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意味とは何か

「そんなことは意味がない。」という言葉はよく聞くけれども、意味の意味って何だろう?

漢字の成り立ち

 『意』とは、「心」の上に「日」が「立」つ、という形で組み合わさっている。私たちの意識の上に上り、まだ言葉として変換される前のもやもやしたものだ。心を照らすものと言ってもいいかもしれない。

意味には、言葉の通り『味』がある

 私たちが「味」を感じるのは、何も食べた時だけではない。心も味を感じるのだ。例えば私があなたに対して、「ば~か。」と言ったとしよう。それがあなたの耳に入る。すると、食べ物であるかのように「ば~か。」という言葉がかみ砕かれる。すると、その「ば~か。」という言葉の味がその人の心へ届く。これはいい意味ではないから、心がまずいと感じるのだ。心がまずいと感じるから、いい意味ではないということもできるだろう。ここでは、「私は頭が悪いと言われたのだ。」という『意』と、それに伴う不快感『味』がセットになって伝わっている。
 まずい意味を食べさせられた相手は、不愉快な気持ちになってくる。場合によっては、それ自体がいつまでも体の中に残り、自分の心にダメージを与え続ける。これはあたかも食べ物の中に『毒』が入っているようなものなのだ。つまり、言葉にも毒がある。このような意味を子供に与え続ける親のことを、『毒親』という。

意味は言葉以外でも伝えることができる

 私たちがコミュニケーションをとるとき、口で伝える音声としては、全体の10%程度。だから口は脇役。ほとんどは、ボディランゲージやその場の状況が相手に意味を伝える主役なのだ。
 例えば、暗い顔をして、小さな声で「おはようございます。」というのと、明るい顔をして、はっきりとした伸びやかな声で、「おはようございます。」というのとでは、相手に伝わる意味は全く違ってくる。
 暗い顔をして「おはようございます。」と言った場合は、明るい顔をして同じことを言う場合と比べて、言葉としては同じでも、相手の耳から入ってかみ砕かれ、それが心に吸収された時、相手を不快な気分にさせることがあるのだ。
 他にも、嫌味というものがある。嫌味は、言葉、ボディランゲージ以外にも、その場の状況が意味を伝えるということを教えてくれる。

嫌味

 例えば私があなたの部屋が散らかっているのを見て、
「あなたの部屋は大変綺麗ですねぇ~。」と言ったとしよう。
 表面的には、あなたの部屋がきれいであることを褒めているように思う。しかし実際は散らかっているのだからそんなことは無い。
 こうなると、相手は心にまずい味を感じるだろう。嫌味とは、表向きにはいい『意』である一方、その言葉を受け取り心で噛み砕かれた時、それが嫌な味を感じることを言う。『意』はいいことを言っている一方で、『味』はとても悪いのだ。それはあたかも、おいしそうに見える料理が、食べてみるととてつもなくまずかったということに似ている。
 『意』が心に浮かび上がり、言葉に変換される前の、私たちの頭、心にとどまっているもやもやとしたものであるならば、その時すでに『意』の中にまずい味が含まれているということもできる。
 なにはともあれ、この表と裏の不一致に続き、相手の心に届いた時の嫌な味を備えていれば、それは嫌味なのである。

脳が受け取る意味の正体

 コンピューターに詳しい人はわかっていただけるだろうけれども、コンピューターは2進数を使って処理をする。2進数は0と1の数値が並んでいるものだ。私たちがインターネットにアクセスして、いろいろな情報をやり取りできるのは、私たちにとってわかりやすい言葉が、一旦コンピューター内で0と1へ変換されるからである。

 コンピューターで私がこの文章を書いている。そして私が文章を完成させて、投稿する。すると、私の書いたこの文章は、0と1が羅列した情報へと変換される。そして電気信号となり光の速度でサーバー側へ到達する。サーバーはこの情報を受け取り、0と1の羅列を、また私の書いた文章と同じものへ変換する。そして皆さんの前に公開されることになる。

 実は私たちの脳もこれと同じようにできていて、脳内にも電気が流れている。例えば私が「ありがとう。」というと、その言葉は耳から入り、脳に届く。どこでこれを行っているのかは私は知らないが、その音声を0と1の羅列した電気信号へ変換する。そうしてその電気信号は、神経を通り我々の精神へと伝えられていく。

 仮に「ありがとう。」という言葉が、「00001111」という羅列だとしよう。赤ちゃんに対して、「ありがとう。」と同じ意味で、「りうがあと。」と言い続けたとする。「りうがあと」は、「11001110」であるとする。その赤ちゃんが大きくなって、突然私が「ありがとう。」と言い始めたら、その子は、どういう意味?と聞いてくるだろう。聞いたことのない音声なので、同じ意味でも、「11001110」に変換できないのだ。

 コンピュータもこれと一緒で、少しでも順番が狂うと、別の言葉として出てきてしまう。こういうのを「文字化け」という。その赤ちゃんは、「りうがあと。」をお礼の意味として受け取り、そして使うことになる。結局すぐに正されて、この試みは失敗に終わるだろうけれども。

ジャミング

 例えばレンジを付けながら無線のパソコンでインターネット動画を視聴していると、インターネットの動画が突然停止する。無線の場合、電気信号は一定の電波で届くようになっているのだ。そこでレンジを使うと、そこにも電波が発生する。その電波が、無線の電波とぶつかり合ってしまう。つまり、「0000111」となっていた並びが、「11101101」のようにめちゃくちゃに切り替えられてしまうのだ。

 ジャミングは、私たちの日常会話でも起きることだ。私たちは2人でお互いに話をしあっている。そこに突然でかい声をした人が私たちの間に割って入る。その人は自分の好きなことをしゃべっている。同じ日本語で、それぞれをちゃんと聞き分ければ、それぞれの意味は伝わる。しかし、同時に話されると、意味がわからなくなる。

 私たちはこの時、3番目の人のせいで、『相手の声が聞こえない。』という。しかしこれは正確には間違いなのだ。相手の声は、ちゃんと耳に届いている。相手の音声は、3番目の人の音声と衝突し、変形した音声として私の耳に届く。だから、私たちにとってはわけのわからない言葉になってしまったのだ。『聞こえない』のではなく、全く違う音波へ変化してしまったのである。水面に複数の物を落とした時、互いに衝突し合うのと同じである。

外国語

 「ありがとう」は、英語では「Thank you」だ。スペイン語では「Gracias」だ。フランス語では「Merci」であり、ドイツ語では「Danke」、私が赤ちゃんへの実験のために作ったわたくし語では、「りうがあと」である。
 
 皆同じ意味なのに、何のことだかわからない。これは、音声が全く異なるからである。つまり、言葉を受け取る我々からすれば、最初からジャミングされた状態であると考えていい。
 
 ところがこれらの言葉は、話し手からすれば真っ当な自国の言葉である。マンツーマンで伝わるべき言葉なのである。私たちは、その言葉が、「ありがとう」という言葉と同じ意味なのだということを理解しなくてはならない。それは文書で、「Thank you = ありがとう」と書かれたら伝わるので、大事ない。

 困るのは、実際に肉声で伝えられた時である。外国人の独特の舌使いによって、Thank youは、日本人のわたしたちが想像しているよりも、はるかに何と言っているのかよくわからない言葉として聞こえてくる。それはあたかも、私たちの周りで3個くらいレンジが稼働しているようなものだ。

 私たちは、日本語同士であれば、音声を正確にキャッチし、それを0と1へ変換できる。しかし、外国語の場合、聞いたこともない音声なので、私たちの脳内の辞書にある0と1に一致した言葉がないのである。

 したがって、リスニングを何度も行い、その音声を正確にキャッチする訓練が必要になる。Thank youだけなら苦労はないが、実際の英語はもっといろいろな言葉が使われるし、もっと長いだろう。

 この場合、文法は音声を正確にキャッチする重要なヒントになるだろう。言葉の並びに大体の当たりが付けられるからである。(状況はもっと深刻で、文法が正確に守られているとは言えないことも多い。)

 私たちが外国語を話して外国人に意味を伝えようとすると、これまた一苦労だ。私たちは、外国人の脳にとって、うまく0と1へ変換されるような音声を出さなければならないのである。だからこそ、発音は重要であると言われる。

 この電気信号のやり取りは、規格の違うコンピューターが、相互にやり取りをしているようなものなのだ。

 こういう時、外国人に対しては、言葉を使うよりも、ボディランゲージの方が意味が伝わりやすいだろう。しかしそれにも限りがあるだろうけれども。

結局、意味とは

 『意味』は、万国共通である。どの国にもお礼を指す言葉はある。だが、私たちは、まだその音声になれていないし、その文字も見たことがない。だから、その音声を聞き、文字を見た時、自分達の頭の中で、自分達の知っている日本語へ変換することができない。

 意は言葉の『料理』である。いい意味を送ることのできる人は、言葉の料理人だ。相手に伝わると、『意』という栄養分も伝わるし、その『意』には、いい味がある。そして、聞いた人の心を豊かにする。
 
 悪い意味を送る人は、言葉の料理が下手な人だ。相手に伝わると、『意』に栄養はあっても、とても不味い『味』が付いている。特に、『毒』が盛り込まれていることだってある。

 音楽を志す人は、きっと『音』だけで、相手の心にいい味わいをもたらすことを目指しているのだろう。もちろん、詩があってもいいし、私はそちらの方が好きだ。

なぜ日本人は外国語が苦手なのだろうか

 私たちが産まれた時は、日本語さえも外国語だった。私たちは、自分を取り巻く状況と、周りの人たちのしぐさ、表情、そして、周りの人たちの話している言葉とを、自分達の意味として変換し続けてきたのである。だからこそ、いちいち学ばなくても音と状況を『意味』へと変換することができるようになった。

 この場合、わからないのは、まだ見たことのない文字であった。
 
 一方、私たちは小さいころから外国語の音声を聞いてはいない。そして、ただラジオやCD、インターネットなどで垂れ流しされても、それが自分達の周りの状況と一致しないため、何のことだかわかりにくくなっているのだ。
 
 意味は、言葉、ボディ、そして、周りの状況により伝わるということは既に述べた。外国語を私たちが学ぶとき、せいぜい「言葉」しかないのである。

 だからこそ、外国語を学ぶのに最もよいことは、外国に行ってもまれることである。積極的に外国の状況を自分の周りに作り出し、外国人と交流し、その中で周りの状況と、言葉の意味を結びつけようと努力することだ。

 こういう過程を経ていないからこそ、日本人は外国語が苦手なのであって、決して私たちにそれだけの能力がないわけではない。苦手ということさえ不正確かもしれない。学び方のプロセス自体が、全くの間違いなのだ。

ネットの中傷が人を殺す

 ネットのコメントで中傷をする人間がいる。コメントは、文字によって相手に意味を送り届ける行為だ。私たちは、言葉に『毒』を盛り込むことができる。これが相手に届き、かみ砕かれ、相手の精神に吸収された時、相手が耐えうるほどのものを超えてしまったとすれば、相手は自死を選択するのだ。
 
 物理的な道具で傷つけられ、出血し、体の機能が停止するのであればわかるけれども、心は耐えられるはずではないか?と考えている人間は多い。

 しかし私たちは、心にダメージを負った経験を持っている。心に傷がつくという体験は、皆したことがあるだろう。

 人は基本的に不快を避け、快を求める。毒を盛られた言葉を受け取ると、それは慢性的にその人の心を不快な状態にしていく。すると、不快を断ち切る手段は、自分を殺すしかなくなっていくのだ。

 人の体の一部が腐り始め、その腐った部分が体全体に回る。心にも壊疽という症状があるとする。こうなると、その部分は切り取るしかない。そうしなければ、体全体がおかされてしまうのだ。

 これと同じで、心が目に見えない、出血なんてしない、なんていうことで、その人に不快感を与える言葉をボンボン投げ入れていくと、心の壊疽が急激に進行していく。

 こうなると、心は自分をその浸食から守ろうとするのである。そして、それはどう考えても『死』しかないのだ。毒を伝えてくる神経回路を全て遮断しなければならない。しかし、人は生きている以上、心を持ち続けてしまう。

 人によっては、『死』の代わりに、麻薬や酒などの快楽物質に走る。そうすると、『不快』を送り届けてくる神経をごまかせるのだ。だからこそ、依存者というのは後を絶たない。

 言葉は目に見えないし、目にわかる殺傷能力はない。しかし、目に見えないだけで、武器と大して変わらないのである。

 「そんなことは意味がない。」の意味

 意味の意味が、私の考えた通りの意味であるとすれば、「そんなことは意味がない。」の意味は、「そんなこと」とされた、その行動や物事の結果が、私たちの心に届いた時、私たちに心地よい味が広がる行動や物事の結果ではない。という意味なのだろう。


 だからといって、その行動や物事が、私たちにとっていい味わいであったとしても、果たしてこの世界にいい意味をもたらすかどうかは定かではないけれども。一言余計ですか。不味い意味を送って申し訳ありません。


 

 



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