<A-12> 「髪切虫」の登場(良安先生危機一髪 その1)
〜天牛名義考「名義史放浪編(なまえのれきしほうろうへん)」〜
はじめに
前稿の前書きで, 『天牛名義考』の執筆動機の半分が「髪切虫」の文字表記の探求だと書きました。
それがカミキリムシに相応しいか否かは別にして, 字義からみれば「髪切虫」の"前身"と思われる「齧髪虫」が平安時代に登場しています。 そして, この「齧髪虫」の命脈はかなり長い。 江戸時代になると「天牛」が台頭してきますが, それでも「齧髪虫」は辞書でよく引用されました。
そうして, 突如, ある医師が, 自ら編纂した百科事典の中で見出語「天牛」の和名に「髪切虫」を加えたのです。 本稿は, 『天牛名義考』執筆動機からすれば本題中の本題なのですが, しかし, 例によってすんなりとはいかないのでした。
「思い切って空海から蘭山まで」という標題も, "その3" まで続けると疲れが見えました。 よって, 本稿は 「髪切虫の登場」 という新標題でスタートします。 よろしければお付き合い下さい。
1. 『和漢三才図会』
1712(正徳二)年, 大坂の医師が105巻81冊という大部の百科事典を刊行した.
書名を『和漢三才図会』という. 挿画ありで, 見出語は和漢両用, 本文は漢文である. 「三才」とは天・地・人 の3部を意味するといい, 中国, 明代の『三才図会』(1607)に倣ったものらしい.
医師の名は寺島良安(てらじまりょうあん). 1654(承応三)年生まれで没年不詳とも, また, 生没年ともに不詳とも. 出羽能代(秋田)出身とも, 大坂高津出身とも. なんとも謎の多い人だが, 大坂城に出入りする職位にあったようである. *1
師の薫陶を受け, 文献を渉猟して編纂すること実に30余年. 医学・薬学分野を超えて博物学的範囲をカヴァーしている.
カミキリムシは中国の『三才図会』には掲載されていない. が, 『和漢三才図会』には「天牛」の見出しがある. 天・人・地の順で編纂されたその「人の部」巻五十三「化生類」に分類されている(下図).

寺島良安, 正徳二年自序, 同5年跋
国文学研究資料館 鵜飼文庫
挿画の下, 見出語「天牛」の下に同義語を並べる.
同義語の左端に「和名 髪切蟲(カミキリムシ」がある.
筆者のこれまでの調査では, 古字書・古辞書に正しく「カミキリムシ」を指す呼称として掲載されている語は次のとおりである. 良安先生は『和漢三才図会』でそれらをほぼ網羅(下記, 右欄)している.
蠰 ・・・・・・・・・・・・本文右頁末註「又壤ト名ヅク」/「壤」は誤
齧桑(蟲)・・・・・・・・・・本文右頁末「桑樹ニ在ルハ齧桑ト爲ス」
天牛(蟲)・・・・・・・・・・見出語「天牛」
齧髪(蟲)・・・・・・・・・・本文右頁末註に「一ノ名 齧髪」
八角兒 ・・・・・・・・・・類語「八角兒 」
カミキリムシ(万葉仮名含む)・見出語のフリガナ「かみきりむし」
虫偏に切の一字(造字) ・・・引用なし
髪切虫 ・・・・・・・・・・類語「髪切虫(カミキリムシ) 」
本文の書き出しにある「本綱」とは, 明代の本草学者, 李時珍の『本草綱目』(1596)である. 少なくともカミキリムシについては, 見出語, 類語, 本文の大半が『本草綱目』からの引用だ. *2
類語の最後に「和名 髪切虫(カミキリムシ)」を挙げている点と, 本文で林羅山の詩文を引用している点がかれの独創である. 羅山の詩文については次稿で触れたい.
下に, それらの中国と日本における初出・引用関係を図示してみた.

中国の古字書・古辞書は, 日本で引用されたものに限定してある.
「齧髪」は漢名だが,「齧髪蟲」は漢書になく源順の造語として和名とした.
良安が突如として「髪切蟲」を登場させていることがわかる.
これによれば, 良安先生の「髪切虫」が実に唐突に出現していることが判明する. しかも, 5年遅れて刊行された槙島昭武『和漢音釋書言字考節用集』にも, 90年余り後の小野蘭山大先生の『本草綱目啓蒙』にも「髪切虫」は引用されていない. おそらく無視されたのである. *3
良安先生は「髪切虫」をどこから持ち込んだのか. これは追って検討するけれども, 後発の辞書でこれが無視されたについては, さもありなん, とも思う.
前稿<A-11>で述べたように, かつて, カミキリムシを表わさんとした僧, 昌住の造字 "虫偏に切の一字" (『新撰字鏡』) は無視され続けた. 良安先生自身もまたそれを無視している. このように, 往時の日本の知識人にとって, まず大事なのは中国の文献に記載されているかどうかだ.
南都の僧による造字同様, 大坂の医者の手になる造語「髪切虫」など, 引用に値しないと見做されたのだろう.
その意味では源順『和名類聚抄』の「齧髪蟲」が引用され続けたのは異例だ. 源順自身は明記しなかったものの「齧髪」部分は漢籍由来であることが効いているのかもしれない.
2. 図版は良安先生のオリジナルか
「髪切虫」の来歴を検討する前に, 『和漢三才図会』「天牛」掲載の図版の出所を探ってみよう. というのも, 筆者にはこれを何処かで見た記憶があるからだ.
それもそのはず, 先稿<A-10>に掲載済みだった.
『訓蒙図彙』巻之十五の「齧髪」の挿画である(下図). 同書は, 中村愓斎(なかむらてきさい)の編, 1666(寛文六)年刊. わが国初の図鑑とされている.

内閣文庫(旧 紅葉山文庫)/国立公文書館デジタルアーカイブ
見出語「齧髪」に対し和名「かみきりむし」を当て,
「齧髪蟲也, 蠰, 齧桑, 天牛並同」と書く.
挿図はカミキリムシをよく表現している.
観察に基づいたオリジナルと思われる.
『訓蒙図彙』の挿画①と『和漢三才図会』の挿画②を比較すれば, 『図会』が『図彙』の引き写しなることは明瞭だ(下図). だが, 良安先生は挿画の出典を記載していない.

ちなみに, ②に, ①を引用との記載はない.
現代なら, ②は①の盗用, もしくは剽窃と看做されよう.
ただし, よく見れば, 両者には相違点もある.
まず『図彙』.
『図彙』の挿画は, 厳密に言えば違うにしても, 一見, ゴマダラカミキリ風だ.
前胸背板側縁の棘状突起もそれを支持する.
ただし, 鞘翅基部外角にゴマダラカミキリにはない突起がある. が, これによって虫体は"肩が張って" カミキリムシらしさが出ている, ともいえる.
頭部先端に大腮らしい突出はない. しかし, ゴマダラカミキリ類は口吻が腹面を向くのでこの姿勢では大腮は見えないのが普通だ.
触角(特に右のもの)は白黒の縞柄に表現され, これもゴマダラカミキリっぽい.
次に『図会』.
ここでは前胸背板側縁の棘状突起は失われている. 代わってかなり長い棘が2本, 眼 (複眼ではなくギョロリとした単眼になっている!) の前方左右斜めに突出している. こんな突起は少なくとも日本のカミキリムシにはない.
鞘翅基部外角に突起がないばかりか, 虫体は "肩の張り" がなくなって, あたかもタマムシのごとくである.
頭部先端に大腮らしい鋏状の突出が顕著で, カミキリムシらしいとはいえるが, ゴマダラカミキリ類なら口吻が腹面を向くので見えない方が自然だ.
触角は縞柄ではなく, 縮れ線状になっている.
総じて, 『図彙』のカミキリムシらしさが『図会』で相当に損なわれている. けれども, 素人目には同じに映るかもしれない.
上に挙げた微細な相違点は, 観察に基づいて『図会』が『図彙』以上に表現を進化させた結果ではあるまい. 『図彙』を担当した絵師は観察に基づいた可能性はあるが, 『図会』の絵師はカミキリムシの実物を知らぬまま『図彙』の挿画を模写したとみられる. "素人目に" 同じように写せたとみなされたのである.
この, つまり, 知らぬがゆえの独自解釈が含まれているという理由で, 良安先生は挿画の出典を記載しなかったのだろうか. オリジナルの見事さに敬意を表して, あくまで謙虚に ???
こんにちなら, 言い訳としてもそれは通用しまい. 盗用もしくは剽窃と看做されて良安先生は糾弾されるだろう. 少なくとも「参考にした」ぐらいは注記すべきところじゃ.
かくして, 往事の日本は, とりわけ和書について出典明記に無関心だったようだ.
つづく.
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良安先生, 危うし!
次稿では, いよいよ「髪切虫」の出所を探求します. こちらもかなり危うし!です. ご期待?下さい.
*1
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 講談社 には, 「承応3年生まれ. 和気仲安の門弟. 大坂城の御城入医師, 法橋となる…出羽能代(秋田県)出身. 一説に大坂出身とも」とある.
また, 改訂新版 世界大百科事典 「寺島良安」(鈴木 淳), 平凡社 には, 「生没年不詳…大坂高津の人. 和気仲安の門人で, 大坂城の御城入医師として法橋に叙せられた」とある.
*2
『和漢三才図会』の「天牛」で類語として挙がっている「大天牛」は李時珍『本草綱目』の「水天牛」の誤記と思われる. 「獨角仙」は「一角天牛」としているが, 諸本によれば正体はカブトムシらしい.
*3
日本大百科全書(ニッポニカ) 「和漢三才図会」(彌吉光長), 小学館 に, 「その明解, 正確さによって発行から約200年間, 明治時代に至るまで広く実用された」とある. かりに, 辞書編纂者が意図的に無視したとしても, 一般読者は広く「髪切虫」の表記を目にした可能性はある. ただし, 筆者の関心は, 良安がその表記の発案者かどうかという点にある.
