その人の「ひととなり」は休みの使い方で決まる!?

!?というのはずるい表現ですね。そうじゃないかもしれないよ~といって、そうじゃないっていうオチですからね。まぁ、わかりませんが、書いている本人自身が、そうとは限らないって思ってる感じですよね。

 休みの日は仕事がない。自由な時間を使える!遊べる!と思って、遊んだりします。そりゃ、羽目を外すのは時に重要かもしれません。

 休みをどう使うかは人それぞれですが、休みは休みで貴重な時間です。
休むことで人は成長する時間を手に入れますからね。

 旅行に行く人もいます。いい使い方だと思いますね。しかし、ちょっと待った!をかけたいような例があります。

 小学生の時、夏休みだ!休みはこんなにある!といってだらだらと過ごしていたら、学校の宿題も終わらずにあれよあれよと時間が過ぎ去って行きました。

 結局、休みになっていつもと違う人間になってしまう人、そして、特に下降するような生き方を選択してしまう人はいませんか?普段頑張っているから、休みの日は遊ぼう。其れの何がいけないの?と思われるかもしれません。

 確かに、ケースバイケースなのですが、羽目を外して下降するような休みの使い方をしてしまう人は、外部からの圧力を受けて自分が成り立っている状態の人が多いのではないか、と感じています。

 小さい時は、毎日が休みだったらいいな。いっぱい遊べるといいな。一日中ゲームしたいな。そういう思いであふれていましたよね。で、学校にはいきたくないな~とか。そういう思いでいっぱいでした。ですが、やっぱりそうしてしまうと、後悔の波が待っていたり、嫌な虚脱感が襲ってきたりするわけです。

 でも、取り立ててやることもない。で、また次の遊びを見つけてその虚脱感や後悔を忘れようとする。そして、段々とやるべきことにもやる気が無くなってきて、抜け出したくても抜け出せない廃人になってしまう。そうしてニートになって、毎日暇な一生を送る、みたいな感じになってしまいそうですね。ニートって、毎日休みなのに、全然大したことできないんですよね。

 それは、自分の人生に必要な時間的感覚をつかむことに失敗しているからだと思います。それを掴むためには、その人なりの、人生の目標が大切なんですよね。学校があるとかないとか関係ないです。学校に行かずにそれを掴むことができるのであれば、学校に行かない方がいいくらいです。

 逆に言えば、休みの使い方がうまい人は、周りの圧力等に操作されていない人だと思います。休みとか休みじゃないとか関係なしに、自分のペースを持っているわけですね。でもやっぱり休みになると時間ができることは間違いがないので、自分のやりたいことの中で、十分な時間が無ければ、普段できないことをするために時間を使う、ということになるでしょう。

 遊ぶことばかり考えていると、普段できないことをする、ということ自体に対しても、もったいないと感じてしまうものなのです。いや、そもそもそんなもの自体がないのです。そうしてまただらだらと過ごしてしまう。遊んで暮らしたい、という気持ちがあるのはみんなそうかもしれません。

 遊びたいけど遊べない時間がある。だから、休みしか遊ぶことができない。そういう考えを持っている人は、学校に行く時間を、自分の自由な時間を妨害するものだとしか考えていないことが多いです。でも、行かなくちゃいけないと言われているから行く。だから、学校で過ごす時間も無駄な時間になってしまっているわけですね。

 今、アンパンという朝ドラをやっています。主人公はノブっていう女の子だと思いますが、もう一人の主人公は、アンパンマンの作者である崇です。彼は学生時代から、絵に夢中でした。エールという朝ドラでも、小関は学校時代から音楽に夢中だったし、大成する人は、学校とか無関係に自分の時間を持ち、自分の目標を持って邁進している人が多いわけです。もちろん、学校の大半の時間を使って学ぶはずの授業の内容は、全く頭に入っていません。

 ということは、学校に行っても行かなくてもそんなに大差ない、ということの証明です。休み時間が1日合計1時間くらいあるとしたら、学校に1時間だけいて帰ればいいのです。

 皮肉なことに、ニートとなる人たちは、真面目に学校の言うことを聞く人が多いです。大人しく、真面目で、自分勝手な動きはせず、大して周りを傷つけたりしません。どちらかというと、圧力耐性も強い方です。でも、彼らには自分自身の人生がありません。大抵受け身です。最初はあったけど途中で無くしてしまったのか、最初からなかったのかもしれません。能動的に人生を送るのではなく、受け身で人生を送る人が多いです。だから、卒業すると、面倒を見てくれる学校、命令をしてくれる存在がいなくなり、時間がとても増えてしまう一方、やる気もないことばかりが周りに溢れてしまい、全てが怠惰の中で埋もれてしまう、というオチになります。

 真面目さと怠惰さは表裏一体です。ですから、この落とし穴に気が付かなければ、単なる無能ちゃんとして成長してしまい、学校卒業した!という勲章めいたものだけがぶら下がっている。そして、社会に出たら、中身のない人間になって、役に立たない、というオチになります。

 学校からすれば、生徒が大人しくしてくれていたほうがありがたいのです。学校の隠れた目的は、上に歯向かわない人間を育てること。自由意思を奪うことです。が、生徒個人の成長からすると、それは望ましくありません。

 もちろん、そんな生徒になってしまうのは全て学校のせいだとは言いません。学校は、遊ぶことしか考えていない生徒を、とりあえずは強制的に学校に連れてくるため、そのまま廃人まっしぐら・・・という状態を切断できます。(子供の自殺が多いのは、夏休み明けとかです。こういう空しい時間を過ごしてしまい、学校に来ることに不安を感じて、自殺に走る、ということもあるのだとか。)

 家庭に問題がある場合は、回避するための空間になります。(でも、それなら別に学校でなくてもいいわけですけどね。)
 時間をどう使うのか、というのは、この目標が無ければ、見えてこないものなのです。

 友人も、私のふしだらな生活を笑うばかりで、本当に助けようと思ってくれることはなかったかもしれませんし、私が気が付かなかっただけかもしれません。

 私の母は、私にやりたいことを見つけさせるために腐心してくれました。その温かさを今でも感謝しています。しかし、私はとてつもなく受け身な人間であったため、ついぞ何もやりたくない、という気持ちになったものでした。やりたいことと言えば、ゲームでした。本当は絵を描いたり、ゲームを作ったりする、ということに、今となっては向いていたように思います。私が学校のことを悪く言うのは、「勝手なことをすると怒られる」=「いけないこと」という教育に、真面目に従っていたからでした。だから、自分がやりたいことをしている、という人たちが、わがままな人間に思えてなりませんでした。

 今の心境は、私の小さな時の気持ちに一致します。だから、実際にそういう気持ちになったので、よくわかります。すごい無駄な時間を過ごしているのに、何かをやろうとすると、逆にその時間がとても無駄な時間に思えるのです。

 時間を無駄にしたくない、と思う気持ちはわかりますが、無駄なことのために時間を使うときでさえ、時間がもったいないって感じてしまうことがあります。

 ちゃんとした時間の使い方ができる人は、もったいない、と思う時間はないのかもしれません。これには大体これだけの時間がかかる。これだけの時間がかかる。そうした、当然のようにかかる時間コストが頭の中にちゃんとあって、それをしっかりと使い切ったら、その時間の使い方により、自分の気持ちも、満足いくものになっていくのではないかと思います。

 ちゃんとした時間の使い方をすれば、それをもったいなかった、と思うこともないし、時間を消費しているはずなのに、心は満たされて行きます。周りからは無駄だと思われているかどうかなんて、全く気になりません。

 その人の「ひととなり」は休みの使い方で決まる、と言いましたが、実際は、時間の使い方で決まる、と言ってもいいと思います。というか、ひととなり、がちゃんと定まっているからこそ、時間の使い方もおのずと定まっていく。だから、まず時間の使い方がどうのこうのとか、時間を無駄にするな!とか、そこから入っていく人って、逆に怪しいなと。単に、舐められたくないだけなんじゃないか。人が注目しやすい言葉を使いまわしているだけなんじゃないかなって思います。私が彼らと同じことを言うのならば、まず、その人自身の人生が、その人自身のものになるように助言するからです。そうすれば自ずと、その人の時間はその人のものになります。私はそう思います。



 






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