素人のための法学入門 #20
20~
ルールのために死ぬべきか
先生 「法律を律儀に守ろうとしすぎることも、逆に問題である場合があります。」
学生A 「え~。そうなんですか・・・。」
学生B 「何か、考えるのがめんどくさくなってきたなぁ。今度はそう来たかって感じですよ。」
学生A 「今回ばかりは私も学生Bに同意します。今までいいと思っていたことが、たったこれだけのことだったのかって思っちゃったり、人が良識を持っていると思っていたのに、結局法律や周りの目を意識しているだけ、ということだったり。何だか知らないほうがよかった気さえします。例え思い込みでも、そのまま法律を守らなきゃっていう意識を持ち続けていたほうがよかったなって思います。」
学生B 「今回ばかりはって何だよ。俺は話の進行にそれなりに貢献していると思うけどな。」
先生 「私の考えを押し付けるようですが、生きるということは、死へ向かうということです。強く生きる人間ほど、辛い体験を味わい、知りたくないことを知り、ぼろぼろになって歩いていく。嫌なことから目を背け、考えることをやめ、今の目の前の幸せに逃げていくのはどれだけ幸せでも、生きることを放棄した人間に思います。
そして生きているのか死んでいるのかわからない状態になり、私たちがどれほど真実の言葉を訴えても言葉が通じず、ただ命を喰って生きるゾンビと化すだけなのですよ。私はそれが今の国の姿だと思いますね。民主主義は、ゾンビ政権なんじゃないかと思います。死票ばかりのゾンビ政権。国民が馬鹿になっているので言葉もろくに通じませんし。政治家なんて言葉自体の意味もわかってないし。言葉で飯食っている人が言葉をロクに使えないなんてもう終わってますよ。議会ではすれ違いばかり。私はこの時点で民主主義を駄目な政治だと判断しました。彼らは仕事をしているように見える人たちなのです。」
学生B 「・・・。そういわれてもなぁ。」
先生 「ルールをしっかりと守らなければという意識を持っている人の気持ち、私はよくわかるんですよ。私も昔、そういう考えの持ち主でした。ところがね、ルールをしっかり守ろうとすると、却っておかしいこともたくさん起きるということに気が付いたんですよね。また、矛盾点も多く見つけることになりましたし、何が何だか分からなくなった、という経験をしたことがあります。ルール通りに動くことを他者に強要すると、かえって不平や不満を言われることもありました。そもそも、自分がどれだけルールを一生懸命守っても、ルールを守らない人たちは必ずいるって言うことに疑問を感じましたし、自分だけがルールを守っても、結局は多勢に無勢だなって思ったこともあるのです。それに、私たちはルール全てを知って動いているわけではないんです。それだけでなく、守ることよりも、守らないことの方が大切だというときさえあるのです・・・。私はもう、自分のためにルールを守ろうと思いました(笑)。」
学生A 「で、その守らないほうが大切だっていうのはどういうときなんですか?」
先生 「また同じ話をするようですが、戦争です。空襲の中、皆何とか生き延びるために必死です。例えば有名な『火垂るの墓』というお話では、主人公の男の子が生きていくために火事場泥棒をするシーンや、畑の作物を盗むシーンがあります。ですが、戦争状態の時でさえ、その行為は窃盗であることに変わりはありません。盗むくらいでしか生きることができないのに、盗んだら犯罪者なのです。皆さんはあのようなシーンをみて、主人公を責めることはできないと思われるのではないでしょうか?」
学生A 「そうですね・・・。私もあのシーンを見て泣いちゃいました。私は、緊急避難なのではないかなと思います。」
先生 「そうですね。あのような場合にまで食べ物を盗んだり、火事場泥棒に行ってはいけないということになると、そのまま死ぬしかないでしょうね。ですから、火事場泥棒をカルネアデスの板に準えると、必死で板にしがみつこうとしている状態です。で、盗まれた方は突き飛ばされた方、ということになりますね。自分のせいで戦争が起きたわけではないのですから。」
学生B 「ええ。そう思います。」
学生A 「私のお母さんは、あの主人公の男の子を見て、『誰がこの子を責められるだろう。』と泣いていました。」
先生 「戦後は闇市で違法な取引が行われました。取り締まりも行われていましたが、警察官を相手にしている余裕はなかったのです。違法だからということで、闇市で手に入れた食べ物を拒否して、本当に餓死してしまった人もいました。」
学生A 「本当ですか?!」
先生 「はい。その方は裁判官でした。裁判官が法律を破るようなことがあってはならない、という考えをお持ちだったのでしょう。『火垂るの墓』でいえば、畑の作物を盗んだり、火事場泥棒に行くことも拒否するということですね。」
学生B 「すごいですね。」
先生 「私もそう思います。法律をそこまで守ろうとするのはすごいのですが、自然権を学んだ手前、果たしてそこまでする必要があるのかわからなくなってしまいました。闇市自体が、一種の緊急避難状態だと思いますし。」
学生A 「法律を気にする人は、周りの人の目を意識するって言う話でしたが、この人もそうだったのでしょうか。」
先生 「前の話と整合性を合わせるのであれば、そうなります。闇米を食べると、裁判官が法律に反した行動をとっていると周囲の人間たちに思われてしまうというのは、当然予想しうることです。家族も他人ですからね。それがそうなれば、裁判官や法律というものそのものへの信頼が揺らいでしまう。そうした思いだったのではないかというのは推測できます。これもやっぱり人の目を意識しているということになりますね。単純かつ純粋に法律に沿って動かなければならないという強い意識があったかどうかはその人にしかわかりません。私たちが他人の気持ちを勝手にこうだと決めつけることはできてしまいます。私たちは、他人の心を勝手に決めつける権利を自然権として持っているからです。そしてそれを止める法律はありません。ですが、私たちの中でそう思っているだけなのです。一方、決めつけられた相手からすれば気分のいいことではないでしょうね。だからといって、勝手に自分の心を決めつけられない権利というものを行使してももう止めようもないことだと思います。他人がどのように考えるのかということについては、自分にはコントロールができない範囲であり、相手の精神領域は相手の領分ですから。相手が自分たちと意思疎通を行う気持ちがない限り、それはずっとそのままになってしまうでしょう。この裁判官は、法律が現実を必ずしも反映したものではないということを見過ごしてしまった可能性もあると考えています。」
学生A 「私は・・・どちらが正しいのかわかりません。法律を破ってまでも生きながらえようとする方がいいのか、それとも、法律をどこまでも守って死んでしまう方がいいのか。」
学生B 「ルールを守って死んでいく。守らなくても、守っても駄目。地獄ですね。」
先生 「私たちは、自分達のために自然権を国に信託しました。それは、自分達の自然権の行使を適切に抑え、適切に満たし合うことができるようにしたいわけです。簡単に言えば、自然権の行使の交通整理をお願いしたわけですね。お互いの自然権の行使に衝突が起きたら、国が介入してきて解決をはかってくれるわけです。ところが、今度は国の定める法律が実態とそぐわないため、私たちの自然権の行使を抑え込みすぎることがあります。もしそれを律儀に守り切ろうとしてしまうと、自分達が死んでしまいかねない。」
学生A 「じゃあ、一体どうすればいいんでしょうか。」
先生 「どうしようもありません。ルールというのは、国に潤沢な資源があるからこそ実効性を持つということができます。食べなければ生きていくことのできない人間たちに、栄養失調で死ぬしかないルールを強いてしまいました。これは、自然権の行使の抑圧により、人間自身がそれに耐えきれなかったという例です。自然権の行使は、人間の体が資本ですし、ルールを守るのも、結局人間の体が資本ですから。全ては命あっての物種です。ルールは秩序を守るためのものであり、ルール自体をまもるためのものではないのです。秩序が守り切れないのにそのルールを強いたのであれば、それはルールを破られても仕方がないと、ルールを強いた側が折れなければならないと思いますよ。ルール自体、自然権が土台なのですからね。
そして、これも一種の虐待と言えるでしょう。虐待はルールを無理強いすることでした。そして、それを守らなければリンチをする。この場合は、飢えに苦しみ続けさせて次第に死へと至らしめるリンチです。」
先生 「反感を招くような意見を言うかもしれませんが、私は国が自分たちの自然権を保護してくれないんだな、という程度にまで状況が悪化してしまった場合、自分自身がわがままにふるまってもいいのではないかと考えます。つまり、国というものをそこまでして維持しようと思うそもそもの目的自体が達成できていないのですから。」
学生A 「理論的にはそうかもしれませんが、それはつまり、原始時代のように、お互いがお互いの自然権を侵害し合うような関係になってしまってもいいということを、許容するということにならないでしょうか?」
先生 「はい。ですが、0へと一気に戻すのではなく、限りなく国というものへ自然権を信託した状態に近い形で、という意味です。仮に一気に0へ戻ってしまったら、即座に殺し合い、奪い合いが開始されてしまう。それだと困りますから、それよりはずっと穏やかに、もう少し緩く・・・という意味です。ですから、例え闇米でも、自分がかつかつ生きることができる程度には食すべきであったと考えています。ウクライナがロシアの侵攻を受けた際、食べるものに困った住民たちは勝手に閉じられた店の中に入り、食べ物をとっていきました。ウクライナ人がウクライナ人のお店にですよ?店の人は『どうしてとるんだ』と泣いていました。盗む人たちは堂々と、そうした非難をしり目に、お店の人に暴力をふるうことなく、ゆっくりと盗んでいきました。私は、これがいい行為であるとは言い切れません。しかし、そうせざるを得ないだろうと思うのです。お店の人に一言いうのであれば、『すいません。緊急避難と思って勘弁してください。』と言ったところでしょうか。」
学生B 「日本でも、一向一揆とか、打ちこわしとかが行われましたね。米騒動とかもありました。」
先生 「はい。ああいうことが起きるのは、自然権がバランスを欠いた状態で押さえつけられたことに依ります。その原因がどこにあろうともね。その場合、ルールを無視してでも実力行使に出ようとするのが人間というものです。ウクライナの場合はロシアのせいですが、米騒動とかは、米屋が一枚かんでいます。」
学生A 「ロシアの侵攻と米騒動って変な組み合わせですけど、でもああいうのって、どうして起きちゃうんだろうって思いました。もっと穏便なやり方がないのかなって思うこともありました。」
先生 「そうですね。一部の米屋が窮乏にあえぐ人たちがいるにもかかわらず、米の値を釣りあげることがあります。売り手にとっては、米が少ないと、供給と比べて需要が上回るため、わずかなコメも高くなり、儲けることができます。米はすぐそこにあるのに、経済のルールを悪用して米の値を吊り上げる。このような行為は、経済のルールによって正当化された方法で、実質は人からお金を奪ったことと同じです。餓死者がでることもあるわけですから、ある意味殺人行為と構成することもできそうです。これが人々にとっては、『急迫不正の侵害』になってしまうのですね。ちょうど、幼子に一切ご飯を与えようとしない親のようなものです。幼子に力があれば力づくで親から食べ物を奪おうとするかもしれませんが、それはできないでしょう。人殺しというのは何も積極的な行動だけで行うものではありません。不作為という消極的な、静的な動作でも行うことができますし、経済のルールにのっとって、消極的に殺害を行うこともできてしまうのです。ルールは秩序を守るためのものなのに、ルールを利用するのですね。結局は、使う人間の心次第なんです。自然権国家は、法律が正当化のための道具であることをよくわかっています。」
この章のまとめ
① ルールを守ることで却ってよくないことが起きることもある。
② ルールを守ることは目的ではなく、一定の秩序を守るための手段である。
③ ルールを守るのは人の体が資本だが、ルールが人の体を駄目にしてしまうこともある。
例え国側のルールであったとしても、自分を守ってくれないという場合には、信託をしなくともよい場合がありうる。
