308.合格最低点でも、不合格でも。努力は点数では測れない ― 同志社卒の私が思うこと
① たった1点で、人生は決まるのでしょうか。
春が近づくこの時期になると、Xには大学受験の合格報告や不合格の投稿が流れてきます。
「第一志望に合格しました。」
「合格最低点でなんとか受かりました。」
「あと1点足りず、不合格でした。」
喜びの声もあれば、悔しさをにじませた言葉もあります。
その一つひとつを目にしながら、私は立ち止まりました。
たった数点の差で、そこまでの努力の価値が決まってしまうのだろうか、と。
② 入試は“結果表示”の制度である
入試は、とても明確な制度です。
合格か、不合格か。
合格最低点を1点でも上回れば合格。
1点でも下回れば不合格。
結果は極めて分かりやすく表示されます。
しかし、それは“結果の表示形式”が二択であるというだけであって、努力の総量や質を完全に測っているわけではありません。
③ 合格した側として思うこと
私は同志社大学を卒業しています。
いわゆる「合格した側」に立つ人間です。
ですが正直に申し上げれば、自分が圧倒的な差をつけて合格したという感覚はありません。
もしかすると、私はたまたまその「線」を越えただけかもしれません。
そして、あと1点足りなかった誰かは、私とほとんど変わらない時間を、同じ熱量で努力していたのかもしれません。
「合格=努力が実った人」
「不合格=努力が足りなかった人」
そのように単純化することに、私は違和感を覚えます。
④ 点数は制度の評価であって、努力の総量ではない
入試は相対評価です。
定員があります。
出題との相性があります。
当日の体調があります。
採点のわずかな差もあるでしょう。
その複雑な要素の積み重ねが「点数」として表示されているにすぎません。
点数は制度の中での評価です。
しかし、努力の価値は制度の枠を超えたところにあります。
⑤ これは受験だけの話ではない
就職活動も同じです。
内定か、不採用か。
転職も同じです。
採用か、「今回はご縁がありませんでした」か。
SNSもそうです。
伸びるか、伸びないか。
バズるか、埋もれるか。
結果はいつも二択に見えます。
しかし、そこに至るまでの挑戦や失敗、修正や試行錯誤は、二択ではありません。
⑥ 私自身の遠回り
私は銀行員として働いていた時期があります。
外から見れば安定した職業でしたが、自分の中では葛藤や迷いが大きくなっていきました。
結果として、その道を離れる選択をしました。
表面的な結果だけを見れば「続かなかった人」と映るかもしれません。
けれど、その期間に悩み、考え、向き合った時間は、今の私の土台になっています。
当時はうまくいかなかった出来事も、時間が経つと別の場所で活きてきます。
人生は、点ではなく線でつながっているのだと感じています。
⑦ 受験生に伝えたいこと
合格最低点だった人も、
あと1点足りなかった人も。
そのどちらにも、確実に積み重ねてきた日々があります。
朝早く起きた日。
眠気と戦いながら参考書を開いた夜。
模試の結果に落ち込みながらも、もう一度問題を解き直した時間。
それらの価値は、1点や2点で上下するものではありません。
⑧ 努力は消えない
努力は、必ずしもその場で報われるとは限りません。
ですが、努力が消えることはありません。
思考の深さとして。
粘り強さとして。
物事への向き合い方として。
形を変えて、自分の中に残り続けます。
そしてそれは、将来のどこかで、必ず自分を支える力になります。
⑨ 最後に
合格最低点でも、不合格でも。
第一志望でも、そうでなくても。
評価が高くても、思うように届かなくても。
それは「その制度の中での結果」にすぎません。
あなたが積み上げてきた努力そのものの価値を、完全に測り切るものではありません。
もし今、思うような結果が出なかったとしても。
どうか、自分の努力まで否定しないでください。
人生は、一度の試験で決まるほど単純ではありません。
線を越えた経験も、越えられなかった経験も、どちらも人生に厚みを与えます。
大事なのは、線を越える超えないに関わらず努力してきた過程です。
私は、あの受験の日の自分を誇りに思っています。
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