いつでも、誰でも、傍聴できます。
それは、担当するクラスの生徒が事件を起こし、逮捕、収監、起訴されたことがきっかけでした。
根っからのワルではないのに間が悪く、いつも、あれよあれよという間に大ごとになってしまう、そんな彼に、少しでも前向きな気持ちになってほしいという思いから手紙のやり取りをしていたのですが、公判の日取りを知らされ、地方裁判所へ傍聴に出向きました。(15年ほど前のことです。細部の記憶は確かではありません。)
「気候変動の影響は疑いようがない」と言われ始めた頃の異常な暑さの8月初旬でした。初めて訪れる県庁所在地の地裁は、建てられてからまだ日が浅いと思われる建物で、無機質なエントランスの中央には飾り気のない譜面台のような台があり、その上の紙ばさみにさりげなく1枚、今日の公判の予定が小さな字で表示されていました。表には7〜8件、並んでいた、ように思います。
指定された法廷は、廊下を直進し、突き当たりを右折したすぐのところにありました。「傍聴席」と表示のあるドアから入室します。先客は2、3人でした。ここまで、誰にも会わず、氏名、住所などを問われることもありませんでした。
清潔で無機質な傍聴席にはシンプルな木製の、座面が跳ね上がるタイプの椅子が、20ほど並んでいて、私はその端に音を立てぬように腰を下ろしました。静まり返った法廷に、誰かの咳払いが響きます。
公判は既に始まっていました。若い弁護人に促されて、三者面談で面識のある小柄なお父さんが、彼の生い立ちについて朴訥と話していました。弁護人は、被告の恵まれない境遇には情状酌量の余地があるという主張を支える証言を得ようとしているようでした。その後、裁判官は、「今後、責任をもって息子さんの更生を支えるつもりがありますか?」とお父さんに問い、お父さんは辛うじて聞き取れるような声で、「はい」とだけ答えました。
傍聴席には、私以外にふたり、カジュアルな服装の若い男性がいましたが、被告とどんな関係なのか窺い知ることはできませんでした。
何気なく傍聴席を見渡した被告と目が合いました。私を認めて、彼は少しはにかむように微笑み、私は小さく頷きました。
小一時間で審理は終わり、判決の日程が告げられ閉廷しました。退廷する際に彼はもう一度こちらを振り返り、微笑みながら軽く一礼しドアの向こうに消えました。
法廷内はエアコンが効いていて快適です。今日の目的はこれで達成したのですが、電車を乗り継ぎ1時間半以上もかけて来たのですからこれで帰るのは何だか勿体ない、と思いました。いや、正直に言えば、午後の焼け付くような陽射しに尻込みした、あるいは、もう少し涼みたかったということです。
程なく次の公判が開廷です。少しの予備知識もなく、物語は始まりました。
被告は30代の男性。夜間の事務所のドアをバールでこじ開け忍び込み、金庫から現金を奪ったようです。こちらの証人はお母さまでした。少し髪のほつれた、疲れた表情のお母さまは、「定職にも就かず人間が曲がってしまったのは私のせいです。」と泣き崩れました。首筋からタトゥをのぞかせた息子は、眉ひとつ動かさずに母親を眺めていました。
この裁判の途中、音を立てぬように気遣うわけでもなく、日常的な足取りで傍聴席に入室してきたのは、ネギが突き出た買い物かごを腕にかけたサンダル履きの中年女性でした。おやっ、被告とはどんなご関係なのかな、と後列の反対側の端に腰かけた彼女をチラチラ観察していたのですが、15分ほどすると入ってきた時と同じ足取りでおもむろに退室して行きました。あくまで推測ですが、このご婦人は、買い物帰りに(私と同様)少し涼んで行ったのではないでしょうか。
私はと言えば、折角なのでもうひとつ(覚醒座を使用した20代の男性の公判を)傍聴して帰路につきました。
初めての傍聴体験でした。
驚きました。(未成年者の少年審判を除いて)傍聴には、資格要件が全くなく、誰でも、何歳でも傍聴できること、事前の予約や申し込みも不要で、ふらっと来てどの公判でも自由に傍聴できること、入室前の受付、氏名や住所の記入、身分証明書の提示なども一切ないことに、です。
最初の、自分の教え子の公判では、言ってみれば私は関係者なのですが、2つ目、3つ目のでは、私は通りすがりの他人です。その他人が、よりによって犯罪行為の詳細、被告の生い立ち、家庭の事情、それを巡る家族の複雑な心境(親の慟哭)など、てんこ盛りの個人情報を明け透けに見聞できてしまう。2つ目の開廷直後には、「あれれ、ここにいていいのかな?」、係官に、「あなた、いつまでいるつもりですか。」などと咎められるのではないかとソワソワしたほどです。
しかし、と改めて考えてみれば、中学校(など)の社会科(など)で教わった裁判の「公開の原則」というのは、正にこれなのですね。公正な裁判を保証し、国家権力の暴走や恣意的な運用から被告、ひいては市民を守るために、国民が権力を監視する仕組みであり、憲法第82条が定める人権のひとつです。プライバシーの侵害と引き換えに、命に関わる人権を守るための、なくてはならない制度なのです。
裁判が非公開となるだけで、検察官にどんな理不尽な罪状を被せられても、裁判官にどんな横暴な判決を下されても、誰にも知られることはなく、被告は甘んじて刑に服すことになります。時折ニュースで耳にする、どこかの権威主義国家のような暗黒の社会が簡単に出現します。考えるだに恐ろしいことです。ですから、「個人情報を知っちゃっていいのかな」などと及び腰になっていてはいけない、私たちはもっと積極的に裁判所に足を運ばねばならないのだ、と痛感しました。
長らく、「10年学んでも話せない」と、英語指導の無能を責められてきた英語科教員としてその鬱憤を晴らすとしたら、社会のあり様を知らせ、考えさせる絶好の機会である裁判の傍聴に、中学生、高校生をけしかけない、あるいは焚き付けない、あるいは唆さない社会科の教員の無策を詰りたいと思います。都会にある学校ならば、社会見学や探究学習として連れていくなり、夏休みの課題として傍聴レポートを課すなりしないのはなぜなのでしょう。(いや、私が知らないだけでもう広く取り組まれているのかも知れません。)
そんなわけで、私は早速、娘たちに紹介し強く推奨しました。素直な娘たちは、その後、夏休みなどにそれぞれ、友人を誘っては傍聴に出かけ、その度に、夕食の食卓には興味深い話題が、それを語る娘たちの成長の様子とともに提供されました。
長いこと言いたかったことが書けて、スッキリしました。
話のついでに、教え子が収監されていた東京拘置所での面会の経験も書きます。
東京拘置所は荒川沿いにあります。JR線、東武線の北千住を過ぎてすぐの辺りで車窓からその威容を眺めることができます。今世紀に入って建てられた近代的な建物ですが、その大きさ、なんとも言えないくすんだ灰色、コンクリートの塊のような外観が訪れる人を威圧します。処遇の決まっていない被告人と死刑確定囚を中心に3,000人ほどが収容されています。
おおよそ訪問が奨励も歓迎もされない施設ですから、参道の賑わいはもちろん丁寧な案内表示もなく、遠くに見えるあの城のような建物にはどうやって近づくのか、少しまごまごし、カフカの陰鬱な長編『城』を思い浮かべました。
面会者が訪れるのは病院の大きな待合室のような部屋で、受付窓口の連なるカウンターと平行に、茶色い合皮の長椅子がズラッと並んでいます。たくさんの人が受付や長椅子で時間を持て余していて、パッと見たところは役所の戸籍課のようではありましたが、特徴的なのは、そこにいる人たちのほとんどがヤクザの子分と親分の情婦、のように見えたことです。
半ばビビりながら受付にたどり着き、小さな紙片に彼と自分の名前、間柄(元担任)を記入し提出すると番号札をもらい、お兄さん、お姉さん方の少ない長椅子に腰かけ静かに順番を待ちます。30分ほど待って電光掲示板に自分の番号が点り、奥のドアに案内されました。
透明のアクリル版で仕切られた、テレビドラマで見る面会室です。彼の斜め後ろには無表情な係官が折り畳み椅子に座っています。
どんな生活をしているのか、体調はどうか、といった話に始まり、実刑判決についての感想、控訴の判断についての考えなどを聞きました。面会時間は15分と決まっていましたが、気がつけば45分を経過していました。おそらく、私が控訴は断念して服役するよう説いていたからでしょう。
彼は地方の刑務所で服役、出所した後、数ヵ月で再び事件を起こし2度目の服役。出所した後は連絡が途絶えました。
無力感が残ります。(2026年、6月)
