承認欲求に年齢制限は無いと思う話し
『ママ みてみて!』
『パパちゃんと みててよ!』
この言葉を毎日聞いているお父様お母様 ご苦労様です。
『見てるわよ』
『ハイハイ 見てるって』
と言いながら 家事を遂行する日々。
なんでそんなに見なくちゃいけないのと思いますもんね。それも おんなじ事を何回も…。
でもね 見て欲しいんですよ 身近な人に。
認めてもらいたいんだと思います。
褒めるとも ちょっと違うんですけど 存在を認めて欲しいというか 自分というもの そのものを そのまま認めてもらいたい時期に発動するキーワードの最初が『みてみて』なのではないでしょうか。
そして成長すればSNSで情報を発信して世界が広がり 言葉が増える。画像とともに感情を添えて 共感・感想を世界中の誰かに求めはじめます。
制限をかけようが 諭そうが本人の性格や思考で どこまでも 気の済む場所と方向に向かって行くでしょう。
突然辞める人もいるし 極める人もいる。
仕事になる人もいるし 趣味となる人もいる。
ただ 見知らぬ誰かから“貴方の発信したモノを見ていますよ”という承認欲求を得ていることに 満足を得ていることは 共通していると思います。
そして 高齢者の場合。
例えば スマホなどを持たず 気心知れた友達も少なくて 家族とも仲が良くない場合。
そんな人でもやはり “承認欲求”は消えることなく存在し続けるのです。
人と仲良くなる術を知らないタイプの高齢者は 上から目線でくる場合や 強がっているのを褒めて欲しい時があります。
例えば
「オイ!〇〇って知ってるか?コレはな あぁ〜でこぉ〜で 凄いんだぞ!」
(↑全くそんな情報は要りませんが 本人にとっては すごぉ〜い!と言って欲しい 重要な情報のようです)
「オイ!見てくれよこのアザ!この前ウッカリ転んで こんなに凄いアザができたんだけど 病院には行かなかったんだぞ!今でも大きい紫色のままなんだ!ホラッ!」
(↑イヤ 直ぐ病院に行った方が良くないですか?痛かったのに 我慢して偉かったねぇと褒めて欲しいのかなぁ…)
何度かこんな場面に遭遇したり話を聞いたりしているうちに 人というのは 幼少期から青年期〜高齢期になっても“他人に自分を認めて欲しい”という心の根底にあるものは変わらないんじゃないかと思ったのです。
確かに 表面に現れるのは “みてみて”と言うキーワードだったり “SNS”かもしれないけど 結局は 誰かに自分の思いとか存在を認識して欲しいことがあることは揺るぎないわけで。
それが捻じ曲がってしまって 素直さが無くなって困った高齢者になると 友達も居なくなって淋しい老後になることが最近分かってきたので せめて自分は 自己表現はしつつ 他人の表現も受け入れて いろんな形もあって良いんだと心を広く柔らかくをモットーにしつつ でも自分の心は自分のものなので大切に扱って 自己犠牲は最小限にしていこうかなぁと。
…承認欲求って 難しいですね。
