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故郷に夢の御殿を @ 開平 Overseas Chinese came back to build dream mansions.

先週、12月2~3日にかけて広東省開平市に行きました。ディアオロウ(碉樓, diaolo)という高層楼閣で有名な村落群を見るためです。中国と西洋の建築様式が融合した碉樓は、高さ10~20メートルほどの多層塔楼で、主に19世紀後期から1930年代頃にかけて建てられました。開平周辺に現存する数は1800棟を超えます。

もともとは、当時の村落で盗賊や敵対勢力(客家)から村民を守るための防御施設が必要だったこと、そして水害被害を防ぐ目的もありました。しかし、華僑洋館とも言われるように、北米やメキシコから東南アジア、香港などに行って財を成した華僑が、特に1900年~30年代に故郷に錦を飾るべく西洋風の高層邸宅を競って建てたことで急増しました。

碉樓の集中している次の4集落は、2007年にユネスコ世界遺産リストに登録されました。

* 赤坎鎮 三門里の迎龍楼
* 塘口鎮 自力村
* 百合鎮 馬降龍村落群
* 蜆岡鎮 錦江里

今回、三門里の迎龍楼には行きませんでしたが、自力村、馬降龍村落群、錦江里を回りました。また、世界遺産リストには入ってないですが、立園を見学しました。これらの2日間入場券(180元、シニアは半額の90元)をトリップ・ドット・コムで事前に購入しておきました。

ユネスコ世界遺産リストの位置関係はこんな感じ

香港から開平へ高速列車で行く
12月2日 気温23度、曇り、夕方から小雨

開平へはバスでも行けるのですが、香港から直通バスはなく、深圳まで行ってバスなので面倒だし時間がかかります。それで、香港九龍西駅から開平南駅までの直通高速列車に乗りました。一等車片道で約500香港ドル(約1万円、シニア料金なし)と値段は高めですが、2時間20分の快適な旅です。チケットは中国鉄路アプリに登録して購入しました。EチケットだったのですがQRコードなどはなく、登録に使った身分証明書(パスポートなど)を改札でスキャンするだけです。すごいシステムだあ。

時速350キロまで出るらしいがこの旅で見た最高時速は302キロだった。
一等車には5人しか乗っておらずガラガラだった。

1日目: 自力村へ行く

午前10時20分香港発、列車でお弁当を食べて腹ごしらえ。12時40分に開平南駅に到着。駅前で10人を超える白タク運転手に囲まれました。しかし、彼らを無視して配車アプリDiDi(ディディ)を利用しました。エコノミーの安い車を頼むとその車はすでに駅前にいて、自力村まで25分、料金27元(615円)でした。

入り口で入場券のQRコードをチン!として村の中へ

この村には15の碉樓と居庐(邸宅)があります。ただし中に入れるのは4軒しかありませんでした。残念なことに、一番見たかった銘石楼(1925年)が大改修中で入れませんでした。銘石楼はシカゴで財を成した華僑・方潤文が3人の妻と住んだ西洋風な館です。

おお、碉樓が見えてきた! 池の後方の左の建物は兰生居庐、
右側の足場が組まれて緑の保護シートの建物が銘石楼
銘石楼のお隣にある逸农楼

逸农楼(1929年)は中に入れるので見学しました。こちらはカナダでカフェレストランを営んで成功した方分田が建てました。自力村は「方」の姓を持つ一族の村で、この村にある碉樓は方一族の誰かが建てたものです。一族は米州をはじめ、東南アジア、香港、遠くはフィジーまで出稼ぎに行きました。

中を開放している叶生居庐(1930年)、兰生居庐(1935年)、そして澜生居庐(1936年)に入ってじっくりと見学しました。澜生居庐は方潤文の三男、方広寅によって建てられました。

叶生居庐の屋上から眺めると、 右端が云幻楼(1921年)、中央が龙胜楼(1917年)、
少し離れて左に养闲别墅(1919年)
どこも邸内を開放していない。
澜生居庐の中の部屋、極めてシンプルだった。
自力村には住民もおり、畑で野菜を作ったり、鴨肉を干したり。

1日目: 立園へ

ほぼ2時間かけて自力村を歩いたあと、15時半の無料バスに乗って立園に行きました。昨年は30分毎に数箇所の集落間を無料バスが走ってましたが、今は1日に数本しかありませんでした。

立園はアメリカで成功して1926年に帰国した謝維立氏とその謝一族が、10年の歳月をかけて造った邸宅5棟と庭園です。

左から、泮立楼、炯廬、乐天楼、明庐と並ぶ。
泮立楼(1926年)の入口のロビー天井
謝維立と4人の夫人が住んだ3階建の邸宅である。
裏庭にある泮文楼(1926年)、ここには謝維立の兄夫妻が住んでいた。
泮文楼の内装、モダンなタイルと調度品を使っている。
広い庭園には大きな池と小川が流れる。小雨が降ってきて霞が雰囲気を出してる。

1日目宿泊: 赤坎古镇景区

立園からディディのエコノミー料金で9.5元、車はすぐに来て、8分弱で赤坎古镇景区に到着。この地区は別の入場券を購入しないと入れませんが、ホテル料金に入場券代(一人145元)が含まれます。ホテル(朝食付一泊520元)をトリップ・ドット・コムで購入しました。

赤坎古鎮は370年以上の歴史を持ち、もともとは地元で勢力を振るった「関」氏族と「司徒」氏族が居住した商業の街です。川から運河を引いて発達し、19世紀になるとここから多くの男たちが海外へ出稼ぎに行きました。20世紀になると、海外で富を手にした華僑となった彼らが、欧米建築の特色を取り入れた街づくりを進めました。600以上の東洋・西洋様式を兼ね備えた騎楼(広東省で広がった建築スタイル)を有しており、テーマパークのような撮影用市街エリアと商業街として保存されています。

夕方到着してホテルのベランダから撮った赤坎望楼と池。
他のホテルより安いホテルだったが部屋が広くてベランダから街並みも見えてGood!

赤坎古镇には野外劇場があり、赤坎古鎮入場者向けに毎晩7時半から30分の「水と花火のショー」を無料提供します。ストーリーは村人が団結して水害と戦い、華僑が中心となって資金を集めて碉樓を建設し、豊かな村落を造った、といったような感じです。踊り、アクロバット、噴水とレーザー光線、そして花火。。。シルク·ド·ソレイユのミニ中国版といった感じでした。

下から噴水が噴き出す中、エアリアルリングでお姉さん3人がアクロバットダンス。
このあとエアリアルティシューもでてきた。
フィナーレに近くなると舞台下から碉樓が上昇してきて、花火もビューン!

劇場の後、街の中心部にあるクレイポットライス(煲仔飯/バオジャイハン)の屋台に行きました。

木材を使った焚きでご飯を炊く、わあ、伝統的やな〜
地元料理はドジョウの煲仔飯、ちょっと不得意分野の食材だが勇気を出して食べてみた。
38元だった。ドジョウはあっさりして、タレとご飯のおコゲが美味しい。
が、うーん、ドジョウは一回の体験で十分だな。

2日目:赤坎古镇から錦江里へ
12月3日 気温23度、曇り、どんよりでしたが午後から日差し時々

翌朝はホテルのビュッフェで朝食後、赤坎古镇をぶらぶら。中国の異国風街並みをディスニーランドのような娯楽施設にしたようなところです。1900年代初頭の街並みを生かしたものですが、リノベと追加建築物で人工的で、不自然な感じもします。

赤坎古镇の古い街並みは人工的だ。映画村の地区は人がいなくてガラガラだった。

午前11時40分、さあ、出発! ディディエコノミー料金の27元の車がすぐ来て、赤坎古镇景区から錦江里村落に25分くらいで到着しました。この日は村でお葬式があって、広場に村中の人が集まって葬儀が粛々と営まれていました。といっても、爆竹やらドラゴンダンスやら。。。え、お葬式なの?という文化の違いを垣間見ました。

錦江里の碉樓は、瑞石楼(1925年)、升峰楼(1928年)、锦江楼(1918年)の3棟のみ、あとは2階屋の古い家並みです。锦江楼(1918年)は村民が協力して盗賊からの防衛のための塔として建てられました。一方、瑞石楼は香港で金融と漢方薬取引で大成功した黄璧秀が建造し、升峰楼はアメリカで財を成した黄峰秀が建てました。锦江里は主に「黄」一族が住む村です。

村の細道を抜けて歩くと碉樓が見え始める。
7階建の升峰楼
升峰楼の中の個室はどこもシンプル
升峰楼の屋上からの眺め、手前が锦江楼。
奥の9階建の瑞石楼は別途20元を払うと入れるが、残念ながらこの日は門が閉まっていた。

2日目: 馬降龍村落群へ

13時すぎ、ディディでエコノミー料金の車が見つからず、しかたなくプライオリティ料金で馬降龍まで27元と高かったです。錦江里は僻地なので車が来るまで8分ほど待ち。乗車時間は15分くらいで馬降龍へ到着。ここは5つの村落からなる一帯なので敷地面積が一番広く、村民の生活を感じることができるところでした。碉樓が7つ、居庐(邸宅)が8つあります。が、実際に中に入れるは数箇所です。

村民は主に「黄」と「関」の氏族だそうです。アメリカ、カナダ、メキシコ、豪州などに19世紀後半に渡り、1920年~1930年代に戻って建てた建築物が中心です。

カナダ華僑の関宗駿が建てた駿庐(1936年)
駿庐の内装は輸入タイルなども使ってモダンだ。 2階から4階までの床には吹き抜けがある。
駿庐には関宗駿の家族(右から3番目が宗駿、その左が彼の母、彼の右側は第一夫人とその長男、母の左側が第2夫人とその長男)が住んでいた。
メキシコに渡ってデパートを開業をした関定林の建てた林庐(1936年)
関定林の家族(中央に本人とその母がいるがその他の婦人と子女は不明)
メキシコで財を成して1920年に赤坎に戻り、彼は最期まで林庐に住んだという。
村には黄氏の祖先を祀る建物もある。
村のあちらこちらに鶏たち。フリーレンジ飼育されている。
まだ飛べない鴨の雛たちが囲みの中でギーギーと鳴いていた。

14時半過ぎ、お腹が空いて駿庐の建物の前で暇そうにしているお土産屋さんのおばさんに「食堂が近くにないか」と聞きました。「うちは食堂だよ、来る?」と机の下からメニューを取り出しました。うわあ、偶然すぎない? 

メニューの鶏肉料理を勧められたのですが、フリーレンジの鶏たちの姿が目に浮かんで食欲がわかず、豚肉と野菜にしました。おばさんの家庭料理は素朴ながら、とてもおいしかったです。

豆鼓五花肉(バラ肉の豆鼓炒め)と蒜蓉芥藍(カイランのニンニク炒め)
これにご飯とお茶がついて60元だった。

おばさんは、ご飯を炊いて野菜を切るところから料理を始め、テーブルに食事が届くまでに40分くらいかかってしまいました。高速列車に乗る時間があるから、そのあと焦って歩き回ったのですが、村の端にある建物2軒までは行けず。。。

2日目 香港へ

香港直行高速列車は17時34分に開平南駅を発車するので、16時半にディディで配車手続きをすると、45元のエコノミーも58元のプライオリティーも車が見つからず、一番高いスタンダードしか捕まらないと表示されました。夕方はピーク時間帯で空車が少なくて料金アップとなるようです。車は7分くらい待ったらやってきました。30分ほどの距離で、64元を支払って17時10分ごろに駅に到着。

高速列車は定刻ピッタリに発車して香港に無事に帰還しました。列車はどの区間もほぼ満席でした。中国から香港に戻ると私はなぜかホッとします。中国本土はやはりワイルドなんだよなあ。


旅を振り返って:

開平のことを何かの記事で読んだのは10年以上も前でした。いつか行ってみたいと思っていて、やっと行けた場所です。

華僑洋館とはよく言ったものです。開平の周辺地域から海外に行った華僑は70万人を超えるという数字があります。1800年代中・後期に海を渡り、1900年代初頭には大成功をして故郷に碉樓を建築し(ほんの一部の成功者のみだが)、毎年または数年に一度ほど帰って家族と住むというパターンも多かったようです。

1900年初頭には清朝の終焉(1912年)、そして中華民国の設立と、この地域には自由と民主主義の風が吹いた頃です。でも長くは続きませんでした。第2次世界大戦と中国人民共和国建国、歴史はまた大きく動きます。碉樓を建てた華僑たちの一族は、故郷からまた逃げて世界に飛んで行きました。

方さん、黄さん、謝さん、関さんらのご子孫の多くは、アメリカやカナダ、香港などに暮らしているそうです。

長文を読んでくださってありがとうございました!