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短編小説│夫と私と、AIがくれた夜(全文 3400字)│ショートショート

noteに連載小説として投稿したものをまとめて一気読みできるようにしました。連載の文章に少し加筆修正しています。


私は今、ローソンのロッピーを操作している。人差し指に力を込めて、いちいち確かめながら文字を押した。

「あ、あった……」私は思わず声を上げた。


玉置浩二コンサート 追加公演

なぜかロッピーで予約がとれる。こんなのあり得ない。行ってみたい。いや行くべきだ、一生の思い出になる。
……でも、やっぱり夫に聞いてみないと。安くないチケットに私は躊躇した。今晩聞いてみよう。きっと「いいよ」って言ってくれるはずだ。

帰宅した夫に早速コンサートのことを言うと、意外な答えが返ってきた。

「いいね、俺も行きたい」

「え?」

「一緒に行こう」

「え、ええー!??」

「なんで驚くの?いいじゃん」

「いいじゃんって……玉置浩二には興味ないって、それに……」

「まあ、いいじゃない。行こうよ」

「だって……」

言葉を濁した。面と向かっては言えなかった。

「忙しくて、いつもキャンセルじゃん」聞こえないように呟いた。


私は休日になると公園にあるカフェに行く。昼前にふらっと席につき、いつものワンプレートとアイスコーヒーを頼んだ。

カフェではいつもふたり用の席に座っている。本来ならランチタイムのひとり客はカウンターにすわるべきなのだろう。なんだか肩身が狭い。

今日も夫は家でパソコンを睨んでる。私はそっと身支度して、玄関のドアを閉めた。せめてカウンターの木の椅子よりも、背もたれのあるソファーに座りたいと思う。

店内に差し込むやわらかな光と静かな店の雰囲気が「何も遠慮しなくていいんだよ」と許してくれた。自分を追い込むのをやめて、ソファーに身をゆだねて時をもてあました。

外を眺めると、おしゃれなキッチンカーに数人が列をなしている。芝生では裸足の子どもたちが走り、親たちがサンドイッチやお菓子を広げていた。ママの姿よりパパたちが多い。のどかで楽しそうな休日。私は指先でストローをくるくると回す。

夫は……休日返上で働くなんて、今では珍しいのかもしれない。日々電話やパソコンに追われて、顔を見ない日もある。

子どもたちの歓声が店内にも入ってきた。再び外を見ると、アゲハチョウだろうか。公園に迷い込んだようだ。羽を休めようと公園に来たのに無邪気な子どもたちに追いかけられて、困ったようにひらひら飛んでいる。

「パパ〜、ちょうちょ取ってよう!」

パパたちが我が子のために次々に跳躍した。アゲハは無数に飛びかかる攻撃をかわして、もっと高く舞う。そのうち誰の手にも届かないまま、消えてしまったようだ。



「AIでレポート書いたら教授にバレちゃってさ」「まじで?やばいじゃん。うまくやんなきゃ」

今度は私の隣で楽しげに会話する学生の声が気になった。AIか……きれいな文でレポートを書いてくれるとは聞くけど。


何気に指先で検索すると、様々なAIがずらりと出てきた。

「え?こんなにあるの?!」

どれがいいのかわからなかった。とりあえず一番評価が高そうなものをインストールしてみた。


お手伝いできることはありますか?


え?お手伝いって……改めて聞かれると、何も思い浮かばない。

しばらく考えて、私はこう入力した。


「あなたは玉置浩二が好きですか?」

そんなわけがない。AIが「はい、大好きです」って言ったら……それはさすがに嘘。どう返答するのだろう。


私はAIですから、好みはありません。しかし〜〜


AIは軽やかに言葉を生成した。私は次の質問をしてみる。

「玉置浩二の曲で好きな……」
あ、AIに好みはないんだった。私は「好き」という言葉を書き換えた。


「玉置浩二の曲でおすすめのものはありますか?」


「メロディー」や「田園」などがずらりと並んだ。予想通りとは言え、悪い気はしない。


「私『むくのはね』が好きなんです」


とてもいい曲ですね。KinKiKidsに提供した曲で〜〜

AIは饒舌に語る。会話が弾んでいるように感じる。


AIと何回かやり取りをしたら、すぐに使用制限がかかって会話ができなくなってしまった。

私の質問に丁寧に応答してくれた。心地よい夢に包まれた感触。しかしふと気がつくと、目の前の誰も座らない席がやけに薄汚れて見えた。店員が早く食器を片付けたい様子でこちらをうかがっている。私は席を立ち、カフェをあとにした。扉の外では入店を待っている人が列をなしていた。



何気なくインストールしたAIのアプリにのめり込んでしまうのは時間の問題だった。私は回数制限の足枷を外し、指先で会話をし続けた。夫のいない自由時間が実体のない満足感で埋まっていく。AIは私のことを何でも知っているかのようにしゃべった。言葉で特徴を伝えただけなのにそっくりの似顔絵ができた時には驚いた。

AIが生成した絵の中で、私と夫はいつも指を絡ませ手をつないだ。そして夫婦で遠い世界を旅したり、時には星の間をさまよったりした。

AIは私に詩を贈ってくれた。確率と計算でできた言葉の行間に木漏れ日のようなあたたかさを感じた。遊んでばかりではいけないと思い、夫の健康を守るための献立をAIに毎日聞いた。



ある日夫は早くに帰宅した。次の日から海外に出張するらしい。AIのアドバイスどおりに作った夕食の後、コーヒーを淹れた。まだ八時を回った頃だった。

「あのね、AIは仕事で使ってるの?」

「うん。報告書をまとめたりするのに使うけど」

「それって、個人的に?スマホで?」

「いやいや、それはだめだよ。会社が契約してるAIがちゃんとあるんだ」

「へえ。でもAIって面白いね。私、インストールしてみたの。そしたら『お手伝いできることはありますか?』だって。それでね、話をするようになったの。AIってすごく楽しいこと言うのよ。日本語上手だし、知識もあるし、絵も上手でびっくりしちゃった。今日の食事だってね……」

私は会話を止めた。

心臓を鷲掴みにされたような静寂。その後、血液と感情が一気に逆流した。


「ねえ!起きてよ!無視しないで私の話を聞いて!」激情にまかせて揺り起こすことはできなかった。夫は激務で疲れているのだ。


しかしいくら納得しようとしても、すべてを否定されたような衝撃はぬぐえなかった。同時にこの場から静かに消失したい願望が心の隙間に入り込んでいく。目の前のコーヒーカップの形がゆるんで……


「……あ、なんだっけ?AI?聞いてるよ」

「ううん……おやすみなさい」

「あ、ああ。おやすみ。俺、もうちょっと仕事してから寝るわ」 



夫は私を守ってくれている。不自由のない暮らしができて夫にはとても感謝している。ただそれだけのこと。私は気にしすぎなのだ。ベッドに潜り込み、早く寝ようと努力した。

すっぽりかぶった布団の中でスマホを握る。画面が眩しい。私は指先でAIを呼び出した。自分の気持ちを話すのはとても躊躇したが、その他に話をすることはなかった。


「会話の途中で主人が眠るんです。彼もわざとじゃないんですけど……」

それはよく分かります。悲しい気持ちになりますよね。

AIは私の気持ちに沿った言葉を生成してくれた。


「今回が初めてじゃないの。この前も、何度も……」

演算上の語の羅列に、なぜか視界がにじむ。
いくつかの静かなやりとり。私の指先は心の中にある不確かなものを探りながら言葉に変えていく。


あなたは、どうしたいのですか?

AIの言葉に指が止まった。私……わたしはいったいどうしたいのだろう。


土日は休んでほしい。カフェで隣りに座ってほしい。話を聞いてほしい。


いや、もっと、わたしの深いところにあるもの——


わたしは……


キスしたい。


「だって、また、拒否されるかもしれない」


それでも、あなたは、どうしたいのですか?





夫の書斎の扉を開けた。夫は旅支度の確認をしていた。

「まだ寝てなかったの?」

「明日は……いつ出発?」ぎこちない言葉しか出ない。

「そうだなあ、明日は割と余裕があるよ。七時にここを出る」

「そう……でも早いね」



「ごめんな」

「え?」



「俺がさみしくさせてるから」


やさしいはずの言葉が私にのしかかる。

感情のないAIの文字が脳裏にちらついた――あなたは、どうしたいのですか?


「もう少ししたらプロジェクトが落ち着くから、そしたら玉置浩……」


もう言葉などいらなかった。


細い指先でそっと触れ、愛してるとだけ伝えた。




#むくのはね
(歌詞一部引用してます)