試験制度は却って人を弱くするのではないだろうか
今日のトピックはこれです。試験制度。皆さんも今までの人生の中で、試験を受けて合格した人や、不合格になった人っていると思います。大勢の人が体験してきたことだと思うんですよね。
で、私たちはいつの間にか、教育のために試験制度が導入されたのだと考えてしまっています。資格などの試験制度があることによって、私たちの知識や能力は向上するのだと。
しかし、それは全くのでたらめであり、私たちの勝手な思い込みです。今回はそういうお話です。
例えば、簿記の試験を考えてみましょう。簿記1級の試験は、商業簿記と工業簿記合わせて70点取れば合格です。ということは、30点については取れなくてもいいわけです。
この30点分をどう見るか。例えば、30点はケアレスミス用の幅を持たせるという意味の点数だとみる場合、70点を取るためには、問題の全てを理解しておかなければなりません。つまり、ケアレスミスさえなければ、100点取れなければ受からない試験です。その場合、皆特に慎重に試験を受けますから、70点で合格するという人は多くはないでしょう。皆100点近い点数を取るはずです。
実際試験を受けてみると、1つミスったらその答えのせいで次の答えもミスっていく、というのが簿記の試験です。つまり、1つのケアレスミスが後の問題に大きく響きますから、一貫の終わりです。ですから、30点は間違えてもいいよ、とか言われても、最初の1問目からわからないともう終わりといってもいいです。間違えていい問題があるとすれば、それぞれの単元の本当に最後の1~2問くらいでしょう。
しかも、あちら側は、時には絶対にわからない問題を出してきます。これが場合によっては15点くらい容量を占めるので、受験生からも評判が悪いわけです。それぞれの単元、最低10点以上は取らなければなりませんから、1つの単元に難問が出てくると、10点確保は厳しかったりします。
で、点数調整と言うのが行われて、何とか合格するという人も出てくるわけですね。どんな試験にもありますね、点数調整。
で、ここまでで私は2つの突っ込みどころを考えています。
1:30点は取れなくてもいいっていうけど、その30点については一生わからないままでいいの?!
まずこれですね。30点とれなくて、70点で合格した場合、その人は30点について、何がわからなかったのかを振り返るでしょうか。きっと多くの人は、合格したから別にいいや・・・。みたいな気持ちになることも多いのです。
もし30点について復習し、しっかりと理解したとしても、さらなる疑問が起きます。それが次の2です。
(自分が受けた試験の回答は、資格試験予備校などが速報を出したり、将来出版される過去問などがありますが、実際それを見ても難問は解き方がよく理解できなかったりするんですよね。復習して理解しろって言われても限度があるわけです。それに「わかりやすい解説付き!」とか書いてあるくせに、解説読んでもわからない本が非常に多いのも事実です。わからせたくないんじゃないか…と思うくらいですね。)
2:別の問題が出たら次は不合格なんじゃないの?
今回は受かったけど、また別の試験を受けたら、次は70点とれないかもしれないんじゃないの?ということです。じゃあ、その人は単に運がよかったんじゃないでしょうか。
で、私がこの2つの事実から言いたいことはこのことなんですよね。
どうしてどんな問題が出されたとしても100点を取る事が出来るくらい、余すところなくあらかじめ理論を教えておかないのか?
ということです。こういうことを言うと、皆、わけがわからない。何を言っているんだこの人は?みたいな返事を返したり、怪訝な表情をします。それ以上は言葉が通用しないようなのです。私もえっ?って思うことがあります。
例えば、どんな簿記の問題が出されたとしても、100点が取れる。ミスったとしても本当に計算ミス。背後の理論は正確に理解している。そういうレベルに私たちを最初からもっていくようにしとけばいいんじゃない?って思うんです。
だって、例え70点で合格でも30点についてはわからないままでも合格になっちゃうわけだし、その30点について何としてでもわからせようっていう気概があちら側から伝わってこないんですよね。わからないんだったらわからないままでもいいよ・・・。みたいな空気を感じるんですよ。で、大人しく合格に酔いしれとけ・・・って感じなんですよね。
じゃあ、100歩譲ってそれでいいとしましょう。だとすると、どんな角度から問題が出されても100点をとれない人たちは、やっぱりどこか理解しないまま、知識も足りないまま歩んでいくことになります。で、そのうちのいくつかは、人生の途中で正解をたまたま発見し、気づくかもしれません。しかし、そうではない人が圧倒的多数ではないでしょうか。
そうすると、その理解していない部分については理解していない人たちが大勢出てきて、結局、会計学などの分野でも、よくわからないや・・・って思うようなところが増えてしまい、却ってその分野で分からないところが増えていく・・・。そう思うのです。
しかし逆に、どんな角度から問題が来ても大丈夫なくらい、正確無比にあらかじめ理論や、事実的背景を私たちに教え込んでおき、分からせておけば、試験なんて受ける必要もないし、ケアレスミスをのぞいては実質上100点の答案ばかりになるわけです。
まだ何を言っているのかわかりませんか?どうしてこんな風に言うのかと言うと、やっぱり相手は何を言っているのかわからないっていう顔をするからです。
例えば、私たちがある問題に対して学ぶ数を10とすると、そのうちの7あれば合格です。でも3はわからずじまい。それでも合格です。3についてはわからないまま過ごしていきます。
で、更に別の問題が出てきて、それについて学ぶ数も10とすると、そのうちの7あれば合格。でも3はわからずじまい。それでも合格です。
ということは、1000について300が、10000の知識について3000がわからないままの状態で進んでいきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私の信念として、人間に理解できないものは無いと信じています。特に簿記の理論なんて言うのは、ある小世界の中の、バランスシート上の理論で、どちらかというとちっぽけな世界なのです。これくらいであれば、余すところなく理論化できそうな気もするのです。そもそもが人が作ったものですから。
理論化すれば、例え10000ページの文書でもいい。それでも楽しく読めます。だってわかるから。そして、理解するからこそ、テストもどれだけ理解できているのかわかります。間違えたところだって、理解へたどり着けます。
でも、今の試験は、間違えた所に対して、ちゃんとした理解へたどり着けるかどうかもわからないし、自分達が知らない範囲の知識が一体どれだけあるのか見当もつきません。
みんな知っていること知らないこと、理解していること、理解していないこと、全てばらばらです。
点数や合格という玉璽を貰って喜んでいたら、これは「袁術合格」になってしまうんですよ。
簿記の理論を、全て理解しつくした・・・と言えるようにならなければ、私は意味がないと思うんです。
受かる馬鹿に受からない馬鹿、同じ馬鹿なら受からにゃソンソン。ということです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
英語のTOEICだってそうです。マークシートで、点数結果は帰ってきますが、自分がどの問題のどこを間違えたかなんて言うのは知らされません。
人間もこれから減っていくわけだし、理解できている人間がだんだん減っていくわけですよ。そうなると、全体的に能力がドンドン落ちていくと思うんですよね。
試験って本当にそんなにいいものなんでしょうか?試験日まで根を詰めて勉強して、毎日の生活リズムがくるって、そして体調も悪くなって、精神的にも病んで、そうやって勉強していって、例え合格しても、単なる証明書にしか過ぎない。つまり、その学問の全体を理解しつくしたわけではないのですから!
そういう意味で、私の言いたいことをもし実践している人がいらっしゃるとすれば、それは、ヨビノリ先生のような方です。彼でも完璧にはいかないでしょうが、私はこのことに問題意識を持っておられるからこそ、今のような授業を始めていらっしゃるのだと考えています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何で試験制度なんていうのがそもそも考え出されたのでしょうか?
一つ
受験産業ですね。
私たちが「資格が欲しい」という欲求を利用して、お金を稼ぐための手段として、試験制度を利用しているということです。
だから、解説なんて書かれても、よくわからない解説も多いわけです。何か、下手なこと書いて責任取らされても困るし・・・という感じも受けます。(自分らもよくわかってないし・・・とか。)
わからないやつがいてくれた方がありがたいのです。向こうは情報を売るわけですから。
二つ
雇用政策です
全ての人が簿記について完全な理解に到達してしまうと、需要と供給のバランスが崩れ、簿記ができる人間が溢れてしまいます。何とか調整する必要があるのです。
教える側の雇用も確保しなければなりません。
三つ
試験は落とすためにあるからです。
例えば、東京大学。学問の自由。誰だってやる気のあるやつはこい!
なんて言ってたら、わらわらと人が集まり、収容できない人数になります。だから、収容可能な人数に絞りたいわけです。だから、適当に選んで帰ってくれ・・・。とお願いする。
しかし、帰らされる人間たちは納得がいかない。何で自分達が駄目なんだ?
学校側困る。そうだ。試験を実施して、一定の点数を取った人間だけを合格させるようにしよう!ということですね。
これは一応合理的な効果を産みます。教える側も、自分達の話のレベルをある程度上げた状態で話をしたいからです。算数もわからない人間に来られたら、時間がいくらあっても足りません。そういう人間たちはおとなしく帰ってもらい、そしてなぜあなたたちはこの場所に来る事が出来ないのか・・・という理由として、「不合格」があるわけです。
で、コネとか裏口入学っていうのもあるんですが、これも実は「アリ」なんです。恐ろしい話。なぜかっていうと、試験制度はあくまでもビジネスと人数調整のために行われているのですから、2~3人くらいなら適当な奴を入れても平気なのです。どんな学校にも、どんな大学にもいますよね。何でこの人がこの学校に入れたんだろう?っていう人。そういう存在は、うまくこうした存在をカモフラージュしてくれます。
四つ
いずれにせよ、大学も資格も「ビジネス」です。ビジネスということは、収益を獲得するのが目的です。情報をいち早くつかみ、情報を求めている側に売る。ということは、情弱が食われるわけですね。
で、「ビジネス」はいいんですけど、金を払える人間と払えない人間で、情報の質に偏りが出るんですよね。これが「情報格差」と言われているものですね。
でもでも、結局は、理解できていない部分というのはどうしても残ります。試験制度のおかげで、試験に合格するためのノウハウなどが編み出されたり、試験の情報が商品として売りだされるようになり、経済的には豊かになる人も出て来たでしょう。
しかし、学習者たちは、どーにせよ、自分達が学習しているものに対する「完全な理解」に到達することは、不可能ではないだろうか。そう思います。皆試験に合格することを目標に勉強するのであって、「その対象をいろいろな角度から学び、理解し、極める」という視点がないのです。
しかも合格が目標になってしまうと、それ以降は、その分野に対しての興味を失い、一体今までの勉強は何だったんだろう?ということもよくあります。特に受験なんかそうですよね。
合格や不合格、情報料とかで分断される世界。しかし、大切なのは、その物事を、確かに理解すること。確かに知ること。理解しつくし、知り尽くすこと。
あえて知っている人と知らない人、理解している人と理解していない人が別れてしまうことは問題をはらんでいますし、一人が勉強するにしても、7と3が積み重なって、3がやがて大きくなり、理解できていない領域がとてつもなく大きくなって、人は知らない場所から忍び寄ってくる無知の領域のために、押しつぶされてしまわないか・・・。
そんな不安があるのです。
わかりますか?私の気持ち・・・。
そして、このことに疑問を持ったのがこの事実です。
「合格者の数をコントロールするために調整をしている」
ということです。
調整する理由
このことからもわかるように、試験制度があるのは、私たちの能力を向上させるためではありません。確かに試験でいい点を取ることは私たちの目標となり、それなりに貢献するものなのかもしれませんが、試験がある目的は、決して私たちの能力を上昇させることではないのです。そして、その対象に対して、完全に私たちが極めつくすこと。理解しつくすことも期待していません。
試験の目的は、私たちを落とすことと、私たちが落ちたことを、私たちに納得させるためにあります。
この逆パターンがあります。もっと入ってきてほしいのに、少子化のせいで受験生がいない。定員割れ。そういう時は、なんと、試験問題のハードルを下げたりするんですよ・・・。
調整するんですよ・・・。
もうわかりますよね?私たちの能力なんてどうでもいいってことが。物事をどれだけ理解しているかなんていうのが、本当にどうでもよくなければ、こんなことは絶対にしません。
もしそれが大切なら、例え定員割れだったとしても、受験生全員の理解度を測るはずです。
実は東京大学とか京都大学とかえらそーに言っていますが、学問等の学ぶべき対象が大学や場所によって変化するわけがありません。
簿記の知識や理論的背景が大学ごとに違ったらそれこそ大問題です。
大学がたくさんできているのは、受験産業とビジネスのためというのが大きな理由です。勉強しても無意味だという無意味感。どちらかというと勉強ができた方の私は、この意見真っ向から否定したいんですが、でも、こういうこと言っている人の方が正しいと思います。
そりゃ、勉強をしないよりした方がいいです。でも、別に大学に入ったり試験に合格すること自体が目標になったら終わりなんです。私たちが持つべき大切な視点は、自分達が学ぶ「対象」に対する「理解」。これにつきるのですから。
そういう意味で、今の受験産業や大学ビジネスというのは、本来学問へ向かおうと思う私たちの姿勢とは、ずいぶんとずれ込んだ世界だなと思っています。
こんなこと感じるのは私だけでしょうか。ここまで書いても理解できない人いらっしゃるでしょうかね。
まぁいいや。もう少し伝える力が付けばまた書きたいと思います!
