声が先に行って私を待っていた
「声はもうひとりの自分」
この言葉を教えてくれた友人がいます。
ボイストレーナーであり、声の研究家であり、参加者が深いところで共鳴する合唱体験の場を作っているH氏。
私は、自分の声に自信がありませんでした。当時も趣味で歌う場に参加していましたが、小さく通りにくい歌声だと感じていましたし、歌うこと以前に、話し声が通りにくいのがずっと悩みでもありました。
飲食店で注文が決まって店員さんを呼びたいときの「すいませーん」という声が通らない。そんな調子でした。
声に自信のない私は、自分そのものにも常に自信がなかった。声はもうひとりの自分。確かにその通りでした。
もっと通る声が出したい、声量を出せるようになりたい、と願っていたとき。
それは、自分自身をもっと発揮していきたい、という願いに似ていたのかもしれません。
H氏に教わり、共に実践する仲間とともに、少しずつ私から出る声は変化していきました。地声を出すことを恐れず、大きい声を出せる自分を信じて、汚い声を出す自分も認めて。声のことに取り組むこと自体を自分に許可して。
声が以前と変わったと感じている現在。以前より声が通るようになったり、芯のある感じになってきたり、低い声も高い声も出しやすくなった今。
「自信がある」とは思っていないけど、「自信がない」ということもない。というより、自信とか、どうでもよくなってきている感覚があります。これは、いい声だとか歌がうまいなどというのとは別の話で。
声を発するときの、不安や恐れや緊張感が、少しずつ去っていき。代わりに何があるかというと、安心感やだいじょうぶという感覚。
私は声を発しても大丈夫。周りの世界に萎縮しなくていい。そのままでいい。作らなくていい。
そんな声が出せるようになるにつれ、自分自身についても、そのままでいい、という感覚が増えていったように思います。
声と、私はひとつ。
これからも、大切な存在です。
