素人のための法学入門 #16
16回目ですよ~
ルールを守ろうとする人の心理
学生A 「はぁ~。結局悪い事だからみんなやらないんじゃなくて、法律に定められた罰が怖いからやらないんですね。それって、人間の良心っていうか・・・。そういうものがあると思っていた私からすると、やっぱりショックだなぁ。」
先生 「そうですね。例えば学校でも、廊下を走ってはいけないと言われているのに走っている学生は多いです。図書館でおしゃべりをする人もいるといえばいますよね。」
学生B 「それは思いますね。」
先生 「注意されるとわかっているのにもかかわらず、してはいけないということをしてしまう人は多いです。これも全部自然権の行使です。ルールというのは、常に自然権の行使が行われた後に頭角を現してくるのです。」
学生A 「そういわれるとそうですね。ルールって、人間が何かの行動をした後に必ず口うるさく文句言ってくる印象がありますね。」
先生 「はい。だけど、違反によっては最初からいきなりひどい罰を与えたりすることはありません。例えば、車がUターンをしてはいけないところでUターンをするといった交通違反を起こしたとします。そうしたとき、いきなり道路交通法の罰則を科して、その人をいきなり犯罪者にする、ということはしません。反則行為として、警察に反則切符を切られることになります。ですが、反則金を支払ったときは、前科がつくことがなかったりするのです。」
学生A 「へ~。いきなり犯罪者にされちゃうのかと思っていました。」
先生 「刑罰というのは、副作用の強い劇薬のようなものなのです。いきなりそんなものを与えてしまうよりは、ちょっと注意して、次から直してもらうようにした方がよっぽどか建設的なのです。確かに世の中には、ルールを破った人に対しては何を言っていいもいいし、何をやってもいいと考えている人もいます。ルール至上主義であり、ルールの方が人間よりも大切、と考える人ですね。」
学生B 「怖いですね。」
先生 「はい。それは結論から言うと間違っているのですが、やっかいなことに「法律が正しいものだ」と言う考えは、なかなか人の頭から離れないのです。法律の素人ほどそう考えるみたいですね。
でも、国を治める側からすれば、そう考えてくれていたほうがルールを守ってくれる人も多くなるので、都合がいいと言えば都合がいいんですよね。法律至上主義の人たちからすれば、法律こそ人間世界をよくするもので、人間はルールを破ろうとする悪いものという発想なわけですね。ですが、法律は正しいとも間違っているとも言えません。単なる線引きですから。そして、ルールは守るためのものではなく、権利と権利の調整のためですからね。あまり守れ守れと言われてひどいことをいわれると、かえって秩序が乱れることもあるのですよ。
それに、何故私たちがそんなものを守るのかというと、悪い事だと思っているから皆が法律を守るのではなく、法律による罰則が怖いから法律を破らないようにする、とか、周りの目を意識しているからルールを守る、というのが本当のところです。よく注意する先生がじーっと見ていることがわかっていれば、学生もそうそう廊下を走ったりしないでしょうね。」
学生A 「そうですね~。すごい口やかましい先生もいますからね。」
先生 「(あの先生の事かな)このことからもわかるように、法律を守ろうとする人の大半は、人目を意識する人が多いということがわかります。」
学生A 「えっ?結局それだけなんですか?」
先生 「そうですね。ルールを破った場合、そのことによって私たちに何かを言ってくるのは、やっぱり人ですから。警察官も人、検察官も人。契約を破られたりした当事者も人。被害者も人。自分の両親も人。学生Bさんも漫画やアニメでよくこういうシーンを見ませんか?例えば立ち入り禁止の場所に無断で入ろうとするやんちゃな学生と、眼鏡をかけた気の弱そうな学生がいて、「やめようよ。こんなところ誰かに見つかったら。」と言ったシーン。ルールを破ったことによって、結局は人が文句を言いに来るのです。だから、そういうことにならないようにしたい、という心理が強く表れていると思いますね。で、そのやんちゃな子は全然周りの目を意識していない。」
学生B 「ああ、ありますあります!そういうシーンかなり見たことがある気がします。」
先生 「ルールを守れと口酸っぱく言ってくる人がいても、それで私たち自身の心にルールの大切さや、守らなければならないという意識が芽生えることはありません。むしろ、それで素直に従ったとしてもその人の目が気になるから一時的に守っているだけなのです。」
学生A 「あははは。それって、ルールを守れっていう人が思っている効果とはだいぶズレている気がしますね。」
先生 「そうですね。自分が一生懸命ルールを守らせようとしても、それを受けている人たちの受け止め方はまるで違っています。本当にルールを守ってほしいのであれば、もっと伝え方を考えなければならないでしょう。イソップ物語の『北風と太陽』がいい教訓ですね。例えば、盗むな、盗むな、と言っても、この本の冒頭に出てきた腹をすかした人のように、盗んじゃう時は盗んじゃいますからね。ルールを守れというのは簡単ですが、空腹を満たせる人の方がよっぽどかすごいと思います。ルールを守れで終わる人は、考えが浅すぎるのですよ。」
先生 「そして、守れと言っても結局また守らない人間が現れる。とすれば、ずーっと見張る必要があります。ずーっと見張っているってことは、他にやることがないってことの証明、つまり、暇人の証明になるんですよね。
ただね、その人も、ものすごい人の目を意識している人なんですよ。批判する人間が、今度は自分が批判されるのを恐れて何もできなくなっていくように、守れと言い続けると、自分が守っていないことを指摘されることを非常に恐れるようになっていくのです。そうするとね、余計身動き取れなくなっていくんですよ。で、余計に暇になっていくんです。人を呪わば穴二つということですね。」
学生B 「人の目を気にするかぁ。法律があるのにもかかわらず悪いことをする人って、見つからないように顔を隠したり、深夜人が寝静まっているときに行動する、ということがありますからね。」
先生 「そうです。泥棒なんていうのは、周囲の目をとても気にしますね。当然でしょうけど。防犯にとって最もよいのは、盗むための時間を長く稼がせることです。」
学生A「う~ん。それはそうか・・・。人にばれちゃうと盗みがうまくいかないからだと思っていました。でもそれもやっぱり人目を気にしていることになるんですね。そして、盗むのに手がかかるほど犯人はあせるんですね。それだけ人が通りかかる可能性も高まるから。」
先生 「失敗すると思ったらやめる。犯人がそう思うのも、窃盗罪があり、私たちが人から物を取るのはいけないことだと考えているからです。法律の効果は、こういうところで発揮されているように思います。何はともあれ、法律を守る人は結局は後で誰かが文句を言いに来やしないか・・・ということに怯えているのです。」
学生A 「それって、結局自分を守ろうとしているだけなんじゃないですか?」
先生 「残念ながらその通りです。自然権を行使したい、というのが人間の本来の在り方です。
ですが、自然権を行使してわがまま勝手にふるまうと、付き合いを避けられたり、場合によっては人格を疑われるところまでくるんですよね。
友人や、ご近所さんとの間で暗黙のルールを守るのも同じです。つまり、自分がとりあえず不利益をこうむりたくないから、ルールを守っているということです。
刑罰が見せしめの意味を持つことからも、自分を守りたいっていう気持ちを利用しているというのは最初からわかりきったことですからね。
ルールを守る気持ちというのは、人の目を気にすることに始まるのではないかと思います。」
学生B 「そうですね・・・。ですがルールを守るというのは、人からの信用を得るという意味でも重要なんですね。」
先生 「信用を失うと、色々と不都合なことが起きてしまいますからね。信用を失った人間は、自分達にとって不都合な存在だと思われているのです。したがって、彼らの間柄からは追放されるでしょうね。それが原因で、その間柄にいたからこそ得ることのできたメリットを得られなくなり、生きにくくなるということもありうるでしょうね。
犯罪者の中には、自分達の犯行がばれて逮捕された時、『運が悪かった。』というコメントを残す人がいます。これは、他にも同じことやっている奴いるんだけど、自分はたまたま見つかっただけだった。という意味です。
私はこの言葉がルールというものに対する皮肉を込めた言葉だと考えています。つまり、罰されるやつとそうじゃないやつは、結局周りの目で決まってしまうんだ、っていうことですね。」
学生A 「でも、ちゃんとルールを守っている人の中には、やっぱりルールを守らなきゃ、とか、悪いことはしないように、って純粋に考えている人もいると思うのですが。」
先生 「そうかもしれませんし、そうではないかもしれません。これは詳しくは話せませんが、法律も一種の宗教なのです。とすれば、法律の言うことを盲目的に信じている人もいるとは思いますね。それに、人の心や考えは、目に見えるものではありません。Aさんが考える通りに考えてもいいと思います。ただ、自然権や法律という観点からすれば、皆一律に扱います。法律は、人が人を殺すということ、物を盗むということ、そういうことを人はしてしまうものだということを前提として作られています。実際にそういう人は実在し、そして次はどこの誰がそのような行為を行うのか、事前に判断することはできないからです。そして、現実的な防犯としては周囲の目というのが最も効果があるのです。」
学生B 「確かに、悪いことをして捕まるのも怖いけど、周りから犯罪者だって思われるのも嫌だ。」
先生 「そうですね。ですから人はたいていの場合、犯罪を犯すのが嫌という以前に、自分が犯罪者だと思われたくない、という気持ちを強く持っています。ですから、犯罪でもない行動なのに、人から悪く思われるような行為は、極力避けるようにするものなのです。」
学生A 「なるほど。そういうことは多いですね。」
先生 「そうです。ルールは、何も国会で定められた法律だけではありません。村とか町とか、単なる人間同士の付き合いの中にも見えないルールというのが存在しているのです。そして、結局ルールというのは人の心の中に生きているものです。これを規範意識といいますね。皆さんも友達と一緒にいる中で、そういったものを意識されたことはあるのではないでしょうか。」
学生B 「そうですね。ありますね。自分がしたいな~って思うことがあっても、周りの友達とかに遠慮しちゃったりとか・・・。逆に、そういうの全く気にしないやつもいます。」
学生A 「あんたにそういうことってあるの?」
学生B 「そりゃあるよ。」
先生 「ルールには正しいとか間違っていると言ったことは何もないので友達に遠慮することも、遠慮しないことも、どちらも正しいと言えば正しいし、間違っていると言えば間違っています。とにかくそういうときも、友達のためというよりは、自分が周りの人に変に思われたくないからという気持ちが行動を止める原因となることは間違いないでしょう。かといって、人目を全く気にしなくなれば、それも問題ですけどね。もちろん、やめろと言われて初めてやめることもありますよ。」
学生A 「人のためっていうより・・・全部自分のため・・・?」
先生 「本当に人のためにしている人も多いかもしれません。先ほども言いましたように、人のためにと思っているかどうかは周りの人間からはわからないものです。そういうものは、もっと時間をかけて理解されて行くものだと思います。人のためにやっていると思われるように動いたとしても、それは結局人目を意識しているのと何も変わらないでしょうから。だから、私たちには永久にわからない部分でもあるわけです。」
学生A 「そうですね。結局は自分の心の中が大切だって言うことですね。」
先生 「その通りです。本当に人のためを思っていれば、ひょっとすると、周りから変に思われていても良い事をしている人がいるかもしれませんね。周りがどう思うかということと、自分の実際の心はズレているということは普通だと私は思います。」
学生B 「わかったか?お前がおれを変な目で見ているのはそういうことだ。」
学生A 「絶対間違いないと思うけど・・・。」
学生B 「人からいいと思われている人が、常にいい人とは限らないっていうのは、世の中にはよくあることですよね。」
学生A 「あんた、漫画とゲームばかりやってるわりにはそんなことわかるの?」
学生B 「いや、ゲームと漫画の中で、よくそういうやつでてくるから・・・。」
学生A 「・・・。」
先生 「私はゲームや漫画だとしても、馬鹿にできないと思っています。ゲームや漫画も、私たちの社会を反映して作られているものが多いからです。ただ、どちらも真に受けすぎると問題です。いい人そうに見えて本当にいい人もいますし、悪い人そうに見えて本当に悪い人もいるわけですから。」
学生A 「そうですね。言われてみれば・・・。」
学生B 「でも、そうして考えてみると、自然権を行使するっていうのが、人間の正直な姿で、法律を守るっていうのが、却って嘘のように思えてきますね。」
先生 「その通りです。法律とは嘘であり、実体のないものなのです。私たち人間も自然の一部です。私たちがこのように生まれてきたのは、それが結局自然の在り方です。だから、獣のように生きることこそが、嘘のない生き方なのですよ。」
学生A 「やりたい放題の人間の方が正直な気はしますね・・・確かに。」
先生 「そうですね。法律をしっかり守る人はそれはそれで結構なのですが、結局は嘘つきなんですよね。別の視点から見ると、自分の自然権の行使を控えている人、ということになります。本来は、自然権をどこまでも行使したいと考えるものなのです。自分の興味と欲望の赴くままにね。行使しないのは、たまたまそう言うことに興味がないだけです。そして、法律やルールを守っている人も、周りの目を意識しているのです。私たちも、法律を全て暗記し、全ての条文を精密に解釈し、そしてそれを頭に入れたうえで、その通りに毎日を生きているわけではありません。周りに合わせていきているというのが実態ではないでしょうか。厳格なルールというものも、私たちが周りに合わせるという感覚に適合するように歩み寄ってくる、そうした使われ方がされているように思いますね。」
学生B 「そっか・・・。周りに合わせるっていうことも、結局ルールに縛られていることになるのか。動物たちも集団の中で一定のルールを持っていますからね。」
先生 「そうですね。私たちは、結局周りに合わせるということをしている。その中にルールというものが溶け込んでいる。これが私たちにとって、最も身近なルールと言えるかもしれません。だから、法律の専門家ではない私たちもルールに詳しくない癖に、一定のルールを守って行動することができてしまっているのです。私たちは、生きることがとりあえずの目的ですから、生きるために最も優先されることは、集団のルールに従うことです。そこに基本がセットされている人が大多数だと思います。変わり者とされている人は、ちょっと別の角度から物を見ている人が多いですね。」
学生B 「そうなっているのか・・・。タイには横断歩道とか信号がないらしいんですよ。じゃあどうやって道を横切るのかというと、そのまま歩けば周りが勝手に合わせてくれるって聞いたことがあるんです。ルールって、そういうものなのかもしれませんね。」
先生 「私たちが普段生活するうえでは、そういうことになりますね。」
学生A 「周りに合わせる・・・。確かに・・・私も友達と会って遊ぶのは好きですけど、一人が気ままでいいな~って思うときもあります。」
学生B 「俺も。ゲームや漫画を好きなだけ読めたらもうそれでいいやって思うことがあるんだよな。」
先生「そうですね。先生も一人のほうが気が楽です。ルールっていうのは私たちの自然権を抑えるものですから、本来私たちの精神にとっては気持ちのいいものではないのです。」
学生A 「そうですね・・・。私、わがままだって思われるのが怖くて、自分をセーブしていたような気がします。いい子にならなきゃなって。でも、正直、どこか疲れてしまうというか、いい人になり切れないのは何でだろうって思っていました。」
先生 「私たちは、もうそういうものなんですよね。お腹が空いたら食べ物を欲しがるし、眠たくなったら寝たいです。ゲームをしたくなったらしたいし、学校がある間にもそうなるかもしれません。できることなら、猫のように自由気ままに生きていきたいですよね。」
学生B 「先生でもそう思うんですか?」
先生 「そう思わない人はいないと思います。私は自然権の意味を理解してから、人間の根元はそうなんだなと確信しました。今の教育の役割の一つは、今の社会の在り方に人間を適合させるよう、自然権を制約していくことなんだなと思っています。あくまでも一つの役割ですよ?」
学生A 「なるほど・・・。だからやってはいけないことを注意されたり、規則正しく動くようにするっていう教育が多いんですね。」
先生 「そうなりますね。学校では、学生のほとんどは先生の目や周りの友達の目、異性の目を気にしている人が多いと思います。結論を言えば、自分の自然権を行使するか、周りの目を意識してそれを抑え込んでいるか、というのが本当のところだと考えます。つまり、自分の自由は、不自由を受け入れることによってこそ確保される、ということですね。『自由は不自由や!』ということです。」
学生B 「どっかできいたセリフですね。そういえば受験の時、面接の時だけ外観が物凄い真面目になって、次の日にまた元に戻っている人をみたことがあります。」
学生A 「いるね。そういう人。」
先生 「ところで、警察がよくパトロールをするのはどうしてかご存じですか?」
学生B 「犯罪が行われていないか、見張りに出るためじゃないんですか?」
先生 「それもあります。しかし、犯罪はよく起きるとはいえ、それほどでもありません。たまたまパトロールに行っていたら出先で犯罪が起きた、というのは珍しいのです。交通ルール違反くらいならよくあるかもしれませんが。他の重大な犯罪などはあまりないでしょうね。」
学生A 「何か起きた時にすぐに駆け付けられるようにしておくとか?」
先生 「それもありますが、何よりも大切なのは、警察官が、パトロールをしているぞということを、私たちの心理に訴えかけるためです。」
学生B 「なるほど!そうしておけば、何も犯罪が起きない空回りのパトロールも、意味がありますね!」
先生 「はい。警察が見張っているんだぞ、ということを人に意識させれば、強い防犯効果が期待できるのです。例えば中国は日本よりもずっとレベルの高い監視社会で、いたるところに監視カメラが仕掛けられ、人の顔を認識できるようになっています。こうすれば、犯罪はほとんど起きなくなる、あるいは犯罪を犯したとしても、直ぐに犯人逮捕につながる、ということになります。日本もかなりの監視社会ですけどね。」
学生A 「それって、誰かにずっと自分をみられているかもしれないってことですよね。何だか嫌だなぁ。プライバシーっていうのがないみたい。」
先生 「本当に犯罪を取り締まるのであればいいのですが、少なくとも中国ではそれ以外のことにも利用されているようですね。中国はロシアと同じ自然権国家です。法律が周りから文句を言わせないようにするための印籠として利用されています。都合のいい法律をつくって、法律があるから従いなさいと言ってくる一方、私たちはちゃんと法律に基づいて統治を行っている法治国家だという顔ができるわけです。そんな法律守ることができて当然ですよね。」
学生B 「うわ~。法律を便利に使いこなしちゃってますね。それだと結局何の制約も受けていない事と同じじゃないですか・・・。だとすれば、中国だととにかく国にとって気に入らないことをしてしまえば法律なんて全く無関係に捕まってしまいそうですね。」
先生 「そうですね。日本もあまり人のこと言えないように思いますが、あちらよりはずっといいでしょう。法律とはこんなものです。そのため、『法律があるから正しいのです。』という前提で自分の話の正しさの根拠とする方は、ちょっと気を付けられた方がいいように私は思います。」
この章のまとめ
① ルールを守ろうとする人は、結局周りの目を意識しているだけ。
② 一方、ルールは宗教となり、盲目的に正しいと信じている人もいる。
③ ルールは、人が人を殺してしまうもの、物を盗んでしまうものだということを前提として作られている。
④ 法律の数は非常に多い。私たちは全ての法の条文を記憶し、全てを正確に解釈し、そのうえで毎日を生きているわけではない。しかし私たちがルールを守って生きることができているのは、周りに合わせているから。周りに合わせるということは、周りを意識していることになる。そしてそれが常態化し、やがて当然のことになっていく。ルールはそうした意識の中に溶け込むようになっている。
