世間は狭い
今年2月に、中学の同窓会があった。
久しぶりの高松だ。
5年前にも一度行われていたが、コロナ禍でもあり、友人も参加しないというので、私は参加しなかった。
今回は、小学校時代に一番の仲良しだった友人から誘われて、彼女が行くのなら、彼女に会いに広島から高松まで行こうと思った。
実は、今高松には娘家族が住んでいる。たまたま、旦那さんの転勤でいるだけなのだが、そこへ泊めてもらえば好都合、と言う事で参加した。
小学校時代の友人とは、前日に何十年ぶりの長い話しがあるから、と時間を取って会った。
それは、長い長い話しだった。
お互い、中学を卒業して以来、高校、大学と違う道に進み、社会へ出てからも接点はなかった。
彼女は、香川県にいて、私は広島にいて、年賀状のやり取りだけになっていた。
会えば、時は一瞬にして戻る。そうそう、あの時こうだったよね、ああだったよね、と話しは尽きなかった。
ふと、お互いの長男が東京にいるというので、どこに住んでるの?と言う話しになった。
私の息子は、どこどこだけど、職場はどこどこなのよ、と私が言った時、彼女が固まった。
そこに、本社があるのは一社だけ。
広い東京の地で、同じ会社で働いている事がわかった。部署も同じ。
何と言う偶然なんだろう、とお互いに驚き合った。
この同窓会を機に、小学校の同窓会もしたいと思った。
小学校の同窓会はずっとしたかった。小学校は4年5年6年と3年間同じクラスだった。
普通は、2年ごとにクラス替えがあったが、私達の代は、1年から2年になる時にクラスを1つ減らす為にクラス替えがあった。
その為、2年3年が同じクラスで、4年5年6年が同じクラスだった。
その時のクラス担任が当時熱血先生で、ものすごく叱られもしたが、ものすごく成長もし、あの時あの先生との出会いがなかったらきっと今の自分はいないだろう、と思えるくらいの大恩人なのだ。
その話をしたら、友人も同じだという。だって、あなたは元々優秀でそんなに成長を感じられると言うほどの事はなかったでしょう、と思ったが、そうではなかったらしい。
友人は、彼女のお母さんから、あなたの良い所を存分に伸ばしてくださった先生だから、一生忘れてはいけない、と常々言われていたそぅだ。
その言葉、私もわかる、と思った。私こそ、そうだ、と思った。
その、小学校の同窓会を開く為に、何人かの同級生と繋がった。
その1人のお母さんの話しを聞いていると、戦時中満鉄病院の看護婦養成所にいたと言うではないか。
私の母も、当時満鉄病院の看護婦養成所にいた。終戦が近づいて繰り上げ卒業をして看護婦になり、終戦を迎えた。
終戦と同時に当時のソ連が参戦して来て、病院の患者さん達を満鉄に乗せ、自分も命からがら逃げて来た。
母は、その後港に着く前に中国軍に捕まって、中国の山の中の診療所で働かされていたそうだ。
一年ほどして、帰国する夫婦に助けられて母も一緒に帰国した。
同窓生の母親も私の母も、もう亡くなっているので、聞く事は出来ないが、もしかしたら一緒に働いていたのかもしれないと思った。
母からは、香川県から満鉄病院看護婦養成所に行った人はそう沢山はいなかった風に聞いている。
母が存命中にわかっていたら、聞けたのに残念だ。
だが、これも、世間は狭いと思った。
息子の事といい、母の事といい、本当に偶然すぎる。世間は本当に狭い。
