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古いものから今を学ぶ~温故知新

さいたま市長選挙が終わり、余韻を感じながらも新しい日々が当然押し寄せてきます。
市長選で小袋さんの選挙活動を区役所での名簿写しからお手伝いしていましたが、告示日以降の街宣に通い詰めるなどあんなに夢中になるとは予想もしていませんでした。思い返せば一度同じハイエースで小袋氏と移動する機会があり、お人柄やスタイルをダイレクトに知り、彼に人としての魅力を感じ応援したいと心から思うようになったのかもしれません。

また、日々の変化もとても新鮮でした。集まる人が増えてくる、小袋氏の演説がパワフルになってくる。そして繰り返し彼が描くさいたま市が実現することを信じました。

夢が散るとはまさにこのこと、自分の経験の中だと「頑張ったけど大学受験に失敗した」「資格試験に失敗した」「流産した」など喪失感の記憶はありますが、仲間と言える複数の人たちと強烈に願ったことが一瞬のうちに消えたインパクトは相当なものでした。

それでもこのことに意味を見出そうと、選挙の最大の敵と思えた「市民の無関心」を少しでも溶かすべく、政治や経済について勉強する機会を作ろうと動き始めたりしています。

今日は古事記の勉強会に参加しました。
リベラルアーツの学びで「クリティカルに読む」ことを実践してきましたが、今回なぞった内容は、イザナギが黄泉の国へ亡くなった妻イザナミを迎えに行き、約束を破ったことで妻に追われ、「愛する人よ」と呼びかけ合い永遠の別れをするところまでです。
黄泉の国の食べ物を食べる意味とは。イザナギがつかまってたらどうなったのか。イザナミが黄泉の国に行ったことでバランスが生まれたのではないか。イザナギが逃げながら投げるヤマブドウや桃、タケノコがどうわたしたちに根付いているか。色々と話し合いました。
古事記を哲学的にとらえた例を先生にいくつか紹介してもらいました。

千年前に書かれた書物、ことに古事記は失敗した人のことがよく書かれているという特徴を持っています。歴史は勝者が作るものですが、その考えと一線を画していることも興味深い。
今日読んだところはほんの一部ですが、何人かで集まり感じたことを寄せ合うことは未来を作ることになるのではと思いました。

会の後、最寄り駅が同じお友達と話しながら帰りました。やはり話題は市長選。今回の教訓を受け取り、活かしていかなくてはということで意見は一致、政治経済のことを身近にしていくほかに、古いものから学んでいくことの意義も認め合いました。
古事記もそうですが、聖徳太子の十七条憲法なんかを紐解いていくことでわたしたちは自分たちの奥深くにあるものとリンクできるのではと考えています。古いものが現代に残っている意味を存分に感じたい。

選挙が終わる前はイベントみたいに思っていた応援、これが終わったら次は何をしようかと思っていました。こんな続きがあるとは思いもしなかった、この機会をしっかり捉えて息子たちの世代につないでいく。まんなか世代の役割の始まりと考えよう。

よかった、ありがとう。



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