銀河鉄道の夜 全ての人間が幸せになるためには・・・ 宮沢賢治の哲学 世界観の集大成
宮沢賢治の最高傑作と思っている。この物語の深い意味を探る。
登場人物はジョバンニとカムパネルラくらいを知っておけばいいかもしれない。ジョバンニは若くて学生だけれども、病気の母がいる。父親はどうも漁師みたいで、遠洋漁業にでも出ていて家に帰らない。働きながら学校に通っている。同級生のカンパネルラは親友だが、最近はちっとも交流がない。
祭りの日、船から落ちたザネリを助けるために、カムパネルラは川に飛び込んで死んでしまいます。
そして、ジョバンニはその日、不思議な夢を見るのでした。
銀河ステーションにある銀河鉄道 その機関車にのって、ジョバンニはカムパネルラと共に、宇宙の旅に出ます。
そこに乗ってくる人々は、第三世界(私たちが住んでいる世界)で死亡した人たちでした。
暫くすると、白鳥の停車場に付きます。二人はそこでちょっと降りてみました。そして、考古学者と出会います。彼は発掘調査をしていました。彼は何だか忙しそうにしていたし、ジョバンニとカムパネルラは見物をしました。
次に、彼らは鳥を取る人に出会います。しかし、彼は表面的にしか物事を捉えることができない人でしたから、鳥 が何であるかわかりませんでした。鳥は、とりと読むので、取りとかけて、取るものだと思っていたのです。彼の鳥への理解はそれだけでした。
だから、鳥をお菓子としてジョバンニとカムパネルラに振る舞いましたが、カムパネルラに、これは鳥ではなくお菓子でしょう、と突っ込まれ、鳥捕りはぎくりとしてしまうのでした。
その後彼は、鳥を取るために一度鉄道を離れますが、一瞬で元の場所に戻ってきます。自分が実際に鳥を取るところを見せたことで、カムパネルラの突っ込みへの反証を見せることができた彼は、せいせいした・・・とつぶやきます。彼にとっては、嘘がばれることが嫌でたまらなかったわけですし、カムパネルラの心の中にある自分に対する情報を、何とか書き換えてしまいたいと思うのでした。ジョバンニはそういう鳥捕りの心情を察して、大変気の毒に思うのでした。
彼の心理は、ヤクザ者の心理に近いものがあります。ヤクザはメンツの生き物ですから、中身がありません。そして、人の心の中に存在している自分に対する情報を常に意識しています。舐められる(自分が軽くみられる)ことが大嫌いです。(まぁ、これはヤクザ者ではなかったとしてもあるにはあるんですけど、ヤクザ者の場合は異常です。)自分自身についての、自分の望まない情報を持っているとみなした人間を認めると、すごんで驚かせようとしますし、相手の落ち度を突いては、立場を逆転させようとしたり、その人間が自分に抱いた印象は間違いであることを認めさせるために、懸命になります。(政治家みたいなところがあります。)
だから、自分のことをちっとも尊敬しているわけではないのですが、そうした乱暴な人間であることを恐れて縮こまる人を見て、自分のことを尊敬している、尊重している、という気持ちになれるのでした。逆に言えば、自分が馬鹿にされている、ということや、自分の虚栄が暴かれることは、絶対に避けたいのです。
とにかく、鳥捕りが一瞬で移動する様を見たジョバンニとカムパネルラは、その動きに驚きますが、鳥捕りも彼らが驚いていること対して驚きを覚えます。「来たいと思ったから来たんです。」と、当然のように答えます。そして、「あなたたちはどちらからきたんですか?」と聞きますが、「ああ、遠くからですね。」と言って納得します。
彼の話には具体性がないのです。具体的にどこから来たのか、ということを聞かなくても、「遠くから来た」、というだけで納得してしまうことができるのです。表面的なやり取りで、彼は満足するのでした。(まぁ、根ほり葉ほり他人の情報を聞くのも詮索めいていやかもしれません。肝心なのは、彼がそれだけの情報で満足してしまっているということです。わかった気になってしまっている、ということです。勉強をしていて、わからない問題にさしかかり、答えと考え方をさらっと読んで、分かった気になる、というときに似ていますか・・・。)
鳥捕りが去った後、今度は一人の青年と、共にやって来た二人の子供に出会いました。彼らは多分タイタニック号のような船に乗っていて、その船が氷山にぶつかったことにより、命を落とした人たちでした。
その女の子とカムパネルラがとても仲良く話をして、ジョバンニは疎外感を感じます。そして、もやもやとした嫉妬心を抱くのでした。
「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」
塔の上で旗を振る男が合図すると、渡り鳥が一斉に飛びます。
この物語では、多くの鳥が描写されます。赤ちゃんを運んでくるコウノトリはいないようですが、渡り鳥の大群が飛ぶ絶景が描写されますね。これは一体何を意味しているのか・・・。
渡り鳥は、産卵のために温かい地域へ移動します。すなわち、渡り鳥が渡る、ということは、新しい命をはぐくみに行く、ということを意味しています。
銀河鉄道に乗る人々が死んでしまった命を乗せた乗り物であるならば、ここには、生と死が交差する瞬間が、描かれているのではないでしょうか。それは大変美しく、感動的なものとして描写されているようです。
さて、青年と二人の少年少女は、サザンクロスが見える駅で降りてしまいます。自分たちの信じる神様のところへ向かう、というのです。
最後はカムパネルラの番でした。ジョバンニはカムパネルラと二人きりになりました。でも、ジョバンニはカムパネルラとずっと一緒に行こうと思いましたし、もしカムパネルラが途中でいなくなるくらいなら、自分が持っている「どこまでも行ける切符」をカムパネルラに渡してもいいと思うのでした。
しかし、カムパネルラはおっかさんがいると言ったとたん、姿を消してしまいました。彼はおっかさんの居るところへ行ってしまったのです。ジョバンニは大声で泣きました。
そうして、彼は目が覚めました。カムパネルラが死んだことを知ったのは、彼が目を覚ましてからのことでした。
ここで断っておきたいのですが、宮沢賢治はこの物語を何度も書き直していたらしく、いくつも違うパターンの話があるようです。
青空文庫に乗っているものでは、どうもカムパネルラのお父さんが博士となっているようですし、他の本では、ジョバンニに銀河鉄道の夢を見させる実験をした博士が登場したりします。
さて、この物語は、一体何を私たちに伝えたかったのでしょうか。
私はこのように考えています。
全ての人にとって幸せとは、母胎にたどり着くことであると。だからこそ、男性は女性とのセックスに極上の喜びを感じるわけです。
しかし、それは物理的な母胎だけを意味するのではありません。本当に、女性器としての母胎があることが重要なのではありません。精神的な母胎をも含めているのです。
どういうことかというと、私たちが生まれてくる前、我々は完全な世界にいました。それは、母親の母胎の中です。そこは、私たちが何の苦労をすることもなく、栄養を補給できました。そして、外敵がいても、お母さんの体が、自分を守ってくれていました。自分達はただそこにいるだけで、その存在を祝福されました。何もしていないのに・・・。
しかしいったん生まれてしまうと、物理的な臍の緒は切られてしまいます。しかし、残った精神的な臍の緒は、まだつながっているのです。これは、切ろうとしても切れることはありません。この臍の緒は変わっていまして、物理的な臍の緒のように、しっかりと接続されていなければいけない、というものではありません。母親の傍にいれば、接続され、母親から遠く離れてしまうと、接続は解除されてしまう、伸縮自在、脱着容易、とてつもなく柔らくて、人の眼には見えない臍の緒です。
だから、幼い子供は、母親と離れたところにいる時、別の大人が近づいてくると、母親の元へ逃げ込みます。本当に危険ならば、母親のところにいてもいなくても、大して危険度は変わりません。包丁を持った人間が襲い掛かれば、例え母親と一緒にいても、助からないでしょう。
しかし、母親といることで、安心感は全く違ったものになります。
これと似たような例を紹介します。私が住んでいる場所の、近所に猫がいます。彼は常に飼い主の家の庭をテリトリーにしています。しかしある時、日向ぼっこのため、その庭から少し離れた道路に座っていました。私が通りかかると、驚いて庭に逃げ込むのです。ところが面白いことに、庭にいる時の方が、私との距離は近づいているのでした。
その猫にとっては、精神的な臍の緒が、その家の庭と結びついているのです。そこから送られてくる安心感は、近づけば近づくほど強くなり、それと一体になれば、最高の状態になります。
これと同じように、先ほどの幼子も、母親から遠ざかれば遠ざかるほど不安感は増しますし、誰か別の人がやってくれば、余計に不安になります。しかし、母親のいる場所にいれば、完全に安心できるのです。こういう理屈です。
では、これと同じ理屈をもっと他のものに応用してみましょう。私たちは家に住んでいますね?借りている家でも、持ち家でもいいです。自分の住んでいる場所があるというのは、精神的に落ち着くものですね。でも、そもそもどうして、私たちは家を求めるのでしょうか?
雨風をしのぐため。寒さを防ぐため。それも正解です。でも、やっぱり、母胎の中にいたいからです。母胎の中では、雨風をしのげます。寒さもありません。おまけに暑くもありませんから。家は、寒さはある程度しのげても、そうであればあるほど、逆に暑いってことはありますよね。
人々は、自分の家をより快適な母胎にしようとし、エアコンをつけて、年中寒暖を気にしないでいられるようになりました。
このように、人は知らず知らずのうちに、母胎と同じ世界を、自分の周りに作り上げようとしているのです。そして、そのための行いがビジネスであり、それが需要となるのです。
自分が歩かなくても、母親が歩いてくれる。だから、電車やバスがある。(特に、電車の音は、母親のおなかの中にいた時と同じ音がなり、心地よく、眠りを誘うようです。)自分が栄養を確保しなくても、母親が栄養を確保してくれる。だから、料理屋がある。自分が何もしなくても、皆がほめてくれる。だから、才能がうらやましがられる。自分が何もしなくても、皆が自分を可愛がってくれる。だから、容姿がいいのは羨ましがられる。自分が何もしなくても、皆が自分を守ってくれる。だから、みんなに好かれる人間になりたがる。自分が何もしなくても、皆が・・・
とにかく、自分の家があるのと、自分の家がないのとでは、心の拠り所があるのと、心の拠り所がないのと、ほとんど同じ話ですよね。
だから、とてつもなく無害で安全な人間であっても、突然家に入ってくると、人は恐怖を覚えます。安心感を感じさせてくれる場所に、異物が侵入してくるからです。そこは母胎を守ることを保障する人間しか入ってきてはいけません。その精神的な安心感を供給してくれることを、保証してくれる存在しか、入ってはいけないのです。
引きこもりが出来上がるのは、自分の家のテリトリーの一部にのみ、自分が安心感を享受できる場所があるからです。だから、家族とも会いたがりません。また、精神的な母胎は、彼らの胸の中にちんまりと存在しており、なけなしの母胎環境をつくりあげているのです。誰しも他者から非難されれば、その存在を敵とみなすように、母胎を脅かす存在は、敵とみなします。
ある時、引きこもりの男が自分の父親を殺害する、という痛ましい事件が起きました。それは、父親がインターネット依存症の息子に怒り、インターネット回線を切断したからです。それは、息子にとって、大切な精神的臍の緒でした。それを切断された息子は切れて、父親を敵と見なし、殺したのでした。
自分の彼女を取られるとキレますよね?自分の母胎を取られるとキレます。お金を取られるとキレます。自分の領域にずかずかと入ってこられるとキレます。プライバシーを脅かされるとキレます。
私は、散歩コースがあって、ある時、自分の散歩コースを変更しました。とある家と家の間の、駐車場を通るようにしたのです。理由は何にもありませんでした。ところが、しばらくその道を歩き続けていると、その一方の家の人が、私をじろりと見るのです。どうも、私がここを通ることが、気に入らないようでした。そこは、彼らにとって、精神的な母胎領域の一部だったのです。
人が友達を選別するのも、付き合う人間を選ぶのも、自分の母胎作りに貢献する存在であるかどうかが核となっています。会社もそうですし、家庭もそうですし、国もそうですし、世界もそうです。皆、母胎作りをしているのです。自分さえ母胎に入っておけばいいや。後はしらない・・・。こういう人が多い、というのが今の社会なのですね。誰とはいいませんが。
アメリカがトランプ大統領を選んだのも、アメリカを最強の母胎へと変えてくれる存在を選んだのです。だから、母胎を脅かす異物であるとみなす存在を、これからどんどん外へ追い出していくでしょう。なぜトランプ大統領があれほど自分勝手なのかというと、思想が胎児思想だからです。胎児の、胎児による、胎児のための政治。それが今世界ではびころうとしている政治の姿なのでした。
さて、鳥捕りは、鳥を売ることを商売にしていました。これは、お金を得ることを神にしていたと言っていいでしょう。寅さんに出てくるたこ社長のように、「お金稼ぎをすることだけ考えてて、何か悪いのかい?」と聞いてくるような、そんな存在です。
お金をたくさん持っていれば、家も買えるし、酒も買えるし、タバコも買えるし、女も買える。自分の周りに母胎を構築するための、最も重要な手段です。ですから、お金がたくさんあるということは、精神的な安心感を感じさせてくれるのです。ヤクザ者が、大して価値のあることをしていない(違法なことを業としてお金を稼ぐ)のに、大きな家を持ち、外車に乗り、いい女を侍らせ、派手派手な格好をしているのはどうしてか。それは、そうした光物に包まれることが、彼らにとっての幸せだからです。自分がしっかりと汗水たらして働くよりは、他者の落ち度を利用したり(美人局とか)、脅したり、動物的快楽に弱いところを利用したり(麻薬の密売とか)、嘘をつきまくったり(オレオレ詐欺とか)、他人をうまく利用して、成果物を取り上げたり(闇バイトとか)、人の弱さや無知に付け込んで金を稼ぐ方(ホストとか風俗とか)の方が、楽だからです。彼らは、母胎の中にいることを望んでいるのです。したがって、彼らは赤ん坊のようなのですね。(ちなみに、任侠者(極道)とヤクザは違います。よく一緒にされてますけど。)
例えば、モンスターという漫画がありますけれども、その中に、「赤ん坊」というのが登場してきます。彼は保守系の高い地位にいる存在のようですけど、見た目が赤ちゃんみたいだ、というわけではなく、そういう意味が込められているんです。
お金は心の拠り所になります。彼らにとって、お金は神様なのです。もちろん、私もお金は嫌いじゃないですよ。でもね、自分が快楽を感じるため、母胎に入りたいからお金を集めているわけではありません。いや、それは嘘かなw やっぱり入りたいかなw 生存の欲求はどうしてもありますからね。
もちろん、考古学者のように、古い化石を発掘したり、学者のように、真実を発見する、という、目標に向かって生きる、というのも、一つの心の拠り所です。目標がない人間と、目標のない人間では、精神的な安定感が全然違います。
神の元へ向かった青年と二人の少年少女は、自分達の信じる宗教の神が、自分達の心の拠り所でした。彼らは、自分達の信じる宗教の神に、精神的な臍の緒を繋げていたのです。
そして、最後はカムパネルラですが、彼は自分の亡くしたおっかさんに、精神的な臍の緒を繋げていました。そのおっかさんが、人を助けるために自分の命を投げ出した自分を、きっと許してくれるだろうと考えていたのです。
お母さんは、物理的には死んでいましたが、カムパネルラにとっては、母親を常に思い描き、母親が生きていたら、どういうことを考えるだろう、どういうことを言うだろうかと、そういったことを考えながら、自分の行動の指針にしていたのでしょう。
母親が自分の精神的母胎であることは、先ほどの幼子の例でも見たように、皆さんも当然と言っていいほどわかる話でしょう。
この世界に、母親を大切にする人が多いのも、そのためです。ですが、自分以外の母親には、それほどまで興味を抱かない、ということもありますよね。だって、別の母親は、自分のいた母胎の持ち主ではありませんから。
子供が生まれて間もなく母親を認知し、母親を求めるのは、母親を愛しているからではありません。自分が元いた母胎に、最も近いところにいるのが母親だからです。従って、幼い時に母親を亡くすことが、どれほど子供にとって、深刻な影響を与えるか、ということは、想像に難くありません。
人が神を信じるのは、それが心の拠り所だからです。つまり、金を信じるのならば、それが心の拠り所。自分の達成したいものが、心の拠り所。お母さんを信じるのは、それが心の拠り所。宗教の神を信じるのは、それが心の拠り所。従って、ある人にとって金は神であり、ある人にとって、目標が神であり、ある人にとって、自分の信じる宗教の神こそが神であり、ある人にとって、お母さんが神であり・・・。そして他のものでもいいですよ。その人にとっての神がいるのです。日本人に多くいたのが、仕事が神という人たちでしょうね。
その人にとっての神がいて、その場所に赴けるところに彼らの幸せがある。
私は法律関係の仕事についていましたから、法律が神になっている人と出会ったことがあります。もちろん、仕事が神になっている人にも出会ったことがあります。こちら側の人に出会ったことがある人は、非常に多いでしょう。仕事を軽んじているとみなされると、その人からは、異端と見なされ、破門されるわけですからね。
法律が神になっている人は、法律が母胎となっているのでした。法律の根拠がないと、自分の行動に自信がもてなくて、不安で不安で仕方がなくなるのです。根拠を示さないと、二重人格かと思うくらい、血相を変えてキレます。法律を守ることが、自分の精神的な母胎を守ることになっているのです。だから、とてつもなく杓子定規な人でした。
宮沢賢治がここまで考えているのかはわかりませんが、ベクトルは同じだと思います。だから、そう考えるのだと言い切っていいと思います。そのため、青年が自分の神をジョバンニやカムパネルラに否定されるのです。だって、ジョバンニやカムパネルラにとっては、その青年が信じる神様は、全く心の拠り所でもなんでもありませんから。
「だっておっ母さんも行ってらっしゃるしそれに神さまが仰おっしゃるんだわ。」
「そんな神さまうその神さまだい。」
「あなたの神さまうその神さまよ。」
「そうじゃないよ。」
「あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年は笑いながら云いました。
「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんとうのたった一人の神さまです。」
「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」
「ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうのほんとうの神さまです。」
「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神さまの前にわたくしたちとお会いになることを祈ります。」青年はつつましく両手を組みました。女の子もちょうどその通りにしました。みんなほんとうに別れが惜おしそうでその顔いろも少し青ざめて見えました。ジョバンニはあぶなく声をあげて泣き出そうとしました。
どれが誰の言葉なのか、わかりにくいですよね。でも、ここで大切なのは、お互いの神様を否定しあっていることです。特に男の子は、その神様を、まだ自分の神と思ってはいないようです。宗教戦争が起こるのも、神は一つと決めつけて、他者の神を否定するからですね。神は、その人それぞれに存在しているのです。その男の子にとっては、その青年と、女の子の傍にいることが、安心の出来る母胎だったのだろうと思います。だからついていったのです。
では ジョバンニは? ジョバンニにとって、心の拠り所とはなんだったのでしょうか。
ここから先は
¥ 300 (数量限定:残り 10 / 10)
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?
