素人のための法学入門 #23
お疲れ様でした。 23回 を持ちまして、このコーナーに終止符を打ちます。
1回から継続して23回まで全て読まれた方は、法律を学ぶための、なんとな~くな基礎脳が備わって来たのではないでしょうか。
御意見・ご感想・ここが全然わからない~っていう感じの質問がありましたら、お気軽にどうぞ!
また、今回の話も重いので、苦手な方は読まないでください。
自然権学習のおさらいを兼ねた雑談
学生A 「あ~。頭が痛い。がんがんしてきました。」
学生B 「僕はぼーっとしてきた・・・。もう何も考えたくない。」
先生 「お疲れさまでした。ですがもう少し頑張りましょう。自然権とルールの関係。そして国との密接な関わりがわかっていただけたかと思います。何度も申し上げるように、自然権はルールの産みの親です。自然権の理解なくして、ルールの理解はないといっていいでしょう。将来君たちが大学の法学部に行ったり、大人になって社会を法律の側から眺めた時、自然権の考え方は、きっと役に立つ知識として輝くはずです。」
学生A 「わかったような。わからないような。」
学生B 「俺も。」
先生 「そうですか。ではもう一度最初から。」
学生A 「やっぱりよくわかりました!」
学生B 「俺も!」
先生 「ははは。しかし私はあなたたちお二人のおかげで、大変話がしやすかったです。こうして対話を重ねることで、話をより短く伝えることができるからです。これで将来法律を学ぶときも、今よりも入りやすくなったのではないかなと思いますね。まだまだ話したりないことはたくさんあります。しかし、最後の方になりましたので、軽くおさらいしておきたいと思うのですが。」
学生B 「もう帰りたいですけど。」
先生 「まぁ、もう少し頑張りましょう。法学部ではそこまで自然権というのを重要視することはないんですよ。」
学生A 「えっ。そうなんですか?」
先生 「はい。これは私の話ですけどね。私が法学部にいた時も、講義の最初のほうで少しでてくるだけで終わりという印象でした。口では大切なことだ、といわれるんですけどね。周りの学生たちも、自然権について興味をもつこともなかったようです。どちらかというと、司法試験などに関係する民法とか、他の法律に興味を持っていたようですね。結局は自分の将来のことを考えているわけでしょう。ここからもう先が見えてますよね。私人の間でも、法律は世の中をよくするためにあるのではなく、金稼ぎの道具にされてしまっているのです。法律問題というのは、人が不幸になればなるほど稼ぐことができます。ですから、表向きは私たちのためのように見えて、彼らが成り立つためにはそれだけの犠牲者が必要というパラドックスが生まれているのですよ。利益のあるところには損害があるのですから。」
学生B 「先生がおっしゃる通り、自然権があらゆる法律の産みの親なら、自然権はもっと研究されるべきではないでしょうか。」
先生 「そうです。個人的には研究するというよりは、自然権というものを通していろいろな物事を考えてみていただきたいですね。今回は私が私なりに考えた自然権の内容です。私はルソーやロック、ホッブズの本を読んで研究したわけではないんです。」
学生A 「えっ?そうなんですか?」
先生 「はい。私が彼らの事を知ったのは、高校の倫理の教科書でした。そこで書かれている抜粋された言葉は読んだことがありますけれども。そこから私は法学部に進み、普通に法律の勉強をしたのです。むしろ解釈とか判例とかの膨大な量に圧倒されていた感じですね。そして、その時も自然権というものをさほど意識して学んだことはありません。」
学生B 「そうだったんですか。話について行くのは頭が疲れましたけど、言っていること自体が間違いだとは思えませんでした。ショッキングな内容は多かったですけど・・・。」
学生A 「先生の言うことだから信じたいですけど、それだと先生の話は本来の自然権の話と大きく食い違っている・・・ということはないのでしょうか?」
先生 「ありえますね。ただ、私は判例とか解釈とか、他人の考えを読むのはもうやめました。もっと自由に考えたいと思ったのです。私個人の勝手な考えですが、ああいうのはそう筋が通ったものにはおもえなくなったのですよ。結局全て他人の線引きであり、それを鵜呑みにすることが勉強ならば、やる意味がないと思ったのです。あれが正しいと思って勉強するのは、危険だとさえ思うのです。
だから、私は私なりに考えました。全てを崩して、また再構築していくこと。全ての学問は、自然現象を注意深く観察することで学べるものがほとんどだからです。その成果をここで出しているわけです。過去の思想家たちがああいった、こういった、どこぞの学者がああいっている、こういっているというのは、あなたたちが個人で調べて勉強していただけたらいいと思います。でもね、有名人バイアスは危険ですよ。歴史に残っている人間なのだから、すごいだろうし、間違いないだろうとか、高名だからきっとただしいのだろうっていうのはね。」
学生B 「先生は別に学者っていうわけでもないんですよね?」
先生 「そうですね。私はどちらかというと個人の思想家・哲学者といった位置づけが強いと思います。」
学生B「それって胡散臭いですね。」
先生 「そうですね。物心ついたころから世界のあれやこれや、人間のあれやこれやに疑問を持っていました。その割にはあまり新聞やネット記事もみないし、本も読まないのですけどね。ただ、私が何の肩書もないから信用できないというのは、それはまだ学生Aさんや学生Bさんがフィルターを通してものを見ているからです。今までの話にもありましたね。法律が私たち自身の問題であるにも関わらず、私たちはほとんどそのことについて知りません。そして、専門家に意見を聞かなければ何もわからない状態にあると。その人が何を言っているのか、ということを判断するときに、その人の職業とか、地位を信用するわけです。何の地位も持っていない私の言うことは信じないという人は多いでしょうね。つまり、話の筋道が通っているからじゃなくて、「そういう肩書や地位を持っている人が言うことだから正しいんだろう。」というすれ違いを起こすんですよね。そういう思考回路は危険です。特に、信用できない人間は、信用できるものを目の前に持ってくるものなのです。オレオレ詐欺の犯人だって、弁護士とか警察とかを名乗ってきますからね。今だってだまされている人がいるかもしれません。総理大臣の言うことだから正しいとは限らないというのは、さんざんわかっているでしょう。そもそも手塚治だって、学者でもないのにあれほどの文学的価値の高い作品をたくさん産みだしたのですからね。あれは学者に勝ってますよ。むしろあれを研究するために学者が生まれるくらいではないでしょうか。皆が学者とか専門家っていうのを、自分達の頭の中の勝手なイメージで決めているだけだと思いますね。」
学生A「でも、やっぱりそういうのは専門的な立場の人の意見じゃないと不安っていうか・・・。」
先生 「専門家の意見を信じたくなる気持ちはよくわかります。何なら私の話は信じず、他の高名でそれなりの地位にいらっしゃる方の本を読んでいただいてそれを信じていただければいいですよ。」
学生B 「・・・。(といわれても、そういう人たちの話って理解できないんだよな。)」
先生 「私はあなたたちが何を信じるのかを強制できません。でもね、人間の社会に絶対的なものなんてないって言うことは確かですよ。人間の社会以外の世界にも絶対的なものはないっていうくらいですからね。
ルソーやホッブズ、ロックなんていうのも、元々学者でも何でもなかったのです。学者というのも、法律というのも、犯罪というのも一緒です。元々は何でもないところから人が決めつけた線引きの上にたっているだけなのです。」
学生A「あ・・・そうかぁ・・・。」
学生B 「人間社会にある多くのことは・・・人が勝手に決めたものなんですよね・・・。」
先生 「そうです。私は地位や肩書の威光を借りて話をしたくはありません。却って人の目を曇らせてしまいますから。そもそも、皆が考えなくてはならないんだ、という社会問題があるところに、私が考えたら、途端にあなたには肩書がないからね、とか言われるのだとすれば、大いに疑問ですね。私の話を聞き、私の話を理解してくださったのであれば、それこそが大切なことなのです。人の話を聞き、その人の言っていることを理解する。それからその話の真偽を判断しても遅くはありません。恐ろしいことに、話を聞く前からあなたの話は嘘だと言う人もいるのでびっくりすることがありますね。」
学生A 「大体理解はできました。」
先生 「では、ちょっとおさらいがてらお話をさせていただきますよ。自然権は全ての人間に備わっている永遠の権利です。そして、人間の技術力が進歩するにつれて、自然の制約はなくなっていきます。国家の不可侵性とか、永続性とか色々難しいことが言われますが、自然権を理解すれば、当然のように導き出されるわけですね。自然権はそれこそ星の数ほどあると言いました。自然権の歴史は、最初に述べたようにかなりの大昔にさかのぼります。この自然権という考えは、古代ギリシアで生まれたものなのですが、長い間論争の的になってきました。そこで、近代になって、ホッブズやルソーなどの思想家があらわれ、この自然権思想に大きな影響を与えたのです。」
学生B 「つまり、自然権もまだ論争過程なのか。で、何が自然権なのかもその中から認知されていくわけですね。」
先生 「その通りです。例えば、近年になって、肖像権や自己決定権、プライバシーの権利など、『新しい人権』とされる権利が認められるようになりました。つまり、自然権といっても、具体的な中身はわからないことだらけだったのです。何時の時代にも、その内容は見直され続けてきたと言っていいでしょう。」
学生A 「はい。」
先生 「自然権とはなんでもやっていい権利なのです。私の自然権思想はここからスタートしました。これは間違いなく私独自の発想です。ただ、なんでもやっていいんだけれども、憲法上その権利が認められるかどうか、というのは違うんですよね。憲法上認められると、国はその権利を保障するように動くようになります。だから、「新しい人権」と言われているのは、憲法上保障される権利というものです。自然権は何でもやっていいので、無制限なのですが、憲法上保障される権利は、その一部にしかすぎないのですよ。」
学生B 「はい。自然権のことをきいた時、そんな都合のいい権利があるのかと思いましたが、法律によって制限されるのでしたね。自然権国家の動きっていうのを見てみると、好き勝手にやってるな~っていうイメージは強いですね。そして、どれだけ法律やルールで縛っても、好き勝手行動してくることってありますよね。」
先生 「そうですね。自然権は確かに私たちみんなに存在しているのです。しかし、すべての人がそれを十全に満たすことはできません。一方の権利を満たすと、他方の権利が満たされなくなるジレンマが生じるからです。そこで、調整を行う必要が出てくるのでした。その調整が単なる個人同士の力関係によって行われるのではなく、国という強大な力を持った機関に預けて、そこに管理を任せようということでした。」
学生A 「私たちが自分達のリーダーを選ぶような感覚ですね。」
先生 「そうです。そして、自然権を集約した国家は、全ての人の自然権に対して、一律に適用されるルールを作り上げました。それが法律ですね。」
学生B 「はい。」
先生 「しかし、学生Bさんから質問があったように、国に自然権を集めたということは、自然権を国が好きなように利用できる可能性があります。そこで、憲法などの法律によって、国が権利を行使するときは、法律の定めにのっとって行われるという法治主義が原則となったのでした。」
学生A 「はい。よくわかります。」
先生 「しかし、そうしたルールは自然権があるからこそ生まれるものであって、ルールができたからと言って、自然権自体が消えてなくなるわけではありません。国によっては、自分達の自然権を抑制するために法律を使うのではなくて、むしろ自分達の自然権を行使できるように、好きなように法律を変更してしまうところもあるわけです。」
学生B 「自然権を抑止するための法律なのに、自分達の自然権が行使できるように法律を作り替えちゃうんですね。」
先生 「はい。そういう意味で、法律によって自然権を抑止する本当の法治主義国家と、法律があるだけで結局は自然権の方が優先してしまう自然権国家という二つのタイプの国があるというお話をしました。」
学生A 「自然権国家っていうのは、今の中国や北朝鮮、ロシアなんかですね。」
先生 「そうです。そして、今が法治主義国家である国だとしても、いつかは自然権国家になってしまう可能性があります。自然権国家は独裁国家、あるいはセルフルール国家といってもいいですかね。」
学生B 「元々はどの国も自然権国家だし、戦争が起きたりすると、法律を律儀に守っていられなくなるわけですね。」
先生 「はい。法律は一定の線引きにしかすぎません。そして、法律を守るための資本は何といっても自然人にそれだけの余裕がある場合です。ですから、闇市で違法な取引が行われるということが起きた時、法律を忠実に守ろうとしたため、却って栄養失調で餓死する人が現れたのです。」
学生A 「法律は自然権を行使する自然人のためになるように国に集められたものなのに、法律が、自然人を殺すくらいのものになってしまったんですね。」
先生 「そうです。自然権の行使が十分にできなくなってしまうと、人々は国側の法律を無視して自分達のルールを展開することがある、ということがわかりました。これは、一種の慣習というものです。法律のように明文化されてはいないのですが、人々の心に確かに存在しているルールです。心を貫くと書くので慣。それに習うということで、慣習ですね。ルールは心に生きるものだ、という考えからすれば、慣習こそ真の法律かもしれませんね。なお、慣習が法律化していることもあるんですよ。」
学生B「自然権の行使が結局のところ、今の法律自体を変えてしまうということも学びました。」
先生 「そうですね。自然権こそが法律を作るからです。法律が自然権の状態に全くそぐわないような作られ方をしてしまうと、逆に法律が自然権によって変更されてしまうのです。」
学生A 「戦時中、配給のみで生きていかなくてはならないというルールは、当時の人たちにとって全くそぐわなかった。だから闇市が登場してしまったのですね。」
先生 「そうなりますね。国が自然権を行使するためには金が必要になります。国というものは実体がありません。だから、国自体が動いていろいろなことをするのではなく、結局はその内部で少数の人間たちがちょこまかと動き回っているだけなのです。そして、建物を建てたりするなど、具体的なことは結局人間が動いて処理します。彼らだけではどうしようもありません。そのためにはお金で人を雇う必要があります。ですが、国はその資金を自然権の行使主体である多くの国民から集めるわけですね。それが税金というものでした。納税の義務というのは憲法にも明記されています。これは銀行に預ける以上に、国民の信用があるからこそ納められるものでなくてはなりません。それが民主主義の納税だと私は思っています。国を作るということは、国が活動するためのエネルギーを送らなくてはならないのですね。それが自然人の我慢できないレベルで取り立てられるようになってしまったり、信託に背くような行動をしていることがわかると、国に対しても反発を開始するのでした。」
学生B 「NHKの受信料もそうでしたね。」
先生 「そうですね。金の問題だけではありませんけど。ただ、自然権思想が出てくる前は、国があって初めて民が存在しているのだといった考えなので、国からすれば何で言うこと聞かないんだというくらいの印象だったかもしれません。今でも、何らかの集団が生まれると、たいてい上の方が優先された考えになりがちです。」
学生A 「先生が言うことをきかない学生たちに手を焼いている印象ですね。」
先生 「そうですね。学校も学生が一人もいなくなれば全く成り立ちません。そういう意味で、学生が自分達の自然権を学校に信託した、と考えることができます。」
学生B 「国も会社も学校も、組織とされるところはみんな同じように考えることができますね。僕たちはそんなことした覚えもないのですが。」
先生「そうです。あなたたちは、たまたま今住んでいる地区の、最も近いとされる学校に、ほとんど強制的に通わされているようなものですからね。そして将来は、自分達が入ったこともない会社の、まだ知りもしない上司と出会うことになります。そこで信託をするなんて、現実的に無理ですよね。だからね、学校とか会社が民主的じゃないなって思うのは、これも大きな原因だと思います。気に入らない教師を変えてほしいと言ったり、気に入らない上司はやめさせてほしいと訴えることはできませんからね。また、どのような場合でも、組織のほうが個人よりも優先して守られてしまうのが世の常なんですね。」
学生A 「国自体が自分自身の自然権を保護しようとするからですね。国は、国というものがあるようで、実は少数の人間の集まりにしか過ぎないということでした。」
先生 「そうです。ですから国民全員の自然権が、その少数者だけで行使可能な状態にある、というわけです。北朝鮮なんて言うのはまさにその極地といってもよく、国民が貧困にあえいでいるのに、核ミサイルばっかり作って試しうちしていますね。」
学生B 「あれは頭がおかしいと思います。」
先生 「何事にもバランスが大切ですよね。そう思う人が多いというのは納得ができます。しかし、彼らは核をもてば、自分達よりも強い国と対等に渡り合えると信じているわけですね。個人が国によって自然権を抑え込まれているとすれば、とある国は、自分達よりも強い国によって自然権を抑え込まれることがあるのです。そうすると、自分達の国は、結局その国の属国となり、自然権の行使ができなくなる。そうすると、その下にいる国民たちは、その国に自然権を預けたにもかかわらず、その集めた自然権は結局、それ以外の国のために使われてしまうことになる。つまり、寄生虫がなんと他の寄生虫に寄生されてしまうわけですね。それを恐れているのです。」
学生A「何はともあれより強力な武器を開発しないと、自分達の国の自然権が抑え込まれちゃう・・・ということを危惧しているのですね。」
先生 「その通りです。ところが私からすれば、核を維持するだけでもかなりのコストがかかるので、できあがったらできあがったで、後は豊かな国に成ろう、とはならないと思うんですよね。むしろ、その維持とか、核兵器の増加のために、より締め付けはひどくなっていくのではないかとさえ思います。つまり、今までは核開発などが目的であったものが、今度はその維持や増強のために、さらにあのような国であらんとし、余計ひどくなっていくことが目に見えていますね。自滅するのではないかおもっていますが、ゴキブリ以上に生命力が高いので、他国の様々な台所に侵入して栄養を吸収し始めています。とりあえず、他国から人権侵害されないように、人権侵害をするというのがよくあるパターンですね。」
学生B 「よくもってますね・・・あんな国で。」
先生 「洗脳教育が功を奏しているということもあります。一部の国民は国のおかしさにとうの昔に気が付いていますが、権力者おとくいの死刑や拷問などが平気で行使される自然権国家の代表格のような国ですね。国民自体が国を恐れたり、洗脳により本当に国のやることが正しいのだと信じ切って、抵抗をやめてしまっている状態です。また、国家自体が常に犯罪を犯している状態にあり、北朝鮮近辺では薬物の売買等が行われたり、サイバー空間では他国から仮想通貨を盗んでいるということもあります。やりたい放題です。日本人の拉致も頻繁に起きていますね。法治国家としては最悪ですが、自然権国家としては相当レベルが高いです。世界一といってもいいでしょう。」
学生A 「国に歯向かうと自分達が死んでしまう。自分達の命が自然権行使の基本ですから、それで死んでしまうと元も子もないということでしょうか。」
先生 「そうですね。ただ、死んだ方がましのような世界にも思いますし、彼らには全く有効な反撃能力がないのですよ。」
学生B 「確かに・・・。」
先生 「余りにも国民側の自然権が自由に行使されすぎるのも問題ですが、国が正しく運営されるようになるためには、国民側の自然権による適度な反抗は大切なのです。ですから国側ももっと心を広く構えてほしいですよね。憲法が制定される際、抵抗権が明記されなければならないということは、思想家たちにとっては当然のことでした。憲法が出来上がると、この抵抗権というものが盛り込まれることはありませんでした。これも国が自分の自然権を守ろうとしていると言えます。」
学生A 「何の文句も受けずに強大な権力を行使できるようにしたいからでしょうか。」
先生 「そうですね。問題ない使い方をしていたとしても文句を言う人は必ずいますけどね。とにかく、基本的に国は下からの反逆というのを最も警戒するものです。自然権の束が一つにまとまればまとまるほど強いのですが、それがばらけてしまうと、国は自分達の自然権を満足に行使できなくなるからです。北朝鮮は、束がほどけないように統治されているわけですね。自然権の行使主体である人間たちを洗脳することによって、自由な意思がそのまま自分達の都合のいい意思になるようにしてしまっているわけです。」
学生A 「洗脳に、選挙の監視や不正、そして反抗には重罰や死刑、拷問そして暗殺。」
先生 「はい。国というものは言ってしまえば巨大な赤ん坊のようなものだと言いました。なぜならば、自然権はなんでもやっていい権利だからです。赤ん坊は自分で自分を制御することができません。やりたい放題なのです。その赤ん坊に強大な権利を持たせると、とてつもないことになるということです。しかし、危険を感じたら母親の下へたどり着こうという本能は十分持っています。つまり、安心感を得られるように必死で動こうとするのですね。国が腐ったという例は、過去どのような国にもありました。権力を牛耳っていたのは、ぶくぶく太った節制なんて全くなっていない、豚のような人間たちだった、というのはよくある話です。」
学生B「北朝鮮は、核をはじめとした武器を開発することによって、周りが自分たちの自然権を制約しにこないようにしたいわけですね。自分達自身の体制を守りたい。それは外国からそうされることもあるかもしれないし、下からの抵抗であるかもしれない。下からの抵抗は、軍による圧政や、洗脳教育によって防がれているわけですね。彼らは必死で自然権の束が解きほぐれないようにしています。」
先生 「そうですね。ただ、それだけのことをしなければならないということは、逆に言えば、そうでもしないとすぐにでも解きほぐれてしまうということでもあります。それほど反感を買うような国策を強行しているわけですね。彼らにとっては、自然権は制約するものではなく、束縛するものなのですね。対外的には、自分達が侵略されることにずっと怯えているわけです。自分達の体制が崩れるとすれば、外からである可能性が高いとみているわけですね。自分の自然権を強くすればするほど、他者の自然権が怖くなっていくというのは何という皮肉でしょう。」
学生A 「というか、侵略されたほうがずっといい国になるような気もしますけど・・・。アフガニスタンがタリバンではなく、アメリカに統治されていたほうがずっとよかったように。もう、少数の人間たちのための国があるって形になっちゃってますね。まるで、大勢の人間たちが作り上げたエネルギーの塊に寄生しているみたいですね。」
先生 「そうですね。いい国を作ろうというよりは、国自体が『自己保存の本能』に忠実に動いてしまっています。ですから、国民だろうが外国だろうが、それに脅威を与える存在は全て敵なのです。私は実質的に国とは国民に寄生する存在だと捉えています。つまり、依存ですね。寄生するというのは、自分の存在は自分達以外の存在がいなければ成り立たない、ということを意味します。赤ちゃんも胎児も自分だけでは生きていけません。ですが、栄養を取りすぎると国民が怒って殺しに来ることもあれば、母体がもたなくなることもあるわけです。生かさぬよう殺さぬよう、目立たないようにエネルギーを吸わなければならないのです。(笑)相互依存社会である今を考えれば、私たちも多かれ少なかれ寄生虫ではあるのですけどね。
北朝鮮は国民から栄養をかなり吸い上げていますから、10代後半になっても身長が小学生程度の子も多くいます。
私たちの国でも、反乱を起こすこと自体が内乱の罪に当たるので、犯罪者になってしまいますから、そういうことをする人はおそらくいないでしょう。先ほども言ったかと思いますが、海外に出ようと考えている人もだいぶ増えているらしいですね。」
学生A 「日本では稼げないから海外へ行く。労働者人口が減る。代わりに外国人労働者が増える。何だか変な感じですね。」
先生 「そうですね。高い労働力はいらない。安い労働力が欲しい、ということです。利益は利ザヤですからね。労働力が安いと、それだけ利ザヤが生まれるのです。もはや、人間は人間ではなくなりました。人間は、経済的資源であり、金であり、人間としての実体を失ってしまっているのです。私たち自身は、数であり、量になってしまいました。つまり個性を失ったのです。このような状態で少子化問題を解決しようとしているのですから、恐ろしいことです。私たちは決して子供たちのためを思って子供を産んでいるのではありません。自分達のために子どもを産んでいるのです。そして、子どもはさらに経済的資源となるがために、金となり、量となり、数となって、個性や実体というものを全く無視された世界へ溶け込んでいくでしょう。すると、子どもは自分が自分ではない感覚や、自分は必ずしも必要ではないという感覚になり、自殺をしたり、精神や心が空洞のようになり、苦しむ子も増えるのですよ。大人たちは、自分が必要ではなく、数や金や資源、そして自分達の幸せが欲しかっただけなのだときづくのです。傷つくのは子供なのです。『思い出のマーニー』に登場するアンナは、まさにこうした子供でしたね。
ニートや引きこもりも、今の社会の人間たちは、『自分たち自身』が必要なのではなく、周りが必要としているのは、自分の持っている『何らかのうまみ』なのだろう・・・というくらいの考えをもっているのかもしれません。まさに『狂人日記』の世界ですね。こんなだから、反出生主義者も増えるのです。経済的困窮だけが理由ではないのですよ。車で老人が救われる一方、幼稚園児の列に車が突っ込む。自分達の人生は、利益収奪社会のガチャポンになってしまいました。そしてみんな光を追い求めて、闇を見つめることがなくなってしまったのです。
少子化問題も、自然環境の問題も、子どもたちのことを考えて解決するのではなく、また、自然のために解決するのでもない。自分達がやばいから解決しようとしているのです。全部自分達のためなのですよ。」
この章のまとめ
① 今までのおさらい
② 国は国民に寄生している。
③ 私たちは個性を失い、金、数、量で評価されるようになった。
④ 少子化問題も環境問題も、今を生きている人間たちの危機感に応じて解決されるのであって、決して子供のためでもなければ、環境のためでもない。つまり、自分達のために解決しようとしている。
⑤ 先生(私)の話を信じるかどうかはあなた次第。
⑥ 朝鮮の悪口。
