『七彩の七宝』二章「踏み出した一歩」(3/6)

 相変わらず忙しそうに『アルコバレーノ』の厨房で仕込みをしている多佳子と料理長に挨拶して、沈んだ気持ちを表に出さないように彩七は控室に向かった。

「こんにちは」

「彩七、久しぶり」

 ノックをして控室に入ると、秀一が白いコックコートを羽織っているところだった。ぱっと彩七の表情が晴れる。

「秀一くん!」

 彩七は秀一に駆け寄った。

「あのね、クラウドファンディングのことなんだけど」

「おう。気になってたんだ。どんな感じ?」

「申請が通って、募集を開始してる」

「そこまで行ってたんだ、スゲーじゃん。なんだ、連絡くれよ。知らなかった」

 一月下旬になり、大学が始まっていた。秀一とシフトが合わなくなって、共にペンダントを作った日から会うことがなかった。

 しかも後期試験が始まってしまったため、メッセージを入れるのも悪い気がして連絡をしていなかったのだ。

「その割に、あまり嬉しそうじゃねえじゃん」

「うん。募集を開始して三日経ったんだけど、ほとんど動きがなくて……」

「マジか。クラファンの成功の鍵は初動だって言われてるよな」

「そうなの」

 彩七はコートをロッカーにしまいながら表情を曇らせた。

 初動に失敗した。その事実が重くのしかかり、食事も喉を通らないほどだった。

「クラファンの画面見せて」

 彩七はページを開いて秀一に渡した。

「運営サイトの担当さんがついて、相談にのってもらったんだ。SNSは力を入れたほうがいいと言われて、アカウントを作って毎日更新してるんだけど」

 秀一は一通り画面をスクロールして、眉間のしわを深めた。

「メッセージ性はあるけど、致命的な欠陥があるな」

「どこ?」

「彩七も、自分で気づいてるだろ」

 スマートフォンを戻された。

 心当たりはないこともない。しかし、それくらい……。

「担当の人に、自分をさらけ出すほど共感を得られるって言われた。顔写真は出した方がいいって」

「わかってるじゃないか」

「でも、七宝の写真はたくさん載せてるよ。顔なんて関係ないと思う」

 インターネットに顔を出したいはずがない。一瞬で世界に配信されるのだ。クラスメイトとは比較にならない圧倒的多数から誹謗中傷が届いたらと思うと、恐怖しかない。

「彩七はスーパーに買い物行ってる?」

「もちろんだよ」

 愚問を不審に思って彩七は眉を寄せた。

「ここ数年で青果は、どの農園だの誰が作っただのと、生産者の顔出しが増えたと思わないか」

 よく行くスーパーの野菜売り場を思い浮かべると、確かに顔写真付きで生産者と生産地を紹介するポップがあった。

「この人が作ってるんだと分かったほうが、消費者は安心する。信頼する。だから顔出しする生産者が増えた。顔を出したからって、野菜や果物の味や栄養素は変わらないけどな」

 彩七は瞠目した。

「それと同じなんだ」

 秀一は頷いた。

「字面だけならなんとでも書ける。でも、この人なら自分が出資した金を間違いなく目的のために使ってくれるだろうと信頼するから支援するんだ。結局、見ているのは人なんだ」

 秀一の主張は理解できた。そのとおりだと思う。

「だけど……」

 彩七は顔を伏せる。

「秀一くんはもうわかってるだろうけど、小学生の時にこの目が気持ち悪いと言われてから、顔を見られるのが本当に苦手で……」

「綺麗だって言ってるのに、上書きは失敗してたか」

 秀一の言葉は嬉しかったが、そう簡単に胸の傷は治らない。

「彩七は二択を迫られている」

 ロッカーに片手をついて、秀一は彩七を見下ろした。

「顔出しをするか、しないか」

 彩七はぐっと唇を引き締めた。

「全力も出さずにプロジェクトを失敗させていいのか。彩七の覚悟はそこまでなのか」

 真剣なまなざしを受け止めながら、彩七は泣きそうになった。

 人は子供の頃の戯言だと笑うかもしれない。水に流せるだろうと思うかもしれない。

 しかし、心の奥底から流れた血は、そう簡単には止まってくれないのだ。

「わたし……」

 彩七は胸元を押さえた。すると、服の下にある固いものが指先に当たった。

 秀一とお揃いのペンダントだ。

 ――昔のことなんて忘れて、俺の評価で上書きしろよ。

 ――メチャ綺麗だって。まさに七宝みたいだよ。

 秀一は何度も、この目が綺麗だと言ってくれた。

 その言葉を信じたい。

「わたし、やってみる」

「顔出しする気になったか」

 彩七は頷いた。

 顔を出したからといって、支援は集まらないかもしれない。しかし脅えて最善を尽くさずに終わってしまうより、ずっといいはずだ。

 彩七だって、カラーレンズのない世界で生きたいのだ。

「よし、決まり。よく決心したな」

 秀一はニッと笑って彩七の肩を叩いた。

「写真はある? なければ撮ってやろうか」

「いいの? 試験中なのに」

「俺は大丈夫。彩七は?」

 もちろん問題ない。彩七の優先事項は、試験よりもプロジェクトを成功させることだ。

 善は急げで、日曜日の明日を撮影日にした。

 彩七の家に来てもらおうと思ったのだが、撮影機材が多いからスペース的に難しいと秀一に言われ、多佳子たちの厚意で『アルコバレーノ』のフロアを借りることになった。日曜が定休日なのだ。

 秀一くんがいると、話がポンポンと進むな。

 すごいなあと思いながら、彩七は料理を運んでいる秀一を見る。右手に一枚、左手には三枚の皿を同時に持って颯爽と運んでいる。まるでホテルマンのような身のこなしだ。客との会話も弾んでいて、秀一目当てで通っている常連客もいるように思える。

 彩七は無難にトレイを使っているので、一度に運べる量は秀一よりも少なく、客と私語を交わすこともない。

 どうも彩七は、絵や工芸以外のことには才能がないようだ。なんでもそつなくこなす秀一を尊敬するし羨ましい。

 クラウドファンディングだって、秀一くんならすぐに目標金額を達成するんだろうな。

 そう考えていた彩七は、ふるふると小さく首を振った。

「羨ましがってばかりいちゃダメ。わたしのプロジェクトは走り出してるんだから」

 下唇を軽くかみしめると、気を取り直して料理を取りに厨房に戻る。うなじの黒猫のヘアゴムがきらりと光った。


 翌日。

 息が白くなるほど寒いが、清々しい青空が広がっていた。

 彩七は四季の中で冬が一番好きだ。空気が澄んでいて星が綺麗に見えるし、なんといっても雪が降ることがある。虫が少なくなるのもありがたい。

 本来なら心地よい午後のはずなのだが、彩七の気は重かった。背負った荷物の重みでリュックが肩に食い込んで、ますます足取りが重くなる。

 今朝、プロジェクトのページを見ても、支援者の数は増えていないかった。SNSの反応もない。

 そこに加えて、これから撮影をしなければならない。

 秀一に「頑張る」と言ったものの、約束の午後一時が近づくにつれて気が重くなっていった。

 写真を撮られるなんて、何年ぶりだろうか。

 防御の盾であるメガネのテンプルを押さえた。きっとこれも外さねばならないだろう。

 こんなに弱気になるなんて情けない。秀一はこんなにも彩七に協力してくれているのに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「こんにちは」

 約束の十分前に到着した。店の扉を開けると、ライトのセッティングをしている秀一が振り返って「よう」と返事をする。白いワイシャツとネイビーのスラックスをはいていた。

「すごい、本格的だね」

 彩七の身長より高い位置にあるライトはストロボだろうか。内側に銀色のアンブレラがついている。三脚には一眼レフカメラがセットされていて、いくつかレンズが並んでいた。壁に立てかけてある円形の白いものはレフ板だ。

 テーブル席の一つが白いシートで囲まれているのは、リターン品の撮影スペースだろう。「いいライティングで撮り直した方がいい」と秀一が言っていた。

「親父の会社の広報室にある機材を借りてきた」

「へえ……」

 圧倒されてしまって、そんな返事しかできなかった。こんなに大掛かりな撮影になるとは想像していなかった。

「俺に撮影のテクニックがなくても、このセッティングなら絶対にいい写真が撮れるから安心してくれ」

「秀一くんがしてくれることで、心配なんてしないよ」

 顔出しは信頼や安心の担保だと言っていたが、彩七にとって秀一という存在がまさにそれだった。

 こんなに秀一くんが気合を入れてくれているんだから、わたしが弱気でどうするの?

 写真なんて怖くない。どこからでもかかってきなさい! 

 ……と胸を張りたいところだが、ここまでしてもらっても力強くそう言えないのが、自分でも情けない。

「超ビビってる、って顔してるよ」

「ごめんね。わたしも自分にガッカリしてる」

 彩七はうなだれた。

「なに言ってんだ」

 とん、と額を指先でつつかれた。

「逃げ出さずに、よく来たな」

「そんな、当たり前のこと……」

「当たり前のことが、当たり前じゃないことだってある。だからできた時は自分を褒めていいんだろ」

 どこかで聞いた言葉な気がする。

 秀一がニヤニヤとしていた。もしかすると、彩七が秀一に言った言葉に似ているのかもしれない。

「からかってる?」

「そんなわけないだろ。感動のお返し」

 秀一は柔らかく笑うと、彩七の肩を叩いた。

「先に物撮りをするか。七宝焼の商品を出してよ。撮影しているうちに緊張もほぐれるだろ」

 彩七は厨房にいる多佳子と料理長に挨拶をした。店は休みでも仕込みがあるのだ。

 それから秀一とリターン品の撮影を始める。シャッターボタンが押されるたびに、画像データがパソコン画面に映し出された。

「すごい、全然違うね」

「だろ」

 秀一が得意げな表情をする。

 その写真を見ると、彩七が撮ったものと雲泥の差だった。色鮮やかで、ガラスらしい光沢を放っている。撮影環境でこんなにも仕上がりが変わるとは思わなかった。

「リターンはもっと種類を増やした方がいいんじゃないか」

 物撮りが一通り終わると、秀一はスマートフォンでプロジェクトのページを開く。

「一番安い商品は、三千円のピアスやスプーンなんかだろ。もっと高く設定してもよかったと思うけど、それはそれとして」

 あまり高額だと支援を受けられないのではないかと、どの品も安めにしていた。

「基本は確かに、リターンが魅力的だから支援するんだけど、リターン不要でプロジェクトを応援したいって人がいる。それを、少額と高額に設定するんだ」

「前に一緒に見たね。お礼メールを送ります、っていう」

「そう、あんな感じ。千五百円くらいがいいかな。活動報告も合わせて送ることにすれば、興味を持つ人が増えるかもしれない」

 なるほどと、彩七はスマートフォンにメモをする。

「少額はイメージがついたけど、高額でリターンがないって、あり得るの?」

「よくあるのは、起案者との食事会二十万円、とか」

「起案者って……、わたし?」

「ほかにいないだろ」

「わたしと食事をしても仕方がないよっ」

 彩七は驚いて飛び上がりそうになった。無理だと顔の前で両手を振る。

「たとえばの話だよ。でも、さっき言っただろ。プロジェクトを応援したい人もいれば、起案者を応援したい人もいるんだよ。だからスペシャルコースはあったほうがいい。むしろ四百万円も集めるなら、高額なものを用意しないと間に合わない」

 そういうものか、と彩七は指先を顎に当てる。

「今回は七宝焼を広めることも目的の一つだから、七宝焼職人と食事会をする権利、みたいな感じかな?」

「それでいいけど、彩七も参加するんだぞ。支援者に直接礼も言いたいだろ」

「……そうだよね」

 人見知りの彩七にはハードルが高いが、父親と一緒に支援者をもてなすことならできるかもしれない。

「あとは彩七が七宝町を案内するとか」

「町は観光するような場所がないから、『あま市七宝焼アートヴィレッジ』の館内を案内すればいいかな。そういうことをしていいか、施設に確認しなきゃいけないけど」

「そうそう、その案、いいじゃないか。価値観は多様化しているからね。モノからコトにシフトしてるってよく聞くだろ」

“モノ消費”は商品の所有に価値を見出す消費傾向で、“コト消費”は体験や経験に価値を見出す消費傾向のことだ。

「わたし、商品ばかりリターンにしちゃってたんだ」

「それは基本だからいいんだけど、このサイトが広報の役割も担うと考えると、まだまだラインナップが足りない」

 リターンには、安めに設定した七宝焼の商品を七つ掲載している。それに加え、秀一に提案してもらったお礼メール、七宝職人と食事、七宝焼の施設の案内。これでもまだ足りないのだろうかと、彩七は首をかしげてしまう。

「店舗の宣伝が足りない。店に足を運んでもらって、実際に職人たちの作品を見てもらいたいんだろ。だったら集客につながるリターンも必要だ」

「そっか!」

 彩七は思わず手を打った。選ばれたリターンの商品を手元で見てもらえば七宝焼の魅力が伝わるとばかり思っていたが、安価に設定するために、簡単な技法しか使っていない。もっと精巧な芸術品が山ほどあり、それらも見てほしい。

「じゃあ……、プロジェクトが成功して開店できたら、ショップで使える割引券とか、商品券をリターンにする、とか?」

 秀一は「よくできました」と言わんばかりの笑みを浮かべた。

「七宝焼の体験もいいんじゃないかな。店に来てもらえるし、俺もやってみて七宝焼に興味を持ったから」

「すごいね秀一くん。店舗のマーケティングに繋がるようなリターンを考えてなかった」

「俺は慣れてるだけだよ」

 秀一は親の跡を継いで経営者になるために勉強していると言っていた。

 親の跡を継ぐのは彩七も同じだが、彩七は工芸の技術やセンスばかり追求してきた。

 しかし、だから工芸の市場が縮小しているのではないか。よいものは放っておいても残るというのは、残念ながら幻想なのだ。

 現代は情報社会だ。知られなければ埋もれていく。

 世代交代の時期が来ている今が踏ん張りどころだと彩七は思う。

 わたしもマーケティングのことを勉強しなきゃ。

 彩七は心の中で決意する。

「あと一つ。尾張七宝の代表的な技法は有線七宝だって言ってただろ。その作品もリターンにしよう」

「それだと、どうしても高くなっちゃうよ」

「むしろ、高い方がいい。世界中に自慢したくなるような作品を高額で出そう。支援者がゼロでもいいんだ、これぞ七宝焼、というものがリターンにないと、言い方は悪いけど、知らない人は七宝焼は安物ばかりだと勘違いしてしまうかもしれない」

 彩七は瞠目する。

 また彩七の目からうろこが落ちた。リターンの金額設定は安いほどいいと思い込んでいた。身近な商品がいいかと思い、日常使いができるスプーンやピアスにした。

 プロジェクトのページは七宝焼の周知も兼ねるとわかっていて作成していたのに“本格”をリターンにしようとはまったく考えていなかった。

「お父さんに頼んでみる。秀一くん、本当にありがとう」

「いいよ。このプロジェクトは俺も成功させたい」

 なんと頼もしい言葉だろうか。彩七はまた泣きそうになってしまう。

「秀一くんは、どうしてこんなに良くしてくれるの? わたしは要領が悪いし、行動が遅いし、すぐマイナス思考になっちゃうし、一緒にいるとイライラするでしょ」

 イライラする、とクラスメイトに何度も言われてきた。彩七にだって自覚はあるのだ。しかし、わかっていても性格はそう簡単に直らない。

「別にイライラはしないけど。ペースは人それぞれだからね」

 秀一は壁に寄りかかって腕を組んだ。

「彩七のこと、初めは大人しい子が入ってきたなって印象だったんだ。それが話すようになったら、俺と同じように親の会社の後継者だって言うじゃん。しかも、それに対して超前向き。前にも言ったけど、俺は進路に迷いがあったから、将来を真っすぐに見据えている彩七はすごいと思ったし、原動力はなんだろうと考えながら話を聞いてた」

「わたしの原動力?」

 迷いがないのは、それ以外のことが視野に入っていなかっただけで、すごくもなんともない。それに、特に自分を鼓舞したり奮起させたりして七宝焼を作り続けていたわけではない。

「七宝焼が好きだってこと」

 彩七は何度かまばたきをした。そういう意味なら、誰にも負けない自信がある。

「そんなこと、当たり前だよ」

「当たり前じゃない。俺は飲食店も経営も思い入れがない」

 あまりに次元が異なるので、比べるものではないのではないか。彩七は細い眉を寄せながら、なにとも言えずに黙っていた。

「でも最近、彩七の相談にのっているうちに、販売戦略を立てるのはおもしろいと感じ始めた。親に譲られるから、やりがいもおもしろみも感じなかったんだ。俺じゃなくてもいいんだろ、とかひねて考えてた」

 秀一は長い足を交差させて苦笑した。

「いい商品があっても営業が悪ければ売れない。営業が良くても商品が粗悪なら、やっぱり継続的には売れない。両方が組み合わさってヒット商品が生まれるとして、俺は将来、飲食業界でその指揮者になれるのかと思ったら楽しみになってきた。親父に感謝してもいい気がする」

 秀一は彩七に視線を向けて笑みを浮かべた。

「気づかせてくれたお礼に、彩七にはなんとしても成功してもらいたい」

 彩七は頬を紅潮させて、「わたしはなにもしてない」とふるふると首を振った。

「だけど秀一くんが協力してくれて、本当に心強いよ。ありがとう」

「どういたしまして」

 秀一は微笑んだあと、「さて」と壁から背を離した。

「そろそろ、本日のメインイベントとまいりましょうか」

 思わず肩を強張らせるが、彩七は肩を回して緊張をほぐした。

 もう逃げない。

 わたしだって顔を隠すような臆病な自分から変わりたい。変われるはずだ。

 彩七はメガネを外して、秀一に頭を下げた。

「撮影、宜しくお願いします」

 秀一は「任せろ」と言うようにカメラを持ち上げた。

 やっぱり、ピンクのフィルターを通していない世界はクリアでいい。

 彩七はフロアを見渡し、深呼吸した。

 被写体になる覚悟はできたのだが、秀一に相談をして、いくつか決まりを作っていた。

 メイン画像はプロジェクトの顔ともいえる。だから彩七の作業中の姿を撮ることにした。ただし、伏目がちのアングルにして瞳を隠す。

 プロフィール画像はどんな人物かわかるように正面から撮影するが、モノクロにして瞳の色がわからないようにする。

 商品を身につけて映るイメージ画像は、右側からの横顔のみにする。

 ――左右の瞳がはっきり写ることに、どうしても抵抗があった。

「ほらやっぱり。イメージカットがあったほうが、断然いいよ」

 秀一がパソコン画面を彩七に向けた。七宝焼のヘアゴム、イヤリング、ペンダントをつけたバストアップの彩七が写っている。アクセサリーはどんな大きさなのか、どんな印象になるのかが一目でわかる。

「画像の力は大きいね」

 これは納得せざるを得ない。

「俺は前から不思議に思ってるんだけどさ」

 秀一はパソコンを操作して彩七が写ったデジタル画像をめくる。

「美大に行ってるなら、自画像を描くだろ?」

「うん」

「それで、なんでそんなに自信がないんだよ。自分のこと美人だって思わない?」

 彩七は絶句した。あまりにストレートな言葉だった。

「謙遜とかいいからな。正直に言えよ、ずっと疑問だったんだから」

 彩七もパソコン画面を見る。

 色白の肌。顔は小さく、垂れ眼がちの大きな瞳や小さな唇がバランスよく配置されている。肩まで届くセミロングの艶やかな黒髪も、整った顔立ちを際立たせていた。

 顔や身体には黄金比があり、彩七はどちらもそこから大きく外れてはいない。

「整ってる、とは思う」

 彩七は控えめに答えた。

「だろ」

「でも美醜の感覚には個人差があるから。わたしの目を見て気持ち悪いと思う人がいるのも理解できる」

 そして、それは決して少ない数ではないはずだ。

「また目か。そこがいいのに」

 秀一が嘆くように言った。

「とりあえず、俺の前ではメガネを外してよ。それならいいだろ」

「秀一くんだけだったら……」

 彩七は顔を真っ赤にしてうつむいた。これだけ褒め殺しにあっているのだ。隠すいわれもない。

「それより、秀一くんも被写体になってくれるんでしょ。準備して」

 普段から褒められ慣れていないので、こういう話をしているといたたまれなくなってくる。

 秀一にはメンズアイテムのネクタイピンとカフスのセットをつけてもらうことになっていた。銀の素地に風を抽象化したデザインが施されたものだ。

 近くに置いていたジャケットとネクタイを締めた秀一は、セットを手にした。

「これ、いいな」

「よかったら持って帰る? また作れるし」

「なんでもかんでももらえないよ。これは今度買う」

 秀一の撮影は彩七が行う。一眼レフカメラの扱い方を確認したが、調節は済んでいるので、シャッターを押すだけだった。

『アルコバレーノ』の洒落た家具を背景に、スーツ姿の秀一が立つだけで絵になった。カフスとネクタイピンが同時にフレームに入るよう、秀一は胸元に手を添える。彩七は秀一が動くたびにシャッターを切った。

 秀一くん、カッコいいな。

 改めてそう思っていると、視線がカメラに向き、目があったように感じてドキリとする。

「手が止まってるけど、もう大丈夫?」

「うん、充分。ありがとう」

 見惚れていたとは言えない。

「秀一くん、撮られ慣れてる感じだね。プロのモデルみたいだったよ」

「親父の会社のPR写真を手伝わされたことがあったから」

 秀一は自分でもパソコンで画像をチェックして、商品が撮れていることを確認すると、すぐにネクタイを外した。

「これで撮影するものはすべて終わったかな」

「終わったよ。長時間ありがとう。ページが豪華になるよ」

 もう三時半を過ぎている。あっという間だ。

 秀一がカメラを片付け始める。手伝いたいが、下手に触ると壊してしまいそうだ。彩七がウロウロしていると、「大丈夫だから」と苦笑される。

「彩七こそ、写真写りがいいよ。写真がイヤだと駄々をこねていたようには見えないね」

「駄々はこねてないよ」

 彩七が眉を下げると、秀一はおかしそうに白い歯を見せた。

「彩七は子供の頃に嫌な経験をしているのに、強引に誘って悪かったよ。でも彩七の場合は絶対に写真を載せたほうが好感度が上がって支援者が増えるから、もったいなくて」

「絶対なんだ」

「絶対。いくつか理由がある。先に言っておくけど、セクハラじゃないからな。マーケティングの延長上の話だ」

 機材を大きな黒いケースにしまう手を止めずに秀一は彩七を流し見た。

「いわゆる美男美女は、社会的に成功しやすいという研究結果がいくつもある。親切にされやすい、営業成績が上がりやすい、収入が高くなりやすい。だから企業だって、まったく同じ能力なら容姿がいい人を選ぶ傾向がある。データとして明確に出ているんだから、俺が採用担当でも間違いなくそうする。会社の利益になるからな」

「容姿って生まれつきなのに、なんだか残酷だね」

「ベースは先天的なものがあるけど、スタイルや所作、服装や清潔感はあとからどうにでもなる。世界一の美男美女には整形したってなれないだろうけど、ある程度までは努力でカバーできるから、残酷って程でもないと俺は思うな」

 秀一はレフ版をコンパクトに畳みながら、「ということで」と彩七を見た。

「自覚しているとおり、彩七は容姿が優れている。この武器を使わない手はない」

 彩七は「あっ」と開いた口に手をあてた。そう話が繋がるのか。

「それに伝統工芸の職人と言われたら、大多数は眉間にしわを寄せた頑固なオジサンかジイサンを思い浮かべるだろ。それが、まだ大学生の若い女性なんだから、目新しさとギャップも狙える」

 極端な表現だと思ったが、確かに彩七の家は父親まで代々男性が窯元を継いでいたし、現在の七宝町の窯主も全員男性だ。

「今の時代、容姿だ若さだ男だ女だと言っていると怒られるかもしれないけど、だからと言ってチャンスを見送る手はないよ。利用してやるってくらいの気概で行かないと」

「秀一くんはそこまで考えてたんだ」

「むしろ、そういうことばっかり考えてる」

 秀一は苦笑した。

「彩七は色々ともったいないよ。もっと自信を持ってほしい」

「秀一くんが甘やかしてくれるから、前より自分のことが好きになってきたよ」

 彩七は胸元に手を当てた。今日もペンダントを服の下につけている。お守りのようになってきた。

 実際、彩七は変わってきたと思う。すぐにうつむく癖があったのだが以前よりも顔を上げている時間が長くなったし、自発的に話せるようにもなってきた。

「よし、上書きが成功し始めてるんだな。彩七なら喜んで甘やかせるよ。なにをしてほしい?」

 冗談めかせて秀一が顔を寄せて来るので、彩七は真っ赤になり、慌てて距離を取った。

「もう充分してもらいましたっ」

「撮影終わった? コーヒーブレイクにする?」

 多佳子がコーヒーとカットフルーツを持って厨房からやってきた。

「もらいます、ありがとうございます!」

 まだ顔を赤らめたまま彩七が背筋を伸ばした。

「あらあら? 私、お邪魔だったかしら」

「いえ、ぜんぜんっ」

「そうですよ多佳子さん、空気読んでください」

 彩七と秀一は同時に正反対のことを言った。間を置いて、多佳子と秀一はクスクスと笑い出す。彩七は拗ねるように眉を跳ね上げた。

 カウンター席に座った秀一が、コーヒーを飲んで吐息する。

「ありがとうございます、多佳子さん。さすがに喉が渇いていました」

「いえいえ、もっと早く持って来たかったんだけど、二人とも集中しているから声をかけられなくて。……こうして並んでいると、ツヤツヤで素敵ねえ」

 多佳子は机のリターンの品を興味深そうに見下ろした。

「七宝は写真にするとどうしても見劣りしやすいので、実際に見て手に取れる店舗を構えようと、クラウドファンディングをしているんです」

 彩七がそう言うと、秀一がその仕組みを簡単に多佳子に説明した。

「へえ。夢がある人には便利な世の中になったものね。この店を出すときにも、そのシステムがあったらよかったのに」

 多佳子は感心している。

「確かに、近所のスーパーにはこういうものは売ってないものね。存在を認知されなければ需要が生まれようがないわね」

「そうです、まずは周知。親に許可がもらえてから彩七に言おうと思ってたんだけど、飲食店に七宝焼の皿を貸し出すって手もあるんだ」

 多佳子に同意してから、秀一は彩七に顔を向けた。

「お皿を貸してどうするの?」

「もちろん、実際に飲食店で使ってもらう。特に高級店なら客も裕福層が多いし、気に入ったらその場で契約、ってこともあり得る。飲食店にとっては高級皿を使用できるし、工芸職人にとっては売り上げに繋がる。ウィンウィンってやつだな」

 そんな方法もあるのかと、彩七は感心する。

「秀一くんのお父さんから、許可が下りなかったのね」

 そう確認したのは多佳子だ。

「はい。クラファンをしていると言ったら、プロジェクトが成功したら考えるって言われてしまって。それじゃ遅いって言ってるのに」

 眉を寄せてコーヒーを飲む秀一の顔には、「融通がきかない頑固親父め」と書いてある。

「残念ねえ、秀一くんのお父さんの店はどこも高級店だけど、代表的なのは銀座にある日本料理店でしょ? 七宝焼にいいお得意さんがつくかもしれないのに」

 秀一は珍しく、目と口をぽかんと開けた間の抜けた表情になった。

「……多佳子さん、知ってたんですか」

「秀一くんのお父さんが箕輪崎コーポレーションの社長だってこと? そりゃあ履歴書を見ればね、箕輪崎って珍しい苗字ですもの。同じ町に社長さんの家があるんだから、気づくわよ」

 彩七は箕輪崎コーポレーションを知らなかったが、話の流れからすると、秀一の父親は大きな企業の社長のようだ。

 今まで秀一に偉そうに話してしまったが、そんな大企業を継ぐとなれば重圧もあり、迷いが生じても仕方がないのかもしれない。彩七は同列に扱ってしまって申し訳なくなる。

「お皿を使うことでお手伝いになるのなら、うちで使いましょうか? ディナーは予約制だから、お皿を出すお客さんをこっちで選べるしね。でも、工芸とイタリアンって合わないかしら?」

 思わぬ提案に、彩七は驚いた。『アルコバレーノ』は基本的には地域密着のリーズナブルなイタリアンだが、全国から客が集まる人気店だ。ほとんどテレビを見ない彩七でさえ顔を知っている有名人が来ることも珍しくない。この店で七宝焼の皿を使ってもらえるなら、こんなに嬉しいことはない。

「そんなことありません! 七宝のワイングラスもあるんです。柄を控えめにした輝き重視のこういうお皿には、涼し気なカルパッチョも合うと思います。ぜひお願いします」

 彩七はスマートフォンの画面を開いて、多佳子に写真をいくつか見せた。

「あらあら、彩七ちゃんたら営業上手になっちゃって。まるで秀一くんみたいな口ぶりよ」

 気づくと彩七は多佳子に密着していた。慌てて身体を離す。秀一はカウンター席で頬杖をつき、長い足を組んでニヤニヤとしていた。

「あの、すみません」

「いえいえ、積極的な彩七ちゃんも素敵よ。そのオッドアイもね」

 多佳子がウインクする。彩七は思わずテンプルがあるはずのこめかみを押さえた。うっかりメガネをかけるのを忘れていた。しかし、慌ててかける気にならなかった。この二人になら、目を晒してもいいかと思えた。

「一応レンタルの条件を確認したいけれど、主人も賛成すると思うわ。きちんと契約書を作ったほうがいいのかしらね。そのあたりがまとまったら、また声をかけてくれる?」

「はい、ありがとうございます!」

 多佳子は軽く手を振って厨房に戻っていった。

「よかったな彩七」

 秀一は移動して、彩七の座るテーブルの隣りの席に腰を下ろした。

「うん。秀一くんも、お父さんに相談してくれてありがとうね」

「いや、そこに関しては役に立ってないよ。あの人ホント、金に細かい」

 前髪をくしゃりと乱暴にかき上げると、気恥ずかし気に視線をそらしてコーヒーを飲んだ。

「俺もそうだけど、彩七は多佳子さんや料理長にもクラファンがスタートしたことを言ってなかったんだな。クラファンって三割くらいは知人友人の支援で成り立ってるって言われてる。きちんと協力を仰いだ方がいいよ」

「なんか、お金をちょうだいって言ってるみたいで言いづらくて。SNSは毎日更新しているんだけど」

 身内に協力を仰ぐように、運営サイトの担当者にも言われた。

 しかしそもそも、彩七は親しい友人がいない。両親には電話で伝えたが、特に反応はなかった。彩七の説明では、あまり内容を理解できなかったのかもしれない。さきほど秀一が多佳子にしていたクラウドファンディングの説明がとてもわかりやすかったので、次からはああ言おうと心のノートに書き留めていた。

「お金をちょうだいでいいんだって。彩七の志しに支援が集まるんだから。SNSは一日一回更新じゃ少ないからな。変化があるたびに更新、伝えたいことあれば更新、世の中で関連する時事ネタがあったらこじつけてでも更新」

「そんなに……」

 プロジェクトをスタートさせたら、もうやることはほとんどないと思っていた。しかし、ただ彩七の努力が足りないだけだったようだ。

「SNSのフォロワーを増やす努力もしないと。身近な俺に頼んでないのは致命的じゃない?」

「秀一くん、SNSやってるの?」

「やってるよ。フォロワーは友達くらいで少ないけど。でも、前に言っただろ、起業しようとしてる知人がいるって。あいつらは彩七を仲間として積極的に拡散してくれるんじゃないかな」

「わたし、起業仲間なのかな」

「彩七は七宝町の作品を集めて、直に見てもらえる場所を作りたいだけかもしれないけど、そこで販売をするんだから立派に起業だよ」

「……そうだよね」

 彩七は唇を引き締めた。

 店舗開店のための資金四百万円を、見知らぬたくさんの人に募る。

 改めて、すごいことをしていると身体がゾクゾクとした。

 夢を叶えて、そして支援してくれた人に期待以上のものを返したい。

 絶対にプロジェクトを成功させたい。

「撮影した画像、クラウドにあげてもらっていい? すぐに帰ってサイトの更新作業をしたい。内容を反映できるか、また運営サイトの審査があるから、少しでも早く申請しなきゃ」

「やる気が出てきたな。彩七の背後にメラメラとした炎が見えるよ」

 秀一は茶化すが、その表情は柔らかい。

「秀一くんのおかげだよ。今日は本当にありがとう」

「どういたしまして」

 秀一の笑顔がくすぐったく感じた。


 マンションに戻った彩七はすぐに父親に電話をした。二つ頼みごとをするためだ。

 一つは『アルコバレーノ』に皿をレンタルする件。もう一つはクラウドファンディングのリターンとして掲載する品の写真をもらうためだ。

 彩七は改めてプロジェクトの内容と思いを父親に伝えた。今度は理解したようで、父親が作成して伝統工芸展で入賞した皿の写真を送ってくれるという。価格は今までリターン品につけていた商品と二桁違うが、秀一は高いほどいいと言っていたので、ちょうどいいのかもしれない。

「彩七の気持ちは良ぉわかった。そこまで意思が固いなら、俺も応援したいと思うわ」

「お父さん……」

 彩七はスマートフォンを握り締める。

 一番学びたいのは父の技術なのだ。もしクラウドファンディングが成功して七宝焼が普及したとしても、父に後継者だと認めてもらえなければ、彩七の理想の結末にはならない。

「でもな」

 父親の声が低くなった。

「でも、なに?」

 すぐに父親から返事がない。

 嫌な予感がして、スマートフォンを握る手に力がこもる。

「今回の件は、神谷さんの耳にも入っとる。気分を害しとるみたいだわ」

 頭に鈍器をぶつけられたような衝撃が走った。それから重しがのったように心臓が鈍く痛み、焦燥感と共に全身に広がっていく。

「どうして? わたしは七宝町の窯元を守ろうとしてるんだよ」

 神谷源道は町内で最高齢の七宝焼職人で、神谷に頭が上がる者は町内にいない。

 町のためとはいえ、確かに彩七は勝手なことを始めてしまったかもしれない。町にお伺いを立てようとは思っていたが、それはプロジェクトの審査が通過してからでいいと考えていた。しかし、慣れない作業に追われて、報告をすっかり忘れてしまった。

 とはいえ、神谷こそ尾張七宝の窯元を守りたいはずではないか。

「又聞きだから、俺も理由はよおわからん。一度こっちに戻って、神谷さんに説明したほうがいいかもしれんな」

「……わかった」

 電話をかけたときとは一変、沈痛な面持ちで通話を切った。

 なぜ神谷は怒っているのだろう。

 サイトの文章を読み直しても、おかしなところも間違いも見当たらない。

「そうだ、お父さんは又聞きだって言ってたっけ」

 伝聞が繰り返されるうち、本来とは違う内容にすり替わってしまったのかもしれない。

 八十三歳の神谷源道が直接プロジェクトのサイトを見たとは考えにくい。神谷が誰かに話を聞いた時点で、情報がねじ曲がっていた可能性もある。

 それでも、クラウドファンディングを始める旨を事前に神谷に知らせなかったのは失敗だったと彩七は反省した。

「でも、結果を出したら喜んでもらえるよね」

 きっかけは、窯元を継ごうとする彩七の意志を父親に拒否をされて、進路が不安定になったことだった。

 そこから、地元の工芸品を広める広報活動と共に、その作品を集めて管理をする役目を担いたいと目的が変わった。そこにはもちろん、自分も職人として活動することも含まれている。

 尾張七宝の認知が上がれば、七宝町のみんなが喜ぶはずだ。

 今はそれを信じて、プロジェクトを進めるしかない。

 既に走り始めているのだから。


 彩七は不安に揺れそうになる胸を押さえつつ、撮影したばかりの写真を使ってサイトを更新し、運営サイトに再申請した。我ながらプロジェクトのページはよくできたと思う。

 翌日に申請は通って、ページをリニューアルした。

 SNSに力を入れ、秀一とその関係者の発信力も借り、今まで以上に反響を得ることができた。

 そしてクラウドファンディングをスタートして一週間が経ったころには、八十万円の支援が集まっていた。三日でほぼゼロだったことを考えると、これは快挙だった。

 運営サイトの担当者に、募集期間は短すぎても長すぎてもよくないと教わった彩七は、期間を四十日に設定していた。

 残り三十三日、目標金額まで三百二十万円。

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