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風が、ぼくの小説を勝手に出版した|ちび創作大賞

こちらの作品は、「ちび創作大賞」の応募作品です。

今回のお題は、「風」


五十歳の誕生日、ぼくは小説を捨てた。

二十七歳の頃に書いた、四百字詰め原稿用紙二百枚。

仕事から帰って、夜中まで書いた。

休日も書いた。

新人賞の締め切りを赤いペンで囲み、応募用の封筒まで買った。

でも、出せなかった。

落選するのが怖かった。

自分には才能がないと証明されるのが、怖かったのだ。

そのまま小説は、押し入れの奥で二十三年間眠り続けた。

そして五十歳になった朝、ぼくは思った。

もういいだろう。

夢を見るような年齢でもない。

原稿の束を紙袋に入れ、河川敷まで歩いた。

ゴミとして捨てる前に、最後に一度だけ読み返そうと思った。

我ながら、女々しい。

ベンチに座り、一枚目を取り出した。

その瞬間だった。

ゴオオオッ!

突然、強い風が吹いた。

紙袋が倒れ、二百枚の原稿が一斉に空へ飛び出した。

「あっ!」

慌てて手を伸ばしたが、もう遅い。

主人公は川へ。

ヒロインは土手を越え。

悪役は、ものすごい速さで住宅街へ消えていった。

二十三年かけて守ってきた物語が、わずか十秒でバラバラになった。

ぼくは追いかけるのをやめた。

どうせ、誰にも読まれなかった小説だ。

最後くらい、風に読んでもらえばいい。

そう思って、家に帰った。

翌朝。

近所のスーパーへ向かう途中、町内会の掲示板の前に人だかりができていた。

何か事件でもあったのだろうか。

人の隙間から、掲示板をのぞいた。

ぼくは息をのんだ。

昨日の原稿が、画びょうで貼られていた。

上には、太いマジックでこう書かれている。

「風で届いた小説です。拾った方は、ページ順に貼ってください」

掲示板には、原稿と一緒に付箋も貼られていた。

「三十八ページ、笑いました」

「七十二ページのセリフが好きです」

「主人公、ここからどうなるの?」

「百二十一ページで泣きました」

ぼくの小説に、感想が書かれていた。

二十三年間、誰にも読ませられなかった小説を、近所の人たちが読んでいた。

パン屋のおばさんが、ぼくを見つけて言った。

「この小説、あなたが書いたんでしょう?」

「どうして分かったんですか?」

「一枚目に名前が書いてあったわよ」

しまった。

風は、匿名出版を許してくれなかったらしい。

「この小説、面白いですね」

おばさんは笑った。

その横で、小学生の男の子が原稿用紙を紙飛行機にしていた。

「ちょっと! それ百五十六ページ!」

思わず声を上げると、男の子は悪びれずに言った。

「だって、このページ、説明ばっかりでつまんないもん」

二十三年越しに、初めて編集が入った。

しかも、かなり厳しい。

掲示板には、次々と原稿が集まった。

川で拾った人。

庭に飛んできた人。

洗濯物に張りついていた人。

野良猫がくわえてきたという人までいた。

風は勝手にページを配り、読者を集め、感想まで運んできた。

印税は一円も入らなかったが、ぼくの小説は確かに出版されていた。

ただし、問題があった。

二百一ページから先が、見つからない。

「最後、どうなるの?」

小さな女の子が聞いた。

ぼくは答えられなかった。

本当は、風が持っていったのではない。

書いていなかったのだ。

あの頃のぼくは、物語の結末を決められなかった。

主人公を幸せにする自信も、不幸にする覚悟もなかった。

だから、途中で書くのをやめた。

「続きは、ありません」

そう言うと、女の子は不思議そうな顔をした。

「どうして?」

「書けなかったから」

女の子は少し考えてから言った。

「じゃあ、今から書けばいいじゃん」

あまりにも簡単に言うので、ぼくは笑ってしまった。

「もう二十三年もたってるんだよ」

すると女の子は、さらに不思議そうな顔をした。

「でも、おじさんはまだ生きてるんでしょ?」

その時、掲示板に貼られた原稿が風に揺れた。

パタパタ、パタパタ。

まるで、

「早く続きを書け」

と急かしているようだった。

家に帰ると、ぼくは二十三年ぶりに机に座った。

新しい原稿用紙を置く。

窓から入ってきた風が、真っ白な一枚を小さく震わせた。

ぼくはペンを握った。

風は、ぼくの夢をさらっていったのではなかった。

誰かに読んでもらえる場所まで、運んでくれたのだ。

そして、新しい小説の一行目にこう書いた。

「五十歳の誕生日、ぼくは小説を捨てた。」


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

こちらの作品で、「ちび創作大賞」に参加させていただきます。

素敵な企画をありがとうございます!

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