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終わりのその先 第2話【お仕事小説】

〔第1話のあらすじ〕
大都市である上浜市役所の部長として勤務してきた主人公・東郷秀樹は、
定年延長と役職定年の対象となることを知らされる。
市に残って係長に降任するか、退職するか、決断しなければならない。
家に帰ると、息子の翔馬は、やっと就職した会社を休んだ様子。取引先で
DX化の説明をできなかったと落ち込んでいる。

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妻の反乱

「どうして、帰って来ないなんて思うんだ?」
 イライラを隠しもせず、秀樹は不機嫌に尋ねた。
「いや、帰って来ないとまでは言ってないよ。帰って来ないかもしれないな、と思っただけで」
「どっちでもいい! なんで、帰って来ないかもしれないと思うのか、って聞いているんだ」

 すると翔馬は、
「んー、お父さんに言っていいかどうか分かんないし…」
と不穏なことをごにょごにょと呟き
「ウーバー・イーツでも頼む?」と明るい声で聞いてきた。
 こいつ、さっきは落ち込んで五月病かと思ったのに…。
 秀樹は、妻と息子が共通の隠し事を持っているような素振りなのが、気にくわない。

「うーん、ウーバー・イーツかぁ」
 今日は、本当は役職定年(と定年延長)の件を、晩酌でもしながら妻の尚子に話して、意見を聞いてみるつもりだった。
 妻の意見に従う気などさらさらないが、言っておかないと、後で「聞いてない」となったら最悪だし、妻の手料理、できれば肉じゃがと冷や奴でも食べながら、ビールを飲んで愚痴をこぼしたかった。

「母さん、まだ帰って来ないかなぁ」
 秀樹は、すがるような思いで窓のカーテンに手をかけ、外に目をやった。

 すると、暗がりの中、通りから身を隠すようにして塀の内側でキスをしている若い男女が目に飛び込んできた。
 しかも、それは娘の里菜ではないか。

「うわっ!」
 思わず、カーテンを閉めて目を伏せる。
 見てはいけないものを、見てしまった…。
 見たくないもの、というべきか。
 まったく、どいつもこいつも。

 ショックから立ち直れずにいると、玄関の鍵が開く音がして、里菜が「ただいまー」と入って来た。
 スリッパのパタパタという音とともに、シャワシャワという衣ずれの音が耳に入る。大学4年生の里菜は、最近よくギャザーのたっぷり入ったいかにも女の子という格好をしている。

 結局、宅配で取ったピザを3人で囲み
「あ、美味し~い、このペパロニ・マルゲリータ!」
と上機嫌な里菜を、秀樹は恨めしそうな眼差しで見つめた。

「お前、就活はしてるのか?」
 熱々のピザを幸せそうに頬張っている時に、シビアな話題を持ち出された娘は、急に興ざめといった面持ちになった。
「んー、まあ。まだまだこれからってとこかな」
「これからって言っても、もう実質的な内定をもらっている学生も多いだろう。父さんと同じ職場の課長の娘さん、外語大学の4年で、もう外資系に決まったって聞いたぞ」
「へー。すごーい」
「すごーいじゃなくて、お前と同じ学年だろ」
「分かってるよ!」
 里菜は、カチンときた様子で父親をにらみつけた。

「まあまあ、お父さんもさ、学生だって自分で結構気にしてるんだから」
 翔馬が二人をとりなしてきたが、秀樹は息子に
「そんなことだから、お前だって留年して卒業を延ばすことになるんだ!」と傷をえぐるような説教をした。

 そして娘に、とうとう
「お前、さっきの男は誰なんだ?」と問いただした。
 気まずい雰囲気が流れたと思うと、里菜は突然食卓から立ち上がり
「見てたの?」
と言うと、サイテー、と呟き部屋を出て行ってしまった。

「お父さんさ」
 翔馬がトマトソースを口の横につけたまま、諦めたような表情で言葉を口にした。
「俺が何言っても、聞く耳もたないってのは分かってるんだけど。
 お父さんの頃と、俺らとでは、時代が違うんだよ。
 お父さんの常識が、今の常識とは限らないんだよ。
 何でも成功してきた人には、分からない痛みっていうのがあるんだ」
 そう言うと、翔馬も席を立って出て行ってしまった。

 成功してきた、か。
 違うんだよ。
 言葉にならない言葉が喉元から出かかって、むせてゲホゲホと咳き込んだ。
 高齢者が誤嚥性肺炎で亡くなるというニュース記事が、秀樹の頭をかすめた。
 残りの冷めたピザにラップをかけて、風呂に入っていると、尚子が家に帰って来た。

 風呂から上がり、パジャマに着替えてタオルで髪を拭いていると、尚子がすれ違いざま「ただいま」とだけ言った。
 煙草の匂いがする。
「今日、なんで遅くなった?」
 できるだけ平静を保ちながら、尋ねた。

 ほんのり頬を赤らめた妻は
「言ってなかったっけ?」と、横顔を向けたまま言った。
「職場で懇親会があったのよね。本社から、取締役も来てたし」
「いや、俺は聞いてない」
「そお? 言ったと思うけど。忘れてるんじゃない?」
 まったく悪びれる様子のない尚子の返答に、秀樹は苛立ちをぶつけたくなった。
「俺のモノ忘れだっていうのか?」
「いや、わかんないけど」
「大体な、百歩譲ってずっと前にもし聞いていたとしてもだ。今朝、確認用にまた言えばいいだろう。リマインドってやつだ」
 職場で庶務担当者が送ってくれるリマインドメールを頭に浮かべながら、秀樹は言い放った。

 すると、尚子は
「はあー?」と、まるでAdoの「うっせえわ」のサビの部分のように大きな声で、秀樹に強い視線をぶつけてきて、彼は一瞬たじろいだ。
「リマインド? じゃあ、あなたは遅くなるとき私に必ず知らせて、ご丁寧にリマインドしてくれるの?」
 しまった。
 そう思った時には、もう遅かった。
 挑戦状をたたきつけたのは、秀樹の方だった。
「いっつも、ご飯を食べるんだか食べないんだか分からない人のを用意して、帰って来なかったらラップかけて冷蔵庫入れて。
 ラップかけれるような物だったら、まだいい。
 うどんとか、ラーメンとか、麺物の時なんか、作ったら伸びちゃうから、お鍋も片付けられないまま、ずっと中途半端なのよ!!」
 わ、わかった…。
 秀樹の完全敗北だ。
「分かった。今度からは先に言うよ」
 悪かった、と心で思っても口にすることは、プライドがなかなか許さない。
「そお。じゃ、リマインドもよろしくね」
 尚子は、不敵な笑みを浮かべて、風呂場に向かった。


火の元

 翌朝、秀樹は浮かない顔で職場に向かった。
 昨夜は結局、役職定年の件は家族の誰にも言えず、そして何故だか家族の全員にそっぽを向かれてしまったように思う。

 ため息を一つついて、気づかれないように平静を装って電子決裁にとりかかる。
 と言っても、個別の案件の決裁は課長までで完了することがほとんどで、厚生福祉部長まで回ってくるのは、保護の新規開始や廃止、生活保護法第63条返還に第78条徴収などと限られている。あとは福祉サービスの給付や保険年金関係もあるが、大体は担当者と係長が多くの実務をこなし、課長のところで日常業務の決定は行われてしまう。

 部長席の隣には4人掛けの打合せテーブルがあり、その横のついたての向こうから、ひそひそと話し声が聞こえてきた。
「うわっ、やっぱり? だから…出て来てない…ですかね?」
「そうな…よ。前から、ちょっとおかし…と思っていたんだよね」
 声の主は、保護課の前田という中年の女性職員と上村というもう少し若めの女性職員だと思われる。

 ついたての向こうには、簡易な給茶セットとポットが置いてある。
 秀樹は、ついたての方向に耳の穴を向けて、全神経を集中させた。
 不吉な予感しかない。
「…いくら…」
「どう…じゃないかって」
「えっ…」

 秀樹は、立ち上がってトイレに行くふりをして、給茶スペースの前を横切った。
 すると急に二人は黙り込み、下を向いた。
 雑談をしているところを上司に見られたら、気まずいかもしれないが…。 何か、おかしい。

 彼は、席に戻ってから、保護課長の下村昌子を別室に呼び出した。
「最近、調子はどう?」
 なにげに話を振ってみると、下村は顔をゆがませて「すみません」と言った。
「え? どうして…」
 どうして、謝る?
 聞きたい内容ではないことは明らかだったが、知らないで済む内容ではないのだろう。

「実は…、2月に新規開始した単身傷病者世帯から、先週、いえ先々週電話があって、担当者が不在だったので、折り返すよう机の上にメモを置いていたらしいのですが、担当者が急に1週間休みを取ったものですから、係の人が代わりに電話を折り返して。
 そうして話を聞いたところ、傷病手当金が入ったので担当者にそれを話したら、現金で持って来るよう言われて、担当者に現金を渡したって言うんです」

 不穏な予感が、じわりじわりと確信をもって近づいてくる。
「現金を? 納付書ではなく?」
「…そうなんです。でも、ケース記録には、傷病手当金がいつ入金されるとか、されたとかの記載が一切なくて。
 本来であれば、法第63条の返還金として、部長がおっしゃるように納付書を発行して、銀行の窓口で市に返還させるべきものなんです。あるいは保護費と相殺するとか」

「いくら?」
「102万円です」
「いつのことなんだ?」
「ええと、現金を渡したって言うのが3週間前で、おかしいって分かったのが先週の金曜日です」

 秀樹は、むらむらと怒りがわき上がってくるのを感じた。
「なんで、すぐに報告しなかった?」
 今日は、もう水曜日ではないか。
 先ほどの女性職員2人がひそひそ話をする様子が、頭に蘇ってきた。
「すみません。ちょっと事の顛末が明確ではなかったものですから、まず担当者のファイルケースとか全部調べて、事故の報告書を作成していたところでして…。
 報告書ができたら、部長にご報告に上がろうと思っておりました」
「いやいや、報告書より何より、まず口頭ででも早く報告すべきものだろう!」
 頭に血が上る。こめかみに血管の圧を感じる。
 が、穏やかではいられない。
 ケースワーカーの横領となれば、ひどい不祥事だ。
 報道発表しなければならないし、マスコミはおもしろおかしく書き立てるかもしれない。
 これから来るであろう様々な困難に、秀樹はぶるっと身震いした。

「これは、副市長案件だな。いや、市長の耳に入れておかないとならない。
本庁の保護支援部や福祉局長にも、その前に連絡入れる必要があるだろうが、報道発表するから広報部も。あっ、まずウチの区長にもすぐ情報を入れないと」
「あ、本庁には保護支援課にもう情報共有してあるので、そこから保護支援部長や、もしかすると福祉局長に上がっているかもしれません」

 それを聞いて、ますます頭に血が上った。
「なんで、俺が知らないうちに…!」
「すみません…」
「今日だって、俺の方から聞かなければ、俺は知らないままだったってことか!」
「す、すみません。ペーパーがある方がいいと思ったものですから、ご報告が遅くなりました。申し訳ありません」

 ペーパー。
 確かに、秀樹は何かにつけ、ペーパー、紙の資料を欲しがる。
 それが、こんなふうに自分の足をすくうとは。

――――第3話へつづく

終わりのその先 第3話


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真夏 純 子育てのヒントになるようなことや読んでホッと安らいでいただける記事で、世の中のパパママお爺ちゃんお婆ちゃん👨‍👩‍👧‍👦を応援したい📣と思っています! ありがとうございます。