ある小さな真っ白い稲穂
2003.8.6(水)
なぜかこの日記は入院してから4ヵ月後からスタートしています.それではこれまでの経過を混ぜながら進めて行きます.
2003年4月6日午後6時頃,○○病院から救急車で運ばれ,7時過ぎ,入院が決定.最初はイレウス(腸閉塞)でしたが,検査の結果,白血病(俺の場合は急性リンパ性白血病ALL)と診断されました.6日〜10日ぐらいまでは熱が40度以上出てしまいました.
そのため治療が1週間くらい遅れてしまったのです.まぁもちろんその間にも痛い,痛い検査(骨髄穿刺や腰椎穿刺)はもちろん,点滴の管を入れる小手術みたいなの(IVH)もやりました.全てが初めての俺は本当にビビっていました.それから1ヵ月後,無事寛解(骨髄穿刺をして,そのとった骨髄液を顕微鏡で見て,その時点で白血病細胞がない状態)に入ったわけです.
そして今・・・地固め療法(悪い細胞を抑えるために良い状態を維持する)の3クール目に入っているのです.基本的には4クールやるらしい.2クール目の時はコース1で1週間くらい吐き気が止まらず,コース2では口内炎と熱が出てしまい,予定外だった抗生剤や解熱剤も入れられてしまったわけです.この時はノイアップ(白血球を人工的に上げる注射)を5日間やったのに好中球が100しか上がらず,100しかなかった時が数日続いたのです.今考えるとあの時はかなり危なかった.
2003.8.7(木)
今日は夜中の4時半頃に39.5度まで熱が上がってしまった.そん時はメチャメチャだるくてかなーり辛かった.でも今はかなり調子も良く気分もいい.
しかも,ドナーさんがもうすぐ決まりそうで,HLA(白血球の型)も遺伝子型も一致してこの上ない人だそうです.だから今はメチャメチャ気分に乗っているのです.そして今日は日中にWさんとHさんと楽しく話せたし,なんか最近は入院生活もそう悪くないなぁなんて思ってきています.それと,本日より待ちに待った夏の全国高等学校野球選手権大会が始まりました.来年の今頃復帰して野球をやっている姿を想像したら興奮で眠れません.アァ,早く野球してぇなぁ.
2003.8.21(木)
またかなり間が空いてしまいましたね.その間の出来事を簡単に説明致します.19日までは病棟の引っ越しがあり,これまでは7階南病棟だったのが,4階西病棟になってしまったのです.少しは手伝いできるかなぁと思っていたのですが,ちょっと無理でした.その期間,ずっと体調の方が少し悪く,少し吐き気もあったので.というわけで,現在はやや沈み気味となっております.
2003.8.22(金)
前同じ部屋にいたHさんのいる今の部屋には大変なおじさんがいることがわかった.幸いにも,俺の部屋にはいないけど.かなり可哀想に思う.ただでさえ治療の副作用で苦しんでるんだからねぇ.一応ここは集団生活なんだし,一般的な常識は守ってもらわないと困る.話は変わるが,今日はなかなか充実した日を送った気がする.というのも,今日は下界に散歩しに行けたし夜は仲のいい患者さん達で久々にホタルの墓を見たのでなかなか楽しい日だった.
2003.8.23(土)
今はまだ午後4時.今日はかなり疲れたのでもう日記をつけてしまう.本日は同じ部屋の人&Hさんで超long talkをしてしまった.この時やっぱり俺はまだガキなんだなと思った.大人の人たちで話していたら,大人の社会では全然通用しないことがわかった.何が通用しないって,考え方だ.正直,結構ムカついた.思わずうるせぇよ!って言ってしまいそうになった.自分が抱えている問題を聞いてもらったのだが,その中で自分の考えを否定され,向こうの考えを押し付けられたのだ.なぜか,自分のことを否定されたような気分になった.でも向こうは遊び感覚で話しているんだろう.けど,こっちとしてみれば腹の立つ話だ.
話は変わるが最近Uさんが廊下をプラプラしている.このUさんという方は俺が再入院した部屋にいた人で明日が移植という人だ.自分がいずれする移植を明日するんだなんてこんな機会はないと思い,手紙も書いて渡した.今ではすっかり良くなったようで,元気な姿を見せてくれている.今は副作用もだいぶ治まってきているようだが,かなり辛くなったと思う.ただただ関心するだけだ.
2003.8.24(日)
今日はかなり暑い.病室にいるだけなのにかなり暑い.外はきっともっと暑いんだろうな.部屋の温度を下げたいのだが,この部屋の人は皆,俺ぐらいまでの暑がりではないので,あまり温度を下げられない.しゃあないやね.俺が一番年下なんだし.あー,でもやっぱり暑いなぁ.でも薬でくたばってないだけマシだろう.気持ち悪くてだるかったらこんな日記すらも書くのは危ういだろうし.
暇でも忙しくてもそう思えることが何よりもの元気な証拠ってことなんだよね.今学生の人たちは夏休み期間だと思うけど部活やってるやつにとってはかなりの正念場だと思う.はっきり言ってここで逃げるやつは結構いると思うし.でももし,やめたらどうなるかなぁ.その場しのぎにはいいかもしれないけど,やっぱり後々後悔すると思う.もし今そう思っている人がいたら考え直して欲しい.そして,忙しいとかめんどくさいって思えるうちが花なんだよって言いたいね.病人になって良くわかったもん.
健康体でいた時は「面倒臭い」,「つまらない」とか言ってた.けど,病人になると考えがまるっきり正反対になる.今死ぬほど部活でしごかれたいし,学校では授業も受けたい.しかも9限とかで.そして1授業45分ではなく,1時間くらいでもいい.また復帰したら考え方が変わるかもしれないけど,とりあえず今はそんな風に思える.
今,俺は学校に行っている小中高生にこう言いたい.「学校に行けるだけでもありがたいと思え!行ってることが当たり前だと思うな!」って.俺はよくこんなことを言われていたことを記憶しているが,実際なってみないとわからない.俺の性格上,だから言われてもあまりはっきりとは分からなかった.でも今はよくわかる.
あと,今日は高校の女友達が見舞いに来てくれた.一人は小学校から一緒で,もう一人は高校2年になってから同じクラスメートになった娘だ.元気な時に,よく俺が食べていたプッチンプリンとじゃがりこを持って来てくれた.袋の中には沢山お菓子が入っていて,中にはポケモンだの,クレヨンしんちゃんまで入っていた.部活で身体を大きくすることが至上命題だったこともあり,必死に高カロリーのものを食べていた.それをみていた彼女たちが気を遣って大量のお菓子を持ってきてくれたのだ.その行動は脱帽ものだ.
話は変わって,自分の病気の話.今日俺の隣のK・Kさんという方のところに移植担当のM教授がいらっしゃった.なんだか,9月に予定していた話会をもうちょっと早くして欲しいとのことだった.移植日が早くなったのか,もしかしたらドナーが最後の最後で拒否してしまったのか,全く分からない.言われたKさん本人もそうだけど,周りにいる俺や他の患者さん達も心配していた.早くになっている分には全然良いのだが・・・聞こうに聞けない...
今日はなんだか書くことがたくさんある.なんだか最近イライラしている.母親や兄貴つまり家族に対してイライラしている.この前だって母親に耳たぶをなぜかずっと触られていたら無性にイライラして,もうちょっとのところで爆発する寸前まで行ってしまった.同室の人が言うにはこれの原因はストレスの蓄積らしい.
俺は今までかなりhardに動いていたし,そんな体に病気のせいで針を常に入れるようになり,さらに病室に閉じ込められて自由を奪われている.確かにそれはあるかもしれないけど,それは俺的にはちょっと違う気がした.少しはあるかもしれないけど,前まではこの長い入院生活をわざとenjoyさせようという気持ちでいたが今は話せる患者さんもたくさんいるし看護師さんとは全員とも話せてムカつく人もいない.お気に入りの看護師さんができるぐらいだ.でも,医者に対しては一人だけちょっと?とくる人がいる.けど,その人とはかなり友達感覚で話せるからそんなには悩みって言うか不安はないと思う.イライラする原因に反抗期という話もある.うん,年齢的にもあるかもしれない.なんなのだろう,この感じは.今日は書きすぎた,もう寝ます.
2003.8.25(月)
昨日の夜,例の「イライラ原因は何だ事件」で看護師さんが相談に乗ってくれた.こんなガキの悩みを一生懸命に聞いてくれる.今朝だって,ある看護師さんが相談にのってくれた.そしたらどうやったらストレス解消できるかというのを考えて来てくれると言ってくれた.本当にありがたいその日を楽しみにしたい.
さて,今日から治療が再開された.副作用は全然ないのだが,とにかく放尿量が半端じゃない.脱水になってしまう勢いだ笑.そんな中,学校の先生がお見舞いに来てくださった.クラス担任であり,体育教師でもあり,陸上部顧問という大変忙しい先生だ.忙しい合間をぬってわざわざ来てくれた.今度来てくれる時は課題テストを持って来てくれるらしい.半分いらないけど半分欲しい気持ちだ.まぁとりあえず頑張ってみるか.授業を受けずにどこまでやれるか試したいしね.
また話は変わるが,次は主治医変更の話だ.ここでは主治医が2名体制で,1名が変わるようになっている.T先生は,ちょっと人間性に欠ける部分があるけど,技術はすごい.マルクは上手いし,ルンバールはこの前ちょっと失敗したけどそんな下手ってほどでもない.IVHも失敗しないし,いつも簡単にすんなり入る.
もう一人の主治医はS先生.S先生は完璧な偉大なるお人だ.欠点がない.カッコイイし紳士的だ.そして何より信頼できる.人格形成も人間形成もしっかりされている方だし,技術もピカイチだ.処置はものすごく早いし,本当に言うことなしの先生だ.今回の主治医変更では,一気に2名が変更となるようで,とても不安になる.今までは先生が変わるって言ったら研修医だけだったのだが2人とも一気に変わると患者としてはキツイ.ましてや何だか今度の先生は1年目の先生らしい.ヤバい,これじゃあどこまで俺の体がもつか心配だ.これが唯一の不安材料.
でも,こればっかりはしょうがないことなのだろう.医者も最初は未熟なものだろうし,そういう期間を経て立派な医者になるのだろうから.だから,完全に開き直ることしかないのだろう.一応,師長さんや他の病棟長に相談したが,相談したところで何も変わらないと思った.なるべく○○くんの意見は考慮すると言ってくれたけど,実際のところはあんまり考えてくれないんじゃないかと思う.忙しいし,患者は結構いるみたいだし,たかが16のガキの言うことなんてほとんど無視なんじゃないかなと思う.まぁ,別にいいけど.
またまた話は大きく変わるんだけど,俺のちょっとした夢を語らせてもらえるでしょうか.まず,このまま順調に快速ペースで行けば11月中に移植できると思う.
まぁでも最初の目標は年内中に移植できればいいと思っていたから,かなりの快速ペースなんだろう.そして,11月上旬に抗がん剤と放射線のきつい前処置をして,11月下旬に移植.移植後は全然GVHD(副作用)なんか出ないで平気な顔で過ごし,1週間頃過ぎた頃に強い副作用で苦しむ.しかし,その後は予想以上の回復で移植後3週間で無菌室から解放.12月中旬には完全退院.その後は自宅でトレーニングを行い,2月頃にはメンバーと同程度の体力まで戻し,4月中旬には学校復帰.どうだろうか,この素晴らしいスケジュールは.超異例のスピードで退院した高校生が,夢の甲子園で大活躍!!なんてことになったら.
でも,いくら野球やれる体に戻れたとしても,本当はできないんだ.移植から約1年は日光を浴びることが出来ないんだって.だから,この病気になった時点で俺の高校野球は終わっちゃったってこと.甲子園を目指して1年生の時はホントにぶっ壊れるかと思うくらい自分の体を痛めつけて,それから膝痛によって約半年間野球ができなくて,3年生が引退して新チームになって,心待ちにした2年になったと思ったら白血病だよ.
まさかこんなに大変だとは思わなかった.正直,今泣き半です.部活の皆(同級生,後輩,監督をはじめとするその他諸先生方)は,このことを聞いたらどう感じるのだろう.ただ,どう思おうと,これは受け入れなければならない事実なんだよね.悔しいし,もどかしいけど,受け入れないといけないんだ.だって,移植しなければ死んでしまうんだから.きついけど,気持ち整理していかなきゃ.頑張らなきゃ.耐えて,耐えて,耐えまくろう.
2003.8.26(火)
昨日はなんだかんだで全然眠れなかった.結局寝たのは夜中の2時半くらい.朝5時10分に起きて活動していたから,ほとんど寝れていない.
でも,不思議とそんなに眠くないんだよね.今日から治療の薬がオンコビンからステロイドに変わる.副作用という副作用が出ないのは嬉しいけど,自分の場合は顔に出てしまう.というのは,顔がりんご病みたいに赤くなっちゃって,ムーンフェイスという顔が腫れた状態になってしまうのだ.気分も悪くならないし,痛くもないのだが,熱を持って熱くなるので少し厄介だ.
それと,今日からノイアップを打つ事になっている.この注射は皮下注射(皮膚の下ならどこに打ってもいい注射)で,少しの量しか入れないのだが,結構痛い.なんで注射を打つかというと,治療を始めると必ず骨髄抑制というものがかかり,白血球が作られなくなる.その期間を「ナディア期」というのだが,そのナディアは普通の人だったら2週間近く続くのだが,俺の場合はこの注射で大体3.4日で上げてしまう.自分の力で上げられないから注射をするのではなく,ナディアを1日でも早く脱出できるようにと,注射をするのである.
そもそもナディアというのは白血球が少ない時期だから,その中にある好中球(黴菌などを攻撃してくれる)もないわけで,この好中球が無いと体内に菌が侵入してきても,そいつをやっつけることができないのだ.やがてその菌が体内で増殖し,臓器などに巣を作り,最悪の場合死に至ることもあるようだ.だからこのナディアは最も注意しなければならない時期なのだ.ちなみに,俺の今の白血球数は600.一般健常者の平均は4000-9000.だから今が丁度その危険な時期にあたるということだ.
さて,話題を変えて今度はこの闘病記の話.今日,午前中に主治医のS先生とT先生が回診に来た.いつも,「どう?」って言われるけど,いつも「何も変わらず順調です」と答えるわけです.というか,それ以外何も言うことはないので.日記をつけてることを伝え,この日記を見せてあげた.そしたら「本出せば?」と言うのです.確かにちょっと考えていたけど,うーんと思った.目的はお金儲けではなく,読んでくれた人が少しでも元気になってくれればいいと思う.自分自身,この病気になって,病気関連の本を2冊読んだんだけど,その本のおかげで今こうして前向きにと言うか能天気でいられるんだと思う.だからそう言う意味で本を出すことはとても良いことだと思う.
もし,この日記が本としてデビューした暁にはここに第一号を寄付したいと思う.そして,高校には第二号を贈ろう.いつかそんな日がくればいいな.
最近は,色々と考え込むことが多くなってきている.まずは部活のこと.野球部の監督には,これ以上高校野球を続けられることが出来ないことを伝えていない.メンバーに対してもまだ言っていないから伝えなきゃいけない.伝え方も伝えるタイミングもどうしようか...結局,大会で一度もベンチ入りできないで終わってしまった.頑張れば入れたかもしれないのに.て言うか絶対最後の夏は入れる自信があったのに.
やっぱり病気になって失うものは大きい.プロ野球選手に会えたり,サイン入りのバッドやグローブを頂いても,新聞で取り上げられても,やっぱり嫌だよ.やりたいことをやりきれないんだから.本当だったら今頃野球でバテバテになっているだろうに.学校に行っていたら可愛い彼女もできていたかもしれない.まだ16歳だもんな,きっと人生の中で一番弾けられる年頃だろうに...はぁ,涙もろくなったな.
ただ,辛いのは自分だけじゃない.特に両親.唯一無二の兄貴が生まれてすぐ,その兄貴は大病して,産んだ母親も俺を産んだ後に大病してるし.そんな周りの立場からすると親父が一番精神的に辛いんだろうと思う.だから俺は一刻も早く病気を治して親を安心させたい.と言っても,今すぐにどうこうできる訳ではない.でも,本当に心の底から安心させたいと思っている.
移植に関する嬉しい話もあった.主治医のT先生が来てくれて9月9日に移植のお話会を設けてくれるとのこと.今すぐにでも移植をしたいくらいだから,本当に嬉しい.GVHDは心配だけど,きっと大丈夫だろう.移植前の治療は相当大変らしい.マルクも頻回にするようだ.前処置の副作用は,これまでの治療とは比べ物にならないみたい.だけど,楽しみだ.楽観的ではない.こういうの,嫌いじゃない.こういう性格で本当に良かった,親に感謝.けど,この性格も変わってしまうかもしれない.どうやら,移植をすると血液型も性格も変わる場合があるんだとか.それはちょっと..嫌だなぁ...
今度はマセ話.好きな看護師さんがどうやら風邪気味らしい.こういう立場だけど,心配ですよね.お見舞い行きたいけど,こんな状態だしね.この気持ち,結構本気で,「好き」なんですよね.まぁ,言ったところで今こんなんだし,立場がね.ただ,患者と看護師が結婚って素敵だよね.憧れるー!!.5歳上の看護師嫁さん.すごーく好きー.悶々してくるから寝ます!
2003.8.27(水)
今日は採血をしました.白血球が大幅に上昇していました.この前は白血球600だったけど,今回は2300までいきました.ノイアップは2回打ちました.過去,最短記録です.今回は2回目で上がったけど,一応のために,駄目を押すということで,もう1日やるらしい.そんでもって,明日で治療の薬が終わるので,早ければ明日にはヘパロックできるようです.ということは,明日には自由の身になれるのです.これで階段登りも復活できるのです.多分自由になれたその日には嬉しくて5往復くらいしてしまうかもしれません.とりあえず,今日までで4㎏痩せたのですが,目標の55㎏まではあと5㎏ほどあります.ちょっときついかもしれないけど,自分けじゃないからね.ダイエットするのは.自分のことを世話してくれている看護師さんも主治医も移植を控えている患者さんもやっているんだ.看護師さんとは一緒に10㎏痩せようねって約束した.だから頑張って痩せるんだ.
話変わって昨日話した看護師さんの話.今日も休みみたい.熱は下がったようだけど.でも,ひとまずよかったね.不思議と,自分以外の人が良くなると,自分の事のように嬉しくなるんです.最近.だから今,同じ部屋にいる人たち(患者さん)に大きな副作用も出ていないことがとても嬉しいのです.でも,自分の家族ではちょっと心配な事も.親父が風邪をこじらせてしまったみたいです.色々と迷惑かけているから,それで身体にきちゃったんだろうな.だから,今はそれだけが気がかりです.早く良くなって,また見舞いに来てもらいたいところです.
一方,朗報もあります.今週末に外泊の許可がおりました!これで部活にもやっと顔を出せます!チームメイトも皆も,あまり会えていないから,きっと寂しい想いをしている事でしょう(笑).何より,自分がとっても会いたいのですがね.
さて,色々とテンションの上がり下がりの多い文章となっていますが,今度はテンションの下がるようなお話.今日,同じ病室のKさん,移植担当の先生からお話を受けていました.先生が部屋から出られたあと,Kさんの表情はとても暗い様子でした.キツイ事も言われたのでしょうか.移植前の大事な時期だからこそ,医師としての忠告を伝えたのかもしれません.それなりの覚悟で挑みましょうと.ちらっと聞いた話,移植前の治療は本当に本当に厳しいようです.それまで自分自身が持っていた免疫機能を完全に無くさせる作業のようですが,心身ともにやられてしまう方が多いようです.そして,なんとか,移植することまでこぎつけても,移植後の副作用で亡くなってしまう事も少なくないようです.本当に命懸けです.でも,自分自身,心のどこかで楽しみにしている自分もいるのです.なぜかはわからないのですが,なぜか,楽しみなのです.バッチコイ!移植!かかってこい副作用!!という気分でいるのです.直前なったら膝ガクガクかもしんないけど今は強気!おやすみ!!
2003.8.28(木)
今日,点滴ヘパロックになりませんでした.理由を聞いたら,「腎不全になるかもしれない」と.なんだ,ジンフゼンって.でもひとまず,そんな理由でロックなしとなりました.なんだかよくわからないけど,一大事になるのを防ぐのであれば,それはやった方がいいですもんね.ありがとうございます,先生.残念だけど.
しかし,退屈です.今,病室にいる人たちは皆さんお昼寝しています.誰も構ってくれません.穏やかな病室です.
先ほど,主治医と話しました.「外泊したいんだけど,いつころできますか?」主治医「金曜日の採血結果次第かな」とのこと.前回の採血で2300になっていたけど,これはステロイドの作用によるものらしく,このステロイドがなくなっても,高い数値だと安心できるようです.そして今はまだステロイドが入っているので,あまり期待はできません.ただ,でも,やっぱり病院出たいですよ!病院出て外の空気吸いたいし,家族にも会いたい!色々食べたいとかじゃなくて,会って話したい!でもそれは叶わないのです.移植が近いので,色々とスケジュールを詰めながらやっているんだと思います.
色々やってくれるのは嬉しいし,感謝すべきなのですが,でもやっぱり辛いです.この病気にとって,外泊がどれほどのものか.本当に医者たちはわかっているのだろうかと思ってしまいます.常に病室という檻に閉じ込められて,行動の自由がない生活を送っている患者にとって,外泊は何よりも気持ちがリフレッシュできる治療です.そんなこんなで,感謝もしている一方で,苛立ちがあるのも事実.なんとも複雑な心境です.医者側からすれば,命預かっているから簡単に「外泊しておいで」なんて言えないだろうしね.こんな苦しい想いをして,ちょっとの欲望のために再発なんて言ったら,それこそ最悪だ.これまでの治療が水の泡になってしまう.
こんな苦しい時期を乗り越え,外界で生活できるようになったら,楽しく生きよう.思い通りにならないことをたくさん経験したから,それなりの我慢も覚えられたはずだし.頑張っていこう.頑張って乗り越えていこう.
2003.8.29(金)
今日の採血で外泊できるかどうかが決まっていましたが,見事,外泊禁止となりました.前回の白血球が2300だったのに,今回は1300でした.やはり,ステロイドで見かけ上増加していただけだったのでしょう.
ただ,ショックですね.もし,今週末に家に帰れたら,焼肉食って特上ステーキ食って,本マグロの寿司を腹いっぱい胃袋に収めようと思っていたのですが,夢,ついえるって感じです.自分自身,この治療をとりあえずのゴールと想定してやって来たのだが,そんな事も無意味になってしまった.この外泊を誰よりも楽しみにしていたのは自分自身ではありますが,家族の皆もまたショックだったと思います.父親なんかは仕事を半日で終わらせて休みをとる予定だったみたいで,本当に申し訳ない気持ちになりました.
あ,ちなみに親父の風邪は良くなったようですよ!で.なんともタイミングが悪いのか,朝の採血後,噂の膝痛や腰痛が出て来まして,きっと今頃は白血球が増えている事だと思います.なんだか,膝や腰が心臓の拍動と同じようなリズムで痛くなるのですが,それがあると,必ず白血球が多いんです.そのため,明日もう一度採血をしてもらうことに.上がっていることを祈りましょう.どうぞ上がっていてください.
2003.8.30(土)
いつもより遅くに主治医がやって来た.「外泊,いいよ」どうやら,血液検査の結果1日だけ外泊しても良いと判断してくれたらしい.今日から,1泊2日で外泊して来ます.ありがとう!それでは,行ってきます.いざ,外界へ!!
2003.8.31(日)
ただいま.今日は午前中,部活に顔を出して来ました.たまたま練習試合で,1試合目にベンチ入れさせてもらった.感謝.やっぱり野球はいい.そう思わせてくれる,監督・コーチに感謝.それに,チームメイトに感謝.たった5・6時間しかグランドにいなかったのに,みんなから沢山の勇気をもらえた.また,チームメイトとキャッチボールもした.針(中心静脈カテーテル)が入っているため力を込めて投げることはできなかったが,なんとか球を投げることができた.バットも振れた.久しぶりに振るバットはとても重く感じた.筋力の衰えを実感するとともに,身体を動かせることの充実感を味わうことができた.改めて,動けるってことは素晴らしいことなんだなと実感した.きっと,毎日ハードな練習をしている皆はそう感じないかもしれないけど.けど,自分が復帰したら,そういう事も伝えられたらなと思う.
さて,話題は移植.早ければ,あと70日後くらいにはできるはずだが,移植前の前処置やその後のGVHDも半端じゃないほど辛いんだろうけど,まだ恐怖心はない.幸い,退院した後のやりたいことが沢山あるおかげでワクワク感の方が優っているのだろう.移植に向けて,体重管理の方もやっている.しかし,今日の外泊で念願の焼肉,ステーキを胃中に納めることに成功した結果,数週間前まで60kgを切る手前までだった体重も64㎏まで増加した.もうやめよう.あえての減量は.ひとまず,ダイエットをやるのは9日以降にしよう.なぜ,9日以降かというと,9日に移植の話を受けるのである.どうやら,現在どこかで自分に骨髄を提供してくれる予定の人が,最終的に移植手術をしてくれるかどうかの最終合意を近々出してくれるらしい.なんとか合意してくれるといいのだが..
2003.9.1(月)
今日,初めて新しい先生に採血をしてももらった.案の定,探られてしまった.そう,我々患者の世界では,「探られた」というのは,「血管を探られた」ということで,これがまた非常に痛い.しかし,医師の成長なくして我々患者は助からないのもまた事実である.そのため,「我慢」以外の道はない.「我慢」といえば,本日はルンバールもやった.前回の失敗があったので今回も少し身構えていたが,なんとか成功した.処置をしてくれたのは主治医のM先生.あのS先生がM先生のことを「大先生」というほどの先生なのです.とってもすごい尊敬する先生.
ルンバールが終わり,「2時間安静ね」と言われたものの,突然の尿意.大丈夫だろうとトイレに歩いて行ったら即頭痛.そして吐き気.初めての経験だった.これまでは40分ほど安静にしていればその後動いても何もなかったのに,今日は50分後の出来事だった.やはり,経験が大事.見くびるな,ルンバール.
さて,本日はルンバール以外にも嫌な出来事があった.それは,食事制限だ.移植に向けて,減量しなければならないのだが,薬の副作用で食欲が爆発している.それに伴い,カップ麺等の食事が増えているのだが,それを今日ストップがかかった.ある看護師が,「今日からカップ麺もお菓子も禁止」と.ムカつくし,辛いよ..この人は,いい人だけど,言うことがストレートすぎてムカつく.でも,ここら辺で変わらないと,移植の成功率が下がってしまう..頑張らないと..我慢,我慢,,我慢していこう.
2003.9.2(火)
のうのう時的な日常から打って変わって,今日から再び治療が始まった.その治療の中でも大嫌いな抗がん剤がある.その名も「メソトレキセート」なぜこれが嫌いかと言うと,ズバリありえないほどの口内炎ができるからだ.副作用で口内炎が異常なくらいできてしまうのだが,それを防ぐために,日中はずっと口の中に氷を入れておかないといけないのだ.さらに,この氷対策と同様に,嗽対策もしなければならない.ロイコボリンという嗽薬を使うのだが,これがまぁマズイ.しかし,この嗽をするとしないで口内炎の程度に驚くほどの違いが出てくる.本当に副作用なんて起きるのかな?なんていう甘い考えで,前回の治療時に氷と嗽をサボってみたところ,ものの見事に口内炎が出現し,口に中がただれにただれてしまった.やはり,経験というのは大事だなと実感した.
昨日のカップ麺,撤去命令により,親にお願いしてロッカーのカップ麺等をすべて持って帰ってもらった.飲み物も糖分が入っているものはダメと言われたが,これは譲れない.退院のその日まで,なんとか死守しよう.そう心に決めた.行動の自由と食事の自由を奪われ,飲み物の自由まで失われたら,たまったもんじゃない.でも,親とも話したけど,自分のことを想って言ってくれた看護師さん.そのことに感謝しなければならないのに,それよりもムカつく感情が優ってしまった.まだまだ子供です.幼いです.そう思っていたら,ルンバールの跡が痛くなってきました.バチが当たったのかな.ごめんなさい,そしておやすみなさい.
2003.9.3(水)
今日の採血で,またも探られてしまった.いったかったぞ,ちくしょう.右で2回,左で3回.いてぇ.針をもっとうまく扱える先生に出会いたいもんです.前回まで自分のことを診てくれていた先生は,口の利き方とかに嫌な感じがあったけど,技術はすごくて,採血では1回も痛い思いをしなかった.なんだか,複雑な心境です.ひとまず,我慢しましょう.我慢して待って入れば,きっと良いことがやってくるでしょう.
2003.9.4(木)
今日,Kさんが退院された.隣の部屋にいたAさんも退院された.仲良くさせてもらっていた2人がいなくなってしまうのは,嬉しいことだけど,残された人間にとっては寂しい気持ちもあります.複雑.でも,Kさんの退院後,以前から仲良くさせてもらっていたHさんが入院してきたので,その点では少し嬉しかった.明日からまた違う病棟生活が始まります.楽しく行こう.
2003・9.5(金)
今日の目覚めはとても良かった.だが夕方になって急に寒くなってきて,体温測ったら38度越え.今入れている抗がん剤は以前もお伝えしたメソトレキセート.口内炎を大量発生させることで有名なこいつは,もう1つの嫌な顔がある.それは,ほぼ必ず発熱させることだ.本当に嫌なやつです.しっかし今回はそのタイミングが早すぎる..氷もサボらずやっていたのに口の中はただれまくってしまい,食べたいものが食べられない.喉の痛みも強く,現在の食事は点滴に頼っている.空腹感があるだけに,食べられないのは辛いものだ.
さらに,今日は看護師の対応の悪さに頭がきた.熱が出てきたとある看護師に伝えたら,「ちょっと待ってて」と2時間の待機.ちょっとって2時間なのか!?結局,解熱剤が投与されたのは報告してから4時間後.なにしとんじゃい!!自分がまだ16歳だから良いけど,これが高齢の方だったらマズイんじゃないんだ?これで容体が悪化したら取り返しのつかない問題になっちゃうと思うんだけど.少し見捨てられているんじゃないかと感じた1日でした.
2003.9.6(土)
蓄尿が面倒臭い.今,1日の尿量を計測してもらっているのだが,この作業がとても面倒臭い.今,入院している部屋は大部屋で,部屋内にトイレがあるのだが,そのトイレでは蓄尿できる設備がなく,蓄尿専用のトイレがあって,そこで蓄尿しなければならない.蓄尿する患者はどういう患者かはわからないが,少なからず,複数いる.しかし,蓄尿トイレは1人しか入れず,時間帯によっては行列ができている.なんとも非効率な.しょうがないのでしょうかね.他の病院もそうなのでしょうか.母に聞いてみよう.
さて,本日は熱も下がり,だるさが少々残っているだけとなりました.口の中は相変わらずだけど,熱が下がっただけでもだいぶ楽になった.しかし,これまでに何度も経験したメソトレキセートだったが,今回は反応が少し違っていた.主治医に訪ねたが,量は変わっていないらしい.ということは,少しずつ自分の身体がなんらかの変化をしてきたということなのだろうか.少しずつ,身体が疲れてきているのかな.頑張らねば...
そして,今日は兄貴が見舞いに来てくれた.兄貴は今大学の夏休み期間で,明日東京のアパートに帰るらしい.9月で夏休みってすごいな!大学の夏休みは長いのですね.そんな兄貴はこの夏休みで車の免許を取るために自動車学校に通っているのだが,親父が勤めている自動車学校で,親父曰く危なっかしくも一応今のところは順調に来ているらしい.車の試験はどういうものかわからないけど,ひとまず合格っていうのは良いことですから,良かったですよね.それにしても,兄貴は病気の弟を持ってどういう心境なのだろうか.自分に弟や妹がいないから,想像することしかできないけど,でもきっと複雑な心境なのかな.直接聞いたこともないし,親に聞くことでもないかもしれないけど,でも聞いてみたい.自分とは違った辛い感情を持っているかもしれない.御免なさい.散々迷惑かけてきて.でも,ありがとう.まだ面と向かっては言えないけど,いつか言えるように今を頑張ります.
2003.9.7(日)
昨日よりも,幾らか喉の痛みが和らいできました.口からの摂取,水分だけ生活も少し慣れてきた.まだまだ口の中は荒れ放題だけど,なんとかできている.口の問題は本当に厄介だと実感.健康体でいた時も,口内炎一つできただけで騒いでいたけど,今はそんなの比じゃないし.ちょっと良くなったと思って調子にのったら,かさぶたが剥がれてまたすぐ出血するし.本当に口の問題は厄介です.
また,今日はおばあちゃんが見舞いに来てくれた.積もる話もあったろうに,今の自分の現状を見てあまり多くを話さなかった.せっかく来てくれたのに.早く治してまた話そうね.
2003.9.8(月)
今日の採血,またまた探られた.前回のがトラウマになっていて,左でやって欲しいと伝えたところ,なぜか「右でやらせてくれ」と.そしたらこれだよ.俺は実験台じゃありません!!この先生は,表面的にはとても良い印象を与える先生なんだけど,ちょっとした時の一言が足りなくて,それが少しずつ積もって,ストレスに感じているのです.聴診器あてる時に「胸の音聞かせてね」とか「聴診器,少し冷たいけど我慢してね」とか,そういうのが全くなくて無言で始めたり.運動部に入っていなかったのでしょうか.礼儀ではないとは思うけど,何かが足りない,物足りない.そう感じた1日でした.
2003.9.9(火)
まだ口が治らない.良くはなってきているがまだ完治しない.熱いスープを飲んだらたまったもんじゃない.まだ大好きなコーンスープは飲めない.スッキリしませんね.治療の甲斐あって,僕の白血球ちゃんも順調にお亡くなりになり,徐々に数が減ってきております.その証拠に,枕の後ろには巨大なアイソレーター(空気清浄機)が取り付けられています.はぁ,自由が欲しい...
2003.9.10(水)
今日は,高校の野球部仲間のお母さんが2人で見舞いに来てくれた.変わり果てた自分の姿に驚くそぶりも見せず,以前と同じように接してくれる.カルピスと漫画本を差し入れにと持って来てくれた.話は野球部の話で,近々,秋季大会が始まるとのことだった.もし,病気していなかったら背番号もらえたのかなぁ.マウンド,上がれたのかなぁ.そんなタラレバがつきません.驚くべき差し入れはもう一つあって,同じ高校の卒業生であり,現在プロ野球の千葉ロッテに在籍しているW選手からサイン入りの5勝目ボールを頂いた.こんな境遇にならなければ,まず手にすることはできなかったはず.本当にありがたい.大切に保管します.
2003.9.11(木)
今日,輸血用の採血を受けた.輸血用の採血は,一般的な採血とは異なり,静脈ではなく,動脈から採血する.つまり,表面の血管ではなく,深部の血管から血液を採取することになる.担当してくれたのは実習中の医学生だった.主治医よりも上手だった.しかもべっぴんさん.いいですね,女医さん.素敵な存在です.
さて,採血ついでに白血球の数も調べてもらった.結果はなんと300.昨日は900だった.おそらく,今が免疫最低期間なのだろう.明日も採血.明日は上がっていることを祈ろう.
そんな今,自分がいる大部屋にいる人たちにはほとんどがすでに退院の話が出ている.俺だけがちょっと遅れている.ここにいる人たちは,大好きな人たちがたくさんいる.だから,皆と離れるのはちょっと寂しい.白血球が上がってくれれば自分も退院なのだが,きっと遅れるだろう.
そして今日,正式な移植日が決まった.11月26日だ.できればもう少し早い時期が理想だったが,しかし決まったことはとても嬉しいことで,とても幸せなこと.最終同意をしてくれた方に,心から感謝したい.
ただ,当初はお正月を自宅で過ごしかったが,おそらくそれは無理な希望だろうと思う.当然クリスマスも病院だろう.クリスマスといえば高校の野球部.毎年,我が野球部はクリスマスに合宿がある.そう,1週間の千葉館山合宿だ.この合宿は本当に辛く,体力だけでなく,精神面が強く鍛え直される.チームメイトはこの合宿に挑む.辛いことは目に見えてわかる.でも,俺は病気で辛い.できれば,チームメイトと共に,同じ合宿に参加したかったけど,おそらくGVHDでそれどころではないだろう.高校野球最後の合宿なのに.どんなに辛くても,仲間と一緒だったら挑みたい.手から血が出ても,気持ち悪くて吐いても,
仲間と一緒だったら絶対乗り越えられる.
もっと仲間と練習して,自分の能力もあげて,試合に出て,背番号をもらって,親に活躍している姿を見せてあげたい.でも,どんなに苦しいことを乗り越えても,もう自分はマウンドに立てない.試合に出ることも,背番号をもらうこともできない.もう,甲子園に行く夢は消えてしまった.
移植後は日中での活動を禁止されるからだ.悔しいけど,しょうがない.しょうがないと言い聞かせるしかない.誰も悪くない.だから誰も責められない.この受け入れたくない現実を受け入れなければならない.自分でなんとかしなくてはいけない.
誰も助けてくれない.
頑張らないと.周りの先生たちが必死にサポートしてくれているのだから.絶対にくたばらないぞ.病気なんかクソ喰らえだ!!病院の移植後退院最短記録を作ってやる!見てろよ,病気の馬鹿野郎!!
2003.9.12(金)
採血の結果,白血球300,赤血球6.2,血小板1.6だった.低い..昨日から2日連続で輸血をしてもらった.白血球を人工的に増殖させる注射を5日間もやっているのに,この結果.やはり,身体が変化してきているのかな.回復が遅れている気がする.頑張れ,自分.
そして今日,同室の患者さんが2名外泊に行ってしまった.4人部屋で2人がいなくなると,途端に寂しくなる.しかも,その2人はとても元気でおしゃべりが好きな人たちだったので,余計に寂しい.この日記を書いている今はすでに消灯後であるが,いつも以上に静かで,さらに嫌な感じがする.特別霊感があるとか,そういうのではないのだけれども,結構怖い.それに,考えてみればここは病院.自分,結構ビビリです.怖いので,早く寝ます.おやすみなさい.
2003.9.13(土)
今日は記念日になった.理由は簡単,体重が60㎏を切ったのだ.9月に入り,主治医チームが変わり,そこからの本格始動だった.お菓子禁,カップラーメン禁の生活が始まり,病院のまずい料理生活だった.まずいのは病院批判ではなく,自分は適応できなかっただけですよ.気分が良すぎて同室の患者さんと筋トレ対決しました.針が入っているので,時折チクチクしていたが,それ以上に気分が良く,痛みはほとんど感じられなかった.早く移植してもっとトレーニングをしたいものです.この腹肉,どうにかならないかなぁ.
2003.9.14(日)
今日,白血球が400,赤血球が5.8,血小板が1.9となった.一昨日と比べて,本当に微妙であるが改善の兆しが出て来た.おかげでようやく点滴が終了し,ヘパロックされた.歩いて病棟廊下を歩くときにいちいち邪魔な点滴スタンドを押さなくて良くなったので,多少自由度が上がった.しかし,まだアイソレーターは外れず.なので,マスクはまだ外せません.今回は白血球の上がりがとても悪く,輸血もいつも以上に多く入れてもらった.元主治医の先生に相談したら,骨髄が疲れているのではないかとのこと.これまでの治療で何度も何度もダメージをくらっている骨髄.確かにそうなのかもしれない.急性だから,休む時間を長くとってしまったら,悪い細胞がより増えていってしまうのだろうし.頑張り時なのだろう.頑張ろう.
2003.9.15(月)
今日も採血をした.昨日と比べると,約2倍近く量が増えていた.でも,まだ好中球の割合が少なく,白血球全体の中でも約5%程度とのことだった.でも少しずつ上がってきているので,明後日頃にはアイソレーターが外れるだろう.つまり,白血球は1000以上,好中球は500以上になれなければならないということになります.早く退院したいものです...
2003.9.16(火)
今日,Mさんが退院された.その代わりに入って来た人が,かなりいびきがうるさい.だから音楽を聴きながらでないと,とてもじゃないけど寝れたもんじゃない.身体の方は,元気で吐き気,ムカムカもない.これで副作用が強く出ていたら,いびき騒動はもっと大変になるだろう.しかしいびきを出している当の本人は気づいていないのだろうか.自分自身,いびきをかいているかどうかわからないが,これまで言われたことがないからきっと静かなのだろう.それにしてもうるさい,でも,しょうがないのか.結構ストレスだけど我慢しなきゃな.ここは大部屋だし.明日は採血.上がってくれているんだろうな,楽しみです.
2003.9.17(水)
やった!退院だ!!!退院といっても仮だけど.でもやった!!今日の結果はというと,白血球3600,赤血球7.2,血小板3.0だった.血小板が少し低いことが気になるけど,まぁいいや!どうでも!だって退院だもん!
そして今,部屋は騒がしいことになっている.患者の総入れ替えが行われているのだ.右斜め前にいた人はすでに退院し,新しい人が入って来ている.隣の人は自分よりも早く退院話があったようだが,炎症反応が長く続いているらしく,延期されている.おそらく,来週あたりに退院だろうか.
それでは,しばし外界の空気を吸って来ます!!
地固め治療最終章(9月〜10月)
2003.9.25(木)
今日,帰ってきました.いつも仮退院から帰ってくると,マルクをするのだが,今回はIVHとルンバールもセットだった.この3点セットはこの病気にかかっている人間にとって最悪のセットだ.きっと普通に生きていたら味わうことのない痛みを伴うからだ.どのような痛みかと言うと,人によって表現は様々だけど,自分の場合は「内臓を抉り取られる感覚」となるだろうか.ある人は「魂を抜き取られる感覚」とも言う.ただ,共通していることは“激痛”と言うことだ.一体,今後,あと何回受けるんだろうか.
また,移植担当のM教授から話を受けた.ひとまず,状態としては安定してきているので,強い治療のみやりましょう.ということだった.その強い薬というのは,メソトレキセートといい,口内炎を大量発生させるあいつだ.どんなに口内炎ができないように対応しても,自分の場合はできてしまう.とっても憂鬱だ.だけど,今回の治療でひと段落できるから,頑張ろう.耐えるだけだからね.
体重のことも話された.ひとまず,現状維持でいきましょうとのこと.ただしかし,当初の目標を下げて移植に臨むとか,それは自分のプライドが許さない.みんなが驚くような減量をしてやろう!!見てろよ,誰か笑.
2003・9.26(金)
今日から移植前の地固め療法最後の治療が開始された.今日は非常に面倒な日だった.何が面倒かというと,口内炎予防のための嗽と,氷を口に含み,ただひたすら口の温度を下げるというものだ.眠くても怠ってしまうとすぐに口内炎ができてしまう.非常に厄介.ただ,最後ということもあり,自分の中ではやりきった感はある.移植についても,移植担当の看護師さんから色々話を聞き,どのような部屋でいるのか,その部屋にいるのはどれくらいの期間なのか,辛いものなのかなどなど.不安はあるものの,まだまだ未経験のものが沢山あり,ほんの少し楽しみな部分もある.ただ,移植前の強い治療は本当に辛いらしい.特に,全身放射線照射(TBI)をやった後は,これまでにない副作用に襲われるらしい.恐ろしいですね.けど,びびったってしょうがない.やるだけだ.これまでに移植を受けた人の中で,その後35日で退院した人がいるらしい.ようし,俺は30日未満で退院してやろう!この先,医療が進歩しても破られないくらいの最短記録を作ってやる!!あぁ,早く受けたいなぁ.
2003.9.27(土)
今日は兄の誕生日.おめでとう!!同じ部屋の人の中に,自分と喋ってくれる人がおらず,今の入院生活は非常に退屈だ.前まではよく可愛がってくれる人がいたが,今はもう退院してしまっていない.こうやって思うと,そういう人がいてくれているおかげで,これまで大きな副作用なくやってこれているのかなと思う.たわいもない小僧と話をしてくれるから,考えこまいで入れるのかもしれない.色んな人に支えられているんだな.感謝感謝.そして,何より早く野球がしたい.みんなと走りまくってもう歩けないってなるくらい練習したい.早くそうなれるように,頑張ろう!!
2003.9.28(日)
昨日,兄の19歳の誕生日だった.早いなぁ.あと1年したら20歳だよ.大人だわ.そしたらあれでしょ.お酒飲めるんでしょ.羨ましい.俺も早く20歳になりたい!!
さて,明日は移植を控えたKさんが入院してくる.入院と同時に無菌室で処置を受けるようだ.どんなんだろうか,無菌室.そしてどうなんだろう,無菌食.聞いただけでまずそうだけど.出て来たら聞いてみよう.
一方,自分の方はと言うと,氷を頑張ったおかげで口内炎ができてこない.もしかしたらこのままできないままいってくれるかもしれない.そうなったら嬉しいな!ただしかし,今の抗がん剤は発熱も起こすことが非常に多い.白血球が少ない時期に発熱するから,長期化することもある.移植となるときっともっと大変なんだろうな.ただ,これが最後の地固め治療と思えば,多少は気が楽になる.頑張ろう.
2003.9.29(月)
今日,3週間ぶりにKさんに会った.少しだけ顔が丸くなったような気がした.自分も丸くなった笑.どうして痩せないんだろう.飯を半分にして炭酸をやめてお菓子をやめてカップ麺もやめたのに.やっぱり運動しないとダメなんだろうか.といっても今は点滴をぶら下げてるから自由に動けないんだけどね.ひとまず,今の62.3から60を切ることを目標に頑張りましょう!
2003.9.30(火)
なんだか最近,暇でしょうがない.なんか楽しいことでもあればと思うけど,やっぱり何にもない.そんなこんなで今は仲のいい患者さんの部屋に遊びに行き,色々な議論をしている.その内容はまた後ほどで.
2003.10.1(水)
今日から10月です.早いものですね.病気になって,春・夏と過ごしました.移植が11月なので,このまま秋・冬も病人です.今更ながらだけど,本当に予想もしていなかったこの状況.まさか自分がこんな大きな病気になるとは.でも,この病気になったせいで,色々な人たちに出会い,色々なことを学べた.周りは自分よりも数十年長く生きてきた先輩たち.おかしいなと思うこともたくさんあるけど,今の自分からすれば,30歳,40歳まで生きれていることが羨ましい.自分はまだ全然わからない.移植が成功しても,その後の副作用で倒れてしまうかもしれない.しかし移植まであとわずかだから,気持ち整えて耐えましょう.もう少し.もう少し.
2003.10.2(木)
昨日の採血でついにエンベラがついてしまった.そう,つまり“外出歩くな令”の発令です.下の売店で本を読むこともできなくなってしまった.さらに自由がなくなってしまった.外を見れば憎たらしいほどの快晴です.さらに憎たらしいのは,入院中は晴れるくせに,いつも退院するときは天気が悪い.なんなのでしょう.今の自分の人生は全て病院の支配下にある感じです.全くもって気に食わない.
ただ,今日は良いこともあった.体重が減少し始めたのだ.本当に少しではあるが,62㎏を切ったのだ.ちなみに今日は60.9だった.ようやくダイエットの効果が現れ始めたかと感じる今日この頃.60㎏切るのも間近でしょうか.乞うご期待!
2003.10.3(金)
今日は採血日でした.順調に白血球は減ってきています.また,体重も順調に減り,ジャスト60㎏でした.明日は遂に念願の60㎏を下回ることができるでしょうか.頑張りましょう.運動も大事ですから,まずはストレッチをしていこう.
2003.10.4(土)
今日も憎たらしく太陽が俺たち病人を見下している.なんてたちの悪いやつだ.ちくしょう.こんな憎たらしい感情がある一方で,この天気を喜ぶ人間もいる.高校球児だ.今日は秋季大会の準決勝が行われる.相手は夏の大会であたっており,その際は我がコクトチが勝利している.しかし何があるかわからないのが野球.
結果は負け.しかもコールド負け.仮にこの後に控える春の大会で優勝しても,春の選抜大会には出られないだろう.残念.しかしメンバーにはすぐに気持ちを切り替えてもらって,練習に集中してほしい.自分も早く治して応援に行かないと.きっとみんな待ち焦がれていると思うから(そう思っているのは自分だけ)
2003.10.5(日)
今日も天気は最高です.昨日に引き続き野球の話だが,我がコクトチは昨日の試合で破れてしまったが,地元の後輩が通っている学校が決勝まで駒を進めたらしい.これで関東大会の出場は決定だろう.すごいな.自分の周りで野球をやっていた人間がテレビの向こうで野球をやるのか.考えただけでもすごいな.そして何より羨ましいな.畜生.「俺だって」って思うけど,こればっかりはもうどうにもならないからな.移植後は当分紫外線を浴びてはいけないらしく,移植前の期間が自分の最後の高校野球人生になってしまった.本当にあっという間だったな.次の仮退院の時には,仲間たちと最後の高校野球を楽しもう.そしてお別れを言おう.笑いながら.
2003.10.6(月)
今日から勉強を再開しました.改めて思うこと,やっぱり独学は辛い.普段の授業であれば友達や先生に聞いて確認することができるけど,一人でやっているとそれができない.授業ではものすごいスピードで進んでいくが一人でやっていると1ページ進むのが本当に遅い.元々勉強は大嫌いだったせいもあり,理解力も乏しい.でも,今やれることは勉強と筋トレだけだから頑張らないと.
そして今日はある方がお見舞いに来てくださった.野球部のS先生と友人のお父さんだ.二人とも来てくれた時間こそ違ったが,それぞれ今の野球部の現状を教えてくれた.気を遣って短時間で帰って行かれたが,忙しい中でわざわざ来てくれたこと,本当に感謝です.病院にいると,野球部のことは特にわからないので,非常に貴重だ.甲子園を目指して,そしてその前にある冬の館山合宿をまずは頑張ってほしい.病院からエールを.
ちなみに,今日で入院から半年が経ちました.早いものです.来月にはもう移植です.少し緊張してきています.1ヶ月後と間近に迫ってるのに.そうだ,こんな時はあの好きな看護師さんのことを考えて,紛らわしましょう.
2003.10.7(火)
今日は9時間ほど勉強した.あっという間に時間が過ぎてしまい,あっという間に日記を書く時間になってしまった.集中してできていた証拠でしょうかね.明日も頑張ろう.
一方,家では,母親が風邪をひいてしまったようです.ここ最近頑張り過ぎてしまったのでしょう.仕事で疲れているだろうに,毎日来てくれていたし.申し訳ない.そういう状況なので,今日は来ないで,家でゆっくりするように伝えた.本当に健康って大事.人のこと言える立場じゃないけど笑.
2003.10.8(水)
今日の勉強時間は昨日よりも1時間短い8時間でした.手のしびれも全然ないし,身体的には全く問題ない.勉強できるって素晴らしい.もしかすると,こんなに勉強できるのは今のうちしかないかもしれないし(今後は体調を崩すかもしれないから).やれるうちにいっぱいやらないと!
さて,採血の結果が届きました.白血球200,ヘモグロビン5.8,血小板0.8でした.一昨日,今日と二日連続でマップ輸血をしました.それに,今日はPCも入れました.前回,PCを入れた際には全身に蕁麻疹のような症状が出たので,今後が少し心配です.目も腫れてしまい,日記を書いている今も少し目が腫れぼったい状態です.
そして,いよいよ明日はKさんの移植日です.今はどういう心境なのだろう.今は前処置が終わり,相当気分悪いのだろうか.結構辛そうだったな.考えてみれば,来月には自分なんだよな.身体も心も準備していかないと.
2003.10.9(木)
今日はなんだか風邪っぽい.それに喉も少し痛くなってきた.熱も少しずつ上がってきて,朝は36.5だったけど,さっき測ったら37.2だった.まだ高くはないけど,今後上がってきそうな気配がする.だからおとなしくしていよう.勉強でもして.でも,考えてみると,勉強のしすぎによる熱かもしれない.ここ最近,これまで生きてきた中で一番勉強している.なぜなら楽しいから.わからないことがわかった時のあの感覚はこれまでに味わったことのない感覚だし,癖になりそうだ.なんだか,昔の自分では全く想像もしていないような姿になってしまった気がする.勉強とか,全くの無縁だったし.こういう風に思えるようになって本当に良かった.また明日です.
2003.10.10(金)
今日,採血をした.全体的に少し回復していた.良かった.そして今日はKさんの移植日.これまでのKさんは今日で終了.今日のこの日からKさんは新しく新Kさんになり,新Kさんとしての人生が始まる.そんなKさんに手紙を書いた.渡した時に「今は絶対に読まないこと.骨髄液を入れてもらっている時に読むこと」を念押しした(偉そうに笑).少しでも早く元気になってもらいたい.それにほんの少しでいいから貢献したい.どうか無事に大部屋に移れるようになりますように.自分は自分でやれることをやってその時を待とう.
2003.10.11(土)
今日はあまり気持ちがのらなかった.勉強時間はたったの6時間.今やっているのは「化学」です.化学は2年生からの科目なので,学校で授業を受けている皆と同じスタートとなる.だけど,聞くところによると授業の進行スピードはとてつもなく早いらしいから,遅れをとらないようにやらないといけない.だから必死なのです.先生がいないので,全て独学です.だけど,自分だけでやっているから,難しい内容のものを一人で解決できた時にはとてつもなく嬉しくなる.コツコツと地道にやっていけばきっと結果は出るでしょう.
さて,本日は病院のイベントである,花火大会がありました.病室の窓から眺めた花火はとても綺麗で,健康第一のことを再認識しました.ちなみに,花火は化学の炎色反応を応用したもので,よく見られる赤色の花火はリチウムでできているようです.だからなんだって話ですが,こういうことを少しでも知っていると,色々な見方ができて楽しいんですよね.そんな1日でした.
2003.10.12(日)
今日採血をした.そしたら白血球が大幅に上昇していた.前回は700だったのに,今回は4200だったのだ.さらに,4200のうちの2900が好中球だったらしい.しかしアイソレーターはまだ外してもらえない.だからまだハウス栽培されるに身に変わりはない.ただまぁこれで退院がより近づいてきたことは確かだろう.
ちなみに,俺は両足の全部が巻き爪なのだが,白血球が少ない時につま先をどこかにぶつけてしまい,爪の外側の部分が腫れ上がり膿んでしまっている.これが移植の時になってしまうと,感染の原因になってしまうらしく,今のうちに処置をしなければならないとのこと.なので,来週の火曜日に外科に行って診察を受けることになりました.聞いた話だと,爪の外側に麻酔を打って,爪の中央からハサミを入れて爪を半分取ってしまうらしい.なんだか考えただけでもゾッとする.ちなみに,親父が経験者らしい.親父,尊敬します.
2003.10.13(月)
今日は午前中,ぐっすりと眠ってしまい,全く勉強しなかった.午後にやろうと思っていたら,野球部の仲間が見舞いに来てくれた.40分くらい話しただろうか.たわいもない会話も,自分には本当に幸せな時間だった.その後に親戚の人たちが来てくれて,さらにその後は別な野球部の仲間が来てくれた.いろんな人と話をすると,やっぱり元気をもらえる.特に野球部の仲間には特段の元気をもらえる.野球がやれていることを羨ましく思うこともあるけど,やはり,自分にとっては最高の仲間だ.そう思えるからこそ,余計に悔しい気持ちも強くなってしまう.早く復帰して時間を取り戻したいものです.
はてさて,爪の話だが,あの後,いろんな人に話を聞いた.得られた情報としては,かなり痛いということだけ.全くもって嬉しくない情報だ.痛いことを知っていて処置を受けるとなると,かなり身構えてしまう.いやしかし,この状況さえもポジティブに捉えてしまおう.そう,この経験は巻き爪人間でしか味わえないのだ.いわゆる限定だ.さぞかし羨ましがっているに違いない.世の中の人間たちは,「限定」という言葉に弱い.そんな限定経験を味わえる俺は特別なんだ.特別巻き爪人間だ.どうだ,かかってこい.
2003.10.14(火)
今日は忙しかった.歯科と外科の診察があった.歯科に行ったら担当の先生が不在で代わりの先生が対応してくれたのだが,「またお呼びします」ということで一旦病室へ.「は?」って感じですよね.順番だから降りて来たのにまた戻れ?全く理解できない.イライラでまた行ったらレントゲンを撮って終了.なぜあの時戻されたのでしょうか.意味不明.しっかり説明してくれよ.その後は待ちに待った外科での爪処置.相当痛いことを想定して挑み,覚悟して麻酔注射を受けると,「あれ?あまり痛くない」感動だった.ものすごい緊張して行ったけども,上手な先生にあたったのか,ビックリするほど痛くなかった.本当に良かった.皆さん,巻き爪で悩んでいたらここの先生に診てもらった方がいいですよ!オススメです!!
明日はルンバールと肺の検査です.移植に向けて色々検査三昧です.ま,頑張りましょう.
2003.10.15(水)
今日の午前中は検査づくしだった.食事後の休憩後,10時過ぎに肺の検査を行った.肺の検査は人生初で多少の緊張があったが全く痛くもなく,検査の中では患者想いの検査だった.その後受けたのはルンバール.K先生が対応してくれた.半年入院していて,これまでに何回も受けて来た処置だけど,今日が一番早かった.上手な先生に巡り会えて良かった.2時間の安静を守り,トイレに歩いて行ったらすぐに吐き気.食事も取れず,今もまだすっきりしない.移植の時の気持ち悪さはこんなもんではないのだろう.もっともっと強い吐き気が何日も続くのだろう.考えただけでも嫌だけど,絶対に自分の骨髄にさせてみせるんだ.痛い思いをして善意で骨髄を提供してくれるドナーさん.大切な骨髄液を一滴も無駄にしたくない.やってみせよう.
そして,明日も検査です.明日の検査は超音波エコーを使って,心臓の動きをみるようです.これまた痛くないようですので,あまり身構えする必要はないですね.頑張ります.
2003.10.16(金)
今日は6時間勉強ができた.検査も予想通り痛くなくできた.しかし,本当は,検査地味に痛く,超音波検査の時,プローブを肋骨にゴリゴリさせられた.ほんと,地味でしょー.明日も検査.明日の検査は歯科.それでは,おやすみなさい.
2003.10.17(土)
今日,無事退院が決まりました.当然ながら,移植前の最後の仮退院です.もしかすると,最悪の場合,自宅に帰れる最後のチャンスかもしれません(もしかするとですよ).また日記で出会えるといいですね.もちろん,自宅にいる時は日記書きませんので.十分に思い出を作って来ます.それでは,また.
移植前治療〜移植
2003.11.17(月)
短い一ヵ月の仮退院が終わり,病院に戻って来ました.無事,戻ってこられました.良かった.この一ヵ月月は,本当に充実していた.まるで最後の休みを謳歌するように.中学時代の仲間たちと思いっきり野球やサッカーをした.まるで中学生のように,スキンヘッドの白豚がボールを追っかけては,ボールを投げたり蹴ったりした.本当に思う存分やれた.というか,本当に付き合いの良い仲間たちに巡り会えて幸せだ.皆それぞれ,やらなくちゃいけないこともあるだろうに,誰も何も言わずに付き合ってくれる.本当に一生の仲間だ.移植が成功したら,また仲間たちとふざけ合いたい.そしてちゃんとお礼を言おう.両親とは海に行った.茨城県が誇る,大洗だ.海を見たのは高校1年の時の館山合宿以来だった.海には不思議な力があり,海を見ているだけで気分が上がる.そして力になる.寒かったけど笑.でも,なぜ両親は海に連れて行ってくれたんだろう.まるで最後になるかもしれないことを知っているかのように.なんて,ドラマを見すぎでしょうね.とまぁ.本当に充実した1ヶ月でした.
思い出に浸りながらも,移植に向けての準備が始まった.今日は移植を受けるための太い管を入れる処置,IVH挿入術を受けた.これまで何回この処置を受けたのだろう.これが最後になればいいなと思いながら受けました.相変わらずの痛み.二度と忘れないぞ.そして,いよいよ明後日から放射線治療が始まります.なんとか耐えてみせます.それでは,また明日.
2003.11.18(火)
今,昨日入れたIVHで補液を入れている.昨日,IVHを入れたが,たまたまニュースでこの処置に失敗したというニュースが流れていた.不安なまま挿入術を受けたが,M先生のテクニックで無事問題なく処置を終えることができた.感謝ですね.
放射線が明日から始まるということで,今日は筋力測定をしてもらった.本当に弱ったなと感じた.これが移植で動けなくなったらもっとさらに弱っていってしまうんだろう.まだ自分は10代だからいいけど,年配の方だったらもっと弱っていってしまうんだろうな.そんなことを予防できることができればいいのに.
また,今日は野球部仲間のお父さんが見舞いに来てくれた.この間の退院した時に,練習試合で俺が登板した時のことを熱く語ってくれた.本当に嬉しかった.父兄の方からも勇気をもらった.こういう野球部に入れ本当に良かったなと感じた.明日から始まる治療,相当きついことが予想されるけど,誇りとする我が母校で培った忍耐力で耐えしのぎたいと思います.それでは.
2003.11.19(水)
今日,初めて放射線治療を受けた.多少のふらつきはあったものの,吐き気やめまいなどはなかった.あれ?という感覚だったが,午後になり,徐々に身体に変化があり,吐き気が強くなってきた.眠気まで.夕飯には病院食ではなく,カップ麺を選び,口にしたが,吐き気が強くなり2口で終わってしまった.美味しいと感じる前に,気持ち悪くなってしまった.たった2口しか食べられずに捨ててしまった.初日でこんな状況になってしまったことに,ショックを受けた.それに,わがままを言ってカップ麺を買って来てくれた親父にもとても悪い気がした.見舞いにも来てくれたのに,眠気と気持ち悪さで見送ることもできなかった.なんてザマだ.たった3日しかやらない治療なのに,1日目でこんな状況とか,本当に先が思いやられる.ひとまず,明日また頑張ります.
2003.11.20(木)
放射線治療2日目が終了.相変わらず食欲なし.食い物は食べられていません.飯の匂いを嗅いだだけで吐き気がする状態.看護師さんにこのことを伝えたら,妊婦さんの経験する「つわり」に似ているね.と言われた.俺は妊婦にならないけど,こんなにも辛いのかと思った.妊婦さんはすごいな.心から尊敬します.今の状態が続くと,いよいよ点滴に頼ることになってしまうらしい.なんとか口から食べたいのだが..
ようやく明日で放射線治療が終了する(2回しか受けていないけど).多くの人は,車椅子で押してもらったり,ストレッチャーで運ばれて行くらしいけど,自分の場合は幸いにも自分の足で行けています.この先もっと辛くなると思うけど,可能な限り自分でできることは頑張りたい.ひとまず,明日を乗り切ろう.
2003.11.21(金)
今日で放射線治療が終了した.吐き気が強い時もあったけど,なんとかこの3日間,吐かずに終わった.ただ,おそらく放射線の副作用と思われる症状だが,全身が異常に痒い.寝る時も寝ていない時もすごく痒い.ちょっと掻くともっと痒くなる.アトピー持ちの兄貴の辛さが少しわかった気がした.
明日からは抗がん剤の治療が始まる.初めて経験する抗がん剤は,その名をメルファランというらしい.粘膜等の組織がただれて,強い吐き気などの副作用があるらしい.あのメセトレキセートの兄貴?親父?のような存在でしょうか.予防のために今も氷を口の中でコロコロしていますが,どこまで予防できるのか.いささか不安な時間を送っています.
そんな不安な時に地元中学の同級生が見舞いに来てくれた.本当に頭の良い優秀な仲間たちで,なぜこんな頭の良い連中と一緒にいるのに俺は勉強ができないのだろうと何度も何度も思ったものです.これが移植前最後の面会になるのだろう.移植を気にして見舞いに来てくれた.本当にありがたい.また退院してからもお世話になりますね.よろしくです.それでは,明日に向けて眠りにつきます.お休みなさい.
2003.11.22(土)
本日より,前処置最後の抗がん剤治療がスタートした.昨日までやっていた放射線治療は練習試合のようなもので,今日からの抗がん剤治療が県大会,26日の移植日が甲子園なのだ.流石に練習試合では,強い吐き気に襲われたが,予想を超えるほどの苦戦はしなかった.しかし,この県大会ではなかなか苦労している.ただ,多くの人は練習試合で相当苦戦するということを聞いていたので,自分の場合はひとまず順調なのかもしれない.明日は準決勝,明後日は決勝です.頑張ります.
2003.11.23(日)
今日,抗がん剤治療の2日目を終えた.やっとだ.でも,前処置する前は「早くやりたい,早く終えたい」って思ってたけど,いよいよあと3日で移植ということを考えると,少しドキドキしてきます.自分はまだ無菌室ではなく,大部屋にいるのだが,同室のおじさんたちは仮退院ではなく,本退院をしていった.IVHを抜き,自由になったのだ.その姿が自分にはとても羨ましく思えた.思わず,「良いなぁ」とぼやいたら,「○○くんは完全に治せるんだから,今だけの辛抱だよ」と言ってくれた.本当にその通りだなと思った.確かに今は辛い.これまでの治療の中でもっとも辛い.だけど,幸いなことに自分はまだ未成年だし,家族も持っていない.この病気は50歳を過ぎると移植ができない.つまり,根治は不可能ということだ.そういうことを考えると,自分は本当に恵まれているなと感じる.白血球の型であるHLAだって,完全に一致したドナーさんだし,そんなドナーさんを早期に見つけることができた.いろんな人の助けがあって今を過ごせている.この感覚は,きっと多くの人が持てるものではないはずだ.ましてや,年をとって感じるものだろうに,この感覚をまだ20歳にもならない10歳代で経験できたのだから,これを生かすことができる期間が十分ある.もちろん,生きていられればの話だから,なんとしてでも生き延びてやるが.明日で化学療法も終わる.頑張ってやろう.
自分のためにも,家族のためにも.では.
2003.11.24(月)
移植前前処置の最終日でした.終わりました,前処置.辛かった.なんだったんだろう,この5日間は.これまでの抗がん剤とはワケが違う攻撃力だった.さすがです.確実に初日よりも体調は悪くなっている.まだ吐いてはいないものの,確実にだるさや気持ち悪さは強くなっている.でも,抗がん剤って,即効性はなく,じわりじわりときいてくるから,今後絶対その時はくるんだと思う.吐きまくって気持ちもめいるんだろう.今の時点で飯を美味しく感じない.今後が心配だ.明日からは部屋を大部屋から無菌室になります.そうです,いよいよ臨戦態勢に入るワケです.頑張ろうぜ,自分.気持ちを強く!!
2003.11.25(火)
今日から無菌室.すごい圧迫感.恐い.もう出たい.大部屋の方が全然良い.この環境で一体どれくらいの期間を過ごすことになるのだろう.明日はいよいよ移植です.万全の状態で迎えます.お休みなさい.
2003・11.26(水)
本日,私は生まれ変わりました.15時47分から始まり,22時48分までかかりました.合計,1100CCもの骨髄液が私の体内に入って来ました.たくさんの骨髄液を提供してくれたドナーさんには本当に感謝しかありません.全くの見ず知らずの人間に全身麻酔で数百箇所から骨髄液を提供してくれた行為に,本当に心から深い感謝です.いつしか自分もそういう無償の行為を率先してやれる人間になりたい.また,その採ってくれた骨髄液を電車で一人,取りに行ってくださったS先生にも感謝です.善意で自分の命を救う骨髄液がドナーさんからS先生へ,そして自分へ.そのバトンはしっかりと届きました.今思えば,家族のHLA検査をした時,家族の全員が,そして親戚の全員が全くの不一致で,骨髄バンクへの登録を余儀なくされたけど,こんなに早く移植ができたのは本当に奇跡だし,恵まれすぎているほど恵まれていると思います.同室だった患者さんの中には,発症から数年経っても骨髄バンクで型が合う人が見つからず待ち続けているという方がいた.運という言葉一つで決して片付けられないし,片付けてはいけないけれど,病気になって,こういうことのありがたみを考えれるようになったことは本当に財産です.同室になった患者さんで,すでに亡くなってしまった方もいます.とっても仲良くしてくれた患者さんもいます.治ったら一緒に遊ぼうと約束したのに,もうその人はこの世にいません.そういう世界で今こうして移植できたことは,とても責任を感じます.親戚や家族が亡くなったわけじゃないけど,本当に悲しくて悲しくて,何度も泣いた.看護師さんにも胸を借りた.だから,助かった命は自分以外の人のために使おうと思う.どんな仕事に就くかわからないけど,自分のためではなく,他人のために本気になれる人間になろう.
主治医の先生と看護師さんが連携して最良の対応をしてくれたこと,そして大切にしてくれる家族がいて,仲間がいて,親戚がいてくれた.幼稚園からずっと一緒だった仲間たちが何度も足を運んでくれて,たわいもない話で勇気付けてくれた.野球部の仲間たちが近況を教えてくれて,高校全体で応援してくれた.T,Tくん,Aくん,Wくん,N,Y,K,T,S,K,S,R,野球部メンバー,S先生,Y先生,M監督,Sコーチ,本当に色んな方に支えられてここまで来たんだなと思います.移植が終わり,この後は副作用との闘いです.ここまで乗り越えられたことは本当に素晴らしいことだけど,これからも乗り切れるように,また精神的にも強くならないといけないと感じています.2003年11月26日,ここに第二の私が誕生できたことを心から感謝いたします.この後も闘病記は本退院まで続きますが,ひとまずの節目ということで,第一の人生が終わったとともに,これらからも頑張って行きます.
2003.11.27(木)
今日は東教授(ここでは白い巨塔をもじって,血液内科教授の回診をこう呼んでいる)の総回診だった.移植後初の回診だった.移植をした患者を数多く見てきた教授からすれば,ここまで元気な患者は見たことがなかったのだろう.入室された時から終始驚いた表情をされていた.その回診で,主治医のM先生が「まだ移植後1日目なので,これから色々とあると思います」と話していた.確かにそうかもしれないと感じた.今日から腹痛が強く,何度もトイレに行っている.その回数はなんと12回.下痢止めの薬を飲んだものの,全く効いていない.明日は何回行くことになるのだろう.もう切れてはいけないところが切れてしまいます.問題はまだある.味覚がわからなくなってしまったのだ.特にわからないのが塩分.かろうじて甘いや酸っぱいというのはわかるのだが,しょっぱいという感覚がとてもわかりづらい.そしてこの塩っぱさが食べ物の味に大きな影響を与えているということがわかった,じいちゃんが塩分制限の食事をしているが,本当に辛いものだ.美味しく料理を楽しむのに,これからは長く健康に気にかけて頑張っていかないと.改めて,健康の大事さを感じた1日でした.
2003・11.28(金)
今日で移植後2日目となった.感覚的にはすでに1週間は経過しているようだ.それだけ誰もいない狭い環境というのは長く感じるのでしょうか.そして今日は母親から大変ごもっともなことを教わった.それは,皆んながよく言ってくれる「頑張って」の意味だ.その「頑張って」は「“我慢することを”頑張って」ということなんだよということだった.これまで,いろんな人に頑張ってと言われ,次第に何を頑張ればいいんだと思うようになっていった.俺は頑張っていない.ただ,耐えているだけ.ただそれだけ.すごいことをやっているわけではなく,ただただ耐えて胃るだけ.だってそれしかできないから.そんな時に母親から言われたこの一言は,自分にとってはとても大きな衝撃だった.
そんな今の自分の状況はというと,まず粘膜障害と味覚障害,消化器症状が強く出ている.口の中には数さえ数えられないほどの口内炎があり,舌があたるだけでも痛みが出て,部分的に治りかけのものが,かさぶたを作るのだが,会話したりするとそのかさぶたが取れて出血.またじっとしていると口が開かなくなってきて,少し無理して会話しようとするとまたかさぶたが取れて出血の繰り返しだ.そこに味覚障害が重なり,やっとの思いで口に入れた食べ物や飲み物なのに,味がわからなくて全く楽しくない.さらにずっと腹痛が続いており,口も腹も痛い.大変です.そして少しずつイライラしてきています.吐き気はないのでまだマシなのかもしれないけど,きっとこれからなんでしょう.病人は.頑張って耐えていこう.
2003・11.29(土)
ついにあいつが本格的にやってきた.あいつの名前はHAKIKE.そう,吐き気だ.昨日日記を書いた後,久しぶりに吐き,今朝も吐いてしまった.しかも,ご飯を食べれていないので,胃液(あの酸っぱいやつ)しか出てこない.この胃液,とても厄介で,荒れに荒れた口内炎をこれでもかってほど刺激する.地味に痛い.地味にとっても痛い.結構大変.しかも今朝は吐いたものに血も混ざってた.胃液で食道がただれて,そこから出血してしまったようです.ドラマで見るあのシーンまではいかないまでも,初めての経験で少しビックリした.今も吐き気は継続中.おそらく,今晩も吐くのでしょう.これを書いている今も気持ち悪い.今,結構しんどいです.でも,なんとか乗り切らないと.負けてしまう.負けるな,自分.
2003.11.30(日)
嘔吐3日目.また吐きました.こりゃ細くなりますわ.まいった.それに,やっぱり時間が過ぎるのが本当に遅い.1日が長い.だるくて気持ち悪くて痛みもあるのに,全く眠くならない.疲れているはずなのに眠くならない.大部屋にいた時,患者さんや看護師さんとおしゃべりして,面会に来てくれた人たちと話をしていると,本当に1日が早く終わってしまうけど,ここは本当に長い.1人は孤独です.
また,今のこの身体の状況はまだ後1週間くらい続くようです.長いですね.本当に.辛いですよ.もう.吐きすぎて喉もやられました.痛いのは口,喉,腹です.こいつらがダメージを受けると本当に辛い.手足が痛いことも辛いけど,こういう食べ物が通る部分がやられてしまうのは,別の意味で本当に辛い.長い.痛い.ここずっとネガティブキャンペーンです.がんばらないと.もう少しだから,ね.
2003.12.1(月)
今日から12月です.もうクリスマスです.下界にいる人たちは勉強や仕事に追われながらも愛する人と楽しい時間を過ごせるのでしょうね.そういう人たちがいる一方で,我が野球部は毎年恒例の千葉館山合宿がある.辛い辛い1週間だけど,仲間と過ごせる貴重な時間なのだと,今は思えるし,心底羨ましいと感じる.辛さの質は全く違うけど,仲間がそばにいればどんなことも乗り越えられると思う.だけど,ここは自分だけ.壁の向こうには似たような患者さんがいるのだろうけど,実際にその姿を見たり,話したりできていないから孤独感が強い.辛いです.精神的にも.今はただただ耐えるしかできないから,やれることをやろう.なんとか,気持ちを強く持って.
2003.12.2(火)
辛い.辛い.本当に辛い.なんでこんなに辛いんだよ.ちくしょう.負けそうだ.ずーーーーっと気持ち悪い.だるい.痛い.寂しい.採血をしても結果は何も変わらない.上がってこない.ちくしょう.踏ん張らないといけないのに.ちくしょう.
2003.12.3(水)
元気がない.どっかに元気がいってしまった.辛過ぎる.今日で移植後1週間を迎えた.三好先生の予想通り,移植後1週間は本当に辛いんだ.熱も出てきた.薬も飲んでいるが,口が痛すぎて飲むのも一苦労.毎日毎日がとてつもなくだるい.嘔吐記録も更新中です.喉,どっかいっちゃうぜ.本当に.ただ,気のせいかもしれないけど,少しだけ,本当にほんの少しだけ,昨日よりも気分は優れている気がします.明日,もっと楽になっているといいな.少しずつでも前進できるように,辛抱です.
2003.12.4(木)
今日,個室になってから2回目の教授回診を受けた.1回目は入り口付近で少し話した程度だったけど,今回は直接診察もあった.しかし,なぜかいつも教授回診の時には体調が良い.悪いことではないから別にいいけど,でもいつも来る学生の人たちにとっては「移植って元気でやれるんだ」って思われているんだろうな.それがなんか嫌.ただ見るだけで何にもしない.なんか喋れよ.俺は見せ物じゃないないぞ.物珍しそうに見やがって.早く吐き気おさまれよ,早く出たい.
2003.12.5(金)
今日,ある番組を観た.ヒューマンドキュメンタリーというのか,ある個人の人生をドラマにしたものなのだが,実はその人は自分と同じ白血病を患い,若くして亡くなった方だったのだ.この人も,自分と同じ,健康の大切さ,生きるということの素晴らしさを実感していただろう.この病気になって,色々と考えたし,色々と学んだこともあるけれど,やっぱり健康って素晴らしいんだよ.どんなに嫌なことがあっても,健康体でいればまたチャレンジできるし,考えることもできる.でも,1つでも悪い不健康なことがあると,何をしていても,そのことを考えてしまうし,忘れられない.本当に健康って大切だし素晴らしい.退院したら,常人以上に身体に気遣おう.
少し,集中できる状況ができたから,今日は吐き気があまり気にならなかった.まだまだスッキリしないし,痛いのも変わらない.ただ,少しだけ気持ちは前向きになってきた気がします.
2003.12.6(土)
今日は,なんともなぁな1日だった.今日で移植から10日が過ぎたのだが,ついにあいつがやって来たのだ.そう,GVHDだ.少々フライング気味ではないだろうか.なんだかバタバタで落ち着く前にやって来た.先生方曰く,全く出ないよりも出た方が良いということなので,そういう意味ではまぁいいかという感じです.肝心のGVHDは,全身の痒み,39度以上の熱発,倦怠感です.もちろん,これまでに出てきていた吐き気や口,喉の痛みは継続中です.うまい表現ができないけど,とっても辛いです.本当に,つら...
おやすみなさい.
2003.12.7(日)
今日,採血で白血球が200から400に上がっていた.すごく嬉しかった.絶対値が少ないけれど,好中球が7割程度あったとのことで,それも嬉しい話だ.ただ,無菌解除にするラインというものが,好中球800以上とのことらしいので,まだ時間はかかりそうです.ひとまず,久しぶりの明るい話でした.はい.
2003.12.8(月)
今日,12日ぶりに食べ物を食べた.食べたのはレトルトのおかゆとコーンポタージュの計約150キロカロリーの夕飯だった.まだ味覚障害もあるため,味は全くわからなかったけど,物を噛み,飲み込めることの素晴らしさを実感した.すごいわ,物を食えるって.今日は夕飯だけだったが,明日は朝と夕の2食,明後日は3食をとる予定だ.だけど,心配なのは消化器.これまで全然食べていなかったから,消化器の機能がどうなるか.下痢にならなければ良いらしいので,お腹を温めて大人しくしていようと思います.でも,食べてからすぐにお腹がグルグルしている.トイレが近くなるのだろうか.
そして,嬉しい報告です.今日,とうとう個室を抜けられました.廊下を歩いたのも2週間ぶり.歩けるって素晴らしいな.個室にいた時は動けないし,動けても狭いし,同じ顔しか見ないから,精神的にも本当に辛かった.でも,晴れて個室を卒業できたから,これまでのイライラも少しずつ良くなっていくだろう.室井先生に,無菌室12日で卒業は普通なのか確認したら,「普通の人よりも3日くらい早いかな」とのことだった.3日って笑.すごい微妙笑.でも,親はとても喜んでくれていたみたい.それは嬉しいです.久しぶりに家に電話したら,おばちゃんがすぐに見舞いに来てくれた.自分は本当に幸せ者なんだなって感じた.家族から心配されるのってすごい愛情なんですよね.口うるさく言うのも,本当に心配しているからだろうし.その家族のためにも,早く元気になって帰宅したいと思います.
2003.12.9(火)
昨日,嬉しい報告をしたが,実は最近,良く眠れない日々が続いている.特別気持ち悪い訳ではないのだが,なんだか眠れない.ただ,食事も摂れてきているし,このまま順調にいけば近いうち普通の病院食を食べられるようになるだろうとのこと.きっとすぐにお粥を卒業して普通のご飯を食べれるようになるでしょう.今日は昼,夕と食べたけど吐かなかったし,下痢もそこまで激しくなかった.明日は3食にチャレンジしようと思う.主治医も合意してくれているので,順調にいっているのだろう.
しかし,実は今,1つ大きな問題を抱えている.それは,肛門のタダレだ.少しずつ治まってきているのだが,毎日複数回下痢をしていることによって,皮膚がただれ,さらにGVHDの影響で柔らかい皮膚組織が変化してきているのだ.そのせいでなんという痒みだろうか.それに加えて,タマ袋もただれていて,嫌なところが非常に痒い.痒いだけじゃない.ただれてかさぶたみたいになるのだが,歩く度にその部分が擦れて,かさぶたみたいなのが剥がれて,今度は痛くなるのだ.看護師さんに言ったら,「見せてみて」と言ってきたので,そこは思春期の青年,丁重にお断りをした.患者である前に一人の青年ですよ.恥ずかしいに決まってるでしょ.まったく..あー,痛い.おやすみ.
2003.12.10(水)
今日は沢山の吉報が届いた.まず1つ目は,ご飯を出してもらえるようになったこと.さらに,その食事は病室ではなく,デイールームで食べて良いとのこと.これまでは安全第一で食事の時は部屋でベッド上で食べていたのだが,状態も落ち着いてきたとのことで,みんなと一緒に椅子に座って食べられるようになったのだ.嬉しいですね.本当に.
2つ目は,抗生剤が点滴から服薬に変わったこと.いつも点滴で栄養水やその他の治療をしてきたが,服薬に変更となった.そう,これでようやく点滴とおさらばの毎日がぐっと近づいたのだ.これらの変化は,つまり退院が近づいてきた証拠なのだ.は〜,とうとうここまでやってきたのか.まだ決定ではないけれど,これは目標としていた年内退院も夢ではない!明るく楽しく残りの入院生活を過ごそう.
2003.12.11(木)
今日はすごい方がお見舞いに来てくれた.千葉ロッテマリーンズに在籍する渡辺俊介さんだ.俊介さんは,我が母校の卒業生で,現在はプロ野球選手として活躍している.今年は9勝を挙げ,チームの勝利にかなり貢献され,チームに必要不可欠な選手である.プロ野球選手はシーズン以外も多忙らしく,地元への挨拶や,ファン感謝祭やその他イベントが盛りだくさんらしい.そんな多忙な中,わざわざ見舞いに来てくれた.そして,さらに嬉しいことにアンダーシャツまで頂いた.今日は体調も良かったので,心底嬉しかった.明後日にもすごい方がお見舞いに来てくれる予定なので,楽しい日々が続きます.
2003.12.12(金)
まだ昨日の出来事に酔っています.明日もこの興奮が続くと思っただけでも気分が踊ります.さて,今日の採血結果は白血球が4700と充実.ヘモグロビンも増えて来ており,とても順調な回復だ.血小板の輸血ももう必要ないだろうとのこと.良かった,良かった.そして今日は森本さんが見舞いに来てくれた.外来で来たらしい.何やら髪の毛が生えてこないとかで心配になっているらしい.そんな話を聞いている自分自身も頭はツルツルで全身の毛がない.だからちょっと自分のことのように聞いていた.でも自分以上に森本さんは年齢がはるかに上だから,生えてこないと色々心配になるのだろう.そして,自分が退院したら一緒にバーベキューをしようと約束した.せっかくだから萩原さんも荒山さんも昇さんもみ〜んな誘ってお酒飲みたいね.楽しみで仕方ないですよ,ほんと.あ〜,早く退院してぇ〜.
2003.12.13(土)
今日,一昨日のスペシャルゲストに引き続き,またまたスペシャルゲストが見舞いに来てくれた.その方は現在,西武ライオンズで2番を打っている小関竜也さんだ.小関さんも俊介さんと同じく我が母校の卒業生で,お二人は同学年だったとか.同じ学年からプロ野球選手が2人も出るなんて,本当にすごい年だったんだろうなと思う.それでも甲子園には行けなかったんだから,やっぱり野球ってものはわからない.
小関さんは素敵なプレゼントもくれた.愛用されていたグローブと球団カレンダーをプレゼントしてくれた.病気をしてしまったことはとてもショックだったし色んなものを失ったけど,だからこそこういうプレゼントは余計嬉しく感じる.同情と思われるかもしれないけど,それでも良い.勇気をもらえる.だから退院しても絶対に野球は続けようと思う.自分がしてもらって嬉しかったように,同じようなことをできる人間になりたい.小関さんは別れ際,来年首位打者を獲ると宣言してくれた.自分は高校最後の年になる.小関さん・俊介さんからもらったパワーで楽しみまくろうと思う.おそらく,このまま行けば目標である年内退院は確実であろう.そのためにも,感染予防を怠らず,治療に専念したいと思います.お二人,本当にありがとうございました.
2003.12.14(日)
予想は的中した.そして,この日記は2003年中に終了するでしょう.今日,主治医の三好先生が退院について話してくれた.その結果,今日から10日後あたりに退院になるとのことだった.本っ当に嬉しかった.最高のクリスマスプレゼントになりそうだ.でも,肝心の室井先生は大晦日あたりだろうと話されていた.どうしてこう意見が異なるのでしょう.聞く人間は一人なのに,結論が複数ある.こういう時の患者はどうすれば良いんでしょうか.多少の誤差はあるものの,お二人の先生とも年内退院は可能そうだということなので,ひとまずは安心ですね.退院まであとわずか.我慢もあとわずか.
2003.12.15(月)
今日,退院前の最後のマルクをやった.前回のマルクからだいぶ時間が経っていたので結構緊張した.最後になるだろうということで,記念に沢山写真撮影をしてもらった.マルク中に写真撮影を依頼する患者は初めてだったらしい.主治医の三好先生は写真がお好きなようで,ずっとニコニコしながら激写してくれていた.また大きな貴重な思い出が作れました.やっぱり,嫌なことをいやいや受けたら余計嫌だし,多少でも楽しまないとね.それでは,今日はここら辺で.
2003.12.16(火)
今日は,野球部仲間の一輝が下宿しているおばさんと一緒に来てくれた.明後日,半月板の手術を受けるらしい.彼は生まれが東京なので,手術を受ける病院も東京らしい.自分も病院にお世話になっているが,まだ手術というものを経験していない.手術前の気持ちとか,手術後の大変さとか,そういうのは全くわからない.想像できるだけでただただ“大変そう”というイメージができるくらいだ.何も明確なアドバイスができなかった.いろんな経験をしてそれを伝えられるようになりたいと感じた.
一方,病棟ではクリスマス会が行われた.予想していたよりもずっとずっと楽しかった.最後には患者全員にクリスマスケーキが配られた.とっても美味しかった.何かをやって楽しいって思えたり,美味しいって思えるのって当たり前のことだろうけど,その当たり前が今の自分にとってはものすごく幸せなこと.この考えはこの先もずっと持っていたいと思う.
2003.12.17(水)
今日はばあちゃんとじいちゃんが見舞いに来てくれた.1時間くらい居てくれただろうか.友達や親にはない何かがあって,気づくとありのままの本当の素の感情になり,普段にない内容を語らせてくれる.きっとこういうのがそれぞれの家族の役割であって,だからこそ一人として家族は台変えができないんだろうなと感じた.改めて家族がいることに感謝です2人に退院の話が出ていることを告げると,2人はとても喜んでくれた.その姿を見て自分も嬉しくなった.今年,自分は病気して,家族にはいっぱい心配かけたし,お世話になった.当然,じいちゃんにもばあちゃんにも.退院したら,ちゃんとその想いを行動で伝えようと思う.じいちゃん,ばあちゃん,ありがとう.
2003.12.18(木)
今日は地元の親友である重來が見舞いに来てくれた.彼はサッカー強豪校の帝京高校で副キャプテンをしている.非常に責任感の強い,ホリの深い男にモテるやつなのだ.彼が来てくれたのは夜だった.東京から練習帰りに寄ってくれた.寄ってくれたと言っても,帰るべき重來の家は病院と正反対.こういう行動が本当に嬉しい.こういう仲間に出会えたのが幸せです.ありがとう.
そして今日,ある卒業式が行われた.中心静脈カテーテルの卒業式だ.彼はずっと自分の右鎖骨下静脈にいてくれて,大事な点滴や骨髄液を血管内に流してくれた.彼がいなければ自分は助かっていないだろう.彼が入ってくるときは,かなりの痛みを引き連れてやってくるのだが,出て行くときには何も言わずに出て行ってしまった.なんとも言えない.ただこうやって着実に自分の環境は変わって行くんだなと感じた.
2003.12.19(金)
今日は高校の仲間3人が見舞いに来てくれた.来てくれたと言っても,ずっと彼らはゲームをしていた.そんな時だった.突然,野球部のトレーナーさんが来てくれた.3人のうち1人は野球部仲間だったから,そいつは心底びっくりしたに違いない.トレーナーが来てくれてからのオドオド感は笑えた.話では,明日から我が野球部は地獄の館山合宿が始まるとのこと.自分たち2年生にとっては最後の合宿になる.この合宿になんとか間に合えばと思ったがそれは叶わなかった.仮退院でもできれば良いのだが.許可が降りるように,しっかりと体調管理していきます.
2003.12.20(土)
気づけばもう20日.移植直後は時間の進む感覚が本当に遅く感じていたけど,個室を出た後はあっという間に時間が過ぎて行く.体調も良いから,余計に早く感じるのかもしれない.また,同室にいる萩原さんの体調も良さそうだ.おかげさまでずっと自分の相手をしてくれている.年齢はだいぶ離れているけど,病院では兄貴のような存在で,とてもお世話になっている.だからというのもあるけど,やっぱりこの病気をした人間からすると,早く移植して完治してもらいたい.体調が良い時は本当に嬉しいし,安心する.だから頑張ってくださいね,萩原さん.
そして今日は3人の方が見舞いに来てくれた.じいちゃんとじいちゃんの長女夫婦だ.つまり叔父と叔母だ.時間的にはわずかだったけど,わざわざ来てくれたことが本当にありがたい.時期も時期だけど,今日は雪が降るらしい.病室から見る外の風景は,風が強く,空が濁っていて,自分の体調とは真逆のような天候だ.全く嫌な予感とかはしないけど,もうこんな季節なんだなと実感した.
2003.12.21(日)
合宿初日,皆はどうだったろう.1年生は「メッチャ辛い!!」「次元が違うだろ」なんてぼやきながらやっているんだろうな.大変だけど,でも,そう思ってほしいね笑.
一方,自分の方はというと,その合宿に行って良いか主治医に確認したところ,なんと,許可が出た!よかった,間に合って.でも,紫外線を浴びちゃいけないから,車の中からしか見られないだろうけど...でもそれでも嬉しい.
自分にとっては最後の合宿だし,激励したい.でも,今の所外泊になるかどうかはまだわからない.できれば外泊であってほしいけど.そう祈りましょう.
2003.12.22(月)
今日,合宿の件で主治医に相談した.結果,外泊ではなく外出となっってしまった.残念,,,ただ,少し先生の優しさもあり,通常,外出の場合は19時までに帰ってこないといけないのだが,21時まで延長された.感謝だ.ありがとう.だからたっぷり外の空気を吸ってリフレッシュしてきます!
2003.12.23(火)
明日はなぁんの日,フッフー!ですよ!そうです,明日は巷も賑わう,クリスマスイブです!!!まぁだからなんだって感じなんですけどね,自分からしたら.クリスマスですーって賑わっている時に彼氏彼女がいるいないで盛り上がっているだけじゃなんですかね,所詮.くだらない.こちとらそんな呑気なこと言っていられる状況でもないんですけどね!!いやしかし,こんなことでなんやかんや言っている自分が情けないですね.本当.今はいないけど,絶対将来は素敵な女性を隣に「メリークリスマス」って言ってやるんだ!ふん,今に見てろ!
なんて日記を書いていたら野球部仲間が怒るだろうな.行ってきましたよ.館山に.皆,頑張っていました.強風の中,全く動かないタイヤを押し続けたり,声を枯らしながら大声でダッシュしたり,広い球場でアメリカンノックをしたり,本当に頑張っていた.大変だなぁと感じる自分と,羨ましがる自分がいて,少々,複雑な心境で見ていました.しかし何れにしても,久しぶりに仲間たちと会えて,勇気をもらえた気がする.自分も自分に負けないように頑張らないと.
と言っても,まだ個室から出られていない.一体いつになったら出られるんだろう.ここのことだから,突然,明日から出ていいよ!なんてなるのがオチなんだろうな.どうなることやら.
2003.12.24(水)
今日は,全く待ちに待っていないクリスマスイブです.巷は賑わい,待ち焦がれた少年少女であふれているのでしょう.ここで宣言します,男○○,来年のクリスマスは必ず意中の女性と一緒にクリスマスを過ごすことを誓います!
さて,そんな決意表明をした今日,久しぶりに兄貴が見舞いに来てくれた.茨城~栃木しか経験のない自分としては,東京に生活の場を構えた人間は,身なりも考えもものすごい変わるんだろうと思っていたのだが,自分の兄貴に関しては,全く変わる気配がない.喋り方は下妻訛りで訛りまくり,髪も染めない.というか,無償ヒゲなのか,なんなのか,一見ただの髭面.全く都会に住んでいる人間とは思えない佇まい.たたずまい
って,こういう漢字になるんですね.パソコンの変換能力ってすごいですね.勉強せねば.話が脱線しましたが,いずれにせよ兄貴,頑張れ,弟からもエールを送ろう.
2003.12.25(木)
昨日,日記を書き終えた後,母校野球部仲間の父ちゃん母ちゃんが見舞いに来てくれた.来てくれたのは,登下校を共にしていた奴の母ちゃんと,同じクラスメイトの母ちゃん,それに自分の憧れのヤツの母ちゃんだ.きっと,これが最後の見舞いになるのだろうなと思って話をしていた.なんで最後かって??それは,今月の30日に退院予定と言われたからだ.そう,後5日で退院なのだ.後ほんのわずかでこの日記ともお別れになる.たくさん吐け口になってくれたこの存在,本当に大きかった.でも,後数日で卒業になります.長かった.
本当に.たくさんの高校生活を代償に,多くのものが得られた.今の現時点で,一般的な高校生よりも,多くの考えを身につけられたのだろうと思う.普通に高校生活を送っていたら,学ぶこともできなかったことを沢山学べたし,自分という存在について考えることもできた.
わずか10数年の人生だけど,この1年は本当に多くのことを学べた期間だった.この経験を無駄にしないためにもしっかりと考えながら今後の人生を歩んでいこう.後数日,後悔しない病院生活を送ります.
2003.12.30(火)
いよいよ,この長い日記ともお別れとなります.本日をもって,私,新生○○は退院します.約1年間,入院生活を送ってきましたが,ついに,終止符が打たれます.今思えば,長かったようで,短い入院生活でした.ありのままをこの日記に綴ってきました.
入院直後の心境から,看護師さんへの恋心,青春謳歌の不完全燃焼.たくさんの感情が生まれた期間となりました.その多くを病室で過ごし,これまで考えてもみなかったようなことを考え,悩み,葛藤して,自分は今後どのようにして生きていかなければならないのか,本当に悩んだ期間となりました.
両親を含め,家族には本当に心配をかけました.仲間たちからは勇気をもらい,そのお返しに病室から普通のありがたみを訴えました.なぜ,ここまで苦労をして生きるのか,なぜ,自分が病気になったのか,その答えはまだわかりません.でも,この病気がもたらしたことは,とても大きなものであったことと思います.でなければ,悔やんでも悔やみきれません.だから,自分は,“普通”でいることのありがたみをわきまえつつ,絶対後悔しない人生を送りたい.そして,必ず人のためになる職につき,多くの幸せを運べる人間になりたい.どんなに時間がかかってもいい.どんなに苦労したっていい.人のためになるのであれば,どんな努力だってする覚悟だ.
将来,妻となる女性が現れたら,子供を得られることは難しいこともしっかりと伝えよう.そしてそのぶん,感情を直接口で伝えようと思う.限りある人生,多くの人たちのために,この命をふんだんに使っていこう.
ここまで支えてくれた家族,親戚,友人,仲間たち,本当にありがとうございました.いつか,きっと恩返しをしますので,それまでしばらく,お待ちいただけたらと思います.約1年もの期間,本当にありがとうございました.それでは,しばし,失礼いたします.
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