素人のための法学入門 #14

14回目ですよ~。


言葉の意味を勝手に決めるのは本当にご勘弁
 
先生 「物事をもっと複雑にするのが、言葉の意味さえも勝手に決めつけてしまう例があるということです。」
 
学生B 「えっ。」
 
先生 「言葉の意味を勝手に決めつける権利も自然権の行使です。しかしながら、もしこれが行われてしまい、そして国民がそれを本当に信じてしまったら、とんでもないことになります。全てが狂い始めるのです。」
 
学生A 「そんなことってあるんですか?」
 
先生 「はい。これは安倍晋三元総理が射殺された事件により、統一教会という宗教団体が日本全体で注目を浴びた時の事です。自民党に所属している何名かの議員が、統一教会と癒着していた問題を巡り、茂木幹事長が記者団から質問を受けたことがありました。記者の方が自民党内の「調査」という言葉を使いました。しかし、茂木幹事長は2度ほど記者の言葉を否定して、「調査ではなく点検です。」と言ったのです」
学生B 「僕もそれ見ました。茂木さんも変な感じがしました。だから、なんか変だと思って調べてみたんですよ。点検っていうのは、機械とか設備とか、そういうものに対して行うものですよね。」
 
先生 「そうです。私個人としては、言葉の意味を勝手に決めつける自然権の行使は絶対にやってはならないと考えています。それはこれまで積み上げられてきた人類の歴史を全て根元からひっくり返す大犯罪だと私は考えています。これをやってしまうと、過去の文献全ての意味が狂っていくのですから。つまり、歴史の改竄中の改竄といっていいでしょうね。」
 
学生A 「それは、先生の法律では、犯罪者になるということですか・・・。」
 
先生 「その通りですね・・・。とはいえ、私個人のルールは全く何の効力もないので、そういう思いだけですけど。別に点検でも調査でも、とにかく論点ずらしであったことは確かだと思います。調査というべきか点検というべきか、というのは話の主題ではありませんから。

先生 「コミュニケーションは意味伝達の手段であり、目的ではありません。ただ、正確に言葉を伝えるに越したことは無い、というのはその通りです。そういう意味で、目的と手段は補完し合うものです。茂木幹事長が、『調査ではなく点検です。』と言えたということは、少なくとも『調査とは点検のことを言っているんだな』、という意味は伝わっているわけです。確かに、間違えがない方がいいに越したことはありません。しかし、意味が伝わることが重要なのですから、意味が伝わった以上、あそこまで相手に高圧的な態度をとらなくてもいいと思います。もし本当に間違いであれば、もう少し柔らかく訂正してもいいでしょう。自分の方が間違っているのに、相手を間違いだという。もうめちゃくちゃですね。
 ただこれは政治家の常套手段でもあります。相手を間違っていると指摘できれば、相手は自分のことを悪いと思い、強く出てくることができません。他者の汚点や欠点、失敗などで自分の正しさを印象付けるというのはとても卑しい行為です。しかもその記者は何も間違っていないのですから、間違いなのに間違いであるかのようにされてしまったわけですね。ある番組で私はこの映像を見たのですが、それ以降、その番組も調査という意味で『点検』という言葉を使うようになってしまいました。」
 

学生A 「言葉の意味もルールと一緒で、その使い方が正しいんだって皆が思ってしまえば、そういう意味になってしまうんですね。
 
先生 「そうですね。言葉の意味は人が決定するものではないのに、そこに自然権の行使が行われてしまうと、言葉本来の意味とは違って、多数の人間が捉えた意味に置き換わってしまうことがあるのです。言葉の意味もルールと一緒で、時代によって自然と変化していきます。そういうところをとらえて、どうせ変化していくのだから意味を決めても問題ないじゃないか、とか政治家の人たちは平気でやりそうで怖いんですよ。実際にあったことですから。
 ルールが正しいと考えている人は、非常に多いのではないかと思います。しかし、今までの話から、ルールとは人間が勝手に決めたものにしかすぎなかったということをわかっていただけたと思います。さらに、『正しいこと』というのも結局は人間が勝手に決めた線引きにしか過ぎないのです。少なくとも人間の社会に、絶対的な正しさというものはありません。ですから、その線引きは、結局他の人間たちを数の力で押す、あるいは理論的に説得して納得させてしまうか、あるいは高圧的な態度で反論を封じてしまうか、威嚇するか、その人たちが勝手に信じ込んでしまうか。そういったことによって、あたかも正しいかのようになっているだけなのです。」

 学生A 「めちゃくちゃですね。」
 
先生「しかし、自分達が間違っている時にさえも、正しいと思われなければ自分の立場が危うくなります。人は不快を避けるために自分の自然権を行使します。
 正しさが結局は数の力で決まるように、自分の方が正しいと主張する人間も、周りの賛同を集められるように動くわけです。つまり、この時も周りの目を意識しているのです。そして大抵こうしたときに取られる手段は、自分自身が正しいということを積極的に示すのではなく、相手を間違っていると周りの人間たちに印象付けることなのです。それがうまくいくと、周りの目はその人が間違いであると判断するのです。多くの人は何が正しいのか、ということを、事実ではなく印象と比較で判断してしまうのです。ファーストインプレッションで人は人を判断するというのは昔から言われていることですからね。
 トランプ前大統領とヒラリー・クリントンが対決したとき、自分の政治的な主張を積極的に国民に語るのではなく、お互いのネガティブ・キャンペーンの応酬を行いました。これも不思議なことではないのです。国民はこの選挙内容にはあきれかえっていました。トランプが勝ちましたけどね。」
 
学生A 「なるほど。自然権の行使者は所詮は人ですからね。」
 
先生 「はい。人間が相手だとうまくだますことができてしまうのです。人の脳の情報をうまく書き換えることができれば、人はその情報を元に自分の自然権を行使しますからね。ですから、自然権の行使をうまく操作するには、まともに正面からぶつかるのではなく、自然権を行使する人の考えを直接変えてしまえばいいのですよ。自分ではなく他人を変える。印象操作がとても重要になるということです。政治家に限った話ではありませんが、だからこそ人は表と裏を使い分けるのですね。これも自分を守るためです。この印象操作とは、いいかえれば、急場の洗脳行為なのですよ。政治家っていうのは、必ず人を洗脳するのです。我々だって、自分の外観を気にして人と付き合います。こうして自分の外観を相手に見せて、相手の印象を操作しているわけですからね。これも一種の洗脳なのです。洗脳を行うのは金正恩をはじめとした自然権国家だけではないのですよ。」
 

 先生「ただ、それでも言葉の意味を勝手に決めつけるのはよくない。世の中が腐っていくのは、人が謙虚さを失い、自分達の勝手な物差しで物事を決めていくときです。私たちは、この世界に生まれたのですから、この世界の法則には抗えないはずなのですが、人間の傲慢さは、とどまることを知りません。
 『語』というのは、私たちの祖先がこの世界から学び取った正確な意味を短い言葉で伝えられるようにしてできたものです。言葉の意味は人が決めるものではないと言いました。
 しかし、結局人が決めているんじゃないの?人が決めないでどうやって決まってるんだ?という意見もあろうかと思います。私が言いたいのは、言葉の意味は、『自然の現象を観察することによって得られた』ものであって、自然を根拠とするものだということです。確かに意味を言葉に込めるのは人間の作業です。でも、人間は好き勝手に言葉の意味を決めつけてきたのではなく、自然を根拠としたのです。そうして自分に縛りをかけているのです。ちょうど私たちの自然権の行使が、自然の制約を受けているように、人間が謙虚な姿勢で、その自然の制約を受けながらも、意味を言葉として表すようにしたのです。」
 
 学生A 「例えば、どういうことでしょうか。」
 
先生「例えば、『語』自体の説明を私なりにしてみます。ごんべんは言葉一般を示しています。『話す』とは『舌』がついているように、舌を使って言うこと。つまり、しゃべること。そして、『語』の吾とは、『悟性』の吾を見ればわかります。りっしんべんは心を意味しますから、心でつかんだ吾、すなわち悟り。つまり、真実に到達したということです。悟りを言葉で言い表したもの、それが『語』なのです。それほどまでの高みに到達した言葉の意味を、その場しのぎのために勝手に決めつけられたのではたまったものではありません。言葉の意味が本当に自然の流れで決められてしまうのであれば、私もしょうがないかなとは思います。それもやめてほしいくらいですけどね。
 今では『責任』という言葉の意味もめちゃくちゃです。責任を取る=辞職する、というレベルにまでなっています。つまりこれは、『責任を負わずに逃げます。』ということを意味しています。あるいは、『代わりにお金を払います。』という意味になっています。これで責任を取ったことになっているのですから、物凄い無責任っぷりです。正直に「責任なんて取れません、ですが代わりにお金を払えます。」って言う人のほうがよっぽどか誠実です。誠実の『誠』は言葉が成る。つまり、言っている言葉が本当にその通りに成立しているということです。責任をとれないなら、取れないというのが誠実なのです。」
先生 「人に囲まれたところにいると、この世界の厳しさを感じることもなく、人の主観さえうまく切り抜ければ生きていけるようになるのでしょう。
 自然権の行使は、全て恣意的なものです。そして人間は基本的にやりたい放題やりたいのです。つまり、個人の中に存在している欲求が自然権行使の原動力です。とすれば、その欲望を操ってしまえば、都合のいい方向に自然権の行使を歪めることもできてしまうのです。だからこそ、収賄がはびこるわけですね。収賄は人の自然権を、金で買うようなものですね。
 責任の意味を分かっている国民は、本当にごく少数です。ですから、国民は責任という言葉の意味を、なんとなくで使っているのです。そこに、『責任を取って辞職します。』と自信をもって言う人が現れた。ですから、それが責任の意味として国民に伝わってしまったのです。それ以降、責任は今のような、無責任な意味になってしまいました。あるいは、様々な人が、様々な意味で使ってしまうようにもなっています。なぜかというと、地位についていないのに責任を取れと言ってくる人もいるからです。元々は武士の時代の「腹切り」に由来するような責任の取り方なのでしょうけれども、生じてしまったことは、どれだけ腹を切っても元通りにはなりません。責任とはそもそも取れるものではないので、取れとか取らないとかという使い方自体、おかしいのですけどね。」

学生B 「う~ん・・・。言葉ってそんなにすごいものだったのか・・・。国語は苦手だけど、もう少ししっかり勉強してみようかなぁ。」
 
先生 「辞書の意味さえ、鵜呑みにしないほうがいいんですよ。本当はね。」
 
学生B 「えっ!?辞書も間違っていることってあるんですか?」
 
先生 「あります。そもそも言葉の原義が全てあきらかにされているわけではないので。ですけどね、今回の調査と点検はさすがに・・・。言葉の意味さえ自分の中の勝手な線引きで決められてしまうと、本当に話にならないんですよ。」
 
学生A 「じゃあ、先生の『語』の説明も間違っている可能性があるんですか?」
 

先生 「ありますね。私の辞書では、『語』とは、単語のことを言う、と書いてあります。個人的な意見を言えば、これはトートロジーで『語』の説明ではないように思います。他にも、話し合うとか、ことばとか、そういった意味を持つと書いてあり、私の説明のようなことは書かれていません。じゃあ、言葉って何?とか、話し合うってどういうこと?ともっと明確な定義づけをしてほしいとは思いますね。漢字辞書もあるのですが、そちらもこのような説明はありませんね。」
 
学生B 「先生の方が間違っている可能性もあるのではないでしょうか。」
 
先生 「まぁ、そうですね。私は何も悪いことしようとは思っていませんけど。漢字は、事物の意味を伝えるための情報が詰まったインフォボックスのようなものなのですよ。私はただそこから読み取れる情報を取り出しただけなのです。」
 
学生A 「私は先生の『語』の意味を信じます。一番納得がいきました。」
 
学生B 「まぁ、俺もかな。」
先生 「お二人と私の間では、そういう意味になるということですね。読者の皆さんも、何を信じるのかはご自身で判断してください。」
 
この章のまとめ
① 言葉の意味は自然現象を注意深く観察した結果得られたもので、決して人が好き勝手に決めつけたものではない。
② 言葉の意味はルールと同じで時の移り変わりにより変化することがあり、しかもルールのように手続きを必要としないため、変化が自然に行われやすい。
③ 文句を言っている先生も、言葉の意味を勝手に決めつけてしまっている可能性がある。
③にもかかわらず、言葉の意味を勝手に決めつけるのは、個人的には一番やってはいけないことだという思いを持っている。

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