海賊王と麗人海軍~海洋恋愛浪漫譚~ 2章(3/8)
二章 ロバート海賊団
舗装された石畳に商人たちが行き交い、木造の飲食店や商店が立ち並んでいる。ロバートが入った酒場の扉は開かれ、外にまで笑い声とアルコールの匂いが溢れていた。
店は四階建てで、二階までが酒場、三階以上が宿屋となっている。フロアの半分が二階吹き抜けとなっていて、開放感のある造りだった。奥のカウンター席もテーブル席もいっぱいで、一階だけでも五十人以上いるようだ。
「遅かったな! とりあえず座れよ。おいそこ、入れてやれ」
アレクサンドラとエドワードが店に入ると、ビールを片手に持ったロバートが、二階の手摺に肘をかけながら声を飛ばしてきた。店員が運んできた丸椅子に二人は腰を下ろす。そのテーブルにいる四人の先客も来たばかりのようで、注文の品はなにも置かれていなかった。
「希望者は二十人。補充員は十人が限界です。どう選びますか?」
長身の男が隣のロバートに尋ねた。肩まであるストレートの銀髪で、三十歳前後の、頭が切れそうな落ち着いた雰囲気の男だった。スリムではあるが、海賊らしく身体が引き締まっている。
「櫂漕ぎは力だ。アームレスリングで勝負させよう」
先ほどの長身の男よりさらに背が高く、幅もある巨漢が提案した。スキンヘッドで、隆々とした筋肉を見せつけるかのように上半身は裸だ。よく日に焼けていて背中全体にタトゥーが刻まれている。
「それ、ボクへの当てつけ? ブッチャーが三人分漕いでるんだから、いいじゃない」
さきほど窓からロバートを呼んでいた巻き髪の麗人の発言だ。短パンから形のいい白い足が伸びている。
「あの人、船員だったんだ。ここの海賊団は女性でも大丈夫みたいだね」
アレクサンドラはエドワードに耳打ちした。
「僕も助かってます、ブッチャーさん!」
「ワシもじゃ」
手を挙げたのはホットミルクを飲んでいる十代前半の少年と、白い髭の初老の男だ。
「子供もおじいちゃんもいるんだね。なんだかアットホームな……」
エドワードは耳元で囁くアレクサンドラの唇に、軽く人差し指をのせて黙らせた。
「ごめん、エド」
アレクサンドラは赤面して俯いた。緊張して落ち着かず、黙っていられなかったのだ。
「こうしよう」
ロバートが身を乗り出した。
「今回は即戦力がほしいから、航海経験がある奴に限定にする。しけでも船酔いしないこと。知っているだろうがうちは掟にはうるさいぞ。オレの命令には絶対に服従。ただし、決め事は多数決をする。オレが間違っていると可決されたら、オレは命令を取り下げる。夜八時消灯。それ以降、基本的には飲酒禁止。窃盗は罰。仲間割れは罰。女の連れ込みは罰」
そこで言葉を止めたロバートは、後方の巻き毛の麗人を指さした。
「先に言っておくが、クリスは男だからな」
「わざわざ言わなくていいでしょ!」
クリスが細い眉をつり上げて立ち上がった。
「おまえは紛らわしいからさ。襲われでもしたら双方が不幸だろ」
どっと笑い声が沸いた。みんな、かなり酒が入っている様子だ。
「もう! 失礼なんだから」
「大丈夫、クリスには俺たちがついてるから」
「そうそう」
同席の男たちがクリスを宥めている。
「あれで男性なのか。神様は理不尽だ」
アレクサンドラは思わず両手で頬を包んだ。
「条件に合わない奴は出て行けよ。……ほとんど減らねえな」
店を出たのは四人だけだった。
「真剣で勝負させようよ。いい酒の余興になるじゃない」
クリスの提案に、「やれ!」「男を見せろ!」と男たちが沸き上がる。
「余興になるか? うっかり死体が転がっちまったら、酒が不味くなるだろうが」
ロバートは乗り気ではないようだ。
「剣で勝負」
呟きながら、アレクサンドラは入団希望者を見回した。アレクサンドラとエドワードの他に十四人。腕力に自信がありそうな屈強な男たちばかりだが、鍛えているからといって、剣技が優れているわけではない。
アレクサンドラは男社会の中、どんなに鍛えても力では勝てない分、剣や銃の技術を磨いてきた。成績もトップクラスだった。
「おまえら、そんなに血を見たいのか。ネイサン、どう思う?」
ロバートは手摺に寄りかってビールを煽りつつ、長身の銀髪男に尋ねた。
「規律を作り、街をここまで立て直したあなたが、ただの入団希望者を死なせたとあっては示しがつきません」
「だってさクリス。却下」
「ええっ、つまらない!」
クリスはプクッと頬を膨らませた。いちいち仕草が可愛らしい。男性だと言われても、そう見えなかった。
「よし決めた、ブッチャーの案を採用だ。適当にペアになれ。アームレスリングをして、勝った方を採用する」
「腕力勝負」
アレクサンドラは顔から血の気が引くのを感じた。純粋な力のぶつかり合いは一番勝ち目の薄い勝負だ。
「まだ剣の方が勝算があったな」
エドワードも、アレクサンドラが窮地に立たされていることがわかっている。
「次の補充を待つか。入団方法は毎回違うようだ」
「せっかく初日から会えた幸運をふいにするなんてもったいない。どうにかならないかな」
エドワードが出直しを提案するが、アレクサンドラは諦めきれなかった。手を髪に差し込み、ギリリと唇を噛む。
こんな時に非力な自分を悔しく思う。毎日怠らずにトレーニングをしているのに、怠けている同僚にも純粋な膂力では負けるのだ。
そんなアレクサンドラを見て、エドワードは周囲を見回し、そして二階のロバートを見上げた。
「……賭けてみるか」
エドワードは一度青い瞳を眇めると、テーブルの下でアレクサンドラの腕を掴んだ。
「エド?」
「アレックス、このまま腕を動かすなよ。痛いだろうが、表情に出すな」
エドワードは視線を外したまま、アレクサンドラに囁いた。
「……っ!」
次の瞬間、アレクサンドラの腕に痛みが走った。歯を食いしばって声を堪える。チラリと視線を動かすと、エドワードがアレクサンドラの手首から肘までを、ダガーで切りつけていた。
「キャプテン・ロバート、頼みがある」
エドワードは立ち上がった。
「こいつはさっき襲われた時に、利き腕に傷を負ってしまった。俺がこいつの分も、勝負を引き受けていいか?」
エドワードはアレクサンドラの右腕を高く掲げた。鮮血が流れ、肘から床に滴り落ちる。
「そんなの、そっちの勝手でしょ。代役なんてありえない!」
クリスが真っ先にブーイングをすると、そうだそうだと同調する声が広がった。
「まあまあ、オレたちはチームワークが大事なんだ。オレはいいと思うぜ。ただし連戦、休みなしだからな」
「感謝する」
二階席のロバートがニヤリと笑い、エドワードはそれを静かに見返している。
「ありがとう、エド」
その声に、エドワードは隣りに視線を戻した。青ざめていたアレクサンドラの表情に明るさが戻ったのを見て、エドワードはほっとした息をつき、「上手くいかなければ、おまえは怪我し損だったな」と揶揄した。
「それなら、このひょろっこいのの二回戦目は俺がいただくぜ」
「そりゃずるい、そんな確実なポジション、俺だってほしいよ」
たちまちエドワードの二回戦目が、一番人気の枠となった。エドワードはとても「ひょろっこい」肉体ではないが、猛者の中では相対的に細身に見える。
「じゃあ、こいつの初戦は俺がいただくよ」
細い目、尖った鼻、長い顎と、全体的に長細い、狐を髣髴とさせる三十代半ばの男が立候補した。筋肉質というわけでもなく、身長もエドワードより低い。この相手ならエドワードが負けるはずがないと、アレクサンドラは安心した。
「あんたはこっちに来なさい、治療してやろう。ワシは医者じゃ」
賭けが始まって大賑わいの中、アレクサンドラに話しかけてきたのは白い髭の初老の男だった。
「いえ大丈夫です。それより、試合を近くで見ていたい」
アレクサンドラが断ると、医者に白い布を渡された。素直に受け取って、傷口を押さえる。皮一枚の浅い傷なので、すぐに血は止まるだろう。
テーブルを一つ残して、その他の全てが壁際に寄せられる。テーブルの両サイドにエドワードと狐に似た男が対峙した。
「肘を置け。手を組んで」
審判は巨漢のブッチャーだ。男二人は右手を組んで、左手でテーブルをしっかりと掴んだ。
「レディー……」
狐男が若干右手の握り方を変える。
「エド?」
エドワードの片眉が動き、微かに怪訝な表情を浮かべたことに、アレクサンドラは気づいた。
「ゴー!」
ブッチャーが声を張り上げると共に、二人への声援が上がった。
「糸目行け!」
「今夜俺がいい女が抱けるかは、おまえにかかってるんだぞ!」
渾身の力がこもった右腕がきしむ。エドワードが若干押されたところで均衡し、腕に青筋と汗がにじみ出した。
「こら色男! おまえの筋肉は見せかけか!」
「吹っ飛ばせ!」
エドワードは歯を食いしばり、額から汗を滴らせている。
様子がおかしい。
興奮する男たちの波の中を移動しながら、アレクサンドラは目を凝らした。
エドワードの震える拳から、腕を伝って、血が流れている。
「血……、審判、止めて!」
アレクサンドラの声にブッチャーが流血を確認した。爪が食い込んだなんて量ではない。狐男が、針か剃刀の類を手に仕込んでいたのだろう。
「止めるな!」
叫んだのはエドワードだ。すっと通った鼻先から、そして顎からも汗が滴っている。
「だって、エド!」
エドワードの手首が返り、更に狐男に押される。鮮血が幾筋にもなり、テーブルに血だまりができた。周囲の男たちも流血に気づいて色めき立ち、声援のボルテージが高まった。
「こんな卑怯者には、……負けん!」
エドワードは歯ぎしりが聞こえそうなほど歯を食いしばり、額や腕にあらゆる血管を浮かびあがらせた。左手で掴むテーブルに亀裂が入る。咆哮をあげて、エドワードは握った相手の拳をテーブルに叩きつけた。
「勝者、エドワード!」
「おおおおおおっ!」
大歓声が上がる。
「エド、エド、手!」
アレクサンドラがエドワードに駆け寄った。エドワードの指の付け根に、五センチほどの剃刀が二枚食い込んでいた。
「動かしてはならん、こちらに来なさい」
先ほどの医師がエドワードを促した。
「連戦じゃなかったのかよ」
「次どうすんだ」
歓声とブーイングの嵐の中、ロバートが手をあげて注目を集める。
「エドには男気を見せてもらったからな。今の一戦で、二人分の勝ちにしてやる。次にエドとやるはずだった奴、特別に、このオレが相手をしてやるよ。言っとくが、仕込みは反則負けにするからな」
ロバートの言葉にまた歓声が上がり、ロバートコールと賭け直しが始まった。
ロバートは膝まである深紅のジュストコールをマントのように翻して、二階から飛び降りた。真っ直ぐにカウンターに向かうと、処置を受けているエドワードと、その隣に座るアレクサンドラの肩に手をのせた。
「面白いもん見せてもらったから、この嘘はチャラにしてやる」
ロバートはアレクサンドラが布で押さえている傷に目配せし、ウインクをしてフロア中央に歩いていった。
「食えない男だ」
エドワードは眉をつり上げる。
「無茶をするでない。もう少しで、指が動かなくなっていたところじゃ」
医師は顰め面をして治療している。
「そうだよ、こんなに血を流して。エドになにかあったら、私……」
アレクサンドラはエドワードの額の汗を拭いながら、泣きたくなるのをこらえた。元はといえば、自分がアームレスリングに出なかったことが原因だ。海賊島に来てから、エドワードに迷惑ばかりかけている。
「でもエドは格好よかったよ! 一番格好いいのは、キャプテンだけどね」
目を輝かせているのは、ホットミルクを飲んでいるナチュラルブラウンの髪の少年だ。十二歳で、ピエールだと名乗った。アレクサンドラは予定どおり、アレックスと呼んでほしいと伝えた。
「キャプテン・ロバートは、随分と人気があるんだね」
アレクサンドラがフロアに目を向けると、ロバートと入団希望者との対戦が始まろうとしていた。相手はロバートの二倍は体積がありそうな大男だ。
「当然だよ、キャプテンはこの街の救世主、ヒーローなんだから!」
ピエールは拳を握った。
「そういえばさっき、街を立て直したと言っていたな」
そう言ったのは、治療が終わって包帯が巻かれた右手を眺めていたエドワードだ。指先の感覚を確かめている。
「うん。キャプテンが来るまで、ここは酷い街だったんだ。それは海賊たちのせいなんだけど、僕も海賊が大嫌いで……。あれ、僕たちも海賊か。じいじ先生、どこから話せばいいのかな」
「ふぉっふぉ、上手に話そうとしなくていいんじゃよ」
医師が皺だらけの手を小さな頭にのせると、ピエールは嬉々として話しだした。
元々ジャスターク国は農漁業を生業とし、地産地消で他国との交流は殆どなかった。しかし、穏やかだった漁村を海賊が襲い、住み着いてしまった。その情報が流れ、次々と海賊たちがやってきた。補給地として便利な位置にある島なのだ。
海賊たちの財宝を目当てに商人が集まり、商業が盛んになるが、荒くればかりで無秩序な状態だった。犯罪、ドラッグ、売春、なんでもありだ。
「私はそのイメージが強かったから、港に着いて驚いたよ」
「十年以上荒れていたからな」
アレクサンドラの言葉に、医師が頷いた。
「ジャスターク政府はどうしていたんだ?」
エドワードが尋ねた。
「海賊が内陸に来ないことをいいことに、見て見ぬふりじゃった。他国の軍艦が湾を攻撃しても、咎めもしなかった」
「僕のお父さんやお母さんも、そんな争いの中でいなくなっちゃったんだ。だけど四年前、キャプテンが変えてくれた」
「どうやって?」
エドワードは医師を促した。
「キャプテンはジャスターク国に私財を投資して、政府と手を組んでインフラと法の整備を行ったんじゃ。治安回復のため警備を強化させ、関所を設けて、ルールを守らない海賊の出入りを禁じた。治安のいい街には質のいい商人がやってくる。街が、そして国が発展する。それを条件に、政府に海賊の受け入れを公に標榜させ、他国の軍隊が攻め入る口実もなくした。……というわけじゃな」
あまり年寄りを喋らせるなと言って、医師は果実酒を煽った。
「じいじ先生の言ってること、よくわからなかった」
「街が元気になったのは、キャプテンのおかげだと言ったんじゃ」
「それは知ってる! そうだよ、だから僕はキャプテンに憧れて、お願いして海賊団に入れてもらったんだ」
アレクサンドラは混乱した。治安を守る海賊なんて、あべこべだ。
「私財まで投げ打って、キャプテン・ロバートになんのメリットがあるんだ。そもそも、ロバートは何者なんだ」
エドワードの問いのあと、空白ができる。ピエールは首を捻った。
「何者って、キャプテンがキャプテンになる前ってこと?」
「そうだ」
エドワードが肯くと、ピエールは医師を見上げた。
「じいじ先生は、ロバート海賊団に初めからいたんだよね。なにか知ってる?」
ロバート海賊団の初期メンバー。
その言葉にアレクサンドラはドキリとした。海賊団の多くのメンバーは航海のたびに入れ替わっているはずだ。初めから行動を共にしている者なら、ロバートの身辺に詳しいに違いない。
一気にロバートの真相に近づく期待に、アレクサンドラの心は震えた。
「ふぉっふぉ。ピエール、海賊の掟を覚えておるか? 過去は……」
「問わない! いけね、そうだった。生まれとか仕事とか聞いちゃいけないんだよね。エド、アレックス、わかった?」
エドワードは「心得た」と、苦笑しながら頷いた。
そのとき歓声が轟いた。
フロアに目を向けると、巨漢の男が床にひっくりかえっていた。
「やった、キャプテン強い!」
ピエールは立ち上がって拍手した。
「倍もある大男を吹き飛ばしたか。強いな」
「あれくらい俺にだってできる」
アレクサンドラが感心する隣りで、エドワードは鼻息を荒くした。
それからもアームレスリングが続き、七人の入団者が決定した。
「よし並べ。こいつらが新入りだ、顔と名前を覚えてやれよ。宴会だ、今日はオレの奢りだ! じゃんじゃん飲め!」
ここ一番の歓声に、どこにあったのかラッパと太鼓も打ち鳴らされた。
「キャプテン・ロバート! 俺たちも混ざっていいか?」
店の外から、部外者が声をかけてくる。
「おう、いいぜ! 新入りに乾杯!」
ロバートがテーブルの上に立ってビールを掲げて音頭を取れば、
「ロバート海賊団に乾杯!」
「乾杯!」
押合い圧し合い、すし詰め状態の中で、大宴会が始まった。
「挨拶ついでに、ロバートの酒量を見定めてくる」
アレクサンドラは、エドワードに耳打ちした。酔わせて襲うのは暗殺の常套手段だ。今日はすでに飲んでいるようだが、ある程度でも酒量を把握しておくのは有効だろう。
「そうだな、俺も行く」
二人でロバートのいる二階席に向かった。ロバートは片側にネイサンと呼ばれた銀髪の男を、もう片側に女性のような巻き髪のクリスをはべらせている。アレクサンドラたちはロバートたちと改めて乾杯をして、簡単な挨拶などをすませてから「ところでキャプテン、今日はどれくらい飲んでいるんですか?」と尋ねてみた。
「そんなの、数えているわけねえだろう」
呆れたようにロバートに返された。そりゃあそうか、とアレクサンドラは頷く。いつかカウントしてみようと考えていると、
「ラム酒をストレートで五杯、ワイン七杯、ビール八杯です。いくら浮かれているからと言って、今日は飛ばしすぎですよ。ペースを落としてください」
とネイサンが答えた。
かなりの量だ。
それにしても、「浮かれている」とは、なにかいいことでもあったのだろうか。
「ああ? なんでわかるんだ。いつも数えてるのか?」
「ええ、キャプテンの健康管理はわたしの務めです。いつもより早く酔われる時は、体調不良だと判断しています」
「知らなかった」
ロバートが引いている。
アレクサンドラにとっては、ロバートのこれまでの飲酒量を把握できてありがたかった。それだけ飲んで顔色が変わっていないところを見ると、そうとう酒に強そうだ。飲ませてどうの、という作戦は難しいだろう。
「そんなことを聞いて、さてはおまえ、オレと飲み比べをしたいんだな? 受けて立ってやるからそこに座れ」
「えっ、いやそんなつもりじゃ……」
「新人、遠慮するな」
アレクサンドラはほとんど酒を飲んだことがなかった。
十八歳といえば一端の大人で、女性なら結婚していて当然の年齢だ。軍隊でも酒宴は行われていた。しかし、倦厭され気味のアレクサンドラは残念ながら殆どその機会に恵まれず、自分がどれくらい飲めるのか把握していなかった。
ただし、父や兄が酔った姿を見たことがない。それならばきっと自分も酒に強いのだろう。
「ではお言葉に甘えて、ご一緒させていただきます」
既に深酒をしているロバートに負けるはずはない。それに酔った勢いで情報を引き出せるかもしれない。
「アレックス、やめておけ。俺が飲むから」
「エドの傷は縫うほど深かったじゃないか。酒は怪我によくないよ」
アレクサンドラはエドワードの申し入れを断った。ロバートの向かいに座って対峙する。
「新人なんかどうでもいいじゃん。ボクと飲むんじゃなかったの?」
クリスが抗議した。
「おまえとはいつも飲んでるだろ」
「足りないもん」
頬を膨らませてクリスはふてくされた。しっかりロバートの腕を抱き込んでアレクサンドラを睨む。
「お手並み拝見といこう」
「負けませんよ、キャプテン」
ラムの杯を重ね、二人は一気にグラスを空にした。
「大丈夫かアレックス」
「大丈夫、ではない」
アレクサンドラは一杯で、まさかの撃沈だった。天井がグルグルと回っている。
「兄が酔ったところを見たことがなかったのに。なぜ私は弱いんだろう」
「あいつは下戸だ。飲まないだけだ」
「そうだったのか……」
アレクサンドラはくたりとベッドに横たわった。上等のベッドとは言い難いが、揺れないだけでも寝心地がいい。
「自信がありそうだったから、おまえは少しは飲めるのかと思ったよ」
「ごめんエド。せっかく情報を引き出すチャンスだったのに」
気分が悪くなったアレクサンドラを、エドワードが四階の宿泊部屋まで連れてきた。
「失態を晒してしまったけど、ロバート海賊団に入るという第一関門は突破したわけだね。しかも初日で。なんと有能っ」
「大声を出すな、酔っ払いめ。この安普請だ、隣りで誰が聞いているとも限らんぞ」
「ごめん」
火照った身体を気怠げにエドワードのいる方向に向けて、アレクサンドラはクスリと笑う。酔っていて頭がふわふわとしていた。
「帝国を出てから、私はエドに謝ってばかりだね。慎重な人間だと自負していたのに、ずっと浮ついているな」
「俺と二人きりの旅にか」
「……どういうこと?」
脳神経もアルコールでやられている。言葉がまともに入ってこない。エドワードは苦笑した。
「冗談だ。このまま寝るなら靴を脱がせてやる」
「自分でできるよ。そういえば、エドと二人きりで泊まるなんて初めてだね」
今までの船中泊は大部屋だったので、二人きりになることがなかったのだ。
「おまえは……」
エドワードは形のいい眉根を寄せて、大きな手で額を押さえた。
「アレックス、俺と二人部屋であることになにも感じないのか」
無邪気なアレクサンドラの反応に、その鈍感さに堪えきれないとでもいうようにエドワードはアレクサンドラのベッドに腰かけて、左手に体重をのせながら真上から覗き込んだ。
「エド、どうかしたの?」
「あの日、おまえの誕生日に俺が言った言葉を覚えているか」
エドワードの端正な顔が、至近距離からアレクサンドラを見下ろしている。
「エドが言った言葉」
酔った頭を必死に回転させる。
「あの日、エドは私の部屋に来て……」
――俺に嫁いで来い。
エドワードは、そう言った。
アレクサンドラの酔いがさめた。
「あれは追放案件を受けた私を励ますために……」
「励ますだけなら別の言葉を使う。誰にでもあんなことを言うはずがない。本気に決まっているだろ」
エドワードは更に顔を近づけた。唇が触れそうな距離に、アレクサンドラは息をのんだ。
「任務を終えて、無事に帰ったら……」
囁く声を肌に感じ、そこから甘いなにかが走るのを感じた。
その時、ドンドンとドアがノックされた。驚いてアレクサンドラの肩が跳ね上がる。
「エド! アレックス! 開けて!」
ピエール少年の声だ。
エドワードが立ち上がった。
アレクサンドラは無意識に止めていた息をはきだした。
重なっていた身体から感じていたエドワードの体温がなくなり、それが淋しいような、ほっとしたような、どちらとも言えない気持ちでアレクサンドラは戸惑った。
エドワードがドアを開けると、酒の匂いを染み込ませたピエールが立っていた。髪や服に酒がかかったのだろう。
「キャプテンに呼んで来いって言われたんだ。主役がいなくなってどうするって」
「まだ飲ませる気が」
エドワードがため息をついた。
「アレックス、顔が赤いけど、飲み過ぎたの?」
ひょいとピエールは部屋を覗き込んだ。
四階のこの部屋にまで宴会の賑わいが聞こえてくる。
「うん。でももう大丈夫、行くよ」
アレクサンドラは顔をおさえ、慌てて髪やチュニックの乱れを整えた。
アレクサンドラはエドワードの言葉を慰めとして受け止めていた。ずっと男のようだと言われ続け、“美人”や“女性らしい”という言葉は社交辞令にしか聞こえないようになっていた。
だから、あの求婚が本気だと言われても、アレクサンドラはどうすればいいのかわからなかった。
「どうすればいいって、返事をすればいいだけか」
イエスかノーか。
答えはシンプルだ。しかし……。
兄以上に兄のように慕っていたエドワード。もちろん大好きなのだが、恋愛対象として考えたことがなかった。
だからノーだと判断してしまっていいのか。エドワードはアレクサンドラが考える以上に、悩んだ末にあの言葉を口にしたに違いない。彼はアレクサンドラが恋愛沙汰に全く興味がないことを知っている。
アレクサンドラは大きく首を横に振る。
「今は任務に集中しよう」
エドワードも「任務を終えて、無事に帰ったら」と言っていた。返事はそれまで待ってくれるだろう。
任務の方だって、既に混乱しているのだ。
帝国の政敵である、ロバート海賊団の壊滅任務。非道で残虐な海賊だと聞いていた。
それなのに今日会ったロバートは陽気で、仲間に慕われ、機転がきいて包容力も金もある、文句なしのリーダーシップだった。極め付けには、国一つ建て直している。
「随分と噂と違う」
アレクサンドラのぼやきに、ピエールが小首を傾げて見上げてくる。
「どうしたの? アレックス」
「独り言だよ、気にしないで。それよりピエール、ミルクの匂いがするね。どれだけ飲んだんだ。お腹を壊すよ」
「僕ね、いっぱい飲んで食べて大きくなって、ネイサンさんに負けないくらいのキャプテンの右腕になるのが夢なんだ!」
ネイサンというと、ずっとロバートの隣に控えていた、長身で銀髪の男性だ。
「ピエールは大きくなるよ」
「本当?」
エドワードの言葉にピエールは瞳を輝かせた。
「手足が大きいし、これから伸びる。俺も十二歳の時はまだチビだった」
「へええっ」
長身のエドワードに言われて、ピエールは嬉しそうに笑った。
こんなに素直で純真な少年に慕われているロバート。
ロバートの素顔は一体どんなものなのだろうか。
本当に英雄なのか。
それとも、仲間にも隠した残虐性を秘めているのか。
それは今後、明らかになるはずだ。
アレクサンドラは市販の海図は参考程度に留め、自身で作成している海図を思い浮かべた。
「私は、私の見たものを信じる」
ロバート海賊団としての生活が、これから始まる。
