素人のための法学入門 #12

12回目です。

死刑の存否も自然権の数次第
 
先生 「例えば、先ほどの死刑の話ですが、死刑廃止論者という立場の方も多くいらっしゃいます。また、死刑が必要だという立場の方も多くいらっしゃいます。もし死刑廃止論者の声が大きくなるようだと、将来死刑は廃止される可能性も出てきます。」
 
学生A「じゃあ、世論を操作してしまえば、死刑も廃止になるのでは?」
 
先生 「そうですね。死刑廃止論者の数が増えていくと、死刑が廃止になる可能性は高いでしょう。自分達の考えをそのままこの世界に反映するためには、数の力がものを言います。正しいかどうかではなく、数になってしまいますね。だから、世論操作をすれば、その数を動かすことは可能でしょう。実際、お互いの主張を人々に聞かせることは、一種の世論操作といえなくもありません。ただ、世論を操作する、というのは、自分の都合のいい考え方に人々の考えを誘導することをいい、私益のために行われるものだと考えています。普通に自分の考えを言っているだけなら、世論操作ではないと思いますね。」
 
学生B 「で、死刑が廃止されないというのは、死刑を肯定する人も多いからですね。」
 
先生 「はい。どちらもいらっしゃいます。ただし、死刑の抑止効果は誰が何と言おうとあるものです。そちらを重視するという考えがそう簡単になくなるとは思えませんね。」
 
学生B 「要は・・・なめるかなめられるか・・・ただそれだけのような気がしてきました。」
 
先生 「そうです。私はその表現は個人的に好きではありません。しかしおっしゃる通りだと思います。正しい線引きというのは全くありません。ですから、人の気持ち次第でルールが変化してしまうことはよくあるのです。世の中にはルールがあるにもかかわらず、脅すように行動して、自分の都合のいいように動かそうとしてくる人もいます。ルールなんて関係なく、目の前の人間が驚いて『はい』と言えばいいと考えている人もいるわけですね。そういう人でも、他人がルールを守っていないとそこを突いてくるものです。」

先生 「彼らにとって法律とは社会の秩序を保つためではなく、自分たちの行動を正当化するための免罪符であり、利用手段なんですね。ちょうどロシアや中国が法律を利用しているのと同じことです。だから、国家とはヤクザであるという人も出てくるのです。」

追記)先生「ですが、どれだけ数が多くとも、自然権国家では、自分達の都合が悪い声だ・・・と考えられれば、軍隊や警察をけしかけたり、都合の良い法律を作ったりして、押しつぶされることがよくあります。そういう意味で、舐めるか舐められるか。数が少なくとも、舐められなければOKっていうところはありますね。

 個人を最小単位の自然権国家であると捉えると、個人間では「舐める」「舐められる」でお互いの線引きが移動してしまうことはよくありますね。」
 
この章のまとめ
① ルールは線引きであるため、死刑の廃止も死刑の存続も正しいかどうかではなく、数の力で決まる。
② つまり、結局はどちらが強い力で押すかどうかで決まってしまう。

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