癖と才能について

皆さんは、何かの癖を持っていますか?

私は、物事を考える癖があります。そのため、一度思考モードに入ってしまうと、なかなか抜け出せません。楽しいことを考えようとしても、あれ?そういえばこれってなんでだろ?ってなってしまうわけです。

皆さんはいろいろな人と出会い、いろいろな人の癖を見てきたことがあるはずです。本人が自覚していることから、無自覚に行っているものまで。そうした癖は、どうしてついてしまうのでしょうか?

例えば、阪神の元監督 岡田さんは、試合中、首をぐにぐにと動かす癖があったように思います。

人によっては、チック症とかおっしゃっている方もいますし、私も詳しく調べたわけではないのですが、癖ってこんな感じですよね。

癖は、自分が出しているって自覚してて、よし、やめよう、と思っても、思わず出ちゃうもの。自分の意思ではなかなかストップできないものです。

それは、見方によっては、習慣であり、見方によっては、個性であります。

習慣は、やめようと思ったら、割と簡単にやめることができます。例えば、ノートを書く習慣というのがついていたとしても、仕事が超忙しくなってきた・・・として、物理的にとてもじゃないがノートを書く時間が持てない、なんていうことになると、自然と心が離れていき、ノートのこと自体思い出せなくなるかもしれません。

でも、ノートを書く癖、となるとこうは行かないのではないでしょうか。仕事が忙しかろうと、仕事よりも優先してノートを書いてしまう。こっちの方向ですよね。

癖っていうのは、もう私たちの神経に根付いた行動なんです。私たちの体が動くのは、脳から送られた命令が神経を通って、私たちの体を動かすからです。

頭の中でイメージしていただきたいのですが、神経という通り道に、皆さんそれぞれの駅が置かれていると思ってください。人によって、駅の位置や形は異なります。脳から出された命令は、この神経という線路を巡り、各駅を通過して、私たちの体に届くのです。これは、私たちが自分達の体の中で行っている情報通信です。

神経を切断されると、身体が動かなくなる。神経がマヒすると、やっぱり体が動かなくなる。皆さんは、足がマヒした経験をお持ちですね?あの時、自分の体が全く思うように動きませんよね。あれは、脳から送られた命令が、神経を通過しているものの、麻痺しているため、命令がうまく伝達されないから発生しているのだと考えます。

そして、この駅なのですが、私たちが自分のことを見直し、この駅の配置を修正し、駅の形やデザインを変えて、更新を施していくことで、別の道を通るようになりますし、通りがよくなったりすることがあるのです。

この駅の正体は、経験です。この経とは、神経の経です。そして、験とは、「しるし」のこと。まぁ、「マーク」みたいなものだと考えていただければOKです。

このマークの位置によって、私たちが脳から受ける命令の経路は変化します。この時、ついこういう行動をしちゃうんだ・・・という人は、その神経に電気が流れる経路が、がっぽり開いて、通りが滅茶苦茶よくなってしまっている状態です。癖を治すのが、時に心理的な苦労を伴うのは、自分にとってはそれが快適な状態だからです。そのまます~~っと命令が通って、伝達してくれた方が気持ちいいですよね。

だから、人からは悪い癖・・・と言われるようなものであっても、とりあえず私たち個人が行う分には、そのままにしておきたいくらいなのです。

さて、私は癖と才能は紙一重だと思っています。例えば、あなたがボクシングの才能を持って生まれたとします。あなたの脳から出てくる命令は、ボクサーにとって、理想的な駅を通過して、あなたの体へ命令を伝えます。すると、誰から教えられたわけでもないのに、既にそのための道が出来上がっていますから、あなたは、自分が適当に動いただけで、理想的なボクシングを行うことができます。

ね、癖と才能って同じだと思いませんか?

癖は、人から見て、役に立たない・・・。意味がない・・・。どちらかというとやめておいた方がいい。そう思われる才能なのです。そして、才能と言われているのは、人から見て、役に立つ。意味がある。そう思われている癖なのです。

ボクシングの才能を持って生まれた人からすると、自分は才能がある、と思ってしまうでしょう。でも、実を言うと、自分のボクシングって、全部が全部今の癖がついちゃってるんだよね・・・。と言い換えることもできるのです。

私は思考してしまう癖を持つと言いました・・・。自分が考えたことが、皆さんの役に立つのであれば、皆さんから見れば、私の思考をする癖は、才能です。私は思考をしても、お金を多く儲けられるわけでもなく、頭もそこそこ疲れてくるし、ネガティブなことも考えたりしますし、他のことに集中できなくなる、なんていうこともありますから、私にとっては、癖に近いと思われます。そもそも、自分でこの癖を辞められる気がいたしません・・・。

私の体の中では、思考をする命令が脳から発射され、思考回路を通っていくわけです。そうですね・・・。駅は回路と言ってもいいかもしれません。私自身が思考を続けて体得した経験上、物事を新しく考える時は、再びその経験を通り、思考を進めていく。ただ、思考は常に同じ経験を経ていくわけではありません。思考のようなものは、常に経験の配置を組み替え、形やデザインを作り替え、増設したりする、建築物自体をよくしていっている感じはあるかもしれません。

天才数学者のガウスは、脳内に数学的思考の才能があったはずです。彼の脳内には、彼自身が意識する前から、既に数学の世界を考えるための経験が備わっており、後はそこに電気信号を流すだけで、都合よく物事の処理が行われて行く・・・。そういう人だったのです。

才能が無くても、経験を積み重ねることによって、才能がある人間に勝つことだってあります。それは、血のにじむような努力が必要かもしれません。

私が今欲しいのは、絵を描く才能かなと思っています。例えばピカソは、生まれついての天才でした。彼の脳と神経には、絵を描くための理想的な駅が張り巡らされていて、脳から命令が出た時、その命令が、その理想的な駅を通過し、彼の手を動かしていたのです。もちろん、手だけでは絵は描けませんけどね。頭もよく、手さばきもいいって感じ。

私たちが、学習を通して自分達を鍛えるのは、ここを中心とするべきであると思います。私たちの神経経路に、適切な験を置くために学習を行うこと。これが、経験を積むということです。絵が最初は下手だったとしても、繰り返し訓練を積み重ねることによって、経験が出来ていきます。その験は研ぎ澄まされ、やがて天才を追い抜くときも訪れるかもしれませんね。





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