子どものコミュ力が育つ“経路”の話
いつもは我が子の発達関連を書いているのだけれど、
これからは子育てを通して感じていたことも、時折書いていこうと思う。
子どもって、環境でかなり変わるんだなと感じたことがあった。
もともとおとなしくて、人との距離感も少し控えめだった子が、スポーツをきっかけに一気に明るくなっていくことがある。
友達も増えて、いわゆる“陽キャ”のような雰囲気になる。
それ自体は、もちろんいいことだと思う。
親も嬉しそうだった。
子どもが輪の中心にいて、笑っている姿を見るのは安心するものだと思う。
ただ、その変化の中で、少しだけ引っかかる瞬間があった。
誰かを軽くいじることで笑いを取るような場面。
その場では盛り上がっているし、本人も楽しそうにしている。
でも、ふとしたときに思う。
それって、どこで覚えたんだろうって。
その家庭のお母さんは、どちらかというと人付き合いが得意なタイプではなかった。
保護者同士の輪に入るのもあまり好きではなく、距離を取ることが多いように見えた。
一方で、子どもにはしっかり愛情を注いでいて、可愛がっているのは伝わってくる。
ただ、対人関係そのものはあまり得意ではないタイプなのかもしれない、という印象もあった。
子どもも最初は、どちらかといえば静かなタイプだった。
でもスポーツを始めてから、友達が増え、雰囲気も大きく変わっていった。
いわゆる“陽キャ化”と呼ばれるような変化だった。
親としては、その変化を嬉しく感じていたと思う。
外の世界で楽しそうにしている姿は、やはり安心材料になる。
ただ、子どもの変化はきれいな形だけで進むわけではない。
まだ距離感の作り方を学んでいる途中のまま、
「ウケる方法」だけを早く覚えてしまうこともある。
それが時に、誰かを少し下げることで笑いを取る形になる。
そして、そのノリは必ずしも全員に受け入れられるわけではなかった。
一部の子どもには楽しい空気として広がる一方で、
その空気に馴染めない子も出てくる。
いじりや強めの冗談が当たり前になっていくと、
笑っている子もいれば、距離を取る子もいる。
気づけば、その場の中に「楽しめる層」と「居心地の悪さを感じる層」が生まれていた。
そして後者は、あまり声に出さないまま離れていく。
親としてその様子を見ていると、少し複雑な気持ちになることがあった。
自分の子どもがその輪の中で揺れたり、
ときには巻き込まれてしまったりすることもある。
誰かが悪いというより、
関係性の中で自然に起きてしまうズレのようなものだった。
子どものコミュ力って、性格というより“学習の経路”で決まるのだと思う。
どんな大人と関わり、どんな集団で過ごし、
どんなやり方で人と関わると「うまくいく」のか。
その積み重ねで、少しずつ形ができていく。
そしてその経路がシンプルすぎると、
表現の仕方が少し極端に寄ることもあるのかもしれない。
結局のところ、どうにかコントロールできる話ではないのだと思う。
子どもは家庭だけで育つわけではなく、
学校やスポーツや友達関係の中で、少しずつ形を変えていく。
親の関わり方も、環境も、本人の気質も、全部が混ざって今の姿になっている。
ただ、見ている側としては時々思う。
このままどこに向かっていくんだろう、とか。
どこかでちゃんと、人との距離感を学び直す機会があるのかな、とか。
正解はたぶん、まだ誰にもわからない。
でも子どもは今日も、その中で人と関わりながら進んでいる。
それだけは、たしかなんだと思う。
