姫路の廃業した蔵へかけた一本の電話
寿老について調べていくと
かつてこのお酒を醸造していた会社の住所と電話番号が見つかりました。
そこを辿っていくと、その跡地がグループホームになっていることが分かりました。
そして、このグループホームの電話番号が当時のものと変わっていなかったのです。
さらに、代表者の苗字が、酒蔵の代表者と同じであったので、
おそらく、ご親族の方が経営を引き継いでいるのではないか——
そんな推察が成り立ちました。
それでも、突然連絡をするのは失礼ではないだろうか。
廃業して長い年月が経っているのに、
過去の銘柄の話を持ち出すことは、
かえって迷惑になるのではないか。
しばらく迷いましたが、
「復刻」という言葉を使っていきたいと考えている手前、
そのご親族の方々への敬意を欠いたまま進めることはできない。
そう思い、
思い切って電話をかけることにしました。
ドキドキしながら呼び出し音を待ち
受話器の向こうで、
落ち着いた女性の声が聞こえました。
突然の電話であることを詫びながら、
かつて「寿老」という日本酒を造っていた
株式会社鍬田のことをお尋ねしました。
一瞬の間があり、
そして静かに返ってきた言葉は、
「ええ、確かにそうですが」
というものでした。
私はこれまでの経緯と、
「寿老を復刻させたい」という思いを率直にお伝えしました。
しばらく話を聞いてくださったあと、
代表の方は穏やかにこうおっしゃいました。
「もう20年ほど前に閉業していますし、
寿老という名前でご自由に造っていただいて構いませんよ」
その一言で、
胸につかえていたものが、すっとほどけました。
権利の問題だけではなく、
何よりも気にかかっていたのは、
“気持ちの問題” だったのだと、そのとき気づきました。
過去にそのお酒を守り、
造り続けてきた方々の思いを置き去りにして、
ただ名前だけを使うことはしたくなかった。
だからこそ、
この言葉は本当にありがたいものでした。
「ありがとうございます」
いつか必ず、
寿老というお酒が生まれ、造られていた場所を訪れ、どんな経緯でできたのか知りたいという思いが自然と湧き上がってきました。
いつかお会いに行くかと思いますが、その時はまたご連絡させていただきますので、どうぞ宜しくお願いします。
と伝え電話を切りました。
静かな安堵と同時に、
不思議な責任のようなものも感じていました。
もう、後戻りができないところに進んできていると感じつつ、
これは単なる商品づくりではなく、
過去と現在をつなぎ、
七福神のお酒を揃え、ひとつのストーリーとして完成させること。
そして、
日本酒と日本文化、神話や信仰といった
目に見えない日本の価値を、もう一度結び直していく行為なのだと、
自分自身に問いかけていました。
