解脱とは何か
解脱という言葉を聞く。これは仏教用語だ。
解脱が大切というのは、どうしてだろう?
私は仏教学問に詳しいわけではないが、私は私なりに宗教を理解しているつもりだ。そして、その理解した宗教の中の、解脱というのが一体何に当てはまるのか、ということも良く分かっているつもりである。
この記事を書こうと思ったのは、
この記事を読んだからだった。この方は、私の記事をマガジンに追加してくださったし、私もその時ちょうど時間があったので、ホイホイとこの方の記事を読みに行くことにした。
この話は、解脱の話だということがわかる。
私たちは、生まれ落ちた時、親と出会う。親は最初の支配者だ。私たちは、彼らの支配の元に生きる。心のどこかで、彼らのことを意識している。常に、彼らの笑顔に。彼らの泣き顔に。彼らの言葉に。彼らの気分に。彼らの感情に、私たちの行動は揺さぶられる。
外に出ては、学校だ。友達だ。社会に出たら、上司だ。自分の世界の上には、必ず神がいて、神が自分を見ている。そして、神のご機嫌を取らなければならない。そういう一生だ。
自分が生きたいように生きるのではなく、神様を楽しませるために存在している自分。
この地獄・・・。
その鉄格子は、本当は自分達の精神が作り出したもの。私たちの心の眼が作り出してしまったもの。
これから解放されること。これが解脱。
俗世に生きると、必ず自分の上には誰かがいて、必ず自分を見ている人がいる。だから、仏教では、出家をして、俗世から身を遠ざけることが幸せだと言われるのだろう。
常に何かの檻の中にいて、常にその中で生きている人生。
それを意識しないようになれること。
もちろん、周りの眼から見ると、めちゃくちゃ支配されている状態だったとしても・・・。
自分の心は、檻から解き放たれているということ。
解脱は、自由を求める人の悲願だ。私たちはこの地球からは出て行くことはできないだろう。少なくともしばらくは。だから、必ず何かに支配されていなければならない。制限を受けていなければならない。でも、心は自由でいられる。その人の考え方次第だ。
