皆が目指していることなのに、よくよく考えると意味がないなって思ってること エッセーなのかな
頭がいいですね。って言われて、嬉しいのはよくわかる。
しかし、私はよくよく考えてみた。私の頭がいいとすれば、それはそれで、とりあえずいいとしよう。
でも、もう少し考えてみる。私の頭がいいことに、一体どれ程の意味があるのだろう?
例えば、私以外の人間が、私と同等の頭をもっていれば、別に私じゃなくってもいい気がする。
私は頭がいいと言われるとうれしい。人は褒め言葉を受けると、素直に喜びたくなるものだ。
しかし、もし私の頭がよかったとしても、頭がいい、という能力が、この私に備わっているということ、そのことに、一体どれ程の価値があるのだろうか?
例えば、与沢翼という方をご存じだろうか?秒だったか分だったか、すごいスピードで1億円を稼ぐという男。彼はお金を稼ぐ能力の高い男ということで、世間で注目を浴びた。(と思う。)一言で言えば、たぐいまれなる商才を持っているのだ。
そして、彼はその腕でみんなの注目を浴びたのだった。
しかし、私はこう考えた。彼がお金を稼げる力を持ち、彼がお金を稼ぐのは、別にルールにも何も違反していないのだから、良いだろう。その点については何も文句は言えない。しかし、彼がそれほどのお金を稼ぐことに、一体何の意味があるんだろう?彼がそれほどのお金を持つことに、一体何の意味があるんだろう?
これは、大谷君にも言えることかもしれないし、クリスティアーノ・ロナウドにも言えることであり、フロイド・メイウェザーとか、リオネル・メッシとかにも言えることかもしれないが・・・。
彼らがお金を稼げるのはいい。でも、彼らがそれだけお金を稼ぐこと自体に、一体何の意味があるんだろう?
人は皆幸せになりたいと思っている。そして、私も幸せになりたいと思う者の一人かもしれない。幸せはきっと、気持ちのいいものなのだろうとおもう。
しかし、よくよく考えてみると、私が幸せになったとして、私が幸せになることに、一体どれ程の意味があるんだろう?それはただ、私が気持ちよくなっているだけなんじゃないだろうか。
幸せになるために生まれてきたとか、そういう綺麗な言葉を言う人はたくさんいるんだけど、そもそも何でそう決まっているの?誰が決めたの?
それは、私たちがきめることじゃないと思う。
私たちは生きていかなければならない。という人がいる。
誰が決めたの?
まぁ、それはいいよ。幸せになるために生まれてきたんだね。それは、そうなのかもしれない。しかし、私たちが幸せになったとして、私たちが幸せであることに、一体どれ程の意味があるんだろう?それは、私たちが気持ちよくなっているだけなんじゃないだろうか。
いや、別に不幸になれと言っているわけではない。私が疑問に思うのは、こうした数々の、謎の決めつけ。皆が頭の中で当然のように行っている、決めつけだ。
私の頭がいいと言ってくれる人たちがいて、私は嬉しいんだけど、でも、私の頭がいいってことに、本当にそれだけの意味があるのだろうか。頭がいいと言われ、そして、私が私で気持ちよくなっていたとしても、それは、全く意味がないこと。
そう・・・。私の頭がいいとすれば、それは、私という一個の人間が持つ能力が、その点で開花してきているということだ。つまるところ、私の個性が重要だ。絵に個性があるのと似ている。絵を描くんがとてもうまい人達がいるとして、しかしそのどれもが皆違う。みんなうまいけど、皆違う。
絵がうまいと言われると嬉しいだろう。しかし、その人が、絵がうまいことにどれほどの意味があるのか?それは、その人自身にしか、その絵を描くことはできないのだということ。
私の頭がいいと言われるとすれば、私の頭がいいことに、一体どれ程の意味があるのか。それは、私にしか辿ってこなかった経験があるということ。私の頭を通過してしか、思い描けない理論があるということ。
理論はこの世界の法則を言い表している。だから、それは私の元から離れて、独立して存在している。それを言い当てるのに、私じゃなきゃダメ、ということはない。しかし、私自身の頭がよく、周りの人たち皆の頭がよくても、私個人が経てきた経験が無ければ、その理論に到達できなかったかもしれない。そこが、私が私であり、私の頭がよかったということに、意味をもたせるのではないだろうか。私の頭が、もしその時よくなければ、それほどの経験をしても、理論の発見に至ることはなかったのではないだろうか。
そして、それ以外の人がもし私と同じ頭を持っていたとしても、その経験が私にしかなしえぬものであったのならば、私にしかその理論は考え付かなかったのではないか・・・ということ。それはとても運のいいこと。しかし、私の頭がよいことに、意味がある確かな事実であるということ。
そうであるとすれば、他の人の頭がもっといいものになっていくと、それは、その人たちの経験と、その人達の頭を通過してしか生まれてこない、独自の理論や、考え方、創造の成果物にたどり着く可能性があるということ。
私がどれだけ頭がよかったとしても、やはり一個の人間の力を超えることはできないのだということ。
他の人の頭がよくならなければ、小さな火にしか過ぎないのかもしれぬ・・・。
アインシュタイン・・・。世界が認める天才。ニュートン。ダ・ヴィンチ。そういう天才と言われた人たちがいる。だからこそ、頭のいいひとは少数で、頭の悪い人が多数と考える人は多い。
しかしそれは、その人の頭の良さから産まれ出た成果物が、この世界の法則と一致していたというだけのこと。
私の頭がよかったとしても、そういう成果物を出せるかどうかは、わからない。それは、自分の力では到達できない領域だ。それまでの経験がものをいう。そして、運が大きく作用する。
偉大な発見は、偶然や、偶然の引き起こす失敗などが引き金となることも多く、すべてがまるまる、その人の能力が導いたものではないということ。
頭がいい。お金持ち。それは結果にしか過ぎない。肝心なのは、それを持っている人間が、どういう道筋を経ているか。頭がよくても、経験や、運や、失敗がなければ、理論にはたどりつけない。お金を持っていても、ただお金が自分に入ってくるだけで、実は何も意味がないんじゃないか。それと同時に、頭がいいってだけでは、何にもならないのではないだろうか。
お金持ちになって、いろいろなものを買って、リゾート地でバカンスを楽しんで、幸せな人生を送る。
うん。別にいいかもしれない。それは幸せだろう。しかし、あなたが幸せであるということに、一体どれ程の意味があるんだろう?
これは危険思想になりうる。悪い支配者が、国民を支配するときに、こんなことを考えてたら厄介だ。私たちが幸せになったとしても、大して意味はないのだと・・・。それよりは、苦しくとも労働をして、何らかの作業をさせておいた方が、よっぽどかましだと。
バカンスに明け暮れ、日々 食っちゃ寝の生活をしている人たちばかりがいるなどというのは、上から目線で言うと、本当に無駄だなと思ってしまうから。
まぁ、これはいいだろう。理想は、支配者なんていなくても、人は自分自身のために労働を選択するのだ。ほっといても、勝手に悩み、苦しみ、前へ進んでいくのだ。だからいいのだ。
頭がいいか、お金を持っているか、それは私たちを気持ちよくさせてくれるかもしれない。しかし、それは果実の甘い部分のようなものなのであって、決してそれだけでは意味がないのであるということ。私の頭がよかったとしても、それだけでは何の意味がないのである。
私たちは生きていかなければならないという人がいる。しかし、それと同時に、なぜ生きるのかに疑問を持つ人もいる。
頭がよくなければならないという人がいるとすれば、それと同時に、今の私のように、頭がいいことにどれだけの意味があるんだろう?という疑問を持つ人がいる。
自分の頭が悪いと思っている人は、それは頭が悪いのではなく、そこまでの経験を持っていなかっただけなのかもしれない。頭が悪いのではなく、そこまで考えてこなかっただけなのかもしれない。あらゆるものがかみ合わないと、なかなか理論には到達できない。
しかし、人事を尽くして天命を待つ。人はたどりつけるかどうかもわからない場所を目指して、努力するしかないのだということ。
う~ん。思うところをなんとなく書いてしまったが・・・。いいたいことは、なかなか伝わらないだろうなと思う。
