海賊王と麗人海軍~海洋恋愛浪漫譚~ 1章(2/8)
一章 旅立ち
「おまえ、また勝手に縁談を断ったな」
アレクサンドラは兄に肩を掴まれて、説教を受けている。
「わかっているのか。今日はおまえの誕生日だ。十八歳になってしまうんだ」
「そうだね」
「そうだね、じゃない! まったくめでたくない。きっとラストチャンスだったのに」
兄は嘆くように片手で顔をおおった。
「私はもう、結婚は諦めてるよ。離して、仕事に行かなきゃ」
青い軍服に身を包んだアレクサンドラは、登営間際のエントランスで兄に足止めされていた。
「諦めるな。軍人なんて女のする仕事じゃない。家庭に入って幸せになってくれよ。せっかく顔はいいのに、男の真似事なんかして」
「真似事なんかじゃないっ」
アレクサンドラは兄の手を振り払った。軍人として真剣に取り組んでいるのに、成績だってトップクラスを維持しているのに、周囲はアレクサンドラをおままごとの延長のようにしか見てくれない。それが悔しかった。
「こうなったら、エドを口説いて結婚しろ」
アレクサンドラは少し高い位置にある兄の目を瞠目して見つめた。鋭い眼光を持つ端正な顔立ちの海軍の先輩を思い浮かべた。兄の親友で、アレクサンドラの幼なじみでもある。
「なぜエドの名前が出てくるの」
「あいつは次期伯爵様だぞ。しかも俺から見たって男前だ。伴侶なんて選り取り見取りなのに、なぜかいまだに独身。そしてあいつは、唯一おまえをまともに女扱いしてくれ……、ちょっと待て、ちゃんと話を……」
「行ってきます!」
アレクサンドラは兄を置いて、馬車で軍港に向かった。
国のため、皇帝陛下のために、誇りを持って闘っている父に憧れて、アレクサンドラも十四歳から軍隊に顔を出すようになった。
しかし、可愛がってもらえたのは父がいたからだったのだと、十六歳の時に父が病死してから気がついた。今では雑用ばかりの毎日だ。
「見習いの頃が一番、艦艇に乗っていたな」
港が近づくと、風にたなびく三角帆の群れが見えてきた。内海で三隻並走しているのは練習艦隊だろう。アレクサンドラは久しく乗っていない。
アレクサンドラは鞄から手書きの海図を取り出して開いた。アレクサドラが見たものだけを書き込んだ海図は、殆どが空白だった。
アレクサンドラはため息をついた。
大海原に憧れていた少女は、いつしか大海を旅して未知の大陸を回り、海図を完成させるのが夢になっていた。そのためにも、海軍に所属している必要があると考えていた。
もちろん軍人を志したからには愛国心だってある。祖国のため、正義のため、愛するもののために身を捧げる。女性はそんな勇ましい生き方を望んではいけないのか。
「愛するもの……」
呟いて、アレクサンドラはブルネットの髪をかき上げた。相変わらず男性に間違われるものの、腰まで伸びたストレートの髪が、自分は女性なのだと主張している。
「私は一体、なにを守りたいのだろうか」
両親は先立った。唯一の肉親である兄とは、顔を合わせるたびに揉めている。頑なに辞めない海軍ではお荷物扱いだ。
「結婚すれば、人生が変わるのかな」
アレクサンドラは自嘲した。軍人でいるより貿易商の妻になる方が、よほど海に出られるのではないか。
簡単に掴めると思っていた青い水平線の先の未知の世界は、遥かに遠い。
どんなに努力をしても、女というだけで届かないのだろうか。
アレクサンドラは再び大きな溜息をつく。
将来が見えなくなっていた。
「準備が整い次第? だってあそこ、友好国じゃなかったっけ?」
「旨みのある島国だからな。他国に奪われるくらいなら、その前にって感じなんじゃないか? 既に何度も、こっそり攻めようとしたことがあるそうだ。そのたびに海賊に撃沈されて……」
兵舎に向かう途中、番兵たちの噂話が耳に入り、「なんの話?」とアレクサンドラは首を突っ込んだ。
「これはヴァローズ中尉」
二人に敬礼され、アレクサンドラは敬礼を返しながら苦笑した。
「肩書きばかりで、今日も書類配達をしているところだけどね」
やっている仕事は見習い以下だ。それに加えて、「男女」だという陰口なども付き纏う。
「ところで今の話、詳しく教えて」
下士官の二人は、顔を見合わせた。
「自分から聞いたって言わないでくださいよ。噂ですけど、我が国は水面下で、オルレニア王国進攻の準備を進めているようなんです。開戦の理由なんて、いくらでも後付けできますから」
アレクサンドラは耳を疑った。オルレニア王国と言えば、王太子が后を迎えた四年前、アレクサンドラも仮面舞踏会に参加した国だ。翌年に第一王子が誕生した時も、このドミール帝国は盛大に祝福していたというのに。
「上官に確かめてみるか」
アレクサンドラは呟いた。
「いやいや、だめですって!」
「なぜ? 寝首をかくような卑怯な行為を我が国がしているとなれば、見過ごせないだろう」
下士官たちはなんと言えばいいのか困っている様子だ。アレクサンドラはその態度にも納得がいかない。
力のあるものほど、公正で清廉潔白でなければならないとアレクサンドラは思う。このドミール帝国がそうだ。
「ようアレクサンドラ」
尻を撫で上げられて、驚いてアレクサンドラは振り返った。
「下士官に色目を使うくらいなら、オレたちが遊んでやるのに」
下卑た笑いを浮かべる二人組はアレクサンドラの同期だ。この二人だけではない、アレクサンドラは同期に絡まれることが多かった。
少年のようだったアレクサンドラだが、十五歳を過ぎたあたりから急速に女性らしい体つきになっていった。性的、身体的なことでからかわれることが増えてきた。アレクサンドラは男たちを睨んだ。
「軍にしがみついて辞めないのは、男にちやほやされたいからだろ。ここなら紅一点だからな」
「お望み通りに相手をしてやるよ」
伸ばしてきた同期の手をアレクサンドラは乱暴に振り払った。
なんと下品な男たちだろう。彼らはみんなアレクサンドラよりも筆記も実技も成績が悪かった。しかし悔しいことに、アレクサンドラよりも上の部隊に所属しているのだ。アレクサンドラは爪が食い込むほどに拳を握った。
どんな屈辱にも耐えてみせる、腕を磨けばいつか認められると思っていた。しかし、海上に配属される気配はない。ゴールのない長距離走をしているようで、アレクサンドラは疲弊していた。
「生意気な女だな。だから行き遅れるんだ」
「こんな男女を相手にしてねえで行こうぜ。おい、海軍卿がお呼びだぞ。午後に執務室に来るようにってさ。そろそろクビだろ」
同期たちはアレクサンドラにそれを伝えに来たようだ。二人は笑いながら去っていった。
海軍卿とは、海軍統轄機関のトップである。現場には出てこない閣僚の一人で、アレクサンドラから見れば雲の上の人物だった。
「私になんの用があるというのか」
アレクサンドラはつぶやいた。またか本当に除隊を命じられるのか。しかし、それなら直属の上司が行うはずだ。
「ちょうどいい」
現場に配属してほしいと上官に直談判しようと思っていたところだ。何足も飛んでしまうが、海軍卿に話してみようとアレクサンドラは開き直った。
失うものなど、なにもない。
「失礼いたします、閣下」
アレクサンドラは敬礼をしながら執務机に座る海軍卿に目を向けた。深いしわが刻まれ、白髭を蓄えて恰幅がよい。書類を書く手を止めた海軍卿は視線を上げる。
「中尉は、“赤い死神”を知っているか」
「はい、閣下」
アレクサンドラは表情を引き締めた。海軍に所属していて、その通称を知らぬ者などいない。
派手な赤い服を身にまとった、隻眼の海賊、ロバート。
海賊が跋扈するこの時代の中でも最強最悪、残虐な船長だと名高い男だった。ロバートに狙われたら最後、命を奪われ、船は沈没させられるか、丸ごと奪われると伝えられている。
だから“赤い死神”の由来は、衣装の色とも、血に染まった海の色とも言われていた。
「海賊どもによる我が国の被害は甚大だ。討伐隊を出しているが、どうしても捕まらない。海賊を擁護している国があるからだ」
「ジャスターク国ですね」
海賊の寄港を受け入れている唯一の島国で、通称は“海賊島”。初めは港町が海賊に襲われて乗っ取られたようだが、富を持つ海賊が金を消費することで、港湾都市に急成長したといわれている。しかし、そこで栄えた商売といえば違法なものばかりで、犯罪が横行しているらしい。
らしい、というのは、あまりにも情報が少ないからだ。
小さな島国だが法治国家を名乗っている以上、海賊討伐のためだといって勝手に軍隊を向けるわけにはいかなかった。
「海賊島で討てないのなら、ロバート海賊団のアジトを見つけ、そこを叩きつぶせばいい。海賊島に必ずロバートは現れる。中尉の任務は、海賊団の内部に入り込むことだ」
「任務」
アレクサンドラの胸が高鳴った。久しく聞いていない言葉だった。
しかし、「海賊団の内部に入り込む」という意味を理解するのに、しばし時間がかかった。
「私に、海賊になれと言われるのですか」
「諜報活動だ。任務の期間は、ロバートの尻尾を掴むまで。いや、どうしても根城がわからなければ奴の首を討てばいい。あれだけのカリスマがいなくなれば、海賊団は四散するだろう」
残虐な船長の首を取る。それは海軍としてなによりの栄誉だ。
「どれほどの規模で向かうのですか?」
「中尉一人だ」
「私、だけ」
アレクサンドラの瞳は見開かれ、そして白い顔から血の気が失せた。
「それは……」
体のいい左遷だ。いや、追放だ。
アレクサンドラは、そう喉まで出かかった。
海軍卿は立ち上がり、背後の壁一面に張られた世界地図を振り返った。アレクサンドラの手書きの海図よりも書き込まれている市販品だが、未完成だ。
世界すべてを知る者は、まだ誰一人いない。
それを見るたび、アレクサンドラは背筋にゾクゾクとした感覚が走る。誰も到達できていないその空白には、どんな世界があるのだろうか、願わくば自分が地図を完成させたい。
――今はそれどころではないが。
海軍卿は地図に手を添えた。海賊港のあるジャスターク国だ。四年前に行ったオルレニア王国への航海は一週間だった。ジャスターク国は、更に倍以上の距離がある。
「我が国は、海賊島への立ち入りを禁止している」
「当然の措置です」
治安の悪い国ではなにが起こるかわからない。囚われて身代金を要求されるかもしれないし、命を取られるかもしれない。
「しかし、市井の者は、勝手をしているようだ」
それは軍の後ろ盾なしに行動しろということだろう。つまり、アレクサンドラになにがあっても、軍は動いてくれない。
「非常に危険な任務だ。正直、なぜ君に令が出たのかわからない」
「わからない?」
海軍統轄機関のトップがなにを言っているのだろうか。
アレクサンドラは厳つい海軍卿の顔を思わず凝視してしまった。その顔は演技でも皮肉などでもなく、本気で困惑しているようだった。どうやら海軍卿の意思による任ではないようだ。
「どうするかね、中尉」
白い髭をさすりながら海軍卿は目を細めた。「断ってもいいのだ」と、その目は言っている。
屈強な犯罪者たちが巣くう港町。
衛生的であるはずがない。感染症などが蔓延しているかもしれない。残虐な犯罪が繰り返されているかもしれない。
国交がなく情報が入らない分、怪しげな噂話しか聞こえてこない土地だった。
そんな場所に一人で乗り込み、なにができるのかと逡巡した。
なによりアレクサンドラを悩ませているのは、犯罪者たちの仲間になれという命令だった。人一倍正義感が強いアレクサンドラには酷な話だった。海軍としての矜持もある。
だが一方で、胸の高鳴りも感じる。
――憧れの海に出られる。
そう思い至れば決断は早かった。
アレクサンドラは敬礼した。
「全力を尽くします、閣下」
海軍卿はにわかに瞠目した。アレクサンドラが受けると思っていなかったのだろう。
「本当にいいのか中尉」
「はい」
現場に出たいと頼もうと思っていたのだから、手間が省けたというものだ。それに海賊を捕まえることができれば人助けになり、出世の道もあるだろう。
アレクサンドラは呼吸を整えて、海軍卿を真っすぐに見つめた。確認しなければならないことがある。
「失礼ながら閣下、お聞きしてもよろしいでしょうか」
敬礼したままのアレクサンドラに、海軍卿は先を促した。
「我が国の友好国である、オルレニア王国への進攻準備をしているというのは本当でしょうか?」
「どこからの情報だ」
海軍卿の声が一段低くなった。
「噂です、閣下」
「二度と口にするな」
「はい閣下。失礼いたしました」
決して口調を荒げたわけではないが、海軍卿の威圧感にそれ以上踏み込めず、アレクサンドラは退室した。
「……否定はしなかったな」
廊下を歩くアレクサンドラの胸に、暗い染みが広がった。
それに、海軍卿にはもうひとつ聞きたいことがあったのだが、あの流れではとても発言できなかった。
海賊島への任務は、誰がアレクサンドラを指名したのだろうか。
自室に戻ったアレクサンドラは、旅立ちの準備のため荷物を鞄に詰めていた。といっても複雑な心境だった。
「海賊、か」
正義を背負っていたはずなのに、正反対の立場になる日が来るとは。上手く海賊団に潜り込めたとしたら、自分も悪に手を染めなければならないだろう。想像するだに恐ろしい。
「海賊にも女性はいないのだろうな」
アレクサンドラが海軍で厄介者扱いされているのは、女性を船に乗せたがらない者が多いからだ。女性が船に乗ると海の女神が怒ると言われている。
海賊も縁起を担ぐ者が多いに違いない。女性海賊も皆無ではないので、ロバート海賊団がそうかはわからないが、女人禁制である可能性がある。男装をした方がいいだろう。
常に軍服を着ていたため、今でもアレクサンドラは男性に間違われていた。たいてい相手はアレクサンドラの身体のラインで女性だと気付くのだが、ならばこの女性特有の凹凸を消してしまえば、顔だけならどちらとも言えないはずだとアレクサンドラは考える。
「よし、試してみるか」
長い晒しを用意して胸を潰し、逆にウエストのくびれには布を入れてから晒しを巻いた。肩の位置には内側から肩パットを入れた。服を着てから腰に布を巻き付ければヒップラインもカバーできる。身長だって、アレクサンドラより低い軍人はいくらでもいた。
「うん、いい感じだ」
声も若干低めに発声する。元々アレクサンドラの声は高くないので、声で見破られることもないだろう。
少なくてもアレクサンドラの目には男に見えた。念のために街に出て、周囲の反応を確かめてみようと思う。
「髪も切ったほうがいいだろうな」
アレクサンドラは腰まであるブルネットの髪をさらりとなでた。
男性にも長髪はいるが、逆に短髪の女性はほぼいなかった。無難に短く切ったほうが安全だ。
髪をとかしてハサミを掴むと、途端に髪を切るのが惜しくなる。
「不思議なものだ、あんなに女であることが嫌だったのに」
嫌だったのは、女性だからと周囲の者たちと同等に扱われなかったことに対してだ。“女性性”が嫌だったわけではない。
夫の功績が評価され、夫の肩書として呼ばれる夫人ではなく、自分の人生を切り開く生き方をしたかった。それが女性ではできないことが歯がゆかっただけなのだ。
そのとき、廊下を走る足音が近づいてきた。
「アレックス!」
ドアが壁にぶつかる勢いで制服姿のエドワードが部屋に入って来た。長い距離を走ってきたのか、若干息が乱れている。制帽もずれていた。
「エド、どうしたの?」
突然のことにアレクサンドラは驚いた。いつも紳士的なエドワードが、女性の部屋にノックもせずに入ってくるなど考えられない事態だった。
「それはこっちのセリフだ。ジャスターク国に行くのか」
「任務だからね」
「追放だ!」
寡黙な部類に入るエドワードが珍しく激昂していた。
「危険すぎる。閣下も本気で行かせるつもりはないはずだ」
「そうだね。辞職すると思っていたみたい。私が受けると言ったら驚いていたよ」
アレクサンドラはハサミを鏡台に置いて肩をすくめた。
「わかってるじゃないか」
「だけどエド。私は初めて、まともな任務を与えられたんだ」
海軍卿の意図などわかっていた。
それでもアレクサンドラは嬉しかった。
「人生の転機になると思うんだ」
「意地をはるな。もう辞めろ。俺がもらってやる」
「なにを言って……」
アレクサンドラは腕を引かれ、エドワードに抱きしめられた。軍服越しに厚い胸板を感じる。仄かに潮の香りがした。
「幼いころからおまえを見てきた。融通が利かないほど真っ直ぐなことも、努力家なことも俺は知っている。無理にドレスを着ろとは言わない。俺の傍で自然体でいればいい」
「エド……」
そんな風に見てくれているとは思わなかった。兄の親友だから、妹のように気にかけてくれているのだと思っていた。
驚いたアレクサンドラが顔をあげると、至近距離で真剣な眼差しとぶつかり、ドキリとした。
「俺に嫁いで来い」
「私は……」
エドワードの言葉にアレクサンドラは揺れた。
彼ならきっと、ありのままの自分を受け入れてくれるに違いない。あらゆる面で、アレクサンドラには身に余る人物だ。軍人としてだけではなく人生の先が見えない今、この逞しい胸にすがってしまいたい気持ちもあった。
しかし。
なぜ軍人を目指したのか、アレクサンドラは初心を思い返した。
未知の世界を航海すること。正義の道で精一杯生きたいと思ったこと。
しかし現実の軍隊は、正義だけでなりたっているのではなかった。しかも自分は必要とされていないと思い知らされた。
それでも、今回の任務には心惹かれるものがあった。未知なる遠い国に行くことで、運命を変えてくれる予感がしていた。
アレクサンドラは決意をして顔を上げた。
「やっぱり行くよ。ありがとう。エドの言葉は嬉しかった」
アレクサンドラはエドワードから離れた。
エドワードの家庭に入るという具体的なヴィジョンを与えられ、改めて、軍人としての道を選びたいと確信できた。
「危険だとわかっていて、なぜ行くんだ」
「私は、まだなに一つ成し遂げていない。このまま逃げ出したら、この先の人生も逃げてばかりになってしまいそうだ」
アレクサンドラは壁にかかった額に目を向けた。海軍卿の執務室に貼ってあったものと同じ、空白の多い市販の世界地図だった。
「それに、この目で広い世界が見たいんだ」
「そうか。……まあ、そう言うと思っていた」
エドワードはふっと笑って腰に手を当てた。
「俺もついて行ってやる」
「えっ、なにを言っての。そんなことしたら出世コースから外れるよ」
兄と違って順調なのに、とは兄の名誉のためにのみ込んでおいた。
「もう上の許可はとってある。おまえに単独行動をさせると無茶をしそうだからな」
「エド自身が言ったんでしょ、これは追放だって。エドは捨てるものが多すぎるよ」
エドワードは有能で、家柄も爵位もある。軍でも家でも肩身の狭いアレクサンドラとは大違いだ。
「俺がなにを捨てるというんだ。さっさと任務を済ませて帰ってくればいい」
アレクサンドラは長い睫毛を瞬かせた。
さすがエド、こんな無謀な任務に少しも臆さないだなんて。
私の心配なんて杞憂だったと感心するアレクサンドラの頬が、大きな手に包まれる。
「俺がおまえを守ってやる」
「あ、ありがとう、エド」
アレクサンドラは気恥ずかしくなって、注がれる視線から逃れた。
エドワードはレクサンドラを女性として扱う唯一といっていい男性だったが、こんなに触れられるのは初めてだ。しかも、危険な海賊島に行かせないために勢いで言ったのだとしても、求婚されたのだ。どうしても異性として意識してしまう。
エドワードはアレクサンドラの長い髪をひと撫でして、鏡台に目を向けた。
「さっき、髪を切ろうとしていたか?」
アレクサンドラは頷いて、エドワードの前で回転する。
「うん。見て、身体のラインを平らにしてみた。これで髪を切ったら、完璧に男に見えるでしょ」
「どうかな。俺はおまえが男に見えたことは一度もない」
「えっ、おかしいな。絶対に男に見えると思うんだけど」
アレクサンドラは鏡に姿を映して首をひねる。
「……そういう意味ではないのだが」
そう小さく呟いたエドワードは、気を取り直したようにアレクサンドラに視線を向けた。
「本気でその髪を切るつもりなら、俺が切ってやろうか」
「助かるよ。自分じゃ上手く切れないなと思ってたんだ」
アレクサンドラは鏡台に座った。
「本当にいいんだな?」
「思い切ってやっちゃって」
アレクサンドラはこぶしを握った。
少しだけ怖い。物心ついてから、短髪にするなんて初めてだ。「男女」と言われ続けていたが、男らしさなんてわからない。自分はわからない存在になり、わからない場所に行く。
「別人の人生みたい」
――そうか、別人になるんだ。
そう思うと、好奇心が恐怖心を押し退けた。
これからアレクサンドラの皮を脱ぎ捨てるのだ。家と軍港の往復から解放されるのだ。アレクサンドラではできなかったことができるのだ。
アレクサンドラの顔色が明るくなる。思いのほか、ずっと窮屈な思いをしていたようだ。
「なにか言ったか?」
「ううん。エドが来てくれるって言うし、すぐに悪い奴なんてやっつけられる気になってきた」
「当然だろ」
エドワードはブルネットの髪をすいてからハサミを入れた。
ジョキリ、と髪を切断する音がして、アレクサンドラの肩に力が入った。
大丈夫。これは私が脱皮をする儀式なんだから。これから、もっと自由な世界が広がるはずだから。
アレクサンドラは意識して呼吸を整えた。
「大丈夫か? やっぱり、やめるか」
「ううん、続けて。武者震いだよ」
半分は強がりだが、もう半分は本音だ。
アレクサンドラの様子を鏡越しに見て、エドワードは作業を続ける。
髪が重みを失うたび、アレクサンドラの心は軽くなっていくようだった。
「絶対に引き留めるべきだとわかっているのだが、俺はおまえに甘いな」
「エドは昔から優しいよね」
アレクサンドラは無邪気に、鏡越しにエドワードを見上げた。
「誰にでも優しいわけではない」
エドワードは長い指先でアレクサンドラの頬をなでる。
「こんなに肌の綺麗な男はいない」
「色が白いのかな。私は内勤だったからね。海賊島に行くまでの航海中に日焼けするだろうから、大丈夫だよ」
「……おまえには、なかなか話が通じないな」
苦笑するエドワードを、アレクサンドラは不思議そうに見上げた。
「まあいい、今さら急くつもりはない。すべては任務が終わってからだ」
エドワードは小さく吐息し、再びハサミを動かし始めた。
良く晴れた航海日和。
旅客船の船縁に寄りかかったアレクサンドラは、市販の海図と手作りの海図、そして方位磁石と天測器を交互に見比べていた。
「まだやっていたのか、よく飽きないな」
呆れ声で甲板にやってきたのは、胸元の開いた白いシャツと黒いパンツという、ラフな姿のエドワードだった。アレクサンドラは半袖のチュニックだが、生地は厚めにしている。身体のラインをごまかすためだ。家で試したように、服に肩パットが縫い付けられていて、身体には晒しも巻いている。化粧で多少肌質を悪くさせ、眉も太めに書いていた。
「オルレニアより南下したことがなかったから、楽しくて。私は実際に見た海図を完成させるのが夢なんだ」
太陽の光を取り込んでキラキラと輝いているダークグリーンの瞳を見て、エドワードは笑った。
「知ってるよ。だが、それは不可能だ」
「そうかもね。海って、どれくらい広いんだろう」
エドワードは、夢を打ち明けた数少ない一人だった。
海図を完成させたいと言うと、大概、笑われるか呆れられた。まったく信じてもらえない。誰も成し遂げていないことを、アレクサンドラにできるはずがないと思うのだろう。そんな反応には慣れていた。アレクサンドラ自身、完成できるとは思っていなかった。だから夢なのだ。
しかし、世界がどんなに広くても終わりがあるはずだ。いつか、誰かが地図を完成させる。それがアレクサンドラでないと誰が言いきれるだろう。
……そうは思うが、さすがにアレクサンドラはそこまで口に出したことはない。国から潤沢な資金で援助をされている冒険家の航海士にでもならない限り、叶わぬ夢だ。航海にはたくさんの人員が必要で、莫大な金がかかるのだ。
アレクサンドラのショートになったブルネットの髪が海風に揺れている。
ドミール帝国を出て、いくつかの港を経て三週間が過ぎていた。アレクサンドラは、その殆どの時間を船首楼近くの甲板で過ごした。
「陸にいた頃より生き生きとしているな」
「海も船も好きだから。あっ」
アレクサンドラは船縁から乗り出して、自前の望遠鏡を覗きこんだ。
「ジャスタークの港が見えてきた」
「予定通りだ」
「ねえ私、“俺”とか言った方がいいのかな?」
アレクサンドラは背伸びをして、エドワードの耳元で囁いた。エドワードは呆れた顔をして、視線だけで周囲に誰もいないことを確かめる。
「今更変える方が不自然だ。誰が乗り合わせていたのかわからないのだから。考えた上で態度を変えていないのかと思っていた」
「人称まで頭が回らなかったよ。名前もそのまま“アレックス”って名乗ればいいよね。幸い男性だって使う名前だし。私は表情に出やすいようだから、嘘は少ない方がいいな」
エドワードは肩をすくめて、アレクサンドラに並んで船縁に寄りかかった。
「そういう打ち合わせは、出航前にしておくべきだったな」
「ごめん。エドが来てくれると思ったら安心しちゃって、旅行気分になっていたよ」
丁度いい高さにある肩に、アレクサンドラは小さな頭をのせた。白い肌は日に焼けて、黒くなる代わりに桃色に染まっていた。肌は火照っているはずだが気にならない様子で、鼻歌混じりに手書きの海図を見ている。
アレクサンドラの白く細い項を、海から反射した光が照らしている。それをエドワードは目を細めながら見つめ、サラサラとしたブルネットをひとなでした。
「どうすればおまえが男に見えるというのか」
「ん? もう一度言って」
アレクサンドラはエドワードの肩に頭をのせたまま、すぐ近くにある青い瞳を見上げた。波の音で声がよく聞こえなかった。
「こちらのことだ。……これからが本番だぞ」
「うん」
女性であることを隠し、諜報員であることを隠し、ロバート海賊団に潜り込む。そしてアジトを見つけなければならない。
もしくは、赤い死神を討つ。
アレクサンドラは姿勢を正し、気持ちを引き締めた。
「思ったより立派な港だね」
下船の準備をして再び甲板に上がると、ジャスターク国の陸地が近づいていた。深い入り江の奥には整備された船着き場があり、船舶が四百艘以上は停泊しているだろうか。入り江の入り口は人工的に狭くされ、関所が設置されている。巨大な軍艦が入り江に入るのを阻止するためだろう。
石造りの突堤に降り立った二人は、繁華街に向かって歩き始めた。海岸沿いに色とりどりのテントが張られ、野菜や果物、毛皮や織物などの商品が売られている。
アレクサンドラは驚いたように、辺りを見回した。
「スパイスかな、いい匂い。なんだ、活気があっていい街じゃないか。死体と汚物と悪臭で溢れていると聞いて覚悟して来たのに」
「だが、夜は姿を変えるかもしれないぞ。気を許すな」
「わかった」
アレクサンドラはこくりと頷いた。
まず荷物を置くために、二人は宿屋を探した。宿屋は酒場を伴っていることが多いので、情報収集もできて一石二鳥だ。せっかくなら多くの海賊たちが集まる、大きな宿屋がいいだろう。
行き交う人々は肌や瞳や髪の色が様々で、まさに人種のるつぼといったところだ。
「それにしても、人が多すぎる」
アレクサンドラは顔を顰めた。
メインストリートは人で道が詰まっていて、まっすぐに歩くだけでも苦労する。大きな荷物も邪魔をして思うように進めなかった。身長はあっても体重の軽いアレクサンドラはたやすく突き飛ばされてしまう。
「エド、一本裏の路地を歩かないか?」
「まだこの街の事情に明るくないんだ、人の流れから外れない方がいい。荷物なら俺が持ってやるから」
「それは大丈夫。自分の勝手で荷物を増やしたんだから」
鞄の中には、航海道具がたっぷり詰め込まれていた。アレクサンドラにとっては宝物だ。壊れないように大事に抱えている。
「それにしても、波には酔わないのに、人に酔いそうだよ」
人から香る油や香水の匂いに、店から漂う肉や鮮魚や香辛料、なめし皮など、色々な匂いが入り混じっている。
思えば故郷のドミール帝国では馬車移動が多く、街中をのんびり歩くことは少なかった。名ばかりの男爵家とはいえ、買い物や家事は使用人が済ませていたからだ。アレクサンドラが街を歩くのは、軍の雑用で買いだしが必要な時くらいだった。
「帝国にも、こんな市場があったのかな」
アレクサンドラが周囲を見渡しながら荷物を持ち直そうとしたとき、皮袋が反対側の人波に引っかかった。
「あっ、ちょっと」
紐を引っ張ろうとすると、強い力で奪われた。偶然じゃない。
「ひったくりだ。エド、荷を取られた。追いかける!」
アレクサンドラは逆方向の流れに入り、ひったくり犯を追った。
「待てアレックス! ……気を許すなと言ったばかりなのに。あいつはいつも、返事だけはいいんだ」
エドワードは人波をかき分けながら、慌ててアレクサンドラを追いかけた。
「捕まえたぞ!」
フードの小男の肩を掴んだアレクサンドラは、足払いを仕掛けて男を投げ飛ばした。携帯していた腰のレイピアを抜いて、男の鼻先に突き付ける。
「荷物を置いて、さっさと消えろ」
憲兵にでも突き出したいところだが、これから海賊になろうとしている身で目立ちたくはない。
男が逃げ出したので、アレクサンドラはレイピアを一振りして鞘に収めた。荷物の中身を確認して道具が壊れていないことを確認する。
「油断も隙もあったものじゃないな」
大事そうに荷物を抱えつつ、男が剣で抵抗してこなくてよかったと内心ほっとした。路地が狭くて長剣は扱いにくい。といって、ダガーでは心許なかった。
「どこだ、ここは」
陽の差し込まない、大人二人が並ぶのがやっとの細い路地だった。飲み屋街の裏なのか、あちこちから陽気な笑い声が聞こえてくる。
男を追いかけている時間は、それほど長くはなかった。遠くには人ごみと喧騒が聞こえるので、メインストリートから一本入り、並行に走っている路地裏だろうと判断した。
「止められた裏路地に来てしまうとは、エドに怒られるな。早く戻らなきゃ」
これは不可抗力だと心の中で言い訳をする。それでもばつが悪い。メインストリートで、抱えている荷物を堂々とひったくられると思っていなかった。
「新入りか。荷物をそこに置いて行きな」
石階段の死角になって見えなかったが、男たちが道端でダイスを使って賭博をしていたらしい。六人のうちの一人が立ち上がり、アレクサンドラに話しかけて来た。髭を生やした四十代ほどの男で、日に焼けた逞しい肉体を誇っていた。この町に滞在する海賊の一人なのだろう。空いた酒瓶がいくつか転がっていることから、かなり酔っているようだ。
「通行料が必要? なら別の道を探すよ」
「おっと、逃がさねえぜ」
別の男が機敏な動きでアレクサンドラの背後に回る。あっという間にアレクサンドラは男たちに挟まれた。
「金目のものは入っていないというのに、よく狙われる荷だ」
アレクサンドラはレイピアの柄に手をかけるが、抜くか迷う。
「頼りない剣だな。大人しく言うこと聞いとけ」
男たちはカトラスを手にして、下卑た笑いを浮かべている。カトラスは刀身に幅があって湾曲し、小回りが利く刀だ。こういう狭い路地や船上で威力を発揮する。切りつけられたら、ひとたまりもないだろう。
「賑わっていても、やっぱり荒くれの街か。まいったな」
腕に覚えがあり、多少のことがあっても大丈夫だと高を括っていたアレクサンドラだったが、不利な地形に飛び込んでしまい、内心焦っていた。見くびられないように表情には出さないようにしていたが、握った手に冷や汗が滲んでいた。素直に荷物を渡した方がいいと思うが、愛用の航海道具は貴重なものもあり、手放すのは惜しかった。
「こっちだ」
後ろから声が聞こえたのと同時に、腕を引っ張られた。
「エド!」
「こいつら、さっきのひったくりじゃないだろ。なんでこんな短時間に、何度も襲われるんだ」
「私が知りたいよ」
アレクサンドラを囲っていたうちの二人が、エドワードに伸されて湿った路地に転がっていた。アレクサンドラたちが後退したことで、四人の男たちと対峙することになった。
「おっ、荷物がもう一つ増えたな。手荒なことはしないでやろうと思っていたが、先に手を出したのはそっちだぞ」
男たちが本格的に剣を構える。エドワードはアレクサンドラを背後に庇いながら、自身のカトラスを抜いた。エドワードもアレクサンドラと同じく普段はレイピアを帯刀していた。しかし海賊島で必要になることを見越して準備していたのだ。
「四人を相手にするのは厳しいな。逃げるにしても土地勘がない」
「ごめん、荷物を渡しておくべきだった。私は助けを呼んでくるよ」
「下手なのを捕まえたら、逆にこいつらの仲間を増やすことになるかもしれないぞ」
八方塞がりだった。
「私のせいでエドに怪我をさせられない。エドは逃げて」
アレクサンドラはダガーを抜いて、エドワードの隣に並んだ。
「そんなもので相手になるか。危ないから下がっていろ」
「やってみなきゃわからないよ」
二人の掛け合いに、男たちはじれてきた。
「やっちまえ!」
――その時、アレクサンドラの目の前に、赤い疾風が走った。
次の瞬間には、四人の男たちが倒れていた。
「なにがやっちまえだ。何様のつもりだ!」
膝まである深紅のジュストコールを翻した人物が叫んだ。先頭の男を蹴り倒し、他の男たちはドミノのように押し倒された。
豪奢な深紅のダマスク織りのジュストコール。黒い乗馬パンツに革のロングブーツ、肩近くまである金髪の頭には黒いバンダナを巻いていた。指や首回りには豪華な宝石が光り、左目に眼帯をしている。
アレクサンドラは目を見開いた。
「まさか」
隻眼の赤い死神。
「……ロバート?」
アレクサンドラの呟きは、蹴り倒された男の叫び声にかき消された。
「ロバート、もう戻っていたのか!」
「当たり前だ、この街を仕切ってるのは誰だと思ってんだ。力があり余ってるなら海に出ろ! 次にこの街で追剥ぎをしているのを見つけたら、港に入れねえからな」
男たちは文句を言いながらも去って行った。
彼が、“赤い死神”と呼ばれる男。
年齢は二十代前半だろう、アレクサンドラの想像よりもずっと若かった。
バンダナから一房流れる金髪が揺れている。二重のはっきりした碧眼と通った鼻筋。少し厚みのある唇には不敵な笑みを浮かべている。
――この人が、史上最強最悪の海賊、ロバート。
アレクサンドラは、目の前の人物と噂の印象が一致しなかった。どう見ても冷徹な悪魔には見えない。助けられたからだろうか。
「ありがとう、助かった」
気を取り直して、アレクサンドラは手を伸ばした。
「気にすんな。飲んでたら見えちまったからさ」
ロバートは二階の窓を親指で示した。そこから飛び降り、強烈な蹴りを男たちに浴びせたようだ。
「よく来たな」
握り返されたロバートの手は固く、骨ばって豆だらけだった。海の男の手だ。
碧い瞳が真っ直ぐアレクサンドラを見下ろしている。その温かい眼差しに、アレクサンドラは吸い込まれそうになった。
なんて優しい目で見つめてくるんだろう。
「洗礼を受けちまったようだが、そう治安の悪い街じゃないんだぜ。人気のあるところはそれなりに安全だ」
「あの、キャプテン・ロバート。私たちを、あなたの仲間にしてもらえませんか」
アレクサンドラはロバートの手を握ったまま、直球で頼んだ。
「仲間ねえ。オレの船は希望者が多いんだよ。どうしよっかなあ」
ロバートはおどけるようにアレクサンドラとエドワードを交互に見た。アレクサンドラはロバートの手を握ったままだったことに気づき、慌てて離した。
「ロバート! なにしてんのさ、早く戻って来てよ」
頭上からハスキーな甘い声が降ってきた。見上げると、先ほどロバートが示した窓から、ピンクゴールドの長い巻き毛の人物が身を乗り出していた。
「可愛い子」
思わずアレクサンドラは呟いた。
この距離からでも、琥珀色の大きな瞳と長い睫毛がよく見えた。こんな容姿に生まれてきたら人生変わっていたんだろうなと思わせる、華奢で可憐な容姿だった。
「おう、じゃあ、そこどけ! あんたたちは表から来な」
後半は肩越しに振り向きながらアレクサンドラたちに声をかけ、ロバートは軽く助走をすると壁を蹴り、二階の窓に飛び込んで行った。そこから歓声と指笛、野太い笑い声が溢れてくる。
「また絡まれたら面倒だ、大通りに出よう」
エドワードがアレクサンドラを促した。
「早速本命のお出ましで、探す手間が省けたな。噂どおり派手な奴だ」
「悪い人に見えなかったね」
アレクサンドラは、いまだにロバートの柔らかい眼差しに包まれているような、不思議な感覚があった。手の平にも温もりが残っている。
仲間にしてほしいという言葉はまるで本心であるかのように、自然に口から飛び出していた。討伐のことなど、一瞬頭から消えていた。
目を閉じると瞼の裏に、さっきの赤い疾風が蘇った。鮮やかで、なんとも頼もしかった。
アレクサンドラの様子に、エドワードは眉を顰めた。
「悪い奴ほど、そうは見えないものだ」
「……そうか。うん、そうだよね」
アレクサンドラは納得した。
悪党を世に放っておくわけにはいかない。
軍人として私は彼を討つ。
アレクサンドラは頭の中で繰り返した。
