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マクロレンズの世界 vol.13 作例(2)抽象

※ 1万字あります。
 本記事の理解には、以下の基礎概念が必要です。
 マクロレンズの世界 vol.11 視覚認識(1/2)基礎 -視覚認識の3段階

 今回のテーマは、写真の抽象表現の可能性、です。
 ときには難解な回もあるということで、ご容赦ください。


∫1 抽象画について

1)抽象画とは何か

現行の「抽象画の定義」は情けないです >具象でない絵画

具象でなければ、即、抽象画になるというものではないです。
アートの三本意の2番は、「吟味」です。

 ① これを表現したいと思い立ち(表現欲)
 ② ああでもない、こうでもないと吟味して作り上げ(作為)
 ③「これで表現できた」と出来栄えに納得したら(成立宣言)
アートです。

アートの三本意 瀬戸による

素人がエイヤっと描いた絵は、吟味が不十分です。
分析力や描画力が低いせいで、粗雑な出力になっただけでしょう。
偶発で良品が生まれる可能性は否定しませんが、
「見えていない写真家」ケースであり、再現性がないです。※

マクロレンズの世界 vol.12 作画工程(1/3)基礎 見えていない写真家

ここでは、以下の条件を備えた絵を「抽象画」と呼ぶことにします。
 ①吟味: 「見る力」と「表現の技量」を高めた状態で吟味された
 ②視覚: 視覚処理に注力するゆえに、具象性が希薄である絵。

詳しく説明します。


2)抽象画の作製経緯

抽象画を描くことになる経緯は、主に4つあります。(瀬戸による)
 ① 現物から要素を抽出 
 ② 視覚以外の感覚の表現
 ③ 内発性の励起の表現
 ④ 内省法による視覚処理の把握


① 現物から要素を抽出 (デザイン類似)
現物が持つ視覚情報から、魅力ある視覚要素を抽出して描きます。
抽出対象以外は、呈示の妨害になるので削ぎ落します。
潔く描きます。強調もOKです。反復や組み合わせも可です。
線だけ、図形だけ、位置だけ、分割だけ、配色だけになったりします。
具象性が残る場合でも、線画や構成に近いものになります。
シンプルで飾りたくなる作品ができれば最高です。

このタイプは、デザインとの区別が不明確です。
描いたものを額装して、抽象画として飾ることもできるでしょうし、
要素の特徴を、プロダクトデザインや装飾に使うことも可能です。

② 視覚以外の感覚の表現
ヒトには、視覚以外の感覚があります。
たとえば、聴覚、味覚、触覚、圧感、温冷感などです。
元来、視覚でない感覚を視覚で表現しようとするとき、
具象性が希薄な「何か」としか言いようのないものを描くことがあります。

音楽を視覚で表現しようとした画家は、複数名います。
楽器、楽譜、ダンサーなど、具象に頼る画家が多い中で、
色の点で、音色、抑揚、リズム、曲調を表現しようとした画家がいます。

不安、渇望、望郷、緊張など、「心」も視覚ではないです。
大半の画家は、情景(具象)を描き、演出を加える道を選択しますが、
最初から得体のしれない「何か」で表現しようとする画家もいます。

「もっと、こうだ」がエスカレートし、具象が原型を留めないケースは、
「抽象画」ではなく、「抽象表現」と呼ばれます。
マティスやムンクは、エスカレートタイプです。
1枚目は写実的な素描で、そこから写実の重力圏を脱出します。

③ 内発性の励起の表現
視覚の記憶を貯めこんできた人は、像を思い浮かべることができます。
随意でなく、自発的に視覚が励起することもあります(自生視覚)。
感覚の起源は、かつて実在を見ることで獲得した視覚記憶にあるのですが、
現物は分解済みで、統合性を欠く視覚要素として励起することがあります。
たとえば、色だけ、線や図形だけ、上下左右の位置だけなどです。
励起が微弱であれば、「ふと思い浮かんだ何か」であり、健常の範囲です。
強度が強ければ気になりますし、描かずにはいられなくなるでしょう。
ヒルマ・アフ・クリント草間彌生は、おそらくこのタイプです。
視覚に限らず、自発的励起は、自殺に至るほど混乱がひどくなかった場合、
創作と考案の泉になります。

④ 内省法による視覚処理の把握
核心です。
ヒトをヒトたらしめているのが、思考基盤が発達したときの内発分離です。
「お腹すいた」が、「私の中から空腹感が湧いている」に変化します。
内発を内発としてハンドリングできるようになると、
内発を分析し、有用情報を参照し、自分の世話ができるようになります。
 赤子「おぎゃーっ、おぎゃーっ」(未言語)
 幼児「お腹すいた、お腹すいた」(回し車を回し続ける状態)
 成人「ダイエット中だ、ガムを噛んで落ち着かせるとするか」

画家や写真家は、長年、内部照会をします。
描いて、内部照会して、どう感じるかのデータを、取得し続けます。
そうしているうちに視覚が何をしているのかの認識に至ることがあります。
哲学者が、内省法を使って、判断構造を提示してみせるのに似ています。

「同じはずの色が違って見える」 ⇒コントラスト錯視
「ごちゃごちゃした模様があると、認識が薄れる」 ⇒迷彩
「右と左が等価でない」 ⇒右脳左脳、利き手利き足、心臓配置など
「上と下が等価でない」 ⇒重力の感覚と連動
「縦と横と斜めの線が等価でない」 ⇒水平の感覚と連動
「白(明)と黒(暗)は等価でない」 ⇒膨張/収縮色
「対象と背景の認識が反転して揺らぐ」 ⇒ルビンの壺
「静止しているのに揺らいでいるように感じる」 ⇒動きの錯視
「光輝/拡散/鏡像に音響を感じる」 ⇒ 共感覚
「注意が向く定位置があり、ベクトルに沿って動いていく」 ⇒動的視点 
etc.

ハンドリングが可能になると、
その視覚処理の特徴を表現せずにはいられなくなります。

視覚処理の特徴を表現したいときは、具象を抑制したほうがよいです。
想起網における具象の励起は強力です。
氷山モデルにおける海上部分に相当し、思考そのものといってもよいです。
関連する神経細胞群で支えられて、安定性も高いです。
内発分離したばかりの、やわなハンドリングなぞ掻き消えてしまいます。

具象の認識は鑑賞も妨害します。
吟味の末にやっと描けた、線や位置や色をまともに見てくれず、
「これはバラだな」で終わらせてしまいます。
キュビズムみたいに、具象が見え隠れしている場合、
「これは何を描いた絵か?」という疑問で脳内をいっぱいにして、
視覚処理という主題をまっすぐ見てくれません。

想起網への進行を阻止すれば、
視覚処理の工程で、まっすぐ吟味してくれる可能性は高くなるでしょう。
マクロレンズの世界 vol.11 視覚認識(1/2)基礎 -視覚認識の3段階

具象がない ⇒抽象画、ではなく、
特定の視覚処理を主題にしたい ⇒具象を排除するしか道がない、
です。


3)抽象画と具象画の区分

僕は、よく吟味された絵画作品のうち、
視覚処理の動作を主とするものを抽象画に区分します。

① 純・具象画
「これはバラの絵だ」の想起で落着するなら、具象画です。
バラという概念が確定した状態(主)で、
「麗しく描けている」「色がよい」など、種々の視覚要素(従)がきます。
視覚要素は「バラの表現としてどうか」で考察されます。
写実性が低くても、主従が保たれているのなら、具象画です。

② 図形が描かれていても具象画
「これは三角形だ」で落着するなら、それも具象画です。
指さして「これは三角形です!」と言ってしまえるとき、
想起網において三角形の概念がガッツリ結像している状態であり、
具象画と変わりないです。
丸、三角、四角は、吟味なしで描けます。
楕円、台形、鋭角鈍角、接弦、放物線、波線、渦巻、螺旋もラクラクです。
それらの図形の概念は、想起網内で確立済みだからです。
「図形を描いてみせました。以上」

③ 純・抽象画
「この三角形を見ると身体が傾く感じがする、ちょ、何なの、この絵?」
になった場合は、抽象画に区分します。

「丸なんだけど、問題は丸であることじゃない」 例.吉原治良『黒地に白』
「点と線の構成から目が離れない、なんで? この図形に何が?」
「"美しい"でも間違いではないけど、不思議というほうが合ってるような」
になった場合も抽象画です。

心が揺さぶられるという表現を真似ると、「視覚が揺さぶられる」です。
不穏な動揺だけではないです。
「なぜだ、なぜこの配置にこんなに安定を覚えるんだ、しっくりきすぎる」
原因不明のハマリ感も含めます。

一般に、「氷山」の海面下にある部分は、当人が説明することが困難です。
しかし、説明可能な認識が成立しなくても(⇒サブリミナル or 未言語)、
強い励起があるのなら、何かしら反応は出るでしょう。

錯視イラストの分類は抽象画ですが、
学芸員はサンプルイラストを収蔵しないと思います。
「錯視の知識で作図しただけでしょう。吟味が要るのです、吟味が」

④ 具象が描かれていても抽象画
僕は、エッシャーの絵を抽象画に区分します。
『メタモルフォーゼ』において、モチーフは容赦なく変容します。
成立したはずの具象の認識は、崩壊させられます。
主題がモチーフの描写にないことは明らかです。

草間彌生氏の代表作であるカボチャも、具象に分類できないです。
カボチャの畝に描くと視覚効果が高まるという、ある種の創意工夫であり、
表現したかったものは、カボチャではないでしょう。
具象を用いることで、作品を認識しやすくなる利も加わりました。
何せ「あれ」には名称がなく、そのままでは呼ぶことができませんので。

⑤ 具象と抽象のはざま
ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』の微笑には、揺さぶられます。
顔だから具象画、で済ませてよいでしょうか?

「顔認識」(眼と口の3個組)は、厳密には、視覚処理です。
 [顔という認識が成立]⇒[顔の部品の分析を開始]ではなく、
 [3個組に見えるものを発見]⇒[直ちに特定の視覚分析を開始]
です。

それがコンセントの3穴であろうとも、直ちに視覚分析を開始し、
想起網の「顔」を扱う回路に、位置や形の速報を送って、注意喚起します。
「顔かもよ、顔かもよ、今すぐ顔の認識を立ち上げて状況を判断して!」
この記号のどこが顔なんです? > :-) (^_^)

「これは顔ではない」と判明してなお、位置と形の印象は消えません。
「このバッグの模様、ションボリしてるみたいで、捨てられへんのよ」
「この車、面構えがかっこよくて買ったんだ」 

顔認識には「失認」の報告があります。
視覚処理の回路から、想起網の顔の回路へのリンクが切断された症例です。
健常者には「顔を模している」と感じられる図形が、
「は? この3つの図形がどうかしたのですか?」になります。

『チェシャ猫』は、ネコ(=具象)抜きで、笑いだけが浮かびます。
具象なしで視覚処理が作動していることを意味していたり?
ルイス・キャロルならやりかねないです。

きっちり二分できなくて申し訳ないです。
顔認識ケースは、2回路のリンクが主とでも言えばよいのかもしれません。

なお、例示にとった『モナ・リザ』は、
具象、抽象、どちらか片方だけでもハイレベルなので、
分類で片づけようとすることが失礼に思えてしまいます。


4)生物学に基づく抽象画の定義

生物学が確立する以前は、
「視覚認識の3段階」で視覚を説明することは難しかったでしょう。

A. 概念は「想起網」で扱われる
 (ノードに当たる名称の役割が大きい。具象名でも図形名でも)
B. 動作不詳の「視覚処理」の回路(視覚野)が存在する

この二つの物理基盤を認めないと、抽象画は定義できないです。
「具象でない絵画」では、言い表せていないと認めるとして、
では、具象でないとしたら、何をしようとしている絵なの?です。

視覚処理の動作を主題とする絵画、です。

存在を認識するのが難しい回路の動作のことなので、
なかなか「こうです!」と言えなかったのでしょう。

何を言っているか、わからなかったときは基礎に戻ることを勧めます。
マクロレンズの世界 vol.11 視覚認識(1/2)基礎 -視覚認識の3段階

本記事の解説が意味不明に終わっても、基礎だけは持ち帰れるはずです。


想起網が学習で充実していくことは、皆さん、ご存じの通りですが、
じつは、視覚野の回路も、実在を見ることによる学習で成立します。

視覚野のシナプスの接続と強化は、生後の短期間に確立するようです。
不遇にも、新生児に眼の障害があって、眼帯をしている期間が長引くと、
後年、手術で視力を獲得しても、複雑な処理ができない視覚野になります。

生後の視覚獲得の実験では、仔ネコが使われます。
視覚情報が偏った実験環境で育てると、視覚認識不全となります。
実験後は、最後までいたわって飼ってあげてください。


5)抽象画家は稀

僕らは平素、さんざ見ていながら、
視覚野が何をしているのか、ほとんど認識できていません。
被写体の「シニフィアン」「シニフィエ」に走ってしまい、
内省が成立しない状態です。

視覚野が何をしているか認識するに至った、視覚の達人がいるとして、
頻度は、マイノリティなどという生ぬるいものではないです。
ずばり、外れ値です。

・経験を積んだ、よく吟味する画家・デザイナーのうちのごく一部
 (マレーヴィチ、モンドリアン、ピカソ、クレー、ロスコなど)
・自生視覚の症状を有する者のうちの画才持ち
 (ヒルマ・アフ・クリント、草間彌生など)
・視覚野と想起網の接続が切れた高次脳機能障害者のうちの画才持ち
 (妻を帽子と間違えた男)
・視覚研究者のうちの画才持ち(学究と画才のダブルギフテッド)
 (エッシャー)
・内観が安定した研究者のうちの幸運な視覚動作発見者
 (キャロルが呈示し、テニエルが描画)

抽象画に取り組む画家の人数はわずかしかいないのに、
美術館への収蔵が多めになる理由がわかります。

美術全体の抽象画論は以上です。


∫2 写真と抽象

カメラは、現物を写し取る機器です。
もろに具象であり、抽象表現に向いているとはいえません。
しかし、余地はあります。


1)マイクロ・コンポジション

マクロレンズは、何を写したのか、不詳になるレベルの接写ができます。
実在を利用しつつ、コンポジションを作れるかもしれません。
(コンポジション:画面構成を主題とする絵)

モチーフが露わであっても、
モチーフの想起を上回るレベルで、視覚処理の要素を提示できれば、
抽象表現は成立します。
「モチーフは〇〇だけど、これ、〇〇を描きたかったんじゃないよね」

作例を出す段階になりました。
ちょっと困っています。

写真は分野全体が実在依存であるせいで、
既成の抽象のジャンルが存在しないのです。
果たして抽象視点を持つ写真家が存在し、審査員席に着く機会があるのか。
絵画分野から学芸員かコレクターを連れてこないと、成立しなさげです。

今から掲載する画像は、
「ノミネートされそうな作例を開示しますよ」ではなく、
解説の事情で掲載しているという解釈でお願いします。
「冒頭に出てきた、エイヤのたぐいだ」というほど、ひどくはないです。
(これでも「アートの三本意」の提唱者です)

「この程度!」と軽侮が湧いた人は、ぜひ秀作を撮って誇示してください。
なんなら喜んで鑑賞しに行きます。

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