女性は商品か 頽廃する日本社会
コロナ禍でお金が無くなった人を狙い、金を貸す代わりに、身体を要求する、という悪質な手口が社会現象として広がっています。
しかも無利子で貸す、というのです。だから、返さなくちゃいけない。
実質 利息分で体を売っているようなものなのです。
義憤に堪えぬ。このタマの股三郎め!
というわけで、今回は、私が正しい道を示したいと思い、この記事を書きます。
注意:この記事は、男性を悪い存在とし、女性を善としたように書かれていますが、実際はケースバイケースです。話の流れから、やむを得ない面もありますので、ご了承ください。
商品とは何か?
『商品』という言葉は、私たちが日常的に利用している言葉です。街を歩けば、陳列棚に商品が置かれています。この言葉は、ありふれたものになっていますけれども、経済学用語でもあるんですよね。
で、私は経済学(勉強したいと思っていますから、誰かいいもの知ってたら教えてね)は深く知りませんから、ここでは、私個人が考えた『商品』哲学をご紹介したいと思います。
本来、商品というのはこうやって手に入れるものでした。
ステップ1:自分が欲しいものを見つける。→ 目標となる商品の設定
ステップ2:自分がその商品を獲得するために努力をして、『価値』を積み重ねる。 → 価値の蓄積
ステップ3:その商品の値段と同等の『価値』を蓄積し終える
ステップ4:その商品と自分が蓄積してきた『価値』を交換する
ステップ5:自分の物となった『商品』を自分のために使う
これが、資本主義における商品の意味です。子供は、ステップ1から、『親にねだる』、という外部ステップに移行します。子供には、ステップ2がありません。これは、子供だから仕方がないという面が、あるにはあります。なぜならば、社会の仕組みからして、子供は『価値』の積み重ね行程を兼ねた『労働市場』に身を置いていないからです。
価値とは、ここでは金銭を意味します。労働で手に入れる金銭的報酬のことを賃金と言いますね。
まず、自分が欲しいものを見定めると、その商品を交換するために、自分で努力をし、価値を積み重ねるという行為を行うものです。これが、商品を手に入れるための前提となります。
例えば、あなたがパソコンを欲しいと思ったら、そのパソコンを手に入れるためにバイトなりなんなりをします。そして、お金が貯まったら、欲しかったパソコンを買うことができます。
この時注目してほしいのは、『商品には意思がない』ということです。つまり、売主の手元に金銭的価値を提供すれば、商品は、ただ右から左へ機械的に移動するだけです。そして、その買い手が支払う金銭の量にしか着目しません。その買い手自身がどのような人間であるのか、ということには、全く注目していません。だから、買われても、大切にされずに、ただ壊されてしまう、ということだってあります。
ステップ5からは、適当に扱われることもあれば、大切に扱われることもあります。
では、女性の場合はどうでしょうか。
まず、男が、自分の好きな女性に目を付けます。(ステップ1)
そして、男は、自分で自分自身を鍛え、学び、働き、財産を貯めるなど、いろいろなことをして、自分自身の価値を高めます。(ステップ2)(それ以前に、軽い友人関係になる、という前提はあるにしても)
自分が告白するべきタイミングを決定します。自分がこれだけの男になったらアタックしようとか勝手に決めちゃう。(ステップ3)大体、こういう時、女性は待たされることになるわけです。
そして、男性の中で何かうまくいったとすれば、女性にアタックします。(ステップ4)
女性がOKを出した後は、どうなるかはわかったものではありません。ステップ5からは、闇なのです。
さて、この時、女性が『商品』であるとすれば、何がおきるでしょうか。もし、女性に『値段』がつけられ、女性の首から値段プレートがぶら下げられていたとすれば、その男に買われて行くだけです。そして、意思がないのですから、その後はその男の所有物となり、楽しむために消費されて行き、要らなくなれば処分(捨てられる)されます。
で、実際そんなことはありませんよね?ですから、このことからもわかるように、女性は『商品』ではありません。一部の男性たちは、「女性は商品だ!」と主張しているものですが、理論的に考えて、完全に間違っています。商品というものがどういうものなのか、ということさえをも、全く理解していない人達だと思います。
まず、女性は、自分の値段を自分で設定することができます。(ただ、残念ながら、身の程知らずの女性がいるかもしれません。逆に、自分の価値を低く見積もりすぎている女性もいるでしょう。こういう人は好印象なところもあるかもしれませんが・・・。)
値段プレートをぶら下げているわけでもありません。
自分にアタックしてきた男を見定め、自分を売り渡すだけの対象かどうかを見極める権利を持っています。そして、例え自分に見合う価値を携えてきた男性を前にしても、拒否する権利があるのです。
商品だと、こうはなりません。その場合は、女の人には、拒否権がないのですから。また、商品は交換価値のみに着目しますが、女性は、その交換価値を提供する男性自体が、どういう人間であるのかにも着目します。金銭が先に立つ女性も多いようです。
大体の傾向ですが、女性は、現実のために理想を求めます。今、現実的に生きるためにはお金が必要です。そして、そこから現実を確保できるだけの理想状態の男性を求めます。女性は理想主義、高年収高学歴イケメン~~~~~な男を求めている、と考える人も多くいますが、女性はあくまでも、現実のために理想を求めているのです。
男こそ、どちらかというと理想主義です。自分の掲げた、かなうかどうかもわからない夢に向かって、お金を使ったりして、暴走することがあります。男は、理想のために現実を消費していくようなところがあります。だから、男性にとって、女性が理想的に見えれば、そのために現実を使い始めるということがあるのも、うなづけますね。女性に金を貢いじゃう男性・・・。多いですね。(ただね、女性も女性でホスト依存者はいるんですけどね)
女性は商品ではありません。全く違います。
でも共通点はあります。
私が商品を獲得する道と、女性を獲得する道を、ステップ1~ステップ4まで示したように、似たような道をたどっているな・・・ということに気がつかれたのではないでしょうか。
私は、女性は、『商品の原形』となった存在だと考えています。男性が女性を求めるように、人は商品を求める。そして、人はそのために価値を蓄積する。自分を鍛える。努力する。そして、その価値を蓄積する過程で、自分を育てて、鍛えていく。そうして、人間が成長する。女性は、太陽の様でいて、人間全体の母親のような存在であり、人間を作る存在である。
商品は、この仕組みに準えて、棚に陳列されているのです。
とりあえず、最初の話に筋道をつけるとすれば、男性が女性にアプローチする、という流れが生まれてきたのは、こういう事情があったからなのだと考えます。
そして、世の中のあるあるなのですが、邪なことを考える男性が増えていくのです。
外道者たちの誕生
女を獲得したい。できるだけ、楽に・・・。女を獲得するための労力は、不安と焦燥、劣等感に代表される不快感が、有象無象に付きまとう世界です。早くこんな苦しい世界からは逃れたいし、だからといって、女性が手に入らないのも嫌なのです。すると、どっちも満たしたい、という人が出てくるものですよね。
商品をただで手に入れようとする人たちがいるように、商品にたどり着くまでの堅実な道を取ろうとしない人は、多くいます。それと同様に、女性を楽にゲットしよう、というタイプの人間もまた、多く存在しています。だから、極端な例を挙げると、レイプ事件が発生しますし、あとでご紹介するように、女性騙しの組織的な集団が現れることもあるのです。
商道
商売人は嘘つきだ。利益を得るためにこびへつらい、買い物客から不当に利益を手に入れる・・・。そういうイメージは何時からついたのでしょうか。確かに、商人はそういう面が付きまとうのは確かです。利益が無ければやっていけませんからね。
しかし、真の商売人は、価値あるものを作り上げる。そして、それを人に公開する。人はその価値を認め、それを手に入れるために自身の価値を蓄積していく。値段以上のものを、買い手に与えられるのです。
真の商売人は、自分を含め、人を育てるのです。
恋愛とは差別がつきものである。というのが私の主張です。男性が街を歩き、綺麗な女性に目を止める。男性と女性が入り混じる社会は、まるで女性という商品が行きかうクロスロードのようになっています。
差別とは、表面的な情報によって扱いを異にすること、と過去記事に書いたことがあります。(法学入門シリーズ)男は、きれいだ・・・。可愛い。という表面的な側面だけで、その女性に興味を覚えます。これは女性も一緒で、かっこいい!と思ったら興味を覚えますよね。
これも、商品を見て、おっ!と思うのと同じですね。これはステップ0に加えてもいいかもしれません。
女性もこのことが(本能的に?)わかっています。女性が自分を綺麗にし、美容に拘り、スタイルをよくし、そうした外観を整え、イメージをよくすることに熱中するのは、自分に価値を認め、自分の下へたどり着きたいと思う男性が現れることをどこかで期待しているからです。
商品は、商売人に一方的に位置を決められ、商売人が売りたいな~と思った商品は目立たされたりします。しかし、女性は自分から、気に入った男性の目の留まる場所へ移動することができます。ここも、女性と商品が全く異なる部分です。
さらに、商品は、自分で自分をよりよく見せることはできません。しかし、女性は自分をよりよく見せることができます。
商品は、ライバル商品を蹴落とし、陳列棚を自分の物だけにすることはできません。しかし、女性は、ライバル女性を蹴落とし、あたかも自分が最高の商品であるかのように装うことができます。
そして、どれだけお金を積まれても、女性が自分を渡したくないと思えば、拒絶することができます。一方、商品はそんな意思を持ちませんから、ただ売られて行くだけです。
男は、拒絶された時は、男らしく引き下がりましょう。しかし、あなたがその女性を手に入れたいと思ってした努力は、あなたのストック(資本)となって、あなたの中に蓄積されているはずです。勉強も、仕事も、いろいろと学んだことも・・・。結果は残念ですが、異性という商品の原形を獲得することは、資本主義であり、資本主義が、私たちの生の在り方にマッチした構造になっているのです。
追記:
ちなみに、女性の性器、その中のことを、「冏中(けいちゅう)」というそうです。この漢字は、光る、明るいという意味を持つようです。ただ、私が大好きな漫画「蒼天航路」では、曹操と鄒氏(すうし)が宛城でずっと夜を共にしていたとき、自分の精気が全て冏中に吸い取られて行く、と言っています。この漢字、商品の下の部分ですよね?これは、来たんじゃないですかね!
副作用?
女性は、自分が男性に買われることを、誇りに思うところがあります。自分の価値がとても高いというプライドを持っている人が多いです。だから、高年収のイケメンで、優しく財産持ちの~~~~という男性が自分を買ってくれるのを期待している人が多いです。
ただ残念ながら、最近は男の価値が急速に下がって行っているように私には思えます。いや、昔からか(笑)。昔も低かったけど、今はもっと低いかもしれない。(笑)
私の大好きなB’zが「恋心」で、このような歌詞を残しています。
どうしよう 授業の内容は
こんなとき 全然使えません
そうですね。私たちは、学校の授業という、皆が共通して定められたレールを、ただなぞるように進んできました。恋愛として、正しい行動とは何か、ということは、性教育でも教えられたことはありませんよね。
そのことがどう働いたかはわかりません。恋愛を美化して考える人たちは多いかもしれませんが、その裏にある醜さに自分が飲み込まれて行った、という人も多いものです。恋愛は、動物性と人間性の入り混じる世界です。
また、自分が目標とした女性には、他の男性も目に止めることが多いです。すると、競争率が高まります。女性は自分を巡って争ってくれる存在が出てくることをとても心よく思います。それだけ自分の価値を感じることができるからです。ただ、争いは戦争と同じで、残るのは廃墟だけ、ということもよくあります。女性が嫉妬を好むのは、自分の商品としての価値を感じることができるからなのだと考えています。
ステータスや財産があっても、まともとは限らない男たち
お金というのは、結果です。例えば、闇バイトやオレオレ詐欺等の違法な手口で荒稼ぎした人間が、自分年収これだけあるんです、といって女性を買いにきたとします。女性からすれば、その人の裏事情なんて全く見えませんから、それだけのお金があれば、それでその人のステータスを推測します。
例えば早稲田大学では、大学生たちが女性を酩酊状態にして乱暴するという前代未聞の事件が発生しました。スーパーフリー事件です。彼らは、女性を騙すための看板を手に入れる目的で、学歴を手に入れたのです。人は自分の欲望を満たすことが目標になると、恐ろしいほどの力と忍耐力を得ることがあります。(悪魔に魂を売ったら、人間を超えた力を手に入れられる、という物語がよくありますが、私はこうしたことの比喩だと思っています。)
女性にはわからないかもしれませんが、女性とSEXしたいという男性の欲求を軽んじてはいけません。(というか、もう社会を見てたらわかりますよね。)
この事件が象徴するように、すさまじい奴はすさまじいです。そもそも男であること自体の目的は、女の獲得という面があるため、人生をかけて女を獲得しに来る、という存在もいるのです。まさか、あの過酷な受験戦争を耐え抜いてきた人間が、ふたを開けたらこういう人物たちだったとは思わないでしょう。(実は学校時代に、将来を見据えた淘汰が行われていることがあります。モテる男性が高学歴にならないのは、こうした背景があるかもしれません。少なくとも、スーパーフリー事件の犯人たちは、いい顔はしていませんでしたよね。だから、早稲田大学という名門校にいても、本当に公正公平な実力勝負で受かって来た存在なのかというと、疑問に思うところもあるわけです。)
晴れてこうしたことができる日がやってくる、ということが、彼らに精神的エネルギーを与えていたのです。(女性は人間を育てると言いましたが、副作用として、中身のない性獣さんも育ってくることがあります。それは、商品でも一緒です。だから、商品や女性は、誘因性はありますが、やっぱり基本は買い手となる個人の資質も大切です。もちろん、商品も、女性も、しっかりとするにこしたことはありませんよ。)
で、女の人も女の人で、そういう人たちは、自分に優しいので、優しい人だと勘違いしてしまうかもしれませんが、そもそも、自分に快楽をもたらしてくれる存在に、優しくしないわけがありません。自分を満足させてくれる存在に、人は優しいものではないですか。
刑法には、詐欺強姦という類型がありません。女性に対して、自分の男としての価値を見誤らせ、体を許させる男性は、例え刑法で裁かれなかったとしても、とても罪深い存在だと思っています。スーパーフリー事件はもろに犯罪ですけどね。
ヤクザはメンツの生き物で、中身がありません。中身がないのに、外面だけで自分の目的を達成しようとする人は、どれだけ堅気の世界にいるように思えても、私はヤクザだと思っています。ヤクザというのに明確な境界線はありません。違法者、というイメージが付きまといますが、合法者でも一緒です。あなたの隣人も、ヤクザかもしれません。
こないだ、犯罪自体を取り締まるはずの検事正さんが、部下の女性に性的暴行を繰り返していたという事件からしても、よくわかります。地位や能力はその人自身の、人間としてのバックボーンとは、大して関係がありません。スーパーフリー事件と同じように、女性を自分の物にしたい、という欲望が、その人に検事になるほどのエネルギーを与えていたのではないか、ということも考えられます。
極端な話、人間は看板だけ、という部分をどこかに持っていると思いますから、人間はみんなヤクザだな、ヤクザっぽいところあるかなと、考えてしまうこともあります。ピンキリですかね。
特に、仕事や労働をしていたり、輝かしい学歴や職歴を持ち、優れた成績を収めたからと言って、人格が優れているとか、それだけ人間を鍛え上げてきたかという人物は、そう多くはいません。自分が生きていくために、やれと言われたことをやっているだけの人たちや、仕事の知識だけはあるけど、他はからっきし、という人は、意外にも多いのです。
哲学・思想・文学・倫理・道徳・宗教を軽んじている人は、そういう傾向にあるのではないでしょうか。最も大切なものが、最も価値を失っていく。インフレ化していく。言葉の価値も、どんどん低迷していきます。
女性は大切な存在です。私たちがちゃんとした向き合い方をすれば、世界が正しい方向に向くはずです。しかし、今の時代、金さえ積めば手に入れられるようになっています。これだと、人間のバックボーンがはぐくまれません。お金次第です。最初からお金持ちのところに生まれたら、労せず手に入ってしまいます。
陰謀論になりますが、女性を商品にしてしまおう、という思惑が、社会構造自体を変革させているように思います。そんな陰謀があろうとなかろうと、実際そうなっていっているではないですか。私は、全く無関係ではないと思っています。
お金は一度流れに乗ってしまえば入ってくるようなところがあると言えばあるので、お金を持っている=人間として優れている、とは限りません。
特に国なんていうのは、自動的にお金が入る仕組みになっています。税金は国をよくするものではなく、弱体化させるためにあるのではないかしら・・・。国自体が、それだけの価値を生み出してきたわけではないからです。
本当にそれだけの商品を創り出してきたのか・・・。というところも大事ですし、商品を創り出せたからいい人格を持っているとは限りません。傾向としてはいい人格持っている可能性は高いのですが、必ずそうだとはいいきれません。
で、ここまで男性を悪く言ってきたのですが、男性がすっかりと正しい道を進んだとすれば、本当に物事はよくなるのでしょうか。
ところが、そう甘くはないのです・・・。
というのは、女性側にも女性側で、男性獲得の競争意識が激しく渦巻いているからです。今まで女性側を持ち上げてきましたが、女性も女性でやっぱりね~というところはありますよ・・・。
そして、私は女性も空っぽで、中身のない人っていうのを見たことがあります。外面はいいけど、中は空虚な人。だから、そういう意味で、お互い様みたいなところはあるんですよね。
商品がすごく魅力的に見えても、そんな大したものではなかった・・・ということがあるように、女性の中でも、やっぱりそういうことがあるわけですね。
たとえ健全なアプローチが発生していたとしても、競争に負けた男性・女性。そして、渦巻く嫉妬心や悋気心に苦しめられることが多いこの世界。あなたが進む道は、その痛みや苦しみに耐えつつも、なお進んでいくべき正しい道でしょうか。それとも、金で買えばOK。金さえ積めば手に入る、という商品化された性の世界でしょうか。
経済はもろ刃の剣。全てが金融化していきます。全てが取引になって行きます。
ドストエフスキー
「経済が宗教を壊すのだ。」
男と女の正しい在り方は、経済によって、既に破壊しつくされてしまった後なのでしょう。
そういえば、厳格なイスラム教も、経済対策のために、最近は緩くなってきたところもあるようですね。
