界隈の大和流の方々は、松脂ではなく、杉脂のギリ粉をもちいて、「脂こき」をして離れを誘い、両肩の窪みに乗せた水皿の水が零れぬように射たということであります。ごく小離れでありましょうし、弦を払うようなことは嫌ったのではないかと推察します。この射法は十五間的前では的中に非常に強く、一寸八分の金的に百射皆中をしたというような言い伝えもございます。
これを現代射法で用いるというのは、基本的には必要のないことであります。三河弽はごく柔軟でありますから、弦を払う大離れにも、帽子先が逃げますればさほど障りはございませんでしょうが、鯔頭は適当とは申せぬかと思います。
それでも、大離れということであれば、堅弽よりは、格段に射易いものかと思いますので、お求めに応じ、特に取り掛けの具合をよく見当をつけながら、拵えるのであります。三河弽を拵える際には、幸い四丁の本歌がございますので、その都度それを取り出しては比較しつつ仕事を進めるのであります。
様式、形を大まかに真似をしても、性能がそのようでありませねば、写しと申せますかどうか、少々古人に対して申し訳ないような思いが致します。
竹林弽は、林店からは二人の弽師に定期的に仕事をさせておいでであったと聞いたことがございます。現在生存する弽師にも三勝銘の竹林を貸して試作させたそうでありますが、ご店主のお眼鏡に適ったのはその二人であったようであります。二人とも、針の扱いが非常に美しく、人間業とは思えぬほどであります。
その一人が三慶師でありますが、三慶師はもともと相当に堅い弽、と申しましても、現今の方には想像もつかぬほどに堅い、厚い弽を作った方であります。竹林弽などは軍手のようなものであります。ご自身で堅さを十段階に設定して仕事にあたっておいででありました。
私が作っていただいた堅弽は、現今では誂えとしては普通の堅さのように思いますが、それは十段階のうち二段階ほどのものとのことでありました。現在、私が見ましたところ、その二段階よりも堅いものは見ることがございません。本多流の方が使われている幸弘銘のものに、良い作りの堅いものがございましたが、それでも拝見したものは四段階程度の堅さでありました。
その弽師が、本歌を見て作った竹林弽は、帽子の形などは素晴らしくよい作りでありましたが、やはり本歌よりはかなり堅い、現今の堅弽程度のものでありました。六分五厘以上の弓を用いる方でしたら、問題なく機能したように感じますが、中には弓の力に応じて、柔らかく作ったものもあるやもしれませぬ。
古人の仕事を写すということは、これは恐れ多いことでありますが、弓術を伝えていくためには、道具の方も伝えていく必要がございましょうから、亜流の作に歴史が歪められぬよう、真摯に仕事に向き合いたいものであります。
