海賊王と麗人海軍~海洋恋愛浪漫譚~ 終章(8/8)
終章 別れと始まり
高い位置から太陽に照らされて、アレクサンドラたちを乗せた船は、ジャスターク国の港に戻ってきた。乗員を降ろすとその船は食料などを補充して、オルレニア王国に戻っていった。
「キャプテン、待ってたぜ」
「お帰り」
「早くお宝探しに行こうぜ」
ロバート海賊団の何人かが石造りの突堤まで迎えに来ていた。その中にはエドワードの姿もあり、アレクサンドラはドキリとする。
「ただいま」
おずおずと声をかけてくるアレクサンドラの無事を確認したエドワードは、安堵の表情を浮かべたあとに顔を引き締めた。
「どこに行っていた?」
「それは言えない」
アレクサンドラは拳を握り、緊張しながらエドワードを見上げている。
「隠れ家なんだろ」
「……エド、話しがある。人のいないところに行きたい」
二人は宿屋に移動した。狭い部屋に立ったアレクサンドラは、表情を硬くしたまま目を伏せる。
「話があるんじゃないのか」
「エド……」
口を開きかけたものの、またアレクサンドラは俯いてしまった。それを見ていたエドワードは表情を硬くしたままベッドに腰かけた。
「では俺から話そう」
エドワードはアレクサンドラにも座るよう視線で促す。
「今日、昼過ぎに定期船が到着する。俺はそれで帰国する。おまえも来い」
「そんな、だってまだ……」
「十分な収穫だ。おまえはアジトを突き止めたんだろう」
挑発するような視線を受け、アレクサンドラは首を横に振った。
「私は帰らない」
そしてアレクサンドラはエドワードの瞳を真っ直ぐに見返した。
「エド。帝国に戻ったら、私は死んだと報告してほしい」
予測していたのだろう、エドワードはわずかに眉を寄せただけだった。
「兄は悲しむかもしれない。でも真実は知らせないで。嵐の夜に誤って船から転落したことにでもしてほしい。私の死が、軍の報復の手段に利用されるのも困る」
エドワードは固い表情で先を促した。
「アレクサンドラ・ヴァローズは死んだ。私はアレックスとして、ここで生きていく」
「……頭を冷やしても熱病は治らなかったのか」
「ごめん、エド。でも私は決めたんだ」
アレクサンドラは拳を固く握った。瞬きを忘れているかのような二人は、強い視線をぶつけ合っていた。
「俺が嫌だと言ったらどうする? 洗いざらい軍部に報告すると」
アレクサンドラは下唇を噛みしめて、一息吸ってからエドワードを見据えた。
「エド、剣で私と勝負して」
「……勝負?」
エドワードはわずかに目を眇める。
「私が勝ったら、帝国に戻って私が死んだと報告してほしい」
「正気か」
エドワードは立ち上がった。
「おまえに剣を教えたのは俺だぞ」
アレクサンドラは父や兄、そして特にエドワードに剣技を習っていた。
「わかってる。それを言うなら私だってエドの太刀筋はよく知っている」
エドワードは小さく首を振る。
「それほどまでして、海賊として生きていきたいのか」
アレクサンドラは頷いた。
「ロバートは海図を完成させたいという私の夢を笑わなかった」
その言葉にエドワードは瞠目し、小さく歯を鳴らす。
アレクサンドラはベッドサイドの荷からレイピアを持ち上げた。
「これを使いたい。カトラスはあまり得意ではないから」
腰に下げたカトラスに、レイピアの鞘をコツンと当てた。
「わかった。その勝負を受けよう」
エドワードは腰のカトラスをベッドにのせ、レイピアを帯刀した。
「ただし、俺が勝ったらおまえも帝国に帰るんだ。そしておまえは俺の妻になる」
「エド」
「俺に虚偽報告をさせようというんだ。当然、それくらいの覚悟はあるだろうな」
「……わかった」
妻になることを罰のように言わないでほしいと、アレクサンドラは悲しくなった。しかし、エドワードをそこまで追いつめているのは自分なのだ。
大好きな人を苦しめている。
それがわかっていても、アレクサンドラは夢を目指すことに決めたのだ。もう後戻りするつもりはない。
二人は港に近い丘にあがった。歩くたびにアレクサンドラの腰のレイピアとカトラスの鞘が当たって音を立てる。
丘は水平線を百八十度見渡せる絶景の場所だった。周囲に遮蔽物がないので強い日差しが肌を焦がす。立っているだけでじわりと汗がにじんできた。太陽はアレクサンドラのやや後ろにある。
二人は適度に距離を取ってレイピアを構えた。
「いくぞ」
アレクサンドラがレイピアを突き出すも、あっさりとエドワードに払われた。その勢いのまま回転して脇を狙うが受け流される。続けて、アレクサンドラから息をつく間もない攻撃を繰り出すものの、全ていなされてしまった。
アレクサンドラは剣では誰にも負けまいと技を磨いてきた。実際、隊の中では首位だった。しかし、それをいうならばエドワードは海軍全体の中でもトップクラスにいる。
「そこまでか?」
肩で息をするアレクサドラに、涼しい顔でエドワードが剣を向けた。逆光気味のエドワードを、アレクサンドラは眇めて見た。
エドワードは一度もアレクサンドラに斬りかかってきていない。あまりの実力差にアレクサドラは愕然とする。エドワードが強いことはわかっていたが、今まで手加減されてきたようだ。
しかし、この勝負だけは負けてはならない。
アレクサンドラは体勢を整えると、声を発しながら再びエドワードに斬りかかった。エドワードはレイピアを受け止め、絡め取る動きをした。武器を奪って勝負を終わらせようとしているに違いない。
チャンスだ。
アレクサンドラは左手で腰のカトラスを抜き、アレクサンドラの剣を受け止めてガードのなくなったエドワードの腹を斬りつけた。
「っ!」
エドワードはアレクサンドラの思惑に気付き、柄を使ってアレクサンドラを突き飛ばして距離を取った。カトラスは空を斬った。
すぐにアレクサンドラは、抜いたカトラスの剣身をエドワードに向けた。幅広の剣身が鏡のような役割をして、太陽光がエドワードの目を襲った。意表をつかれ、エドワードは一瞬、目を閉じた。
それで十分だった。
アレクサンドラは踏み込んで、剣を握っているエドワードの右肘を押し上げると同時に、右の足の下に自らの左足を滑り込ませ、思い切り持ち上げた。バランスを崩したエドワードが倒れる。
「勝負あり」
エドワードが目を開けた時には、太陽を背にしたアレクサンドラのレイピアが、喉元に押し当てられていた。
「卑怯な手を使うじゃないか」
アレクサンドラが差し伸べてきた手を握って立ち上がったエドワードは、苦々しい表情ではき捨てた。
「こうでもしなきゃ私はエドに勝てないよ。剣を二本使ってはいけないというルールもなかった」
それに、とアレクサンドラは続ける。
「卑怯なくらいでちょうどいい。私は海賊になるんだから」
アレクサンドラはロバートを真似て不敵に笑った。
つもりだった。
しかし上手くいかなかった。エドワードとの別れが近づいているかと思うと、どうしても口角が上がらない。
「帝国には約束通り、私は死んだと伝えて」
「おまえにとって、もう、どうでもいいのか。祖国も、家族も……俺も」
「そんなはずないじゃないか!」
アレクサンドラは魂を振り絞るように叫んだ。
「大切に決まっている」
握った拳が震える。
「でも私は、やっと自分らしく生きられる場所をみつけたんだ。もう戻れない」
栄えた祖国の景色。統率の取れた軍艦。兄が口やかましかったのは愛情だとわかっている。
そして、エドワード。
幼少のころから共にいて、アレクサンドラを見守り、助け、妻にまでしようとしてくれた。大好きで、大切な人。
しかし、もう二度と会うことはないだろう。
「アレックス、泣くな」
エドワードに頬の涙を拭われて、アレクサンドラは自分が泣いていることに気がついた。
「エド……」
「泣く必要はない。おまえは帝国に帰るのだからな」
「なっ」
アレクサンドラは後ろから顔に布を押し付けられた。ツンとした薬品の匂いが鼻の奥を刺激する。
「んんっ」
布を外そうとするが、エドワードの腕はびくともしない。
「まさか勝負に負けると思っていなかったが、念のために用意しておいてよかった。危険だとわかっている場所におまえを一人で置いて行けるか」
「……っ」
力が抜けていく。
アレクサンドラは立っていられず倒れそうになるところを、エドワードが支えた。
「おまえのためだ」
いやだ、離して。
そう言いたかったが、もう口すら動かなかった。
アレクサンドラは意識を失った。
……………………
………………
…………
目覚めは頭痛を伴った。
「……なぜ、私は寝ているんだ」
痛む額を押さえながら、朦朧とする頭でアレクサンドラは上半身を起こした。手触りのいい上質なベッドだ。顔をあげると、それほど広くはない個室にいることがわかる。
部屋が揺れていた。
「ここは海上か」
アレクサンドラはハッとする。
なぜ海の上にいるのか。
「起きたか、アレックス」
「エド」
振り返るとエドワードがベッドサイドの椅子に座っていた。
アレクサンドラは意識を失う前のことを思い出した。
「旅客船の中なのか」
「そうだ。ジャスタークの港を出て、数時間は経っている」
アレクサンドラは顔をゆがめてベッドを拳で叩いた。
「なぜこんなことを。卑怯だ」
「卑怯は承知の上だ。おまえをあんな荒くれの中に残しておけない」
「私はあそこで生きていくと決めたんだ」
エドワードは長い足を組み替えた。諭すような目をアレクサンドラに向ける。
「言っただろ、おまえは流行り病におかされていたようなものだ。祖国の空気を吸えば治る。そして俺に感謝するようになるだろう」
アレクサンドラは首を振る。
「違う。私は祖国を愛している。だけど私にとってあの国は窮屈な鳥かごのようなものなんだ。私は自由に生きたい」
「なぜ今までがそうだったからといって、窮屈だと決めつけるんだ」
エドワードが歩み寄り、ベッドサイドに腰かけてアレクサンドラの肩に手を置いた。
「俺にはおまえを連れ戻した責任がある。おまえが希望する部隊に配属できるよう口添えをするし、傍でサポートしてやる。海軍として航海に出ることもできる。それがおまえの望みだったはずだ。たとえロバートたちの隠れ家の場所を伝えなくても、俺たちが見てきた海賊団の戦術や技術を知るだけでも軍にとっては有益だ。俺たちの要望をむげにはできない」
アレクサンドラは再び首を振る。
確かに条件だけみれば、過去のアレクサンドラであれば飛びついたかもしれない。
しかし、今の夢は大きく変わった。
帝国海軍はアレクサンドラの思う正義ではなかった。理不尽な縦社会がなくても、団結できる仲間も知ってしまった。
――ロバートという太陽に出会ってしまった。
「帝国に戻ろうと、私はまたジャスタークに、あの海賊島に戻る」
「だめだ、それだけはさせない」
アレクサンドラの肩にのっていたエドワードの手に力がこもる。
「もう二度と帝国からは出さない。海軍卿に出国禁止の措置をとってもらう。俺を恨んでもいい、それがおまえのためなんだ」
「エド……」
これ以上は堂々巡りだろう。エドワードのエゴもあるだろうが、彼は本当にアレクサンドラのためになると信じているのだ。
アレクサンドラは顔を伏せた。涙がこみ上げそうになる。
あの場所に、ロバートの傍に戻りたい。
もう会えないのだろうか。
絶望しそうになる思考を、アレクサンドラは頭を振って払った。
いや、まだ諦めるの早い。
――欲しいものはしがみついてでも掴み取れ。無理だと決めるのは他人じゃない、自分だ。
アレクサンドラはロバートの言葉を繰り返した。
無理ではない。まだできることがあるはずだ。
帝国に戻る前に、この旅客船から抜け出すことができれば……。
アレクサンドラが頭を回転させ始めた時、不自然な波の揺れを感じた。
その揺れはさらに大きくなり、部屋の外が騒がしくなる。
アレクサンドラとエドワードは顔を見合わせて部屋を出た。乗客が血相を変えて甲板から降りてくる。
「なにがあったんだ?」
エドワードが乗客の一人を捕まえた。
「海賊だ!」
乗客が叫ぶ。
海賊。
アレクサンドラは人の波をかき分けて甲板に向かって全力で走った。
「アレックス」
すぐにエドワードも追いかけてくる。
扉を開けて眩しい甲板に飛び出すと、旅客船のすぐ隣りにはガレー船が横付けされていた。船縁をいくつものロープで固定している。
帆柱には海賊旗がはためいていた。
赤地に白い髑髏、左の眼窩には眼帯をし、髑髏の後ろでカトラスがクロスしている。
「ロバート海賊団のジョリー・ロジャー」
船縁にずらりと並んだ海賊たちは、マスケット銃を旅客船に向けている。
「心配するな、俺たちは仲間を連れ戻しに来ただけだ。大人しく引き渡せばなにもしない」
海風に豪奢な深紅のダマスク織りのジュストコールをなびかせている男が叫んだ。
隻眼の赤い死神と呼ばれる男。
「ロバート!」
アレクサンドラは手摺に駆け寄った。
「よう、アレックス。迎えに来てやったぜ」
太陽を背負ったロバートはアレクサンドラに笑顔を向けた。
「なぜ……」
アレクサンドラの胸に熱いものがこみ上げてきた。
「なぜって、満場一致でおまえを改めて仲間に迎え入れることに決まったからだ」
女性であるアレクサンドラを団員として認めるか、本日、多数決をとる予定だった。それが行われたのだろう。
「満場一致?」
誰一人、アレクサンドラが加わることに反対しなかったのか。あれだけ反発する者が多かったのに。
「おまえの今までの行動が認められたってことだ」
船の清掃や修復に熱心に取り組んでいたこと。船底くぐりを成功させたこと。乱暴されても仲間を売らなかったこと。航海士として力量を見せたこと。
アレクサンドラは信じられない思いで並んでいる団員一人一人に視線を向けた。みんな目や拳で応えてくれる。ブッチャーは力こぶを作り、その隣りのピエールは両手を振った。
ピンクゴールドの長い巻き毛を揺らすクリスと目が合うと、細い眉をつり上げた。
「借りは返したからね! おまえなんか大っ嫌いだから!」
「クリス」
アレクサンドラは苦笑した。目頭が熱くなる。
「みんな、ありがとう」
船縁にのぼってロープを渡ろうとすると、後ろから手を取られた。
「行くなアレックス」
エドワードは懇願するようにも見える表情でアレクサンドラを掴んでいた。
アレクサンドラは首を振る。
「進む道は自分で決める。私の人生は私だけのものだ」
「アレックス……」
エドワードはきつく眉根を寄せた。手の力が緩んでいく。
「ありがとう、エド。元気で」
アレクサンドラから強くエドワードの手を握り、そして、ずっと守ってくれていた大きな手を放した。
ネイサンにサポートされてアレクサンドラは隣りの船に乗り移った。歓声とともに団員たちに囲まれる。背中や頭を叩かれてもみくちゃにされた。
「アレックスは預けるだけだ。後悔するなよ。俺が必ずおまえを捕らえてやる。首を洗って待っていろ」
エドワードがロバートに向かって叫んだ。
「楽しみにしている」
エドワードの燃え滾る視線をロバートは受け止めた。
渡されていたロープが外れる。船が離れていく。
胸が締め付けられる思いで、アレクサンドラは小さくなっていくエドワードを見ていた。
彼には感謝の気持ちしかない。
「さよなら、エド」
アレクサンドラが振り返ると、近くにロバートが立っていた。
「来いよ、今夜はおまえが主役の宴会だ。覚悟しろ」
「……お手柔らかに」
酒の弱いアレクサンドラは苦笑いを浮かべた。
「後悔はさせない。俺がおまえに世界を見せてやる」
ロバートはアレクサンドラの肩を叩き、ジュストコールを翻した。
「どこまでもついて行くよ、キャプテン」
アレクサンドラはロバートの後に続いて歩き出した。
了
