海賊王と麗人海軍~海洋恋愛浪漫譚~ 6章(7/8)
六章 ロバートの過去
商船の船長室に連れて行かれたアレクサンドラは、ロバートが座る執務机の前に立たされていた。傍の椅子には初老の船医が座り、副船長のネイサンは、威圧するように筋肉質な腕を組んで、アレクサンドラの傍に立っている。
商船はフォーチュン号の船長室よりも豪華な内装で、高価な絵画が飾られ、クローゼットや洗面台まである。壁際には見事な彫刻の入った箱型のベッドが吊るされていた。
「どういうつもりだ」
ほぼ無表情なネイサンに見上げるほど高い位置から睥睨されると、屈強な軍人に囲まれ慣れているアレクサンドラでも委縮した。
「すみません。商船が動き始めたので、なにかと思って、つい……」
まるで子供の言い訳だったが、そうとしか言いようがなかった。
「そんなに怖い顔すんなってネイサン。本気で忍び込むつもりなら、もっと上手くやったよな、アレックス」
両手に頬をのせてロバートは微笑んでいる。
「で、エドと一緒じゃないのか?」
ロバートの瞳は笑っていなかった。やっぱり怒っていると、アレクサンドラは内心焦る。
「一人だ。頭を冷やしたくて散歩をしていた」
「なぜ?」
答えにくい質問だった。
「ここで航海士になりたいと言ったら、エドに反対された。実家に戻れと」
「……帰るのか?」
ロバートは目を細めた。
「いられるものなら私はここにいたい。しかし、よく考えなければいけないとも思っている」
アレクサンドラは素直な気持ちを話した。
「勝手に乗りこんでしまって申し訳なかった。こんな時間に商船を売りに行くと思わなかった。盗賊に船を奪われたのかと考えてしまった」
アレクサンドラがそう言うと、ロバートたち三人は顔を見合わせた。
ロバートは身を乗り出す。
「アレックス、正直に答えろよ。おまえは俺たちのアジトを知りたくて、この船に乗ったんじゃないのか?」
「え? ……あっ」
アレクサンドラは思わず手で口を押えた。
アジトのことはすっかり諦めていた。海賊島を拠点にしているのだろうと思っていたのだ。
もしアジトがわかろうと、今のアレクサンドラは軍に報告するつもりはない。そもそも祖国に帰るかも悩んでいるところなのだ。
「秘密を探る意図はなかった。私は空や潮からある程度方向がわかってしまう。港に戻るまで船倉に籠っていようか」
これから本拠地に向かうのならば、三人がピリピリとしているはずだとアレクサンドラはうろたえた。
また三人は顔を見合わせる。
「なあ、アレックス」
ロバートは立ち上がってアレクサンドラの前まで来た。はっきりとした二重の大きな碧い瞳が真っ直ぐにアレクサンドラを見つめた。
「おまえはオレたちの仲間だよな」
ロバートは「仲間」を強調した。その言葉には重要な意味が込められている気がした。
真摯な視線を受けとめて、アレクサンドラは肯いた。
「私はあなたの役に立ちたいと思っている」
「だよな」
ロバートは満面の笑みを浮かべた。
「ネイサン、先生、アレックスを自由にさせていいよ。いつかあそこに連れていきたいと思っていたんだ」
「私を連れて行きたいって……」
「ですがキャプテン」
アレクサンドラの質問はネイサンの言葉と重なってかき消された。ネイサンが取り乱すのを初めて見た。
「大丈夫。オレは人を見る目には自信がある。な、先生」
「好きにするといい」
成り行きを見ていた船医は白い髭をさすりながら、ふぉっふぉと笑った。
「そうと決まれば、お客様じゃねえんだ。しっかり働けよ」
大きな手が肩にのせられて、アレクサンドラはドキリとした。
「ま、これはキャラック船だからのんびりした航海になる。ネイサンの助手でもやって実践の航海術を学んだらいい」
キャラック船はガレー船と違い、推進は帆に委ねているので櫂漕ぎをしなくてすむ。
「ありがとうございます、宜しくお願いします」
アレクサンドラは表情をほころばせ、ロバートたちに感謝した。
それから十日以上過ぎて、やっと陸地が見えてきた。しかしそこには港はなく、高く聳え立つ断崖絶壁があるだけだった。
近づくにつれて潮流が激しくなった。渦に巻き込まれたら岩礁に乗り上げてもおかしくない。しかしネイサンは慣れた様子で舵輪を操っている。
「海蝕洞」
アレクサンドラは呟いた。なにもないと思われた断崖の一部に穴がぽっかり開いていた。
「満潮時には海の中。そうでなくても、入り口はいくつもの大岩で隠れている。位置を知らなければ、そうは辿りつけない場所だ」
船首楼にいたアレクサンドラの後ろからロバートが話しかけてきた。
ここがロバート海賊団の隠れ家に違いない。
海賊団の中でも一部の者しか知らない、極秘の場所。
アレクサンドラの胸が早鐘を打った。
大型のキャラック船がぎりぎり通れる程の狭い通路は長い。進むにつれて外からの光が届かなくなり、夜の航海と同じように船にランタンを灯らせた。塩水を含んで湿った壁がランタンの光を反射する。
しばらくすると海面に光がさしてきた。
陽の光よりも弱い。人工的な明かりが灯っているようだった。
「これは……」
一気に視界が広がった。大型船が三十隻以上並んでいる。足場は整備され、解体途中の船などもあり、作業員が忙しそうに駆け回っていた。
ここは自然の洞窟を改造したドックのようだ。遥か高い天井には光が届かず、闇に包まれている。
「キャプテン、お帰りなさい」
「お疲れ様です、キャプテン・ロバート」
港にいた作業員たちがロバートに声をかける。ロバートは笑顔で手を振って応えた。
「みんな荷を下ろしたら自由にしてくれ。アレックス、こっちだ」
ロバートに呼ばれて後に続いた。
ロバートは人一人通れるだけの細い岩肌の通路に入っていった。人工的に掘られたもののようだが、足場は悪く暗い。一定間隔でランタンが設置されているが灯っておらず、ロバートの持つランタンの光だけが頼りだった。
時に道は二股三股に別れ、迷路のように入り組んでいた。
ロバートの広い背中が目の前にある。アレクサンドラの腰にはカトラスを帯刀していた。「任務を遂行するとしたら、またとないチャンスだ」との思いがよぎり、アレクサンドラは内心で苦笑した。
ロバートの命を奪い、この隠れ家の場所を軍に報告する。アレクサンドラは一躍海軍の、そして国民の英雄に祭りあげられるに違いない。
エドワードがこの場にいれば、間違いなくその選択をしただろう。
そこまで想像して、アレクサンドラは小さく首を振った。ここにエドワードがいなくて本当によかった。
「もうすぐ通路を抜ける」
ロバートが話しかけてきて我に返った。
「オレをやるなら最後のチャンスだ」
「え?」
アレクサンドラは顔を上げた。ロバートは背を向けたまま歩き続けている。
「帝国の諜報員なんだろ、アレクサンドラ・ヴァローズ」
頭を鈍器で殴られたような衝撃を受け、アレクサンドラは足を止めた。
「知って……」
「知っていたさ、初めから」
ロバートが重厚な扉を開けると、暗い通路に強い明かりが差し込んだ。アレクサンドラは眩しさに目を眇めて、顔の前に手をかざした。
「突っ立ってないで来いよ。オレのことが知りたいんだろ」
通路脇にランタンを置いて、笑みを浮かべたロバートが肩越しに振り返る。片側の口角を上げて揶揄したような表情だ。そこから敵意は感じないが、なにを考えているのかまでは読めなかった。
「なぜ、私をここに連れてきたの」
身元が突きとめられているとなれば、むしろアジトに来たアレクサンドラの身が危険なはずだ。
しかしアレクサンドラは、ロバートに命を取られるイメージが少しもわかなかった。
「来ればわかるさ」
再びロバートは歩き出す。扉を抜けると、白を基調とした幅広いアーチの豪華な回廊が伸びている。宮殿のようだった。
「ここだ」
しばらく歩き、ロバートは扉を開けて部屋に入った。
「……ここは」
いくつも並ぶ大きな窓。そこにかかる緻密なレースのカーテン。マントルピースや天蓋ベッドの柱の繊細な細工。シンプルだが高級な白い壁紙の、広く豪華な部屋。
「私は、この部屋を知っている」
船から見えた太陽の位置、星の位置、そして舵輪の下に設置してある羅針盤で、船の進んでいる方向はわかっていた。
「ここはオルレニア王国の宮殿」
そして四年前の仮面舞踏会で、アレクサンドラが髑髏に連れてこられた部屋だった。
部屋を見回していたアレクサンドラは、壁に寄りかかって腕を組むロバートに視線を向けた。
「あなたは、あの時の髑髏?」
黒いローブに動物の頭蓋骨を被った、華奢で背の高い男性。
「そうだ」
ロバートはいたずらっ子のように笑った。
「一緒に踊るのを楽しみにしていたのに、会場にアレクサンドラはいなかった。オレはすぐに調べて、アレクサドラがドミール帝国の軍人の娘だと知った」
王太子の婚礼を祝した大規模なパーティーだ、参加者リストは作成しているだろう。大人ばかりの参列者の中、十四歳の少女を探し出すのは容易かったに違いない。
ただし、要人ばかりの参加者名簿を一般公開するはずがない。彼はそのリストをチェックできる立場だったのだ。
「あなたは、一体……」
あの時の髑髏はフランシスと呼ばれていた。ロバートという名は偽名なのか。
アレクサンドラが一歩踏み出すのと、トントンとドアが叩かれるのは同時だった。
「こんな時に誰だ。アレックス、隣の部屋に衣装部屋がある。見て来いよ」
ロバートは奥の扉を指さし、部屋から出ていった。
アレクサンドラは広い部屋に一人で取り残された。
することもないので、ロバートに示されたドアを開けてみる。先ほどの部屋の半分ほどだが、それでも十分に広い部屋に数百着の服が並んでいた。色とりどりの変わった衣装や被り物で、仮面舞踏会用の服だと思われた。
「これは」
部屋の手前に置かれているトルソーの前で足を止めた。そのサテンの赤いドレスは、四年前にアレクサンドラが身につけていたものだった。
「あの時、君が着ていたドレスだ。また会えた時に返そうと、大事に保管していたんだよ」
アレクサンドラは振り返った。
そこには金色の髪に黒いバンダナを巻き、左目には眼帯をして、膝下まである深紅のジュストコールを羽織った男性が立っていた。
「……ロバート?」
見た目はロバートのはずだが、アレクサンドラは違和感を覚えた。
なにかが違う。
「あなたは、誰?」
アレクサンドラがそう言うと、目の前の男性は大きく目を見開いた。
「え、もう気づいちゃったの? まだ一言しか喋ってないし、ちゃんと日焼けしたように化粧をしたのに。おかしいな、そっくりだよね?」
ロバートもどきが振り返ると、部屋の入り口からもう一人のロバートが現れた。
「ロバートが二人……」
アレクサンドラはぽかんと口を開けた。
同じ顏が二つ並ぶ。
比べてみると、本物のロバートの方が筋肉の厚みがあり肌の色も微妙に違った。なにより醸し出す雰囲気が全く違う。
ただし、並んでいなければ見抜くのは困難なほど似ていた。
「だから、くだらないことはやめろと言ったんだ。わざわざ呼び出してまですることか」
片方の眉をつり上げて、ロバートは呆れたと言わんばかりの表情を浮かべている。
「だって、フランシスのお気に入りの子と話したかったんだもの。……君は綺麗な目をしてるね。いい子で安心したよ」
アレクサンドラに笑いかけ、ロバートもどきは眼帯を外した。
やっぱりロバートをフランシスと呼んでいる、とアレクサンドラは思った。
「さっき言ったことは本当だよ。彼が僕に泣きながら言っていたんだから。また君に会いたいって」
「泣いてねえよ。ほら忙しいんだろ。もう戻れって」
「久しぶりの兄弟の再会なのに、冷たいじゃないか」
「はいはい、いつもお疲れ兄貴」
ロバートはぞんざいに兄にハグをした。
「兄弟」
考えてみれば当たり前のことだった。こんなにそっくりな他人なんてあり得ない。
「僕はウィリアム。よろしくね」
アレクサンドラはウィリアムに手を取られ、口づけのあいさつをされる。隅々まで磨き尽くされたような柔らかい手で、洗練された所作だった。近づくと、品のいい香りがした。
「フランシスは淋しがり屋だから、優しくしてあげてね」
ウィリアムは優しい笑みを浮かべた。ロバートと同じ顏のはずなのに、どちらかというと女性的な相貌に映った。
「心配しなくても、ロバートはいつも輪の中心にいる」
ロバートは人の心を掴む天才だとアレクサンドラは思う。
「周りに人が集まっていても、孤独なこともあるんだよ」
ウィリアムはにっこりと微笑んでから踵を返した。
「さて、僕は窮屈な檻に戻ろうかな。たまには代わってよフランシス」
「やだね」
ロバートは冗談めかして舌を出した。
「そうだよね。フランシスが勝ち取った自由だもの」
ウィリアムはロバートを抱きしめた。
「いつも危険なことをさせてすまない、フランシス。今日も無事に会えてよかった」
「なあに、国を背負わされるより、なんぼも楽だよ」
ウィリアムはロバートの肩を叩き、「今度はゆっくり食事でもしよう」と軽く手をあげて部屋を出ていった。
「……あの」
アレクサンドラはロバートを見上げた。
聞きたいことが山のようにあり、なにから尋ねればいいのか、アレクサンドラの頭はまとまらなかった。
「あなたは、まさか……」
もう答えはひとつしかない。しかし常識がそれを否定する。
「長くなりそうだ。座って話そう」
ロバートに促されて先ほどの部屋に戻り、二人はソファーに並んで座った。
「名乗るなら、オレはオルレニア王国の諜報組織を束ねるスパイマスター、ってところだ」
「スパイ?」
アレクサンドラが思っていた言葉と違った。
「おまえと同じだ。ただし規模が違う。こっちは国家予算の二十%を諜報活動につぎ込んでいる」
「国家予算の二十%」
アレクサンドラの声が裏返った。
ドミール帝国にも諜報機関はあるはずだが、それほど予算をかけていないだろう。力を入れている軍事費ですらそこまではない。どれほどの規模で、どれほどの人員を割いているのか。
「主要な国の、主要な都市には全てうちの諜報員がいる」
「まさか、各国の機密情報までもが入るというの?」
「だいたいは」
「……ドミール帝国が、この国を襲撃する準備をしていることは?」
「届いている。当然、対策はできている」
アレクサンドラは瞬きを忘れて、ロバートを見つめていた。
この島国は防衛力がなく、国民の気質も真面目で穏やかという印象があった。資源豊富なこのオルレニア王国を狙っている周辺国は多い。だからこそ、友好国のドミール帝国がいざという時に力になるという、安全保障条約を結んでいた。それを裏切ると聞いて、アレクサンドラは憤ったのだ。
しかし、オルレニア王国の方が上手だった。虎の威を借る狐ならぬ、猫を被った虎だった。
その情報戦を仕切っているのが、ここにいるロバートだというのだ。
「通信手段は?」
「鳩だ。オレは鳥を躾けるのが得意なんだ。ひとりでやってるわけじゃねえけどな」
確かに四年前も、鳥を躾けるのは得意だと言っていた気がする。
ロバート海賊団の情報手段は、エドワードと一緒に考えて否定した、伝書鳩が答えだったというわけだ。
「だから帝国の諜報員が二人やってくることは初めからわかっていた。開かれた港だから、諜報員がやってくるのは珍しくない。通常は難癖をつけて関所から入れないし、潜り込んだとしてもすぐに追い返していた」
「それなら、なぜ私たちを海賊団に入れたの?」
「おまえを呼んだのがオレだからだよ。アレックス」
「私を、呼んだ?」
アレクサンドラは瞠目し、睫毛を瞬かせた。ロバートはにやりと笑って、長い足を組み替える。
「オルレニア王国は表向き、おまえの国とは友好国だからな。兄貴を通して、海賊被害が激しくて困っていると泣きついたんだ。海賊島に諜報員を送って、海賊のトップを叩こうと提案した。こちらは諜報のノウハウがないので帝国に任せたい。金はいくらでも出す、って具合に」
「諜報のノウハウがないなんて、なんという二枚舌だ」
しかも「いくらでも出す」という金は、帝国海軍の船を襲って調達した金だろう。オルレニア王国の懐は少しも痛まない。
「そしてもうひとつ、オレは条件を付けた。そちらには女性の軍人がいるらしいから、その者を海賊島に送ること。“いままでの男の諜報員はことごとく失敗しているから、女で試されたし”ってな」
それで指名されたのかと、アレクサンドラは驚いた。
海軍卿ですら知らない任命者が誰なのかと疑問に思いながらも、目まぐるしい日々で忘れていた謎が、やっと解けた。
「いくら友好国とはいえ、他国がそこまでの内政干渉をできるとは思えない」
「できるさ、トップ同士の会談だ。それに帝国にとって旨味しかない話じゃないか」
「トップ」
驚くべき言葉ばかりで、さっきからアレクサンドラはオウム返しばかりになっている。
「もうわかってるんだろ。オレの兄が誰なのか」
アレクサンドラは頷く。疑いようがない。
「ウィリアム国王陛下」
昨年、前国王が退位したことにより、ウィリアムが王位を継承していた。言われてみると、四年前のパーティーで遠目に見かけたウィリアムの面影を、ロバートの中に見つけることができた。
「そこまでして、なぜ私を呼んだの?」
四年前に少しだけ話をしただけだ。アレクサンドラにとっては、髑髏の仮装をした人物に男装をさせられたという強烈な印象があり、ドレスを着なくなったきっかけでもあるものの、それで終わった思い出だった。
「本当にわからないのか。言わせたいのか」
ロバートはアレクサンドラを引き寄せた。
「おまえが好きだ」
至近距離から碧眼に見つめられ、アレクサンドラは息を呑んだ。
「アレックスのことはなんでも知っている。生真面目なところも、几帳面そうに見えて案外抜けているところも、軍人としての悩みも、大海原への憧れも。どれだけ離れていても、オレがおまえのことを一番理解している」
アレクサンドラは抱きしめられた。まるで、ひとつの塊になりそうなほど強く。
それだけで、ロバートがどれほど激しい慕情を胸に秘めていたのか、伝わってくるようだった。身体は圧迫されているが、隙間なく密着している肌が心地よく感じる。心が満たされる。
ふと、海賊島に到着した初日を思い出した。
ロバートは「浮かれて」飲みすぎているとネイサンに注意されていた。それはアレクサンドラが来ることを心待ちにしていたからではないか。
しばらくそのままでいたロバートが吐息するのを、うなじで感じた。
「初めは、ただ見守っているつもりだった。幸福な姿を見届けようと思っていた。しかし、おまえにはいつまで経っても浮いた話が出ず、海軍でくすぶっているようだった。だから、オレのものにすることにした」
オレのものって……。
アレクサンドラ頬を赤らめた。
ロバートの突然の告白を喜びつつも、戸惑いもあった。
「どうして。この部屋でほんのわずかな時間を過ごしただけなのに」
「一目惚れは信じない?」
ロバートはアレクサンドラの顔を覗き込み、揶揄したように笑う。そして、その笑みが柔らかく変わった。
「俺は四年前に死んで、生まれ変わった。おまえの言葉に背中を押されたからだ」
「どういうこと?」
ロバートは立ち上がった。
「オレは兄の“予備”だった。本来、この国の王族の双子は不吉だとされている。弟の方は継承権を剥奪して、生まれてすぐに養子に出さなければならない」
だから当時のウィリアム王太子に兄弟はいないことになっていたのか。いくら調べても「フランシス」の名が出ないはずだ。
「男系の王で継承していたが、深刻な後継者不足だった。オレたち双子を除くと、世継ぎを残せる継承者はいなかった。そこで、王太子が夭することがあっても“替え”がきくよう、生まれたのはウィリアム一人だと公表し、オレはウィリアムの予備として、極秘に育てられた」
生まれながらにして幽霊のような存在だったのだ。
「この部屋から出ることなくオレは育った。事情を知らない使用人たちは、要人の隠し子だろうと噂していた。オレは常に仮面をして顔を隠していた。兄は頻繁に仮面舞踏会を開いた。舞踏会の日はオレがこの部屋から出られるからだ」
衣裳部屋の何百という仮装服。それはこの部屋から出る切符のようなものだった。
「そうだったの」
ロバートの幼少期を思うと胸が痛んだ。一番愛情が必要な時期だろうに、いつも一人だったのだろう。
「兄が妻を迎えることが決まって、オレは決断を迫られていた。兄に男子が生まれたらオレは用なしだ。どこか遠くの国に行くのなら、王宮を出ても構わないと言われた。だがもう十七年もここで過ごしていた。だからそのままひっそりと、この部屋で一生を終ろうかと考えていた」
ロバートが振り返った。
「その頃だ、おまえに会ったのは」
思い出した。
この部屋に留まる黄色いカナリアを見て、アレクサンドラは言ったのだ。
――外は不安で先が見えないかもしれないけど、新しい発見や驚きや出会いがあるに違いない。私は自由でありたい。
「オレのことを言われた気がした。なにができるかを考えた。そして、王族に生まれたからには国の役に立ちたいと思った」
アレクサンドラも同じようなことを考えた。だから軍人になったのだ。
「その頃、諜報組織をまとめていた者が高齢で亡くなった。だからオレが引き継ぐことにしたんだ。各国の情報を集めることはドンパチやるのと同等、いやそれ以上の力があると感じた。このオルレニア王国という資源豊かな国を欲しがり、水面下で動いている国はたくさんあった。こちらから動くのは戦争の口実を与えかねないし、手をこまねいていればやられるだけだ。そこで」
ロバートは深紅のジュストコールを翻した。
「海賊としてこのオルレニアに危害を加えようとしている国の船を襲って、敵国の国力を削ろうと考えた。武器や財産を奪えば、他国を攻める余力がなくなるからな。我が国にとっては危機が去って財政が潤う。一石二鳥だ」
だから軍艦、特に武器輸送の船を襲うことが多かったのだ。
話が現在に繋がってきた。諜報員や廷臣の中から海賊団についてきたのが、ネイサンたち初期メンバーなのだろう。
「襲うばかりじゃない。諜報のおかげで、兄の暗殺計画を四回も阻止している。オレは海賊として生きるためにフランシスの名を捨て、ロバートと名乗ることにした。フランシスは死んだんだ」
アレクサンドラはロバートばかりが損をしているようで納得がいかなかった。
「国を去らずに、顔を隠すなりして軍隊を指揮する方法だってあったはずだ。国のために働いているのに、海賊という犯罪者になるなんて、理不尽だと思わないの? どこかの国に掴まれば死刑は免れない」
「さっき言っただろ。どの国にも属さない組織として、侵略行為を阻止すると。海賊が犯罪行為なのはわかっている。だが、このやり方でしかできないこともある。正義はひとつではないだろ。オレは、オレの信じる正義を貫く」
ロバートが私財を投げうってジャスターク国の治安を回復したこと。そこを拠点として、集まる海賊たちに秩序を与えたこと。そして他国を侵略する国の船を襲うこと。
全てはロバートの一貫した信念によるものだった。
「あえて綺麗ごとを言うなら、オレたちが目指すのは国単位の保安じゃない」
世界を股に掛け、海を守る海賊。
それは確かに、自国の利益のためにしか動かない海軍とは違う。
あまりに壮大で自由な発想に、アレクサンドラは息が止まりそうになった。
「おもしろいと思わないか、アレックス」
アレクサンドラはダークグリーンの瞳を見開いてロバートを見つめた。
景色が輝いて見えた。
目の前の色相が変わり、異世界に踏み込んだような気持ちになった。
何度目だろうか。
ロバートといると、まるで生まれ変わるような、一皮むけて成長するような、そんな瞬間を何度も経験する。
「アレックス、祖国に帰るのか。まだ迷いがあるのか」
ロバートの瞳に乞うような色がかすかに混じった。傍にいろと、その目が言っている。
アレクサンドラはきっぱりと首を横に振った。
「あなたと生きたい」
知らない世界をもっと見たい。ロバートとならどこまでも行ける気がする。
「でも、私が海賊団に残ることで祖国や家族に迷惑をかけられない」
それが気がかりで迷っていたのだ。
「ならば、どうする?」
問うロバートを、アレクサンドラは決意を秘めた瞳で見返した。
「私に考えがある」
アレクサンドラは、生まれ育った祖国、そして支え続けてくれたエドワードと決別しなければならない。
唇を強くかみしめて、手を強く握った。
