海賊王と麗人海軍~海洋恋愛浪漫譚~ 3章(4/8)
三章 無血の海賊王
朝六時に、ロバート海賊団のガレー船・フォーチュン号の甲板に集合して清掃。約八十人の乗組員を三班に分け、そのうちの一班は備蓄や買いだしなどを行い、見張りのためにそのまま船に泊まる。残りの二班は昼前に解散し、翌朝六時まで自由行動。つまり、三日に一回船付きの当番が回ってくるだけで、午後はほぼ自由だった。
アレクサンドラはロバートの一日の行動を見張ろうと数日ついて回ってみたが、他の乗組員と共に船の雑用をしているか、酒場で飲んで騒いでいるかだった。そして夜には副船長のネイサンや船医などと共に船長室で寝ているようだ。船はどの部屋も出入り自由だが、船長室だけは鍵がかかり、勝手に入ることは許されていない。
アレクサンドラが入団して一週間以上、平穏なルーティンが続いていた。
「海に出てこそ海賊じゃないの? だらだらして、どうやって稼ぐというんだ」
アレクサンドラは地団太を踏んだ。
暇を持て余したアレクサンドラとエドワードは海賊団たちと酒場で飲んで、四階の宿屋の部屋に戻ってきた。海賊たちはうわばみが多く、アレクサンドラは薄めた酒に口をつけて時間をかせぐつもりが、いつもつられて飲み過ぎてしまう。
「海戦行為をしたくてうずうずしているようだな。一端の海賊らしくなってきたじゃないか」
「からかわないでっ」
腕枕でベッドに横になっているエドワードを横目に、アレクサンドラは部屋をうろうろと歩き回っている。
「やることがないなら寝ればいい」
「私はまだ眠たくない。お先にどうぞ」
アレクサンドラは動きをとめた。肩に力が入ってしまう。
「アレックス、寝不足だろ。だからイライラするんだ」
確かにこの島に来てからというもの、アレクサンドラはろくに眠っていなかった。しかしそれを認めたくなくて、アレクサンドラはむきになった。
「イライラなんてしてない」
「そうか」
「あっ」
エドワードが上半身を起こしたかと思うと、アレックスの腕を取って引き寄せた。二人は同じベッドに腰掛けることになる。
「な、なに、なにを……」
「俺がおまえに、なにかすると思っているのか」
アレクサンドラの顔が真っ赤になった。
「そ、そんなこと……っ」
「嫁いで来い」と言ったエドワードの言葉が本心だと知ってから、アレクサンドラはエドワードに対して、どう接すればいいのかわらなくなっていた。こうして二人きりになると、意識しすぎて身体が強張る。以前のように自然体で接することが出来なくなっていた。
正直に言えば、エドワードが少し怖かった。そんな自分に苛立ちもある。いろんな感情が混ざって、混乱している。
「俺を意識して、眠れない?」
アレクサンドラの滑らかな頬を、エドワードの大きな手が包む。その右手には、まだ包帯が巻かれていた。
「ちがっ……」
限界まで頬を赤らめて目を白黒させているアレクサンドラは、上手く言葉を出せずに、ただ口をパクパクとさせた。エドワードの顔が伏せられてその額が肩に触れると、アレクサンドラの緊張はピークに達する。
エドワードの頭がかすかに震えだした。そのうち全身が揺れ始め、「ククク」と笑い声まで聞こえてくる。笑いを堪えていたのだとわかり、アレクサンドラは眉をつり上げた。
「なにがおかしいっ」
「告白をしてからも僅かばかりも意識されずに、俺が胸を痛めていたのと同じ期間、放っておこうと思っていたんだが。痛々しくなってきたから安心させてやる」
アレクサンドラは意味がわからず、固まったまま眉を寄せた。
「はっきりさせておくが、俺はおまえが好きだ。本気で求婚した。だが、その返事は帝国に戻ってからでいい。ここにいる間は、俺たちは男同士だ」
エドワードは冗談めかして笑う。
「だから肩の力を抜けよ」
女性らしい細い肩をエドワードの手がすっぽりと包む。そのまま緊張を解すように指を動かすと、アレクサンドラの身体から力が抜けていった。
「……ありがとう、エド」
アレクサンドラは安堵の息を漏らした。低く通るエドワードの声も耳に心地よかった。
「今夜は眠れそうか? 子守唄でも歌ってやろうか」
「すぐにからかうんだから」
アレクサンドラは、エドワードの膝を叩いた。
「ごめん。女性らしい扱いをされ慣れていなくて、頭がぐちゃぐちゃになっていた」
「気づいていなかっただけだと思うが」
「なに?」
「いや」
エドワードは立ち上がって、アレクサンドラの膝裏と背中に腕を回して抱き上げた。
「わっ、エドッ!」
「暴れるな、手の傷が痛む」
アレクサンドラはハッとして大人しくなった。
「素直なやつだ」
エドワードは喉の奥で笑う。
エドワードはアレクサンドラをもう一つのベッドに降ろして靴を脱がせた。優しく足を扱われ、アレクサンドラはドキリとする。
「おまえが望むなら、いくらでもお姫様扱いをしてやるのに」
端正な顔だちと相まって、黙っていると人を寄せ付けない雰囲気を纏うエドワードの鋭い眼光が、アレクサンドラを見つめる時にだけは柔らかい。
「ともあれ、この街にいる間はおまえになにもしないと誓う。安心して眠れ。おやすみ」
「お、おやすみなさい」
去り際、エドワードはアレクサンドラの額に口づけた。
「だからそれまでは、頼むから誰のものにもなってくれるな」
エドワードが耳元で囁いた。その声が苦しそうで、驚いて顔を向けるも、エドワードはすぐに背を向けて表情が見えなかった。隣のベッドに移動し、蝋燭が消えて部屋が暗くなる。
どういうことだろうか。意味がわからない。
アレクサンドラはそっと額に触れた。
エドワードの柔らかい唇の感触と温かさが残っていた。
「船尾楼に集合。繰り返す。船尾楼に集合」
ネイサンがメガホンを使って、中心線に沿った歩道を歩きながら船員たちを呼んだ。ガレー船は櫂漕ぎ座が並んでいるため、その上に、両舷側と中央に歩道が渡されている。
船の清掃終了時のいつもの呼びかけだった。アレクサンドラたちは甲板磨きに使っていた手の平より大きい石を片付けてから船尾楼に向かった。清掃が終わると一言ロバートから言葉があって、見張り当番の班以外は解散となる。
しかし、この日は違った。
海風に派手な深紅のジュストコールをはためかせ、トライコーンを被り、一段高い船尾楼の甲板に立つロバートは宣言する。
「本日、午後二時に出航する。準備を整えて二時までに戻るように」
海賊たちから「待ってたぜ!」「お宝だあ!」と歓声が上がった。
アレクサンドラとエドワードは目を合わせて表情を引き締めた。
航海が始まった。
「新人がいるから肩慣らしに漕いどけ。砂時計で二回分、オレが合図をしたら次の班と交代だ。今はほぼ順風だから力まなくていい。ただし、太鼓の音にしっかり合わせろよ」
ロバートが通路から櫂漕ぎをする船員に声をかけた。三人でひとつの櫂を担当するため、横並びの木の椅子は三人掛けだ。
因みに、子供のピエールは、力自慢のブッチャーと二人で組んでいる。ブッチャーが一人で漕いでいるようなものだ。
「変わった船だよね」
アレクサンドラは船を見回しながら隣りのエドワードに話しかけた。交代制なので、櫂漕ぎから解放された休憩時間に甲板で寛いでいた。
この船は一見ガレー船なのだが、かなり改造されている。舵は操舵輪になっており、大砲は三十門も搭載されている。本来は船首船尾に四門ずつ設置されているくらいのものなので異色だといっていい。軍艦に近いガレオン船と掛け合わせたような船だった。
「明確な目的地があるようだ。どこに向かっているんだろう」
難なく推進しているようだが、先ほどからネイサンが舵とマストを微調整し続けている。揺れが少ないのも風や波を読んでいる証拠だ。操舵を担当するネイサンの腕は相当なものだとアレクサンドラは思った。
「今回の航海は、三週間以内に戻れる予定だとキャプテン・ロバートは言っていた」
エドワードは船縁に寄りかかって腕を組んだ。バンダナを巻き、シャツの袖を肩までたくし上げている。直射日光が厳しいので、アレクサンドラを含め、殆どの者がバンダナか帽子を被っていた。
「海上で発見した船をランダムに襲うのだとしたら、そんな予定は立てられないよね」
「かといって、港を襲うことはないらしい」
「不思議だね」
「ああ」
二人の思考が迷子になり始めた時、ピエールがやってきた。
「下の甲板に行かないの? そこにいると暑いでしょ」
アレクサンドラはピエールに視線を落とした。少年はアレクサンドラの胸くらいの身長だ。
「キャプテン・ロバートがどこに向かうつもりか知ってる?」
「目的地? ……さあ」
ピエールは首を傾げた。アレクサンドラはさほど期待をせずに尋ねたのだが、やはり知らないようだ。
「だけどキャプテンは、よく鷹とか鷲とかに例えられているよ」
「なぜ?」
「狙った獲物は逃さない、って」
猛禽類は数キロメートル先の獲物を見つけ、二百キロメートル以上の速度で急降下して捕える空のハンターだ。
「彼は既に、獲物の姿を捕えているのか」
アレクサンドラはつぶやいた。
船長室のある船尾楼に目を向ける。ロバートがなにをしているのか気になるが、船長室は立ち入り禁止だ。目立つ行動は控えるべきだろう。
「次の櫂漕ぎの順番が来るまで、少し下で休もうか」
エドワードに促され、アレクサンドラたちは昇降口の梯子を使って下の甲板に降りた。眩しい光に目が慣れていたせいで、しばらく部屋の様子が見えづらかった。
日が当たらず風通しも良くない階層は、湿った空気で淀んでいた。それでも日光を浴び続け、熱く火照った身体には心地よかった。
「……ん?」
目が慣れてきたアレクサンドラは、数人の男たちと談笑していたクリスと目が合ったのだが、睨まれていた……ような気がした。
「嫌われるようなことをしたかな」
思い返してみたが、一度もクリスと話したことがなかった。
「どうした?」
「なんでもない。そういえばクリスが櫂を漕いでいるのを見たことがない。たまたまかな」
「だってクリス、漕いでないもん」
何気なく口にした言葉に、ピエールから意外な答えが返された。
「クリスの当番のときは、友達に代わってもらってるんだ。ブッチャーさんはなんて言ってたかな。あっそうそう、取り巻きだ」
ピエールは思い出した拍子に手を打った。
思い返せばクリスは、いつも連れている仲間たちに食事を用意させ、荷物を運ばせて、外では日傘を持たせていた。今もクリスだけクッション性の高そうな布を敷いて座っており、姫と従者、という図式に見えなくもない。
「なるほど」
エドワードは納得顔だ。
「だからクリスは日に焼けていないのか。それが嫌なら、どうして海賊になったんだろうね」
アレクサンドラは小声で言った。クリスから離れているので、こちらの会話は本人に聞こえないだろうが、どうしてもコソコソ話になってしまう。噂話をするのは気が引けるが、好奇心が勝った。
「そりゃ、キャプテンが大好きだからだよ。僕もみんなもキャプテンが好きだけど、なんかクリスってすごいんだよね。どう違うのか上手く言えないけど、とにかくすごいんだよ」
ピエールの言葉に、初めてクリスを見た時の表情や甘い声を思い出した。
「うん、大体わかった」
アレクサンドラは少々頬を染めて、困ったように短いブルネットの髪をかき上げた。
――それから十日後。よく晴れた昼下がりだった。
アレクサンドラが櫂を漕いでいると、マストの上の見張り台から船員が降りてきた。船内がざわめき始める。
「戦闘配置につけ! 砲手急げ。砲弾用意、薬包作って来い!」
ロバートが鋭く指示をする。五十メートル近くあるガレー船の、端から端まで届きそうな迫力のある声だった。普段の陽気な雰囲気は微塵もない。
アレクサンドラは海を見回すが、特に変化はなかった。ターゲットの船はまだ肉眼では見えないようだ。
「旗を掲げろ!」
マストよりも更に高い位置、帆柱の天辺に海賊旗があがった。赤地に白い髑髏、左の眼窩には眼帯をし、髑髏の後ろでカトラスがクロスしている。
「これがロバートの、ジョリー・ロジャー」
見る者を震え上がらせる、赤い死神の海賊旗。
「帆を降ろせ。櫂でいくぞ!」
相手の船が見えてきた。
ガレオン船と、護衛らしき帆船が二隻。
「あれは……!」
アレクサンドラは、思わず立ち上がった。
ガレオン船の掲げる旗は、国獣である獅子と碇を組み合わせた、ドミール帝国海軍の旗だったのだ。アレクサンドラとエドワードの古巣だ。
「エド」
「わかっている。アレックス、座れ」
「だけどっ」
「どうしたアレックス」
頭上の歩道から、ロバートが見下ろしている。逆光のロバートの片目だけが、鋭い光を放って見えた。
「い、いえ。初めての海戦なので、興奮して」
アレクサンドラは腰を下ろした。
「しっかり漕げよ。チームワークが大事なんだ」
口角をあげるロバートの碧眼は揶揄の光をはらんでいた。
「なぜ、よりにもよって」
「落ち着け。どうにもならない」
震えるアレクサンドラの膝を、エドワードは励ますように擦った。
わかっていても、同僚を襲う手助けをしていると思うだけで胸が苦しくなる。このまま、仲間を見殺しにしなければいけないのか。回避する手はないのか。
「装弾」
「えっ」
船首から聞こえてきたロバートの声に、アレクサンドラは顔を上げた。まだ帝国の船と、二キロは離れている。
「まさか、届くはずがない」
腹に刺さりそうな砲撃の轟音が響いた。
弾はドミール帝国のガレオン船に向かって飛んでいく。
メインマストの帆柱に命中し、柱は真っ二つに割れて、砕けた破片が飛び散り、マストが甲板に広がった。音は遅れて聞こえてきた。小石よりも小さく見える水夫たちが走りまわっているのが、この距離でもわかる。
「的中させたのか。そんなことって」
アレクサンドラは瞠目し、時が止まったかのように固まった。
撃ったのはロバートだ。波に揺れる船体から、有効射程距離よりも遥かに離れた距離だったのにもかかわらず、命中させた。
呆然としていると、再び轟音が響く。音と共に砲身が下がり、発砲炎と煙があがった。そして、遠くのガレオン船のフォアマストの帆柱が折れて倒れる。
「やった、当たった! ロバート、褒めて褒めて!」
甲高い声を上げたのはクリスだ。
「よくやった」
「ご褒美は?」
「後でな」
ロバートは意味深な笑顔をクリスに向けた。クリスは更にやる気をみなぎらせる。
「よし。もっと頑張っていっぱいご褒美もらおうっと」
はしゃいでいるクリスの姿に、アレクサンドラは開いた口が塞がらなくなった。
「クリスまで……」
そしてミズンマストの帆柱をロバートが倒したところで、帝国側も砲撃準備ができたようだ。撃ってはくるが、ガレー船に届かない。届いていたとしても方向が定まっていないため当たらなかっただろう。
それはネイサンが、相手にとって不利な位置にガレー船を配置しているからだ。ガレオン船の広い船腹に、ガレー船の舳先が向いている。つまり帝国側の方が、的が小さいのだ。
双方の性能と力量の差は明らかだった。
「よし、そろそろ土手っ腹にもいっとけ、船尾楼側のみな」
穴を空けられたガレオン船は傾き始め、帝国海軍たちは撃ち方をやめて、船から脱出し始めた。二隻の帆船は攻撃してこなかった。ガレオン船の乗組員を救助して引き上げるつもりなのだろう。
「初めから、帆柱を狙ってたんだ。狙って当たるものではないのに」
当然、通常は舷側を狙って打つ。命中率が高いからだ。
「なぜそんなことを……」
「血を流したくないからだろ」
大きな影が落ちたかと思うと、地面を這うような低い声がアレクサンドラの問いに答えた。
「ブ、ブッチャーさん!」
アレクサンドラの四倍はありそうな巨漢のブッチャーが近くに立っていた。スキンヘッドにバンダナを巻き、鍛え抜かれた筋肉を見せつけるように常に上半身は裸だ。
「逃げていくぞ!」
「俺たちの勝ちだ!」
海賊たちは勝鬨をあげた。
「帆柱を狙って推進力を奪い、ゆっくり沈没させて逃げる時間を与えている。俺たちが欲しいのは、お宝だけだからな。あの船の沈没が安定したら金目のものを取りに行って、港に戻るんだ」
血を流さない。
人に危害を加えない。
「無血の、海賊王」
ブッチャーの言葉が正しいのなら、そんな呼び名こそふさわしいと、アレクサンドラは思った。
「こんなの詐欺だ」
アレクサンドラは顔をゆがめた。
噂と正反対ではないか。もし毎回のように帝国海軍がこんな敗北をしていたとしたら、名誉を保つためにロバート海賊団を極悪非道とした噂を流しているに違いない。
アレクサンドドラは混乱し、激しく打つ鼓動を押さえるように胸に手を当てた。
「新入り、緊張したか?」
「ロバート……キャプテン」
頭上の通路に、ロバートは輝く太陽を背にして立っていた。アレクサンドラは眩しくて目を細める。
「ゆっくり休めよ」
ニッと笑って、深紅のジュストコールを翻して去って行った。
「櫂も漕がずにぼうっとして、この役立たず!」
クリスの悪態が降ってきた。
「なっ……」
「ロバート、待ってぇ」
アレクサンドラが言い返す前にクリスは走り去った。
「やっぱり嫌われてる」
アレクサンドラは確信した。
「ブッチャーさん発見! アレックスと話してたの?」
黒い粉をかぶったように汚れたピエールがやってきた。
「どうしたの、その姿は?」
「僕は火薬運搬係だもん。頑張ったでしょ?」
ピエールはブッチャーを見上げた。
「大分、手際がよくなったな」
「えへへ。一緒に休憩しよう」
ピエールはブッチャーの肩に乗せられて、ご機嫌で去って行った。
「ピエールさえ働いていたのに、私は……」
「俺たちは櫂を任されていたじゃないか」
「クリスの言うとおり、私は見ていただけで、手を動かしていなかったよ」
アレクサンドラに、なんとも言えない虚脱感が押し寄せた。
帝国海軍を襲ってしまったこと。
諜報員として所属しているだけだとはいえ、この船でなにも貢献もできなかったこと。
人非人だと思っていたロバートのイメージが、完全に崩れたこと。
「私は……」
アレクサンドラの任務は、ロバート海賊団のアジトを突き止めるか、ロバートの命を奪うかだ。
アジトを押さえてロバートを連行すれば、悪名高いロバートは間違いなく公開処刑になるだろう。
どちらにしてもロバートの命はない。
そうなれば、ロバートが立て直したというあの港町はどうなるのだろう。ロバートには一目置いているらしい有象無象の海賊たちも、また無秩序に暴れ出すに違いない。
海賊は悪だ。
船を沈めて財産を奪うのは、犯してはならない大きな犯罪だ。
しかしロバートを失うことで、もっと大きな災いが起こることは目に見えている。
「私は、どうしたらいいのだろう」
アレクサンドラはわからなくなった。
復路は毎日宴会だった。船の中では逃げ場がなく、アレクサンドラも大いに飲まされた。
ものすごい勢いで酒樽が空になっていったが、それだけ飲んでいても、しけでマスト調節や櫂漕ぎが必要になると、海賊たちは統率のとれた機敏な働きをした。敵ながらあっぱれだとアレクサンドラは舌を巻くしかない。
「また、飲みすぎてしまった……」
アレクサンドラは、火照った頬に手を当てた。
判断力が鈍らない量はワイン二杯まで。蒸留酒には手を出さない。そうルールを決めていても、昼間から飲んだくれている連中を相手にしていては、どうしても決めた酒量を超えてしまう。アレクサンドラは度々、物陰に隠れてやりすごしていた。
「ちょっと外に出て、酔いを醒ましてくるよ」
「俺も行く」
「いい。エドは身体が大きいから、一緒にいるとすぐに見つかって宴会に連れ戻される」
アレクサンドラはエドワードと別れて表に出た。すっかり日は落ちて、無数の星が空に散らばり、まるで宝石のように輝いていた。
「早く消灯時間にならないかな」
八時消灯で、以降は表の甲板以外で飲めなくなるのが救いだった。あとは船内でハンモックに揺られながら朝を待てばいい。好きな海上にいながら、陸が恋しくなるとは思わなかった。
アレクサンドラがのんびりと潮風に当たっていると、昇降口から金髪の男が出てくるのが見えた。
「ロバート」
驚いたアレクサンドラは、物陰からロバートに注視した。珍しく一人でいるロバートは、スルスルと縄梯子を登っていく。帆柱の先にある見張り台にたどり着くと、そこにいたらしい男が代りに下りてくる。見張り番を交代したようだ。
「チャンスだ」
ロバートには必ず誰かが傍にいた。話しかけることはできても、探りを入れられるような隙はなかった。
アレクサンドラは慌てて宴会場に戻り、近くにあった酒瓶とコップを適当に鞄に入れて担ぐと、見張り台に向かった。
見張り台は二十メートルほどの高さにあり、万が一落ちれば死に至ることもある。飲酒していることもあり、アレクサンドラは慎重に縄梯子を登った。
「キャプテン、一緒に飲みませんか」
見張り台に到着すると、ロバートは片膝を立てて、手摺りに背中を預けて座っていた。帆柱を中心にした円形の足場は、大人が四人もいれば窮屈になるくらいの面積だ。
ロバートは昼間とは違い、トライコーンもバンダナも外しているので、金髪が月明りを反射して輝いていた。二重のはっきりとした碧眼は、いつ見ても吸い込まれそうになる。身長もエドワードとほとんど変わらず長身で、百八十センチ半ばくらいだろう。
ロバートは夜には眼帯をしていない。本人に尋ねると、眼帯をするのは片目が悪いのではなく、明るい甲板から暗い船倉に降りる時に、眼帯を逆につければすぐに順応できるからだそうだ。
ロバートは視線だけアレクサンドラに向けた。
「いいぜ。来ると思っていたよ、アレックス」
「え?」
見張り台の床に胡座をかき、鞄から酒瓶を取り出していたアレクサンドラの手が止まった。
「オレに話があるんだろ」
日々のアレクサンドラの視線に気づいていたのだろうか。もしかすると、アレクサンドラが追いかけてくるのを見越して、一人で見張り台に登ってきたのかもしれない。だとしたら、ロバートがアレクサンドラと二人きりになるメリットがあるのだろうか。
様々なことが頭を巡るが、不敵に笑うロバートの碧眼からは考えが読めなかった。アレクサンドラの緊張感が増す。
「まあ飲もうや。注いでくれよ」
「は、はい」
慌ててコップに酒を注いだ。蝋燭の入ったカンテラが柱にかかっているが、暗くてどれくらい酒が入ったのか見えなかった。
「力を抜けって、仲間だろ。ほら、乾杯」
杯をかさね、景気づけにと一気に飲み干そうとしたアレクサンドラは途中でむせてしまった。喉が焼けるように熱い。適当に持ってきた酒は、もう飲まないと決めていたラム酒だった。
「弱いくせに粋がるな。大丈夫か」
「ワインかと思って……」
「いくら暗いからって匂いでわかるだろうが」
ごもっとも。
「気持ちが悪い……」
アレクサンドラはコップを置いて、口元を押さえた。
「おいおい、酔いが醒めてからじゃねえと降りられないぞ。おまえ、なにしに来たんだよ」
まったくだ。せっかくの機会なのに話せないままロバートが去ってしまっては、後悔してもしきれない。
「キャプテン、降りないでいてください。すぐに醒めます」
アレクサンドラはジュストコールの端を掴んでロバートに頼んだ。
「心配しなくても置いていかねえよ。膝を貸してやるから、横になれ」
「……え」
今、膝を貸すと聞こえたが。
「ほら、頭をのせろって。顎をあげてゆっくり深呼吸だ」
ロバートに導かれるまま、アレクサンドラは横たわった。喉の気道が開いて呼吸がしやすくなる。無防備に急所の喉を晒すことに戸惑いはあったが、恐怖心はなかった。ロバートに危害を加えられるとは思えなかった。酔って判断が鈍っているだけなのだろうか。
深く呼吸していると、一時的に不快な浮遊感に襲われたが、それも徐々に治まっていった。熱くなった身体は夜の潮風が冷ましてくれる。
「だいぶ落ち着きました。ありがとうございます」
「そうか、よかったな」
無意識のうちに強く閉じていた瞼を開くと、優しい笑みを浮かべたロバートと目が合い、アレクサンドラはドキリとした。
「しばらくそのままでいるといい」
ロバートはアレクサンドラの肩に片手を置いて、もう片方の手でコップを持ち、立てた膝で肘を支えながら杯を煽った。
夜空を眺めるロバートの横顔を見ながら、アレクサンドラは不思議な気持ちになった。この近海一の海賊王であることに間違いはないのに、野心や欲のような覇気が全く感じられない。凪いだ海のように穏やかで、昼間の太陽のように温かかった。
「キャプテンは、なぜ海賊になったんですか」
ロバートの視線が下りてきた。
「おまえは?」
聞き返されて、アレクサンドラは答えに窮する。まさか諜報活動のためとは言えない。
「手っ取り早く稼げると思って」
「……まあ、オレもそんなもんだ」
興味を失ったようにロバートは再び夜空に視線を戻してしまった。
しまった、とアレクサンドラは臍を噬んだ。縮まりつつあった距離が一気に遠くなった気がする。自分から心を開かないと、相手だって応えようがないだろう。
「それだけじゃありません。私はこの目で見た、自作の海図を完成させるのが夢なんです」
数人にしか言っていない夢を打ち明けてしまった。エドワードにさえ本気にしてもらえない夢。自分でも本気で完成できるとは信じ切れていない夢。
「へえ、面白いことを言うじゃないか」
ロバートが興味を持ったように顔ごとアレクサンドラに向けた。
「笑わないんですか?」
アレクサンドラは碧眼を見つめたまま何度か瞬きをした。
無理だ、不可能だ。それ以外の言葉を言われたのは初めてだった。
「まさか。オレは世界中すべてを巡るつもりだからな」
「世界中すべて。そんなことが……」
「できるさ。オレは何者にも束縛されない、自由な海賊だから」
ロバートは冗談を言っている顏ではなかった。アレクサンドラは興奮して上半身を起こした。
「たとえ女性でも、海図を完成できると思いますか?」
思わず質問してしまった。あからさますぎたか。しかし、どうしてもロバートに聞きたかった。こんなことで自分が女性だと気づくことはないだろう。
「空を飛べと言っているわけじゃねえんだ。信念さえあればどうにでもなるだろ」
ロバートはラムをひと口飲んで、遠くの水平線に視線を投げた。空と海が墨色で一体化しているが、一部の水面に月光が揺れている。
「なぜこんなに海賊がいると思う?」
アレクサンドラは考えたことがなかった。帝国には海軍はあっても海賊はいない。
「儲かるからですか」
「違う。これしか生業がないからだ。飢えないために始めた奴が殆どだよ。つまり、豊かになれば減っていく。すると海は安全になって、もっと少人数で航海できるようになる。当り前のように誰でも航海できる時代が来る」
「女性でも?」
「女、子供、老人、誰でもだ」
息が止まるかのようだった。
「そんな夢のようなことが……」
「そんな遠い未来じゃねえよ」
ロバートはなんてことのないような口調だ。
その様子を見ていて、疑問だった謎がひとつ解けた気がした。
「キャプテンはそのために、ジャスターク国を立て直したんですね」
「まあな。俺が海賊をやっているのは、とある事情で資金集めの目的もあるが、囲いのない海が好きなんだ。世の中に海賊が必要なくなれば、冒険家として海を渡っていくつもりだ。肩書なんてなんでもいい、やることはそう変わらない」
同じだ。価値観も、アレクサンドラが夢見てきたこととも。
今しがたロバートが「世界中すべてを巡るつもりだ」と言ったとき、アレクサンドラは「無理だ」と思った。
航海をするには大人数が必要だ。船の性能だけではなく、海の治安が悪いからだ。金稼ぎならともかく、世界を旅するという目的のために人が集まるとは思えない。
だがロバートは目的のための手段を考えて、既に実行に移していた。私財を投じてまでジャスターク国を立て直したのは、海賊の集まる国を豊かにすることで、ゆくゆくは海賊という生業をなくそうとしていたのだ。なんと大それた計画なのだろう。
それに比べて、自分はなんだ。
女は軍人に向かない、航海できないと言われ、うじうじと悩んでいただけだった。
何日も同じ船で過ごしてきたロバートが眩しく見えた。何度か感じていた感覚だったが、なにかを超越した次元の違う人物のようにさえ見える。
ロバートの傍にいれば、常に新しい刺激を与えられる、感じられると思える。
新しい世界に出会える。
もっとこの人の話を聞いていたい。役に立ちたい。
――傍にいたい。
そんな思いが溢れてとまらなくなった。
「あなたの航海に、ずっとついていかせてください」
そんな言葉が出かかり、アレクサンドラはなんとか飲み込んだ。
ロバートは敵だ。
私は軍人で、海賊を討ちに来たんだ。「悪い奴ほど、そう見えない」とエドも言っていたじゃないか。第一、どこまでが本心かなんてわかったものじゃない――。
ロバートを食い入るように見つめながら、アレクサンドラは自分に言い聞かせた。しかし、呪文のように繰り返す言葉を頭が否定する。
自分で見たものを信じろと叫んでいる。
「どうしたんだ、そんなに瞳を潤ませて。オレに惚れたか」
揶揄するように笑うロバートに軽く肩を叩かれて、アレクサンドラは我に返った。感情が高ぶり涙腺が緩んでしまったようだ。慌てて手の甲で目元をぬぐう。
「こうして見ると女にも見えるな。顔だちといい、体のラインといい……」
肩に置かれたロバートの手が、スッと腕に沿って下りてくる。アレクサンドラはヒヤリとして慌てて距離をとった。
「それを言うなら、クリスなんて女性にしか見えないじゃないか」
「違いねえ。あいつは性別を越えた、クリスって生き物だからな」
ロバートは笑ってラムを煽った。
クリスの名前を出したことで、気になる単語を思い出した。
「クリスの言ってた“ご褒美”ってなに?」
「ああ、帆柱を倒した時の。気になるのか」
アレクサンドラはほのかに頬を染めながら頷いた。
クリスのロバートへの好意はあからさまだ。しかしロバートは男でクリスも男。普段は恋愛ごとに関心のないアレクサンドラだったが、クリスがなにをねだっているのか興味があった。
「ふうん。じゃあ」
ロバートにちょいちょいと指先で誘われ、アレクサンドラは近づいた。ロバートはアレクサンドラの耳に唇を寄せる。
「おまえにも、“ご褒美”をしてやろうか?」
囁きが耳朶をくすぐった。息混じりのその声があまりに官能的だったので、アルコールとは別の熱が全身を走った。
「えっ……」
アレクサドラは混乱して言葉が出ない。
「俺も混ざりますよ、キャプテン」
地を這うような低い声にアレクサンドラが振り返ると、眉をつり上げて明らかに不機嫌なエドワードが見張り台に上がってきた。
「保護者の登場か。アレックスがようやく砕けてきたところだ。おまえも“です、ます”なんて使わなくていいぞ」
そういえば丁寧語を使っていなかったと、アレクサンドラは口元を押さえた。
「それは、どうも」
エドワードは早速アレクサンドラを引きよせた。
「エドは酒を持ってこなかったのか」
「俺はアレックスを呼びに来ただけだ」
消灯時間が過ぎ、飲み足りない者たちが外の甲板に出てきていた。
「下りられるのか? そいつ、さっき酔って倒れたばかりだぞ」
ロバートの指摘に、「うっかりラム酒を飲んで、介抱してもらっていた」とアレクサンドラが白状すると、エドワードは盛大な溜息をついた。
「こいつを抱えて下りるくらい、なんてことはない」
「なに言ってるんだ、危ないよエド。もう大丈夫だと思うけど、念のためもう少し休んでから一人で下りるよ」
「だめだ、今すぐ降りろ」
エドワードの目がとがっている。アレクサンドラはなにも言えなくなった。
「……そこまで言うなら、わかったよ」
二人のやりとりを見ながら酒を煽り、ロバートは揶揄するように笑う。
「保護者というよりも恋人だな。おまえら、できてんの?」
「そんなわけあるか。私たちは男同士なんだぞ」
からかわれているとわかっていても、アレクサンドラは全力で否定した。
「そう見えるのなら、そうなのかもな。俺のアレックスに手を出すなよ」
エドワードはしれっと答え、降りようと縄梯子に足をかける。なんてことを言うんだと、アレクサンドラは真っ赤になった。
「おまえにアレックスを満足させられるのかな」
「なんだと」
ロバートの言葉に、エドワードは足を止めた。
「エドでは器が足りないと言っている」
ロバートの強い眼光は、明らかな挑発を孕んでいた。
「きさま、なにを……」
「醒めた! 酔いは完全に醒めた。すぐ降りたい! 早く先に進んでよエド」
アレクサンドラは一触即発の空気を慌てて拡散した。不敵な笑みを浮かべているロバートを困ったように睨んでから、アレクサンドラも縄梯子を降りた。なぜわざわざエドワードを怒らせるようなことを言うのだ、このキャプテンは。
「おまえたちはなんの話をしていたんだ」
エドワードが声を荒げる。
甲板に降りるとアレクサンドラはすぐに物陰に連れ込まれた。エドワードに両肩を掴まれる。
「特にロバートの出生やアジトに関わることは聞けなかったよ」
「そうじゃない。おまえたち自身のことだ」
器がどうのという話に怒り心頭なのだろう。
「そんなに怒らないでよ。ロバートにからかわれただけだよ。私たちがいつも一緒にいるから」
「それだけではないだろう」
普段は冷めた表情をしているエドワードが、苦しそうに眉根を寄せている。
「おまえ、あいつに惚れてないだろうな」
「あいつって、ロバートのこと? まさか」
アレクサンドラは首を振って否定した。
「もう任務なんてどうでもいい。おまえを連れて今すぐに帰りたい」
エドワードはきつくアレクサンドラを抱きしめた。
「エド、人に見られる」
「構わない」
さきほどのロバートの言葉がよほど堪えているとみえる。アレクサンドラはエドワードの背中を軽く叩いた。
「エドらしくないよ。それに今日も相当飲んで酔ってるでしょ。もう寝よう」
アレクサンドラはエドワードを促しながら考える。
私がロバートに惚れるなんて、そんなばかな。
笑おうとして、ロバートの傍で役に立ちたいと考えたことを思い出した。
ロバートは平和な世を望み、いずれ世界を巡るだろうことが、アレクサンドラの胸に深く刻まれた。
港に戻ると戦利品の分配が始まった。分配を仕切るのは副船長のネイサンだ。船から降ろした貨幣、宝石、絹織物などを一か所に集めて、囲うように全員が車座になっている。
アレクサンドラが驚いたのが配分の割合で、船長と、航海士を兼ねる副船長が三倍と破格なのだ。砲術長や甲板長、船医は一・五倍で、こちらは順当だと思われた。
「配当の不満はでないの?」
アレクサンドラは隣にいる巨漢のブッチャーに尋ねてみた。
甲板長のブッチャーは初期メンバーではないが、ロバート海賊団に三年所属する古参で、様々な海賊団にいたことから知識も豊富だった。厳つい容姿なので一見とっつきにくいが、親切で話しやすい人柄だ。
「それはねえな。海に出たからと言って、必ず獲物が見つかるとは限らねえ。ひもじい思いで三カ月航海して収穫ゼロってこともある。海戦で負けるときもあれば、勝っても戦利品が殆どないことだってある。だが俺が知る限りロバートは、航海をすれば必ず無傷で、大量のお宝を持ち帰る。こんなありがたい船にいて、文句を言うやつがいるわけねえよ」
「俺たちが来た日に欠員を補充していたが、なぜそんなありがたい船から降りる奴がいるんだ」
そう尋ねたのはエドワードだ。
「独立して海賊団を結成するやつもいる。が、だいたい、これだろ」
ブッチャーは指で女性のサインを出した。
「船にゃ女を連れ込めねえからな。ある程度金が貯まったら足を洗って堅気になるやつが多いのよ。生きるために仕方がなく海賊になった奴らばかりだからな。海は生もの、いくらロバートの船だからって、嵐に巻き込まれて座礁するかもしれねえし、命の保証はどこにもねえのさ」
――なぜ、こんなに海賊がいると思う? これしか生業がないからだ。飢えないために始めた奴が殆どだよ。つまり、豊かになれば減っていく。
アレクサンドラは、ロバートの言葉を思い出した。
「ブッチャーさんは結婚しても海賊をやめないけどね」
ピエールがブッチャーの膝の間に入り、会話に参加してきた。
アレクサンドラは少し驚いた。海賊たちは独身だと勝手なイメージがあったのだ。
「ロバートの船は居心地がいいからな。それにかなり自由がきくし、商売として割りもいい。以前はこういう陶磁器や香辛料は、別の国に行って売りさばく手間があった」
ブッチャーは配当として配られた陶磁器に手を置いた。
「だがロバートのおかげで街が賑わって、貿易商の方からこの港にやってくる。俺たちゃ配当を持って、換金すればいいだけさ」
ブッチャーの視線の先には、分配が終わるのを待っている様子の商人たちがいた。少しでもいい品を得ようと、わざわざ船着き場にまで集まって来ているのだ。
「今回の船は武器の輸送をしていたみたいだね。沈んで引き上げられなかったものもあるから、これでも少ない方なんだよ」
そう言ったのはピエールだ。
「商船の方が割りはいいが、ロバートは軍艦を狙うことが多い。まあ、今回の報酬だって地道に稼ごうと思えば一年以上かかる」
アレクサンドラは、ブッチャーの言葉が引っかかった。
「なぜわざわざ、実りが少なく危険な軍艦を狙うのだろうか。商船を襲う方が簡単だろう」
「さあ、聞いたことねえよ。ロバートにもこだわりがあるんだろ。……さて行くか」
分配が終わり、海賊たちは戦利品を手にそれぞれの目的地に向かった。ロバートが戦利品をどこに運ぶのか注目していたのだが、ネイサンや船医と共にフォーチュン号の船長室に戻った。そして身軽になると酒場に向かうのだった。航海から戻ればアジトに足を運ぶだろうと踏んでいたアレクサンドラたちの思惑は外れた。
こうしてまた三班に分かれて、ローテーションで当番をする日々が始まった。
「こんな便利な港町があるんだ。よく考えたら、ここ以外の拠点なんてないんじゃないかな」
宿屋に戻ったアレクサンドラは、ベッドに腰掛けて嘆いた。アジトは見つかりそうもない。
「そうかもしれないな」
エドワードも向かいのベッドに腰を下ろして長い脚を組んだ。
「だとしたら、やることはひとつだ」
エドワードの言葉にアレクサンドラは動きを止め、ゆっくりと顔を上げた。
「エド、ロバートのことをどう思う?」
「どう、とはなんだ」
「罰せられるような人物かどうか」
沈黙が下りた。二人は姿勢を正し、軍人の顔つきになっている。
「少なくても私は、暗殺をしていい人物だとは思えない」
「ならば我々は捕まえるまでにして、そのあとは本国にゆだねればいい。ロバートは海賊だ。罪人だ。法の下に裁かねばならん」
「多くの人々の暮らしを豊かにした」
「酌量の材料になるかもしれんが、それも罪を犯した上でのことだ。ルール違反だ。少なくても俺やおまえが判断することではない」
アレクサンドラは立ち上がった。興奮していたが、声を抑える理性は残っている。
「彼は人を殺めてはいない」
「そうとは言い切れまい。私財を根こそぎ奪われた商人、責任を取らされ処分された軍人。職や財産を奪われ、死の遠因になっている可能性は否定できない」
アレクサンドラは冷静なエドワードの表情を見つめ、息を整えて、再びベッドに座った。
ロバートの陽気な笑顔やロバートを慕う仲間たちを思い浮かべて、ブルネットの髪に手を差し入れて強く掴んだ。
「……俺がやろうか」
「やめてっ」
アレクサンドラは鋭く拒否した。
「では、一度本国に戻って報告するか。十分な成果だ、海軍卿だって納得するさ。そして作戦を立て、適切な者をまた寄越せばいい」
「そして私たちはお役御免か」
帝国に戻り、そして自分はエドワードと結婚するのだろうか。
ならばきっと、二度と航海に出ることはない。海図は空白のまま。しかし、波風のない穏やかな生活が待っているはずだ。
悪くはない。いや、幸せな一生を送れるだろうとアレクサンドラは思う。エドワードは自分にはもったいないほどの人物だ。
しかし。
「……」
敵も味方も血を流さない、無血の海賊王、ロバート。
彼が的確にターゲットの位置がわかるのはなぜなのか。軍艦ばかり狙うのはなぜなのか。そして、彼は何者なのか。
まだわからないことだらけだ。
「もう少し様子を見させてほしい」
もっとロバートを知りたい。
アレクサンドラの心を支配するのは、そんな思いだった。
「今すぐおまえを連れ帰りたい。……しかし、それではおまえは納得しないのだろうな」
アレクサンドラはうなずいた。エドワードは諦めたように息をはく。
「……おまえの任務だ。好きにするといい」
表情を緩めたエドワードがアレクサンドラの頭をなでる。アレクサンドラは肩の力を抜いた。
「感謝する、エド」
「おまえからは早く別の言葉を聞きたいものだ」
苦笑したエドワードは、アレクサンドラの額にキスをした。そしてアレクサンドラになにか言いかけて、思いとどまったように唇を閉じる。
「先に寝ていろ、俺は一杯飲んでくる」
エドワードは耐えるように眉を寄せ、部屋を出ていった。
