素人のための法学入門 #17
17回目ですよ~。
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国の正体
先生 「ロシアは、反対勢力に対する暗殺が良く行われます。暗殺したにもかかわらず、下手人はわたしたちじゃありませんっていう顔をしていますからね。プリゴジンという人が殺されたり、ナワリヌイという野党の人が毒殺されかけたりしたことは記憶に新しいです。私もね、本当にロシアの権力者たちが殺したんだっていう確実な証拠があって言っているわけではありませんけど。暗殺は、政治上の理由に基づく殺人のことですね。暗殺が普通に行われるというのは、死刑の執行に全く法律の制約がかけられていないということです。つまり、殺人をする権利の行使が全く民主的な手続きで行われていないということですね。国民が殺してもいいと思った人ではなく、彼らが殺したい人を殺しているわけです。」
(この文章の情報は古いです。現在では、ナワリヌイ氏は暗殺されてしまいました。)
学生B 「ですね・・・。」
先生 「それに全く国としての必死さがうかがえません。私たちが命令したわけじゃないですから・・・。終わり。という感じですね。もっと一生懸命犯人探さないのかと。犯人わかっているから無駄な捜査したくないか、丁度邪魔なのがいなくなってくれたからむしろありがたいんでしょうね。」
学生A 「こうなると、私たちが元々国に預けた自然権を私たちのために使うのではなくて、国自体が自然権を強く保持できるように必死になっているように見えてきます。」
先生 「その通りです。これはどうしてかおわかりですか?」
学生A 「あちらにもやむにやまれぬ事情があるとか?」
先生 「それは優しい考え方ですね。考えてください。国といいますが、実際はそんなものはないのです。国自体、嘘なのです。結局、国というものを管理しているのは、自然権を持っている大多数の国民のうち、そのうちのわずかな少数の人間なのです。つまり、少数の人間たちが、その他大多数の国民が有する自然権を行使することができる、ということなんです。逆に言えば、これを保持しなければそれができなくなるんですよ。その国レベルの自然権を自由自在に行使できる状態って、どういう状態ですか?」
学生B 「あっ。僕たちがわがまま勝手にやっている時に、誰も文句が言えなくなるのと同じですね。」
先生 「そうです。私たちは結局、自分達の好きなように、やりたい放題やりたいっていうのが根本にあるのです。法治主義を離れて、国が自然権を十全に行使することができるようになってしまうということは、少数の人間に全国民分の強力な自然権の行使をゆだねてしまった・・・ということになるのです。」
学生A 「独裁者が問題というのはこういうことなんですね。プーチンも習近平も、自分の任期がずっと続くように法律を変更してしまいましたし。」
先生 「はい。自然権の信託というよりは、うまく略奪されたという形です。例え独裁者であったとしても、本当に国民のために自然権を行使するのであればまだいいでしょう。例えば旧ユーゴスラビアのチトーという人は独裁者でしたが、それなりに安定した統治が行われていたと言われています。しかし、歴史的に見ても自然権を制御しきれない統治者が多いのが事実です。ルーマニアのチャウシェスクなんていうのもひどいですから、学んでみられてください。」
学生B 「どうとでも言えますよね。暗殺も国民のため。戦争も国民のためといえばそれまでですから。全部国民のためといっておけば正当化できちゃいそうですね。」
先生 「中国は新疆ウイグル自治区の人たちに対する洗脳や、チベットの方達に対しての圧政など、やりたい放題です。私たちは、それと気が付かずに、国という巨大な赤ん坊を育てているのかもしれません。」
学生A 「そうですね・・・。私、上の立場の人たちって、立派な人達ばかりなんだと思っていました。」
先生 「違います。彼らは立派だからああいう立場にたったのではありません。自然権の信託を預ける人間たちにとって、都合の良い存在であると見なされたからです。リーダーというものは結局そういう人間たちの使い走りなのですよ。大統領とか、首相とか、主席の背後にはブラックキャビネットがあるのです。例えば北朝鮮では金正恩が前面に出ていますが、結局彼を矢面に立てている少数の人間、黒幕がいるのです。リーダーをどれだけ変えても、首がすげ変わるだけなのです。リーダーは、そういう人間たちにとって都合よく動かなければ、直ぐに変えられてしまうのです。」
先生 「そういえば、ジブリの名作 『千と千尋の神隠し』では、湯ババの塔の最上階に、巨大な赤ん坊がいましたね。その場所では絶対的な権力を誇る湯ババでさえ、その赤ん坊の命令には逆らえなかったのが印象的でした。あれは権力を本当に操作しているものは一体なんであるのか、というものを捉えた暗喩でしょう。湯ババが権力を行使しているのも、巨大な赤ん坊のためなのでしょう。赤ん坊は『遊ぶ』ということを千尋に要求してきました。『遊ぶ』とは、責任を度外視してうまみだけを味わう行為のことなのですよ。つまり、責任度外視で国を背後で動かしている人間たちの欲求を意味しています。」
学生B 「結局、欲望を満たしているだけなんじゃないですか・・・。たしかに。シャキッとした格好で、ネクタイをしっかりとしめている人たちが結局悪いことを陰でやってるんだもんなぁ。逆に、世の中を欺くための格好なんじゃないかって思っちゃう。」
先生 「私もそう思うことはあります。ルールを守ろうとする人が、結局他人の目を意識しているだけだったというように、表面では立派そうに見えても、誰も見ていないところでは好きなことやっているんじゃないかなと。誰も見ていないところでも立派に行動できている人は、自然と、じわじわと、そのことが周りに現れてくるものです。本人がそれと主張することなく。一方でね、自分が何か変に思われるようなことをして、それが周りに知れ渡ったときが怖いと、いつまでも怯えているだけの人生を送るからこそ、ルールを守っている人も多いのです。ルールを破らない二つのタイプの人間がいます。1つは、自分が内から変わっていき、ルールに沿うことができるか、もう1つは、単に外の力におびえて抑え込んでいるか、という違いですね。私はね、内から変わっていく人のほうが、却ってはみ出すことがあるんじゃないかなって思ってます。でも、一度はみ出したところを見られたらぼこぼこにされることもある。なかなか難しいですね。」
学生A 「国を管理する人たちって、言葉ではいいこと言ってますけど、実際は別のこと考えているなって思うことがよくあります。」
先生 「ね。悪人は虚偽の外観を作出するものなのです。この世界の少なくとも半分は悪人が主役なのですよ。」
この章のまとめ
① 国というものの実体はない。結局は少数の人間が、内部でちょこまか動いている。
② つまり、我々が信託した自然権は、結局少数の人間たちによって管理されている。よって、場合によってはその強大な自然権の行使を好き勝手に振るわれる恐れがある。ゆえに独裁者は問題である。
③ 独裁者でも、本当に国民にとっていいように国が治められるのであれば、いいこともあるが、結果として良くないことが起きた歴史は多い。
国は、巨大な赤ん坊かもしれない。
