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【ひろゆき物議】座り込み抗議の実態は?沖縄基地問題を考える について勝手に意見を言ってみる②

私がこのYouTube動画を見た範囲での意見です。


発端

辺野古移設 3011日座り込み

ひろゆきさんが行った時には、座り込みを行っている人はいなかった。
だから、ひろゆきさんは0日にしたら?というツイートを行い、物議をかもしたのだそうです。

しかし、座り込みは、実際にトラックが通過する時間帯のみに行われているようでした。したがって、ひろゆきさんはその時間を狙って再度訪れることになります。

すると、そこには抗議活動をされている方達(正確には、そのために集まっている人たち)がおり、ひろゆきさんに声をかける。

そこで、ひろゆきさんと口論になる。

まず、辺野古移設が決定したのは平成8年(1996年)4月です。4月の何日なのか、具体的に書いてあるサイトにはまだ辿り着いていないです。知っている方は教えてください。

そして、今回の3011日というのは、365が1年で、10年で3650日ですから、ざっと計算して、8年以上座り込みを継続していることになります。

1996年に決まって、8年?
いや、そんなわけありませんね。

工事自体が承認されたのは、平成25年12月のようです。
そして、この動画があげられたのが、2年前。今が令和6年12月ですから、つまり令和4年12月。

25年12月の最後なので、26年からにしています。本当におおざっぱな計算で申し訳ありませんが、平成26年1月から8年近く座り込みを行ったとすると、

 1  2  3  4  5  6     7 8 9

26,27,28,29,30,31(元年) 2 3 4

3011日、というカウントが事実であることを前提とすると、工事が承認されてから、大体、毎日と言っていいほど、座り込みを継続してきたことになります。私の計算は、ちょっと誤差があると思いますので、おそらく、毎日なんだろうと思います。

この記事では、毎日座り込みを継続してきたのだ、ということで、話を進めていきたいと思います。もう、3011日とかはいいです。辺野古移設の承認が行われ、工事が実行に移された時から毎日、座り込みを継続してきたのだ、そう看板にかかれていたのだ、ということで話を進めます。

辺野古移設に反対する抗議活動としての座り込みは、辺野古移設承認後の工事開始から、今まで継続して行われていたとする その日数は、およそ8年から9年に及び継続していることになる。

座り込みの定義


最初にググって出てきた上位画面です

座り込み(すわりこみ、英語: sit-in, sit-down)とは、抗議相手に要求を飲ませるため、抗議の意を抗議相手または第三者に示すため、もしくは抗議相手に損害を与えるために、座ってその場に留まること[1]。労働争議や公民権運動などで用いられはじめ、現在では、政治的な場からスポーツの場におけるまで多様な場で用いられている手法である。非暴力の直接行動の一つ[2]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%A7%E3%82%8A%E8%BE%BC%E3%81%BF

座り込みの定義ですごい揉めています。

私のジャッジだと、ひろゆきさんの言うことが正しいと思っています。普通に、上記の辞書的な意味を読めば、『座ってその場に留まること』、と書いてありますね。

24時間座ってなきゃいけないって書いてあるんですか?

 書いていません。しかし、留まること、という言葉の意味から、24時間と読み取れることは確かです。少なくとも、絶対にそうとは読み取れない!ということはありません。

 座り込みとは1日のうちいくら座っていたら座り込みと言えるのか?ということが論点とさせていただきます。そして、24時間座っていたら、文句なしに座り込みです。これは、ひろゆきさんはもちろん、抗議活動をされている方達も、文句が無いと思います。

 では、24時間ではなくてもいいと言うのであれば、一体どれくらいの時間であればいいのでしょうか?座り込みの定義には、何分間以上、あるいは、何時間以上、という最低限の数字は書いていません。

 このままだと、例え1秒でも、1分でも座り込みをすれば、座り込みと言えることになります。ひろゆきさんは、名古屋市長の河村さん(今は市長ではないようですが)が7分間の座り込みをしたことを(短すぎるでしょ)と突っ込んでいましたが、もし24時間座っていなければならない、という前提がなくなれば、7分間であったとしても、座り込みとして成立してしまうことになります。

 座り込みは、何時間すれば座り込みなのか?ということが今の論点だったのですけれども、具体的な時間が示されていない以上、考える必要があります。

 ・24時間説ははっきりしていて気持ちがいいですね。
 ・24時間じゃなくてもいい説は、なぜそうなのか?じゃあ、具体的に何時間であればいいのか?そして、その時間は、どんな理由で決められたのか?

 ここが大切になります。というわけで、24時間じゃなくてもいい説を深掘りしていきます。

 このことに対しては、辺野古移設反対派で、座り込みを行って抗議活動を行っている方達(以下、抗議活動家と呼称させていただきます。)は、実際に工事車両が来る時間帯に、座り込みを行っている、と主張しています。

 それは、具体的に何時間なのかは、動画からは読み取れませんでしたが、9時、12時、15時の計3回であることは、確かなようです。

 ここで、何時間座り込みを続けていたら、座り込みと言えるのか?という論点に対して、9時、12時、15時の計3回、そこから仮に1時間とすると(ひろゆきさんがおっしゃるには、そこから15分程度、一日にして1時間もしていない)、計3時間座り込みを行っていれば、座り込みと言える、ということが、抗議活動家さんたちの主張だと言うことにさせていただきます。

 ひろゆきさんは、多少妥協して、『半日でも』、と言ってしまってましたが、最初の主張を考えれば、気持ちの上では、24時間だと推測できますので、24時間説だとさせていただきます。私がそう推測する根拠は、そうじゃないと、適当な時に訪れて、いなかったから抗議活動してないじゃん・・・とは考えなかったはずだからです。24時間だったら、いつ行っても抗議活動家たちはいるはずなので、ひろゆきさんはそう考えてらっしゃったのだということが、容易にわかります。

24時間説・・・ひろゆき
工事車両が来る時間帯のみで足りる説・・・抗議活動家

このノートでは、このようにさせていただきますよ。

ここで、どうして意見が食い違っているのかというと、こういうことだと思います。ひろゆきさんは、座り込みというのが、24時間(これが基本でしょ)継続が必要だと主張しています。だとすれば、3011日の継続は、24時間×3011日していなければなりません。しかし、実際は9時、12時、15時から15分~でした。とすれば、3011×24時間継続して座り込みをしているような看板を出しているので、事実と違う、と主張しています。

これに対して、抗議活動家の方達は、24時間ってどこに書いてあるんですか?たまたまいないときを狙って!と言っているように、明らかに座り込みは24時間継続する必要はない説をとっています。じゃあ、具体的には何時間なのか・・・というと、工事車両が来る時間帯のみで、長くとも大体3時間くらいだとわかります。

で、このことについての私のジャッジはこのようになります。

 まず、ひろゆきさんの24時間説は、座り込みの定義としては、まぎれもなく、正しいと思いました。
 しかし、抗議活動家の方達の意見もわかります。そもそも、時間というのは、抗議活動の目的を達成するための手段なのであって、24時間継続して座り込むことが目的ではありません。目的を達成するために必要な時間、抗議活動をしていれば、足りる、ということも考えられます。

 では、それならばそれで、抗議活動の目的を達成するために必要な時間とは、一体どれほどの時間なのか?というと、非常にあいまいになってしまいます。ひろゆきさんの24時間説は、曖昧さがなく、実際にそうできればいいと思いますが、特に夏の間、猛暑の沖縄で、炎天下の中、抗議活動を行うのは相当つらいと思います。抗議活動家の方達にも、日々の生活があるので、24時間ずっとは難しい。ならばということで、人員交替をしながらの24時間を行うこと。其れでも24時間は達成できるでしょう。ただ、普通に深夜まで起きていなければならないとするのであれば、しんどいですね。炎天下の沖縄で、寝不足あるいは昼夜逆転というのは精神的にも肉体的にもきついと思います。うまくシフトを組むのも大変です。それでもしろというのであれば、バリケードを兼ねて、テントはったり、寝袋を並べて寝る、仕事があるときは、仕事のない方が張り込む、ということをするんでしょうか。そうすると、仕事がないご老人たちが多いパターンになります。

ひろゆきさんは、若者がいない、という風に見ておられましたが、これも私は、本当のところはどうかわかりませんが、大部分の若者は仕事をしており、学生さんは学校に行っていた、ということはあるかもしれません。


 私も、座り込みの定義だけにフォーカスをすれば、24時間で座り込みというべきだ。ひろゆきさんのおっしゃる通りだと思います。それがどうしてかというのは、この記事を読んでいってもらえたらわかります。

 だから、抗議活動家の方達は、こう書くとよかった。3011日継続 (9時、12時、15時の工事車両が来る時間帯に、~分ほど、抗議活動を行っています)などと、実態を併記すれば、ひろゆきさんも納得したと思います。実体と看板を合わせること。これが大切だというのが、最初から最後まで一貫した態度です。
 それはその通りだと私も思うのです。しかしながら、悩ましい事情も存在しています。その事情は、後で私がリベラル派の立場に立って持論を展開するときに明らかになります。


 ひろゆきさんに文句を言いたくなる人達は、まずは、ひろゆきさんが、何を言いたかったのかを、正確に受け止めてあげる必要があったと思います。

 座り込みは24時間継続が原則だということを固定しておきます。しかし、それだと余りにも辛すぎるので、そこは、情状酌量してもいいのではないか?少なくとも、目的を達成するための手段としての座り込みが成り立っているのであれば、24時間に拘らなくてもいいのではないか、というのが、今の私の立場です。ひろゆき修正説ですね。ひろゆきさんも、半日でも~とおっしゃってたので、修正説は許容範囲で見てくれると思います。

 で、今の現状を見てみましょう。工事自体は止まることがなく継続されているので、目的達成のために必要な座り込みができているとは、残念ながら、言えないのが事実であります。このような座り込みを続けていても、工事自体の阻止へと直接結びつく効果は、期待できません。そこに期待をかけていることもあろうかと思いますが、止まることはないといいきれるくらい確実だと予想できます。少なくとも、3011日間、それはできなかったわけですね。未来はわかりませんけどね。

 とすれば、抗議活動家の人たちは、座り込みの時間を、もっと延ばさなくてはならないことになります。しかし、一体いくら延ばせば、工事車両が通らなくなり、工事自体を断念させることができるのかわかりません。だから、それは極論を言えば、結局24時間になってしまう可能性だってあるわけです。

 となると、問題は、相手の実行を阻止できるほどの座り込みを行っていないことに求められるわけです。

 私のひろゆきさん修正説で行けば、これは座り込みとは言えない、ということになりそうです。あくまでも、24時間が原則とした場合の修正説ですから、厳しく、辛口の判定です。

 1分でも2分でも、間が空けば、あちらはその隙間を縫って、物資を運ぶでしょう。10分なんて、相当のサービスタイムです。だから、現実的に、座り込みのみで抗議の目的を達成するのであれば、24時間しなければ、おそらくは、意味がない予想できます。

 とすれば、結局、ひろゆきさんの、座り込み24時間が、目的達成のためには必要不可欠になってしまうという気がいたしますので、座りこみの定義自体、24時間継続すべきという、ひろゆきさんの方が正しいのではないか。色々な意見があるでしょうが、私は、現実的に、24時間継続しないと、あちらも、結局通過しちゃうでしょ、と思ってしまいます。

 過酷であることは、百も承知ですが、目的を達成するための手段としては、残念ながら足りていないのではないでしょうか。

辺野古移設に対する座り込みはそもそも何を目標としているのか?

もう一度、これを見てみましょう。

座り込み(すわりこみ、英語: sit-in, sit-down)とは、抗議相手に要求を飲ませるため抗議の意を抗議相手または第三者に示すためもしくは抗議相手に損害を与えるために、座ってその場に留まること[1]。労働争議や公民権運動などで用いられはじめ、現在では、政治的な場からスポーツの場におけるまで多様な場で用いられている手法である。非暴力の直接行動の一つ[2]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%A7%E3%82%8A%E8%BE%BC%E3%81%BF

・自分達の抗議の意思を表明すること
・自分達の抗議の意思を相手に伝えることによって、相手に翻意を促し、ひいては辺野古移設の実行をやめさせる(工事を消極的に妨害することによって、工事自体を断念させる。(具体的には、座り込みによって工事に必要な作業員、車、道具の搬入などを防ぐ)
・抗議相手に損害を与えるため

 うん。抗議をするからには、2番目だと思いますよね。『意思を伝えた、満足だ。』だったら、それだけやればいいわけですし、なんなら署名活動をすればいいと思うからです。

 リベラル派の人たちは、これしか手段がないのだ、ということをおっしゃっていました。そうですね。だって、何をやっても結局は無視されてしまうわけです。おそらく、署名も無視。メディア発信してもみんなその時の楽しみとしてみるだけ。他人事。じゃあ、例え時間が満たされていない不十分な手段であったとしても、実際に工事を妨害するための座り込みを行うしかない。もうそこに賭けるしかないのだと。

 で、1番目で済めば最も楽ですが、これは無理でした。3番目は、例えば、工事の時期が遅れることによって、時間が経過する、すると、時間と経費がより多くかかることになり、段々、工事の完成が難しくなっていく、という損害だと考えます。

 2番目を狙っているのが、今の状況です。でも、結局効果がなかったというのが今の状況です。

 国は自分達が決定した工事をやめないわけですから、やめさせるための手段を講じる必要があるわけです。今やっている座り込みでは、目的を達成できていないわけですね。だから、手段としては、不十分だと言えます。唯一、24時間継続が、その可能性を持っています。さすがに人をひき殺して物資を移動させるっていうのはできませんからね。(今だったらクレーンみたいなのでまたいでいけるかもしれないけど)

 例えば、『釣りバカ日誌』で、鈴木建設がリゾート施設を開発しようとしているときに、座り込み活動をしていましたね。御覧になった方は多いと思います。そのため、工事をするためのトラックなどが全く入れない状況になりました。彼らは日中そこに居座り、弁当や飲み物、テントなどを用意していすわっていました。私は、座り込みというのはああいうイメージがあります。

 私が沖縄の座り込みを映像で確認したときは歩行者通路に座り込み用の座席が置かれているんですね。だから、工事車両が通過しようと思えば、いくらでも通過できるわけです。

 確かに、時間になれば、工事車両が入るのを妨害していました。機動隊員の人達が、どかしていましたけれども、やっぱり、目標達成のために必要な手段が取り切れている、とまでは言えません。

 しかし、これには私も同情します。例え目的を達成するためとはいえ、暴力はできませんし、より強い実力行使に及ぶことが難しいのが今の状況です。先ほどの、炎天下の沖縄じゃ暑すぎるだろ理論から考えても、情状酌量の余地は十分あります。

 ということは、今の私の話はこのように着地できています。

 座り込みは24時間行わなければ、結局工事の中止は期待できない。
 署名活動、メディアでの発信など、そして県自体が動いているのに、国側は相変わらず実行してくる。だから、例え手段が不十分であったとしても、座り込み活動を行い続けるしかない沖縄のみなさん。

 私は、沖縄の皆さんに寄り添いたいですね。でも、正しいことは正しい、そうであることはそうであると、とりあえずは認定しておかなければならない。だから、ひろゆきさんは今回、沖縄の敵みたいになっちゃってますけど、座り込みという言葉が持つ意味については、その考えは間違いがないと私は思います。

 その定義だと非常に過酷なので、私は修正説を出しました。厳しめの、辛口の修正です。しかし、それでも、座り込みであるとは認められませんでした。残念です。

 とすれば、ひろゆきさんが最初におっしゃっていた、座り込み3011日というのではなく、抗議活動3011日と書く方がより正確である、事実は事実として看板と一致させるべきである、という意見自体は、何ら問題のない一意見だと私は考えます。

リベラル派3名の方

阿部さんと、せやろがいさん、そして、宮原さん

この3名、私は今回初めてこのお三方のことを知ったのですが、話の内容からすると、辺野古移設反対、そして、ひろゆきさんの意見や行動とは対立する立場だと言うことが簡単にわかります。宮原さんは、この話は国会を動かすしかないというひろゆきさんの意見には同調していましたね。宮原さんのおっしゃることは、3人の中ではよくわかったほうです。

動画の序盤では、阿部さんと、せやろがいさんの言うことと、ひろゆきさんの話が全く嚙み合っていないので、カオス状態になっています。また、このカオス状態は、結局、最後まで続いています。(で、確証はないのですが、多分途中で動画が編集されて、途端に話の内容が変化していました。)正直、どんどん話の糸がもつれて行ってしまって、私を含め、視聴者の皆さんは、何が何やらわからなかったのではないのかと思っています。

阿部さんは始終、自分の言いたいことしか言っていなかったと思います。
阿部さんのおっしゃる意見では、座り込みの定義については、決着がついたと言い切っているところがまずよくわかりませんでした。

せやろがいさんも始終、自分の言いたいことしか言っていなかったと思います。

私の中で話がよくわからなかった度は、

 あべさん >> せやろがいさん >>>>> 宮原さん

でした。あくまでも感覚ですけどね。

ただ、このお二人は、優しい人なんだろうと思います。民主主義では、多数派の圧力が少数派を押しつぶす、とか、力の弱い人たちを、力の強い人たちが~、という思いが根底にあるのがその主張から見て取れます。

それはよくわかるのですが、とりあえず、ひろゆきさんの話と噛み合うような話をしなければなりませんでした。そうじゃないと、議論になりません。

そして、ひろゆきさんが「笑う」という行動をとったことに対して、優越的な地位にあるからだ、ということ、力関係で強い側にあるから笑っているんだと主張しています。

この主張は、論理が飛躍しているし、筋が違います。そして、例えこのことが正しかったとしても、今回の話とは関係が無いと思います。あるいは、どう関係しているのかを、うまく説明しきることができていませんでした。(もし、編集をされていたがためにそうなっているのであればごめんなさい、しかし、ここは編集されているようには見えませんでした。)

とりあえずまとめると、座り込みの話はまだ決着がついていませんでした。
ひろゆきさんが「笑う」ことについて言及され、米軍基地を沖縄に押し付ける、ひろゆきさんが多数派の力を利用して、沖縄の抗議行動に、自分の考えを押し付けている構図は一緒だと主張している。

そういうことはあるのかもしれませんし、そのこと自体は間違いがないのかもしれませんが、話の流れにはまったく沿っていないと思いました。

座り込みの連続性という話以前に、阿部さんとせやろがいさんの話の連続性自体が無かったように思います。

抗議活動家の人たちを守りたいとか、彼らの活動をもっと理解してほしいとか、そういう気持ちがあるのはよくわかりました。しかし、肝心の、ひろゆきさんとの会話の成立が全くできていないのです。この二人は、この場に呼ぶべきではなく、同じ立場で、もっと話の噛み合う人を呼ぶべきであったと思います。そして、もっと自分の考えをうまく言葉に置き換えられる人を呼ぶべきであったと思います。

これだと、リベラル派の評価がかなり落ちると思います。かなり残念です。私はリベラル擁護ではありませんが、議論が成り立っていない、ということ自体が、とても残念でした。

しかし、彼らの言葉の端々から、おそらくこういうことをいいたかったのではないか、ということを、私個人が考えまして、それをこれから述べさせていただきたいと思います。私なりに、私がリベラル派であったら。あるいは、阿部さんやせやろがいさん、宮原さんのような立場であの場所にいたら、ということを想定して、これから彼らの意見を、ひろゆきさんがわかるように書いてみたいと思います。たぶんこういうことがいいたかったんじゃないだろうか、ということです。彼らがもつ、抗議活動家への思い自体は、私は嫌いではありません。

 ただ、彼らの言いたいことが、ひろゆきさんにも伝わらなかったのは事実だと思います。

 彼らは、抗議活動の存在自体がない、(0日でよくない?)とするひろゆきさんの、この行動や影響力を一生懸命否定しようとしているように思いました。(だから、あべさんにとっては座り込みの定義はどうでもよくて、『3011日の期間が、ひろゆきさんによって、0日と喧伝され、ひろゆきさんの影響力もあり、多数の人たちが、3011日の抗議活動を0日として認定し、それで確定させてしまう、その巨大な一つの流れをひろゆきさんが生み出してしまった』ということを言いたかったのではないか。あべさんの頭の中では、すでに論点がこちらにシフトしていた状態だったのではないか、ということです。例えば、ロシアがウクライナとの戦争で、事実でもないことを事実だと主張して、後は多数の国民にそう信じこませ、ロシア国内の反戦派を抑え込む、という流れを考えていただくと分かると思います。)

 こう考えると、ああ、それが言いたかったのか・・・とわかります。あべさんは、舌足らずな所があったと思います。今の論点自体がまだ決着ついていないのに、決着がついていると言っていたのも、どう決着がついたのかを、少なくとも説明するべきであったと思います。

この問題についてのリベラル派に立った場合の私の考え

 これは、あべさん、せやろがいさん、宮原さんの言葉を、全て理論化した場合、ひょっとするとこういうことなんじゃないかなと思うところを整理したものです。

 たとえば、3011日目まで、24時間継続して座り込みを行っていたとします。すると、3012日目に、ひろゆきさんがやってきました。その時、抗議活動はしていませんでした。3012日目が、抗議活動が途切れたまさにその日だったのです・・・。

そうしたとき、ひろゆきさんが、座り込みなんてしていないんだから、0日でいいんじゃない?という感じの投稿をすると、3011日の抗議活動が、0日にまでリセットされてしまうことになるのです。

事実としては、続いていました。しかし、国民の主観としては、0日までリセットされてしまうのです。

何故かというと、辺野古移設の抗議活動は、物理的には、工事現場にいる人たちが視認できる範囲で行われていますけれども、その活動が行われているということを、視認できない範囲にいる全国の国民に示すことで、国民の主観には、継続して抗議活動が行われているのだ、という心証が形成されているからです。

例えば、新聞やニュースで、数か月ごとに、沖縄の抗議活動に対するシーンが掲載されれば、その間はずっと抗議活動が行われていたのだと推定する人は多いでしょう。そして、3011日の座り込みの看板を見ても、それをパッと見て信じて、3011日間継続しているんだと推定するのも、その通りでしょう。

この類推こそが、抗議活動を行う人たちの頼みの綱なのです。

政治家たちが、選挙活動で選挙カーを乗り回して自分達をアピールしても、日本は少しも良くならないのですが、あれを行うことによって、政治家としての自分を、人に認知してもらえる。選挙活動を頑張っていたら、さも、議員活動自体を頑張っているかのように、推定してくれるのです。実際、選挙活動をとても頑張っていたから投票した、という人がいるのを、私はテレビで見たことがあります。(もちろん、その人だけかもしれませんし、私はそういう人すべてに出会ったわけではありませんけど、そんな人が少人数しかいないんだったら、政治家も、選挙活動はしないと思います。)

民主主義は、国民主観主義です。

 逆にこう考えてみましょう。例えば、抗議活動は0日で、そもそも全くやっていなかったんだけど、3012日目に、ひろゆきさんがやってきたとき、たまたま本気を出して、座り込みを実際に行っていた場合、それを見たひろゆきさんが、このようにツイートしたとします。

沖縄の人たち、座り込みちゃんとしています。ピース。これで3012日目ですね。

みたいな感じで。

 すると、たったの1日だったはずの座り込みが、一気に3012日の価値を持つのです。しかも、仮にこうなったとすれば、抗議活動家の人たちは、文句は言わないと思うんですよね。

 私は、座り込みというのは、実際に工事車両が入るのを妨害し続けなければ、結局工事は継続して行われてしまうので、それを行わない座り込みを、何日継続させようが、結局工事は進められて行ってしまうものだと考えています。だから、工事の中止のために、座り込みを行いつつ、目の前を工事車両が通過しているのであれば、工事を止める、という目的を達成するのには、不十分であると言わざるをえません。どれだけ頑張っても、工事が継続されていること自体は、残念ながら、事実なのです。つまり、この座り込み抗議自体は、素晴らしい行動だと賞賛されようが、どうであろうが、目的を達成するために取る手段としては、足りない、というのが現実ではないでしょうか。

 しかし、それでもどうして座り込みを継続し続けるのか・・・。それは、国民の主観に訴えているからです。国側も、それに対抗する国民側も、民主主義になった以上、国民主観主義であることを、みんなどこかでわかっているのだと私は考えています。

継続しているのだと私たちが考えてくれれば、中身がスカスカな看板が出ていたとしても、それを見て信じてくれれば、大衆が動く可能性が高まります。政府への批判意識も高まります。その意識が高まり、沖縄圏外の国民の心が動けば、大勢を動かすことができるようになります。そうして、多数決が取れれば、ひょっとすると、国も動くかもしれない・・・。

そのための行動なのであると、私は考えます。

だから、すごい乱暴な意見を言うと、中身が空っぽでも、国民が信じてくれればそれでいいや・・・。という結論が、一番負担の少ない方法なのです。超合理的なのです。目的を達成するための手段としては、例え一瞬でもいいから、国民がその後ずっとそう信じちゃえばOKというところまでになってしまうのです。

 座り込みの効果自体が全くないこと。でも、沖縄の人たちはその手段にすがらざるを得ないこと。もうこれしかない。そして、自分達がこれだけ抵抗しているという姿を見て、全国の国民の皆さんには、沖縄の思いを知ってほしい。そして、国に辺野古移設へ反対する機運を強めてほしい。日本は、多数の力を取り付けなきゃダメなんだ。そしてさらにいけば、日本を翻意させるくらいの強い流れになって行ってほしい。

 言葉にしていない思いを言葉にすると、こんなところじゃないかなと思います。

 つまり、座り込みの目的は、実力行使で工事の中止を実現することが望めない以上、国民の気持ちを動かすことにシフトしているわけです。国民の気持ちが動けばOK.動かなければ、結局目的達成は絶対にできません。そこで揺れているわけですね。

 こうなると、私が先ほどいった、1秒の労力でもいいから、国民の気持ちを変えて、不可逆的な辺野古移設反対の流れを作れればOK説が、今の座り込みの目的になります。(確かに、世論を動かすのは、常に一瞬の、人の心の変化です。感動であったりします。だから、1秒の労力、という表現を見て、彼らの行動を軽視してはいけません。)

 しかし、だからといって、空っぽの嘘に騙されたくもありません。そうなると、どんな場合でも大切なのは、沖縄県民の人たちが、自分達の抗議の意思を、実際に行動で示しているかどうかにかかわらず、その気持ちを持ち続けていることです。この抗議の意思が内面にしっかりと存在していることです。そのうえで、彼ら以外の国民が、沖縄県の辺野古移設反対の意思を、しっかりと認識(主観的にそれがあると思って)して、それに感化され、やがて自分達が政府の辺野古移設の実力行使を疑問視し、批判的な目を持ち、不可逆的な反対の行動をとってくれるならば、それでいいのです。それを起こすために取る行動が、例え1分で終わろうが、3011日継続しようが、そうなってくれたら、同じことなのです。

 今回、ひろゆきさんがやってしまったことの、最大の問題点は、国民主観主義である民主主義というこの日本の舞台で、インフルエンサー(だと思いますが)のひろゆきさんが、座りこみしてなかったよ。0日でいいんじゃない?という内容の投稿をしたことにより、それを見た視聴者たちが、あ!そうなんだ!移設反対の座り込み活動、全然してないんだ!と考えてしまったら、3011日頑張っても、国民の主観がその瞬間に、一気に0日にリセットされてしまうことになるのです。リベラル派の人たちも、ここに言及していましたよね?

私個人にも、似たような経験があって、何かは申し上げられませんが、継続しているんだ!と周りの人に思ってもらっていたことが、たった一回のとん挫で終わってしまいました。その一回だけが出来なかった・・・という形で終わればまだよかったのですが、最初から1度もしていなかった、継続していなかった、という形になってしまいました。

今回の問題は、国民の主観をひろゆきさんに書き換えられてしまった、と感じた抗議活動家たちが、あれだけいらっしゃった・・・という話なのだと、私個人は分析しています。
座り込みの定義自体もそれなりに大切だし、事実と表示を合わせるのは大切ですが、0日でいいかどうかは、わからないのです。

座り込みの定義自体は、ひろゆきさんの言う通り、継続性が大切です。少なくとも、今の状態だと、工事はどんどんおこなわれてしまっているわけですから・・・。少なくとも、座り込みの目的が達成されるだけの手段としては成り立っていないことは確かです。そうであるとすれば、その座り込みが、3011日続こうが、0日で終わろうが、座り込み自体は、効果を持たなかったことになります。

抗議活動家は、座り込みを行うことで、工事を断念させるという目的を達成したいのでしょう。周りからどう思われていようと、それが、その場所で達成できれば、それでOKなはずなのです。たまにきて、帰っていく本土の人間や、ネットから遠距離射撃をしてくるユーザーたちのことなんて気にかけず、その場所で目的が達成されるなら、それだけをしておけば文句はないはずです。

しかし、それはできないのです。やっぱり、彼らも、国民全体の目、抗議活動が継続されていることによる効果に、ある程度の期待を持っていたことは間違いないでしょう。そうじゃないと、あれだけ怒ることはないのではないでしょうか。ちゃんと抗議活動を行っていれば、現地の作業員の人たちには、毎日やっていることが嫌でも伝わるからです。

それとも、単にひろゆきさんに侮辱されたと思ったのでしょうか。怒りの発言を見るとやっぱり、24時間座り込んでなきゃ座り込みじゃないのか!とか、たまたまいない時を狙って!といった発言からも、あの看板が国民に対して訴える効果を、意識していたことは間違いないと思います。

 ひろゆきさんの投稿を見て、アンチひろゆきさんは信じなかったかもしれませんし、私のように、3012日目(穴日)のひろゆきさん到来の可能性(めちゃくちゃわずかな可能性ですが)を感じる人や、そうでなくても、たまたまだった、という考えを持っている人。あるいは、沖縄が抗議しようが、抗議しまいが、国のやっていることはおかしいんだ、と考えている人は、いらっしゃったと思います。

しかし、この投稿を見た視聴者たちが、どのように考えるのかを、推測してしまうと、やっぱり、0日にリセットされてしまったと。国民の主観は、沖縄県民全然、辺野古移設反対してないじゃん・・・という主観に書き代わってしまった。少なくともその危機感をおぼえた。そう感じたのだろうと思います。

民主主義は、国民主観主義です。抗議活動家達も、こんなツイートを出されたら、国民の皆がどう思うか・・・を意識していることがよくわかります。人は危機感を抱くと、最悪のケースを予想することもよくあるものです。0日にリセットされた?考えすぎ、と言われても、無理なものは無理です。

沖縄県内だけで、辺野古移設に反対して、工事車両に乗っている作業員たちが翻意してくれたり、たまたまやってきた国会関係の人たちがその抗議を見て、自分達の考えを改めてくれるのであれば、国民の意思をそこまで気にする必要はありません。彼らのみに訴えればいい。

しかし、日本は民主主義であり、民主主義は、国民主観主義です。(そうである前に、アメリカの言いなりなので、アメリカの意思に反しない限りでの)民主主義です。

アメリカがウンと言わなければ、国会を動かしても動きません。

議論の種にはなりますが、アメリカを動かせない以上、議論をしても、抗議をしても、無駄に終わります。

これは残酷な事実で、どれだけ頑張っても、不可能に近いのです。民主主義は、自国の代表者たる国会議員を動かすところまではできるという建前ですが、それを通して外国の人たちの意思を動かすところまでは想定されていないからです。だから、民主主義民主主義とどれだけ訴えても、それで抗議の目的を達成したいのであれば、アメリカ国民の心にまで届くように訴えなければならない。そういうレベルにまで話が膨らんでいくと思います。

何であれ、抗議活動自体がとてもつらいものであることは変わりありません。そうであるとすれば、私が行ったような、瞬間的な何かでもいいから、不可逆的に人の気持ちを変化させればOKという、エビで鯛を釣る作戦が、最も効率的になってしまいます。

ほんのわずかな時間で、3011日抗議活動が継続していると、国民全員に考えてもらえることが出来れば、それが一番効率的です。

そうすれば、その時間を、もっと別の、生産的なことに充てることができます。ただし、辺野古移設反対の意思は、胸に宿していなければいけません。

民主主義になって、中身が空っぽだな~って思う組織とか、制度とか、そういったのがたくさん出てきたと思いますが、私は個人的に、これが民主主義の病理現象の一つだと思っています。民主主義は、国民主観主義なので、看板のすげ替えで済むなら、それが一番楽だし、最も合理的で、効率的なのです。要は国民が信じてくれればいいのですから。

私は、沖縄という暑い地域で、例えば、7月や8月の炎天下に、例え屋根がついているにせよ、抗議活動を行い続けるというのは、かなりきついのではないか・・・。いや、きついに決まっています。だから、例え継続するにせよ、この温暖化が激しい今の時分、しかも日本で最も暑い沖縄で、抗議活動を続けると言うのは、自殺行為だと思っています。しかもお年寄りがです。

例え、今回の座り込み抗議活動の継続が、すっからかんの空っぽでも、私は彼らを責める気にはなりません。彼ら自身が、辺野古移設反対の意思を、胸に宿しているのであれば、どのような形であれ、それを、表明すればいいと思います。ネットでも、署名活動でも、たまにおこなう座り込みでも、無理のない方法で、行えばいいと思います。私は、座り込みの継続性よりも、そちらの方が大切だと思います。大切なのは心!そして、座り込みもいいのですが、政府がどう間違っているのかを筋道立てて公表することも大切ですね。(まぁ、信じない人は信じないし、でっち上げだと言う人はいなくなりませんけどね。だからこそ、余計実力行使するしかなくなっていくのでしょうね。)

結論

座り込みの定義は24時間だ。というひろゆきさんの主張はごもっとも。
少なくとも、座り込みの目的である、工事の妨害、断念ができていないのであれば、手段としては足りないので、何日継続しても、結局は何もやっていないのと同じになってしまう。だから、座り込みの時間を延ばさなきゃいけないけど、そうなると結局、24時間やらなきゃダメなんじゃない?ってところまでいきそうです。

 座り込みの定義論争 ひろゆき 95  抗議活動家(リベラル派) 5

どうして継続していることを看板に書き、それを否定されたらあれほど怒るのかというと、民主主義だからです。民主主義は、国民主観主義です。よっぴーさんのおっしゃる通り、野次馬が国の趨勢を決めるというのが今の世の中です。野次馬は、その時関心のあるところに群がり、ぱっと見で全てを知った気になり、自分の考えを形成していき、それを自分の意見とします。

座りこみの定義自体はひろゆきさんのおっしゃる通り。ひろゆきさんが訪れた時に抗議活動が無かったこともその通り。しかし、ひろゆきさんの0日でいいんじゃない?という言葉自体は、行き過ぎた話です。それは、間違いがないと思います。3011日間、動向をチェックしていたわけではないからです。だから、ひろゆきさんも、こう書くべきでした。『3011日と書かれていますが、私が来た時には、抗議活動は行われていませんでした。私がここにいた期間は、3011日目の(あるいは、令和何年何月何日の)~時から~時の間です。その後もいましたが、それ以降抗議活動は全く行われませんでした。(まる一日ずっといて、抗議活動が行われていないところを証明したほうがよかったようには思います。)という形で、もっと具体的にツイートすれば、ひろゆきさん自身も、ひろゆきさんの行動を正確に言い表したメッセージが送れたはずです。

 ひろゆきさんも、事実を伝えきれていなかったように思うのです。

例え座り込みが行われていたにせよ、いなかったにせよ、3011日よりも前の時間は、既に過去のことであり、実際に抗議活動が行われていたかどうかは、映像などが残っていない限りは証明できません。

 ひろゆきさんが今回の沖縄訪問で証明できるのは、3011日間の抗議活動がなかったことではなくてひろゆきさんの訪れた当日の、その時間帯には抗議活動が行われていなかったこと。そして、もしその日に抗議活動が一切行われていないとすれば、3011日継続していたとしても、そこで継続は0にリセットされ、再び1からカウントされ直されました、ということの立証ができる、という程度ではないでしょうか。

 もし過去の3011日間を否定したければ、残っている映像を全て見ていくしかありません。そうであるとすれば、ひろゆきさんのおっしゃることは、まぎれもない事実ということになり、抗議活動家さんたちも、ぐうの音も出ないことになります。

 そこを確かめたかどうかはわかりませんが、0日でいいんじゃない?とすると、3011日自体を0にリセットすることになりますから、抗議活動家たちの怒りにさらに油を加えたのではないかと思います。

 私のように、抗議活動は目的を達成できなければ、していないのと同じだと考える立場からすると、着々と辺野古移設の工事が行われ続けていることから、抗議がされていようがされていまいが、既成事実として基地はできあがってしまうと思います。だから、抗議活動は目的を達成できないということになり、ひどい言葉ですが、抗議活動そのもの自体は、意味をなしていません。

 しかし、この抗議活動は、直接的には工事を止めるほどではないかもしれませんが、全国の国民の主観を動かすためには、有効な面が強いのです。そこをひろゆきさんに全部否定された気がして、彼らはかんかんに怒っている。国民の主観が、自分達に味方をしなくなれば、抗議活動自体が、完璧に無に帰してしまうからです。

 例えば、アラブの春とか、あれも同じですよね。辺野古移設反対の人たちは、沖縄の春を待ち望んでいるのでしょう。

 多数派と少数派の考えは、今は反対派が少数なのですが、沖縄の春が起きれば、少数派が今度は多数派になり、少数の意見を押しつぶす、ということになりますから、ここで論じあってもあまり意味はありません。少数派が持つ理論を公表し、多数派が持つ理論の矛盾を冷静についていく方がいいのではないかなと思うことがあります。(ま~それでも、結局あーだこーだの泥仕合になりそうですね。)

これは、非常にデリケートな問題です。ひろゆきさんには、ちょっとデリカシーが欠けていたんじゃないかなと思う点はあるにはあります。

私たちは、この抗議活動に限らず、とりあえず、自分の表面と、実際の中身を切り分けて、毎日生きています。外側に対してはかっこよく見せて、中では適度にラフな格好で過ごしている。そういう生き物です。それは、個人的にも、社会的にも、国レベルでもそういうところがあります。国も、自分達のメンツを大切にしますし、社会も、組織も、メンツを守ろうとします。そして、それは個人も変わりません。

ひろゆきさんの言うことは、メンツと実体は一致していなければいけない、という主張です。実体がそうだから、それをその通りに表示するのがよく、実態がないのにメンツだけ立派なのは嘘つきです。それは、私もその通りだと思います。政治家がよく嘘をつくのは、政治は常に、国民主観主義だからです。正直な政治家は現れませんね。

しかし、彼が一つ間違えてしまったところは、1日駄目だったから、じゃあ3011日継続していたこと自体を否定したツイートを発信してしまったことです。3011日間継続されていたかどうかは、映像で確認しない限りは、それは永久にわかりません。

 このことで立証できるのは、ひろゆきさんが沖縄へ行ったその日、その時間帯には座り込みは行われていなかったということと、それが丸1日続いていたとすれば、継続性がその日にリセットされた、ということのみです。そうであれば、抗議活動家たちも、くやしくとも、認めざるを得ないでしょう。もし3011日間の映像がどこかに残っているのならば、そしてその映像で、座り込みが全く行われていないのであれば、0日と言ってもいいと思います。

 で、国全体の問題にしなければいけない、とか、そういう話に最後膨らんでいきました。例えば、「大義」 本当に国の行っている辺野古移設がそもそも論としておかしいのに(おかしいとさせていただきます)、それを正そうとしている抗議活動家たちがいて、その抗議活動家たちが、座り込みという手段を選択している。その座り込みの継続性、連続性によって、国民は沖縄の人たちに思いを馳せるところがある。その継続性、連続性に、多少嘘はあるかもしれない。あるかもしれないが、国民主観主義である民主主義において、国民側の目が、国のおかしさ、間違いなどに向けられ、そちらの方に気持ちが傾くことで、自分達の目的が達成されることを期待しているのであれば、間違っていることを正そうとしているわけですから、ひろゆきさんも、もう少し慎重に行動するべきであった。途中に嘘が含まれていても、間違いを正すという、より大きな正義を達成することに、少しは思いを馳せてもよかったのではないか、とそう思います。おそらく、阿部さんやせやろがいさん、宮原さんたちは、そこを主張したかったのではないかと推測します。

細かい点を言えば、ひろゆきさんが正しいこともあり、抗議活動家の意見にも考慮するべき部分があり、そして、この座り込みが継続しているかどうか、ということではなく、辺野古移設自体の政府の行動はどうなのか?ということも視野に入れておく必要はあったんじゃないか、ということを、リベラル派の人たちは訴えたかったのではないかと。

ひろゆきさんは馬鹿じゃありません。ちゃんと話せばわかる人です。私の意見も、穴があるところはあろうかと思いますが、少なくとも、こうした意見を言えば、また2度3度言い返されるかもしれませんが、まだ話としては分かっていただけるのではないかと思います。

 再三言いますが、YouTubeの動画で見た範囲での私の意見であり、どうも途中で編集されているように思う箇所があります。よく考えれば、編集は配信者の自由なので、私も全体を掴んでいないと思います。

 また、話がカオス状態になっていた時が長く、私も混乱してしまいそうだったので、そういう点でもご配慮くだしあ。

大空幸星

大空幸星さんが出演されていますね。私は衆議院議員には詳しくないんですけど、そういえばテレビで話題になっているのを見たことがありますね。俳優かタレントかと思いました(笑)

座り込みをしっかりと定義。
デモ行為の価値がかなり薄まっている。

座り込みの意義をしっかりと確定しろ・・・。本当、今回の話は、まずここをしっかりとしなければならなかったんです。これは大切なことでした。
これが無いとスタート地点に立たないけど、阿部さんを始め、せやろがいさんたちは自分達の言いたいことを言うことに頭が行ってたと思います。

デモ行為の価値が薄まっている。そうですね~。私の持論だと、その原因は、民主主義の病理にあると思います。病理とは、それ自体が持っている、取り除くことのできない問題点です。そして、それがドンドン拡大していき、いい部分までをも悪くしていってしまうものです。国民主観主義だから、より強く国民に訴える手段があるのならば、それをとったほうがいいのです。ハンガーストライキや、座り込みでも。

民主主義は、中身が空っぽでも、国民の多数に信じてもらえればいい面が強いからです。


阿部さん

沖縄の人たちを擁護したいという気持ちはよく伝わってくるのですが、
全般的に、話が全く噛み合わっていませんでした。きっと優しい人なんでしょうし、多数派が少数派の意見を潰すとか、そういう言葉自体の意味はわかるのですけど、今回の話とは全く関係ないと思わされてしまいます。どこかで関係はしているのでしょう。そして、沖縄の抗議活動自体には関係のある話なのでしょう。ならば、その話がどう関係しているのかを含めて、うまく論じなければならなかったように思います。ひろゆきさんとの会話を成り立たせるという点においては、失敗していました。特に、座り込みの定義自体を抜かして、自分の頭の中の論点に話を勝手に移してしまったために、最初はカオス状態にもつれこむきっかけをつくってしまったと感じます。

阿部さんは優しい方なんでしょうけど、この動画のおかげで随分と評判を落としてしまうのではないか・・・と思います。

ひろゆきさんのおっしゃる通り、言葉の重みがちょっと足りないと判断されても仕方がありませんでした。話の内容は、抗議活動家を含め、他の視聴者にとっても、理解しづらかっただろうと思います。

せやろがい

阿部さんと同じで、ひろゆきさんと話がかみ合っていませんでした。私がリベラル派だったらこう考えるんじゃないかな、と一通り考えた中での、その中のパーツを主張しているのはよくわかりました。しかし、理論としてわかりやすくなかったのが残念でした。話の内容は、視聴者にとっても、理解しづらかっただろうと思います。

あやちゃん

継続的に意思を示していること自体は間違いない。自信なさげで、難しいと言っていますが、ここがとらえられていたのはいい意見だったと思います。そう、手段はどうあれ、基地移設反対の意思自体に嘘はない!そのことに、リベラル派の人たちがうなづいているのもよくわかります。

宮原

阿部、せやろがい、宮原さんが、リベラル派だと思うのですが、この中では、いっていることがよくわかる人でした。この人だけで良かった気もしますね。
ヨッピーさんがうまく間を取ってくれている感じでした。

ヨッピー

中立派に思いました。ヨッピーさんはオモコロでしか拝見したことはありません。今回出演されていて驚きました。

いいこと言ってます。この中では一番まともだったような気がします。

ただ、ひろゆきさんの「笑う」点についての思いなど、ヨッピーさん個人の見方も含まれていました。しかし、議論すべきことと、そうではないことの区別がよくできており、よく話を分析できていると思いました。特に、ひろゆきさんの態度や、侮辱しているとみなされるような態度は、それはそれで問題なのかもしれませんが、今回の議論とは、全く関係ないという主張についても、確かにそうだなと思わされました。

不可解な点

 名護の市長が作られた とかいうくだりは、カットされている感じがしました。やっぱ編集されてますね。

最後に

私は辺野古移設自体には、疑問を抱いていましたし、辺野古移設の反対活動自体を、否定することはしたくないのですが、この動画を見る限りにおいては、沖縄の辺野古移設に反対派の人たち、特に、せやろがいさん、阿部さんのお二人のおっしゃっていることが、自分の言いたいことだけを言っているようにしか聞こえませんでした。

宮原さんのコメントは多くありませんが、阿部さんとせやろがいさんの2人よりは、こちらの方のおっしゃることのほうがよかったと思います

彼らとは、話ができません・・・。どこがどう問題だったのかを言うのも、非常に難しいです。

むしろ、オモコロのヨッピーさん(私はオモコロのヨッピーさんしか知らないんですが)が、知識人枠じゃないのに、とても話をよく理解されていますし、的確な意見を言われています。

大空幸星さんの意見も、よかったです。座り込みの定義は確かにしっかりとしていなければいけませんでした。そもそも、それがこの番組の一番の目的じゃなかったでしょうか。ストライキの価値については、私なりに言い換えてみます。おっしゃりたかったことは、座り込みという言葉を抗議活動家たちが使っているけれども、ひろゆきさんや私の意見と同じように、あれは座り込みじゃない。抗議活動家たちが、座り込みの定義を勝手に決めて、むしろ座り込みの価値自体を低下させてしまっている、ということなんだろうと思います。24時間することが100の価値を持つとすれば、1日3回15分でいい、とすると、軽く見積もっても50には落ちてしまうんじゃないかと。ああ、その程度の抵抗か・・・と思われてしまう。他の人が必死の思いで、抗議活動として座り込みをやっても、1日3回15分程度でしょ?という目で、それ以降は考える人が増えてしまう。ということでしょう。いい意見でした。

私はリベラル派の人たちは嫌いじゃありません。しかし、この動画に限って言えば、言いたいことがよくわからなかったです。私が、リベラル派としての立場に立った時の意見を読んでいただき、そして、再度動画を見直していただければ、抗議活動家の人たちの怒りの意味や、阿部さん、せやろがいさん、宮原さんが何を訴えたかったのかが、私の推測の域を出ませんが、ある程度わかっていただけると思います。







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