なぜ人は結婚したがるのか。マーケティング理論で解剖したら納得した
「なんで結婚したいの?」
この質問されたことがある人は多いと思う。パートナーに、親に、あるいは自分自身に。
で、答えられた人、どのくらいいるだろう。
「好きだから」「一緒にいたいから」「なんとなく……」
そう答えながら、どこかモヤっとした経験はないだろうか。正しいんだけど、何かが足りない感じ、靴下の左右が微妙に違う感じ、といえばわかるだろうか。わからなくてもいい。
今日はそのモヤを、ちょっと違う角度から解きほぐしてみたい。
使う道具は、ジョブ理論。
経営学者のクレイトン・クリステンセンが提唱した、マーケティングのフレームワークだ。
結婚にマーケティング理論を持ち込むのは、少々乱暴かもしれない。でも、これが意外と効くのでは?と思って書き始めている。
そもそもジョブ理論って何だ
本題の前に少しだけ付き合ってほしい。
ジョブ理論の核心はこうだ。
「人は商品を買うのではなく、片付けたい”用事(ジョブ)“のために商品を雇う」。
有名な例がある。マクドナルドが「なぜミルクシェイクが朝に売れるのか」を調べた話だ。
客層を分析しても、味を改善しても、売上が伸びない。そこで「誰が、いつ、なぜ買うのか」を丁寧に観察した。すると見えてきたのは、朝の通勤途中にひとりで買っていく男性たちの姿だった。
彼らの用事は「朝食」ではなかった。「退屈で長い通勤時間を、片手でなんとかやり過ごしたい」という潜在的欲求だった。ミルクシェイクはその仕事を見事にこなしていた。ドロっとしていてすぐなくならないし、こぼれないし、匂いもしない。
ここで重要なのは、彼らが通勤時間の退屈を耐えるために、ミルクシェイクを「雇った」という視点だ。バナナでも、コーヒーでも、ラジオでも、同じジョブに応募できる。でも、その朝の用事を一番うまくこなせたのがミルクシェイクだった。
さて。
これを結婚に当てはめると、こうなる。
人は人生の中でなぜ結婚を「雇う」のか。
人はなぜ結婚したいのか
多くの人に質問すると表面的な答えは、だいたいこのあたりに集まる。
孤独が嫌だ。安心したい。好きな人と一緒にいたい。親に言われた。みんなしてる。老後が不安。
全部、正直な答えだと思う。否定する気は一切ないかくいう私もそう答えるであろう。
ただ、ジョブ理論的に見るとこれはまだ「機能的ジョブ」の層にある。要するに、表面の用事だ。
iPhoneを「なぜ買うの?」と聞かれて「スマートフォンが好きだから」と答えるようなもの。
間違ってはいないが、何も説明していない。
もう一段、掘ってみる。
なぜ人は孤独が嫌なのか
孤独が嫌、という感覚を少し丁寧に見てみると、その奥には「自分の日常を、誰かに見ていてほしい」という気持ちがある気がしないだろうか。
今日おいしいものを食べた。今日ちょっとへこんだ。今日、空がきれいだった。
その瞬間を、誰かと共有したい。というか、もっと言うと——共有できる誰かがいる状態で、その瞬間を迎えたい。
これはSNSのいいねと似ているようで、少し違う。不特定多数の誰かへの発信ではなく、特定の一人と、日常という名の地味なドラマを積み重ねていくこと。
孤独が嫌というより、「日常を一緒に生きてくれる人がいる」という状態に、何かを感じているのではないか。ここまででみるとInstagramの親しい友達の機能を使ったり、特定の人にだけ見せる裏アカウントで発信するのと似ているような気がする。
では、その「何か」とは何なのか。
なぜ日常を一緒に生きてほしいのか
ここが、たぶん本丸だ。
たとえば、飲み会で10年以上前の部活の話をずっとしてしいる人がいる。
あれ、なんで毎回同じ話をするんだろうと思ったことがある。べつに自分の自慢でもなく、武勇伝でもなく、ただ「あのとき大変だったよな」を誰かと確認したいだけなのだ。
一緒にいた人と、同じ記憶を「あったよね」と言い合える。それだけで、なぜかあの時間が本物になる感じがする。
結婚って、その感覚を日常スケールでやり続けることなんじゃないか。
あの店なくなったね、とか。
あのとき引っ越してよかったね、とか。
他の誰にも刺さらない、二人だけの「あったよね」が積み重なっていく。
人は、自分の人生に「物語」を感じたい生き物だと思う。ただ日々が過ぎていくのではなく、何かが積み重なっていく感覚。辛いことも楽しいこともあっての人生の物語。
でも物語は、一人では少し心許ない。
誰かが隣にいて、同じ時間を別の角度から見ていてくれる。それだけで、自分の人生がより「本物」になる気がする。
これを乱暴に一言で言うと——
「この人生を、一人称で終わらせたくない」
結婚を「正しく雇う」とはどういうことか
ジョブ理論には、もうひとつ大事な概念がある。「ジョブとプロダクトがズレていると、どちらも消耗する」というものだ。
たとえば「承認されたい」というジョブを結婚に頼みすぎると、相手はその期待に潰される。「寂しさを埋めたい」というジョブを全部託すと、相手が少し離れただけで崩れる。
これは結婚が悪いのではない。ジョブとプロダクトがズレているだけだ。
人のことをプロダクトと呼んでいることは申し訳ないと思っている。
承認欲求は、仕事や友人関係でも満たせる。寂しさは、コミュニティでも和らげられる。
でも、「同じ時間軸で人生を積み重ねる共著者」というジョブは——これだけは、結婚にしか頼めない。いや正確には、結婚という関係性の深度と時間の長さがないと、なかなか生まれない種類のものだ。
終わりに
「なんで結婚したいの?」
この問いに、最初よりもう少し答えられそうな気がしてきただろうか。
孤独が嫌だから、ではなくて。安心したいから、でもなくて。
この人生を、誰かと一緒に生きたいから。
それは、とても真っ当な欲求だと思う。恥ずかしくもなければ、説明しなくてもいい。
でも、言語化できている人は強い。
何を求めているかがわかれば、何を大切にすべきかもわかる。
自分のジョブが明確な人は、相手をちゃんと選べる。
そして選んだ相手を、ちゃんと大切にできる。
それが、長く続く関係の始まりだと思っている。
