よくわかる法律入門 #14 憲法18条について 私人間における人権保障の問題
私人間における人権保障の問題
先生「これは、憲法では必ずと言っていいほど論じられる有名な問題であり、現代社会にも直接生きている話です。例えば、先ほどの雇用主と労働者のように、社会的に強い立場の存在が、弱い立場の存在の持つ自然権を制限している。お金を持っている方、収益を稼ぐ力を持つ方が、そうではない方を支配できる。実は、社会って、意図的にこういう仕組みになっています。
労働力を持つ人間に、何も仕事をさせずに、ただお金を渡す、ということは、極力したくはないのですよ。ただ、最近はベーシックインカムという考え方が浮かび上がってきている、というのは注目に値しますけど。また、生活保護というのもありますね。」
学生B「ベーシックインカム。何もしなくても一定のお金を給付してもらえる制度ですよね。」
先生「はい。人が働く理由は、お金を稼ぐためです。つまり、自分の食い扶持を確保するため。腹が減ったら満たしたいと思うのは、自然権の原始的な欲求です。その自然権利を満たすために、人は働きに出るのです。それが、自然義務と自然責任を履行することです。ですが、そういう人間にただ単にお金を渡してしまうと、自然権利が自然義務と自然責任を負うことなく、満たされてしまいます。」
学生B「なるほど。それは問題だ。でも変ですね。それだと、そもそもお金はどこから流れてくるんですか?」
先生「それは難しい質問です。公務員は、税金からです。ということは、公務員以外の自然人からです。では、その公務員以外の自然人はどうやってお金を稼いでいるかというと、物やサービスを売ることで稼いでいます。では、その物やサービスを買う人は、時には公務員だったり、時には公務員以外の自然人だったりするわけです。つまり、鶏と卵、どっちが先に生まれた?みたいな感じになるんです。」
学生A「えええ・・・。じゃ、例えば、そもそもお金は、政府が発行したからあるんだ・・・っていうことですね。」
先生「ええ。私が難しいと言ったのは、お金自体、元々は何が変化したものなのか・・・という質問だと考えるからです。お金はね、元々は生き物の命なのです。」
学生B「命?」
先生「はい。なんてったって、商いは基本的に、私たちの腹を満たすことから始まったと言っていいのではないでしょうか。石油だって元は動物の命ですからね。米を作って売る。魚を取って売る。動物を取って肉を売る。空腹こそが永遠に存在する最高の需要でしょう。食うことができれば、人間、基本的にどこでも暮らしていけます。食べ物は常に需要があります。」
学生A「自分のお腹を満たしたいという自然権を持つ人は、自分で農作物を育て、動物を狩る自然義務と自然責任を負いますね。他にも木の実を取ったりとか。」
先生「その通り。でもね、経済というのは、そうした原始的な生活からの解放を実現したのです。その代わり、お金を使って、自然義務と自然責任をパスできるようになりました。」
学生B「なるほど・・・。お金は自然義務と自然責任をパスするためのツールなのか・・・。だから、米を買う人は、お金を払うことで、米を作る自然義務と自然責任をパスできるわけですね。」
先生「はい。お金は、義務を履行せず、無責任でいられるためのチケットです。」
学生A「確かに・・・。そのように考えられますね。」
先生「今では、自分自身が自分の自然権利を満たす必要以上に、自然義務と自然責任を行使することがあります。どうしてかというと、お金を稼げるときに稼いでおいた方がいいからですね。資本主義社会は、基本的にそうなっています。例えば、漁業を行い、魚を取っている人がいるとします。これは、効率性を重視して、養殖を行い、大量に魚を育てて、それを売りに出していますよね。一人じゃこんなに食べきれないでしょ?」
学生A「ですね。確かに。自分の腹を満たす以上に魚を育てて取っていますね。」
先生「そのときね、交換する際、利益という『嘘』を盛り込むのです。例えば、魚1匹は、本来何円か、なんていうのは全くわかりません。わからないんですよ。魚の値打ちなんて誰にも。でも、例えばその魚を「200円」で買いたいと言って、それで売ってもいいと思えば、売るんです。実際は、自分の生活費や、そのためにかかった経費を基準にして、いくらで売るのかを決めるでしょうけどね。仮にこれが150円だとしましょう。すると、50円の利益が生まれるわけですね。
その魚は、命の重さから言えば、1億円かもしれないんですよ。でも、人は自由に物事の価値を決めつけることが出来てしまう。魚の命、猪の命、鹿の命なんかも。理屈でいえば、150円かかったら、150円で交換するのが、等価交換なんですけどね。」
学生B「かもしれませんね。人間が勝手にものの価値を決めているだけですからね。さすがに150円かかったものを150円で売るのはどうかと思いますけど・・・。」
先生「はい。ということはどういうことかわかりますか?労働力の価値も、人間が勝手に決められるということです。労働力ってそもそもいくらなんですか?そんなことがわかる人間は絶対にいません。じゃあ、何が決めているのかというと、自分達が勝手に決めているんですよ。勝手にね。すると、必ずこういう人間が出てきます。自分達にお金が集まるように、労働者の価値を決定するということです。この余剰分が、嘘なんですよ。等価交換じゃない、上乗せ分です。つまり、だまし取っている部分です。
人類が今まで物と物を等価交換したことなんて、一度もないと思います。できたとすれば、それは稀に見る偶然です。等価交換をしているのは、自分達が例えば200円だと決めたものと、200円だと決めた他の物を交換しているだけで、一方は魚の命、もう一方は200円という硬貨なのです。
まぁ、そんなこんなで価値が決められる。じゃあ、100円の労働力を持っている人間が、50円という価値を付けられたとします。そうして、その人間がドンドン働いていく。そうすると、働けば働くほど、50円の利ザヤが出てくるわけですね。そして、会社に利益が集まっていく。(もちろん、お客さんに対して売るときも、利益を盛って売ります。お客さんへの販売益+労働力を低く見積もることによる差額利益は大きいです。)」
学生B「なるほど・・・。うまいこと考えるなぁ。でも、給料なんて、一体だれがどうやって決めているのか確かにわからないですよね。」
先生「そうですね。こういう働きを、『苦役』といいます。
苦労とは、あくまでも自分が満たしたい自然権利を自分の自然義務と自然責任の下で行います。ですが、『苦役』は別です。これは自然権の充足が、自分のしたいことではなく、他人がしてほしいことになっているのです。そして、そのために、他人が本来満たすべき自然義務と自然責任を肩代わりしているんです。これはね、どれだけお金を貰っても、精神衛生上よくないんですよね。その苦役を利用して稼いでいく、というのが、悲しいことに、今のほとんどの労働の実態です。
自分が自分の自然権を満たすために、自然義務と自然責任を果たしていくのであれば、人は生き生きと働く事が出来ます。私なんて、あまり売れない本を書いていますが、収入があまりなくても、精力的に書いています。人はね、見返りが薄くっても、自分がしたいことをするためだったら行動できるんですよ。」
学生B「今の労働で、メンタルをやられる人が多いのは、これが理由なんですかね。なんでこんなことになっちゃうんですかね・・・。」
先生「最初にいいましたね。私たちは自分達のしたいことをする、というのが本来の自然の姿。動物のように生きることが本来の在り方なのです。そして、ルールというのは、どちらかというと私たちが満たしたい自然権の行使をストップする方向に働いてくるものでした。だから、私たちの精神にとっては、あまりいいものではないのです。今、会社に労働力を提供している方達は、自分がしたい自然権の行使ができるかというと、そもそもできるはずがないんですよね。それは、見えないストレスとなって人間にたまっていくのです。給料というのは、全てが損害賠償なのですよ。少なくとも、自分達が自分達のために使う時間は、他者のために使われているのです。労働者は、自然権を常に侵害されているのです。」
学生B「だからといって、自分がその組織から離れることもできない?」
先生「はい。よく大手ショッピングモールが小売店をつぶす。という現象が起きますね。だから商店街はシャッター街と言われています。
富の分配がうまくいかないからですね。組織としてお金を稼ぐ存在が現れれば、個人としてお金を稼ぐ人間は、その職掌範囲がかなり狭まります。個人が組織に対抗する、というのは何時の時代も厳しいものですからね。
個人が大手ショッピングモールと同じことをやって稼ぐ、というのは大変でしょう。
とすれば、他の職業に就くか、あるいは、その組織に入っていくしかないでしょう。お金を持っていない人間は、持っている人間にすがる。この仕組みは人を支配するために役に立っています。
国が自然人を支配するのは、お金を通して行います。お金の流れに人は従うのです。」
学生A「だから政府は、税法を操ったり、税金のバラマキをしたりしているんですね。」
先生「まぁそうですね。彼ら自身お金に支配されている、ということもできますけど。私自身はね、労働者が求めているのは、お金ではないと思うんです。確かに、お金が無きゃ生きていけないから、お金を求めているように思える。
ですが、自分が自分の満たしたい自然権を自分で充足するべく、そのために必要な自然義務を履行し、自然責任を果たしていく。すると、精神的には豊かになるのです。
ところが、今の社会は、これが見事に分断される。じゃあ、雇用主は非常に楽なんじゃないか?と思われるかもしれませんが、これもそうではない。個々の労働提供義務はないかもしれませんが、何か不祥事があった時には経営の責任を負うでしょうし。例えば、ビックモータースの事件なんてひどいものでしたね。
逆に、人間は自然義務と自然責任をバランスよく負っていかなければ、ドンドン弱くなっていくのだと私は考えています。だから、利益を稼ぐという今の社会の在り方は、ちょっと疑問なんですよね。
楽をするのもよくない。だからといって、他の人の義務と責任を背負うのもよくない。この異常な状態で、今の社会は成り立っていますね。」
学生B「そう考えると、苦しいですね・・・。人はどんだけ集まっているように見えても、1人は1人。それが基本なんですね。」
先生「そうですね。1人が1人のことを背負う。それが国全体にならなければ、結局バランスが崩れるのです。ですからね、憲法の授業でこういうことを言うのも何なのですが、公務員は、生産という自然義務と自然責任を負わない。基本的にね。そして、税金を徴収している。
つまり、食糧などは、他の人達が確保する必要が出てきます。公務員だけじゃなく、非生産者たちは、みんな生産者たちによって、自分が食べるものを供給してもらっている。ということは、食べ物を生産、確保する自然義務、自然責任を、全てそういう人たちに負わせている、ということになります。私たちも、甘えて生きているのです。
自分が自分の自然義務と自然責任を負う。子どもを育てる時も、基本的にこの路線がいいですね。甘やかして育てるというのは、自然義務と自然責任を一切親が肩代わりするとか、他者が代わりに背負う、ということです。買い物は子供が行く。料理も子供が作る。掃除も子供がする。無理のない程度に、そのようにさせたほうがいいのです。若いうちから、お金を稼ぐにはどうすればいいか、という意識も持たせておいた方がいいですね。
子どもを奴隷のように使う人たちがいたおかげで、子どもの労働は基本的に禁止されましたが、私は多少は働かせた方がいいんじゃないかと思っています。
いい労働は、人を育てると思っています。これが、胎児性精神の持ち主である雇用主なんかに捕まるからよくない。
そうして、段々とその人の人間性は磨かれて行く。するとその人は魅力的になる。その人に魅力を覚えたのであれば、自分からその人に協力したがるでしょう。
でもね、今は逆です。自分の自然義務を履行するのが嫌だ。自然責任を負いたくない。代わりに誰かにやってほしい。で、金で雇う。自然義務と自然責任をパスする。金を支払ってやっているんだからありがたく思えという感じ。そして、自然義務や自然責任を押し付ける。金のない人たちは、それにしぶしぶ応じるしかない。これが人間らしい生き方かというと、そうではないですね。これが奴隷なんです。そして、奴隷の対抗軸に存在しているのが胎児なんですよ。
自分がどれだけ自然義務と自然責任を満たしても、そのために使った時間は全て、支配主に還元されていくのですから。子どもにとって必要だった自然義務と自然責任を親が代わりに負担するのは、愛情でも何でもありません。人間の生殺しです。
経済が回るということはお金の巡りがよくなることですよね。でもこれって、逆に考えればやばいんじゃないかと。つまり、それだけ自然義務と自然責任をパスしている人間が増えている、ということでもあるんじゃないかなと、そう思うんですよね。何事もバランスが必要です。」
学生B「人の意思をコントロールするためにお金の力を使っている。ですが皮肉なもんですね。
上司に嫌気がさし、職場環境の悪化によって、精神的な病人が出たり、鬱病や、人間恐怖症の引きこもりが出る。やりたいことが見つからないし、他人の自然義務を代行する気にもならないニートが生まれたりする。で、こんなことをして、結局なけなしのお金が手に入るなら、犯罪で一攫千金を狙い、闇バイトで稼ごうとする若者が出始める。本末転倒ですね。これじゃ、真面目にコントロールされている人間たちが、ただの馬鹿みたい。」
先生「ええ。これが、資本主義社会が批判される、搾取という問題です。お金という意味で、経済的な搾取は普通に行われている。時間の搾取も行われています。搾取がなければ、利益もありませんから。また、必要な自然義務や自然責任を他の人間に代行させたりする。これも精神的な搾取と言えます。時間も金も、搾取されている奴隷が、まだまだ多いわけですね。
労働者は、自分の自然権利を充足するために使うはずの自然義務と自然責任が、全て他者の利益獲得のために利用される。ですが、稼ぐためには、お金を持っている人間の言うことを聞くしかないわけです。
こうなると、やっぱり理不尽な支配から逃れたいと思う人間が一定数出てきます。だから、ニートや引きこもりというのも増えていますし、オレオレ詐欺なんていう詐欺者も出てきています。私自身も、働くこと自体は嫌じゃないんですが、人間関係が嫌だ、という気持ちはよくわかります。ニートや引きこもりも、人間が嫌だという意識は持っているようですね。ニートが、『働いたら負けかなと思っている。』という名言を残しましたが、多分この感覚ですね。」
学生B「どっちかっていうと、その言葉は嘲笑の対象というか・・・。働くのが当然と思っている人たちからは、頭のおかしい人が言っている言葉っていう印象でしょうね。甘えの極みみたい」
先生「そうですね。私も最初はこの発言をネットで見て驚いたのですが、でも、どうしてこんなことを感じ、こんなことを言うのだろうということに思いを馳せると、意外にも、根深いものがあるんですね。それに、ニートの数は多いわけです。つまり、社会現象です。」
私人間における人権保障の問題 ②
先生「前置きが長くなりましたが、会社と個人の関係に、憲法の趣旨を読み込んで、出来る限り会社側が個人へと行使する自然権を制限していこうという考えが出てくるのです。
これは、国と個人の関係を調整する憲法からは、本来はどうすることもできないというのが原則です。
でも、それはさすがに・・・という考えが持ち上がってきました。なぜならば、権力それ自体の大きさは、その個人にとっては、国を相手にするのと大して変わらないからです。2対1でさえ、既に圧倒的に不利ですからね。
私たち個人個人は、自分達の自然権を国に信託しました。国に管理を任せることによって、自分達の自然権の調整を行わせます。すると、私たちが単独で好き勝手に自然権を充足させることにより生じる諸問題を、適切に調整してくれる。そして、秩序が保たれることを期待したからだ、と言えるわけですよね。
ところが、会社という自然権の集合体が別に現れます。自然人たちは、その会社と雇用契約を結び、その契約内容に従って労働力を提供するわけです。その空間は、一国と大して変わらないのです。前著では、個人が国だ、という話がありました。しかし、実際は企業も国。家庭も国なのです。憲法は、元々国だと考えられていた『国』だけを、国だと考えてしまった法律だと言えるでしょう。
そして、ここが一つ重要な点です。雇用契約であるがために、信託ではない。契約なのです。だから、会社と自然人との間に、憲法の信託理論をそのままスライドしてくることはできないのです。
では、その契約の内容というのはどういうものかというと、雇用主が本来単独で行うべき自然義務と、それに伴って背負う自然責任を、代行処理することです。
ちなみに、雇えない、あるいは雇わない雇用主は、一人親方とか、そう言いますね。」
学生B「僕のお父さんだ。」
先生「ええ。そうなんですね。社会では、過労死と言う問題があること、サービス残業、窓際族、追い込み部屋、パワハラ、セクハラやモラハラと言った、暗くなるような話が多く存在していますね。
企業側が社員を奴隷扱いするとか、思想・良心の自由を理由に解雇するとか、良くある話です。他にもおおいのが、女性差別です。育児休暇を取った人を不遇に扱うとかね。
雇用主は、自分が雇った相手に対して何でもしていい自然権を持っていますし、逆に労働者自身も、雇用主に対して何でもしていい自然権を持っています。ですから、この自然権同士のバランスをとることが重要になるわけですね。」
学生A「はい。何だか、そういうところまでは私も頭が回るようになってきました。何だか、ルールよりも、金に皆の頭が支配されて、金次第で善人にも悪人にもなるって感じですね。」
先生「まさにそんな感じですね。自然権の行使者たちが、金に支配されている。法の支配ではなく、金の支配ですね。やっぱり国がお金の動きで人の意思をコントロールしようとするのも、金というものがいかに人の意思を支配しやすいのか、ということを知っているからです。
今回は憲法ではなく、それぞれの間で雇用契約と言うのが結ばれるのです。その契約内容の中では、労働者側が自分達の自然権を自由に行使して、雇用主側に損害を負わせることがないようにしています。これで調整をブツリと終えていることは普通です。」
学生B「じゃあ、労働者から雇用者に対しては?」
先生「もちろんそれも雇用契約の内容によって定められますが、たいていの場合、雇用契約の契約書を用意するのは、会社側、つまり、雇用主側なのです。お互いに長い時間をかけて契約内容について話し合い、お互いが納得の下、その契約書を共に作っていく・・・なんていうことはしません。顧問弁護士なりが会社にはいて、あるいはあらかじめ用意している雛形なりを持ってきて、それを労働者側に見せて、署名を貰う、というような形になるでしょうね。」
学生B「それって、圧倒的に雇用主側有利じゃないんですか?すでに内容は決まっているんですよね?」
先生「まぁ、そうです。とするとどうなりますか?雇用主が自分の都合のいい内容を契約書に書いて、これにサインすれば雇ってやる。しないなら雇わない。どこへでもいけ・・・。と言うスタイルになると。」
学生A「それだと・・・。内容を読んだ上で、嫌だったらあきらめざるをえませんね。」
先生「そうですね。ところがそこは現代の泥沼社会。私はテレビでアイドル志望の女性が、雇用契約の内容をよく確認しなかったために、悪徳の事務所に騙されて被害を受けたという事件を見たことがあります。実際に今でもこういうことが起きるのですよ。アイドルになりたいという希望をうまく利用して、そこをくすぐって契約を結ばせる、とかね。ただね、芸能事務所とアイドルとの契約は、雇用契約かどうかっていう問題もあるそうなのですが、まぁ、似たようなものですよ。少なくとも、向こうが作って来た契約なら、事前にその契約の内容をちゃんと理解させなきゃいけないと思いますね。」
学生B「ああ、僕も見たことがあります。」
先生「とりあえず私が言いたいことは、雇用主側が余りにも一方的な内容で契約をつきつけないようにする必要があるということです。そのために、憲法18条を一つの根拠とし、また、ちょっと先取りしますが、憲法27条第2項や第3項等からも、そのための法律を作るべき、という考えが持ち上がります。そこで有名な法律が、労働基準法、労働組合法、労働関係調整法という法律で、労働三法と呼ばれますね。」
学生A「きいたことあります!労働基準監督署っていうところがあるとかも・・・。」
先生「よくご存じですね。ところがね、この3つの法律、果たしてしっかりと生かされているかというと、とてもじゃないけどそうとは言い切れないんです。」
学生B「どうしてですか?」
先生「一つは、労働時間の問題です。例えば、B君が会社に雇われたとして、そのお金は会社から出ているものだ…と言うのは違います。元々は、その会社が会社外の他の自然人に、自社の製品などを販売して得た収益が元手となっているのです。」
学生B「そうですね。」
先生「そして、B君への給料は、その売上の中から出ているんですよね。で、会社の売上が減るとどうなりますか?」
学生B「当然、自分の給料にもかかってきますね。」
先生「そうです。つまり、会社自体が、社員の給料を賄える程度にまで収益を得ていなければならないことが大前提なんですよ。じゃあ、それをクリアするために必要な労働時間は、見積もっていくらくらいでしょうか。」
学生B「さぁ・・・。」
先生「それが正解です。時間が立てばたつほど利益が手に入る、というものではありません。ひょっとすると週に40時間はおろか、倍働いても大した利益にならないかもしれない。一方で、労働基準法は法定労働時間として週40時間としています。ところが、これは理想論です。ある意味、40時間以内に必要な収益を確保せよ・・・と言われているようなものですからね。ベルトコンベアみたいに商品が売れて行けばいいのですが、そんなにスムーズにはいかないでしょう。
商売をする人たちからすれば、購買客が、自社の製品を購入してくれなければ意味がないのですから。」
学生B「そうですね。売れなきゃお金も入らない。ということは、自分の給料にもならない。」
先生「はい。そして、購入する、という意思は、景気によるわけです。消費が滞れば、つまり需要が落ち込めば、それだけ買うという意思を表示してくれる存在も少なくなる。だから、自分達の自助努力だけではどうしようもないことがあり、ましては決められた労働時間内に、それが達成できることは稀なのです。」
学生B「うわ~。そうか・・・。そう考えるとすごい大変だなぁ。」
先生「そうでしょう。だから、多くの企業は、収入の予測をたてるわけです。そうした計画に沿って、新しい社員を雇うかどうかを決めるんです。企業だって、そんな自転車操業なんてしたくありません。ちゃんと収益の見通しと言うものを立てて雇うのが普通ではありますよ。会社も社員と問題を起こしたいわけじゃないし、守ってあげたい気持ちもあるわけです。私が言うような悪い企業ばかりじゃないですから。でも、景気によって売り上げが変化する、と言うのは事実ですし、利益の確保は時間の問題じゃないんです。
企業は、あの手この手で収益を獲得しようとします。ですが、全ての企業が正攻法で行けるわけではない。例えば建設業なんていうのは、談合をするのが普通だったりするわけですね。」
学生A「談合。よく新聞やニュースで取り上げられますね。」
先生「ええ。自分達に仕事を回してくれるように政治家に賄賂を送ったりします。芸能人の間でも、女性を貢ぐ、という事件がありましたね。女性上納システム。法律家も、依頼主の預貯金を勝手に引き出したりすることもあるのですよ。」
学生B「マジっすか!弁護士が預貯金を?」
先生「はい。財産管理と言うのを委託したりする場合、弁護士などにお願いするのですが、バレないだろうということで、勝手にお金を引き出して使っちゃう人がいるのです。他にも、ピンはねする人たちとかね。ま、今この話は置いておきましょう。今までお話したことはね、労働関係の法律をいくら作ったとしても、収益が手に入らなきゃ、絵にかいた餅になる、そういう世界だっていうことなんです。」
学生A「じゃあ、法律をいくら定めても無駄じゃないんですか?」
先生「残念ながらそういうパターンが多いわけです。法律を定めたらお金が入ってくるようになる、と言うのならばともかく、そんなことは起きえない。
だから、この世はお金だ、と言う人も多いわけです。こういう事情で、ルールを守るにも守れないわけです。むしろルールは、自分達の事情なんて何も考えていないただの足かせのように見えてくることもある。労働者たる自然人たちも、そうした事情がある程度わかっている。だから、無理してでも働く人は働くわけですね。」
学生B「なるほど・・・。会社に文句言ってられないわけですね。」
先生「はい。ですけどね、私は会社も頑張っているんだと、労働者たちに認められれば、そこまで文句は言わないだろうと思いますし、嫌なら働き先を変える、という手段があります。つまり、労働者が、自分の自然権の信託先を変更するようにね。賃金を支払うのは会社の義務でもありますから。支払えなければ義務違反です。」
学生B「なるほど!それなら大丈夫だ。」
先生「ところが、今度はそうした労働者を果たして拾ってくれるところがあるか・・・というのが次の厄介な問題なのですよ。じゃないと、安い賃金で引き受けるしかない状態になることなんてないですからね。」
学生B「た・・・大変なんだなぁ~。」
先生「ええ。だからね、出来るだけ若いうちに、自分の出来ることを広げておいた方がいいですよ。」
学生A「わかりました・・・。」
先生「で、なんですけどね。お金を稼がないと、収入自体は確保できない。これだけだとまだいいんです。収入は、どれだけ法律が整備されても、増えることもなければ減ることもありません。これは、私人間の取引次第です。でも、じゃあうちはお金がないから無料で働いてよっていうわけにもいかない。それだと完璧な奴隷です。というわけで、最低賃金法というのが、労働基準法を根拠として定められています。だから、どれだけ稼げなくても、最低これだけはお金を支払いなさいという法律があるわけですね。」
学生B「そうですね・・・。最低賃金くらいはもらえないと・・・。でも、最低賃金を定めちゃうと、企業は、最低賃金でいいや・・・。ってなっちゃうんじゃないですか?」
先生「まさにそうです。気持ちとしてはそちらの方へ傾くのです。バイトさんは、ほとんど最低賃金でしょうね。収益獲得に向けて皆頑張っていると仮定します。倒産も多いかもしれませんが、それなりにどうにかなっているからこそ動いているのが今の世の中ですよ。」
学生B「そうですね。」
先生「そういう中で、人間関係にもいろいろと問題が起きます。パワハラとか、仕事自体に必要だと思いますか?」
学生B「必要ないですね。」
先生「ですよね。必要はないんですが、やってしまうのはどうしてだと思いますか?」
学生B「わかりません。わかりませんけど、学校でも、ただ来て授業受けて、帰る、っていうわけにはいきません。どうしても、生徒同士でいろいろありますよ。だから、人間関係のもつれがあるんじゃないですか?」
先生「そうです!自然人たちはね、皆が共通の性格を持っているわけではないんですよね。そして、立場も違えば考え方も違う。そうした人たちが一か所に集まっているわけです。で、前著で学びましたよね?人の胸三寸に法律が存在していると。特に、刑法とか。」
学生B「あ、そっか、虐待と一緒ですね。」
先生「はい。雇用主や上司の胸三寸のルールに抵触した労働者たる自然人は、リンチを食らう運命にあるわけですね。これがパワハラというものです。陰湿なのやら悪質なのやら、いろいろな種類のリンチを受けるため、労働環境が悪くなり、労働福祉が減少していきますね。」
学生B「そういうことだと、法律の出番なんでしょうか。」
先生「そうなるといいんですけどね。確かに、法律の出番ではあるのですが、結局、法律は人の目を意識する人間に対しては拘束力を持ちますが、パワハラをする上司は、人目をかいくぐってでもその個人をターゲットにして嫌がらせをしてくるものなのですよ。」
学生B「なるほど。結局ルールを恐れる理由は周囲の目。だとすれば、周囲の目には触れないように、嫌がらせをすることができる。結局は陰湿ないじめと同じですね。」
先生「そうですね。で、これは企業だけじゃなく、労働組合や経済団体、職能団体など、とにかく個人より多い組織であれば、何でも起きえます。自分の思い通りに動かない個人は、大抵上のターゲットにされますね。」
学生B「そうでしょうね。」
先生「で、かなり話が長くなったのですが、私人間の調整については、私法の一般条項に、憲法の趣旨を読み込んで対処するようになっています。」
学生A「は?」
先生「憲法は全ての法の根幹なのです。例えば民法には、
(基本原則)
第一条 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3 権利の濫用は、これを許さない。
(解釈の基準)
第二条 この法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として、解釈しなければならない。
第二章 人
第一節 権利能力
第三条 私権の享有は、出生に始まる。
2 外国人は、法令又は条約の規定により禁止される場合を除き、私権を享有する。
このように総則の冒頭に書いてある。何だか見覚えがありませんか?」
学生B「ああ!憲法の条文と似ている!」
先生「でしょう?民法では「私権」と言われているものは、結局は自然権=基本的人権の言い換えのようなものです。」
学生B「なるほど。確かに、生まれながらにして=「出生に始まる」であり、外国人も共有するし、まさに自然権ですね。」
先生「はい。公共の福祉まではいっています。でも、こうした規定はあいまいですよね。抽象的であり、具体的ではない。抽象=一般ですから、一般条項というのは、このような民法冒頭の条文とかを表しており、ここは大体憲法からの入り口みたいなものなのです。だから、例えば会社側と個人側がもめた場合、憲法は公共の福祉の観点から、当事者間の調整を行う、といっているわけです。」
学生A「なるほど。だから、私法の一般条項に憲法の趣旨を読み込む・・・と言っているんですね。」
先生「はい。具体的なケースまでは言えませんが、でもま~、やっぱり、具体的な事件が起きて、その時に裁判官がどう判断するかは、彼らの頭の中次第ですよってことですよ。」
学生B「そうでしょうね・・・。」
